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【伊賀の国】地震守護の要石と大ナマズ像の大村神社

はじめに

伊賀の国」は、かつての日本の地方行政区分で、現在の三重県西部、上野盆地一帯に該当する令制国の一つであり、東海道に属していた。「伊賀」は、現在でも三重県の伊賀地方を指す呼称として使われており、伊賀市と名張市を中心に構成されている。伊賀は、伊賀流忍者の発祥地として知られ、伊賀焼(陶器・炻器)や伊賀組紐の産地としても有名である。

大村神社【おおむらじんじゃ】は、三重県伊賀市阿保にある歴史ある神社で、主祭神として大村神【おおむらのかみ】を祀っている。古より「地震守護の神社」として信仰されている。

創建については不詳であるが、古くから存在する式内社である。境内には、要石【かなめいし】、宝殿【ほうでん】や虫喰鐘【むしくいがね】などの見どころも多くある。

目次
はじめに
大村神社
あとがき

大村神社

大村神社【おおむらじんじゃ】は、垂仁天皇の皇子である息速別命【いこはやわけのみこと】(大村神)を主祭神として祀っている。また、武甕槌命、経津主命、天児屋根命や応神天皇などを配祀している。

伊賀の国の総鎮守として古くから崇敬されてきた神社である。現代の地震研究者の研究によれば、大村神社が中央構造線(九州東部から関東へ横断する断層帯)の真上に鎮座している可能性が高いという。もし、それが真実なら大昔の人が断層帯と地震の関係をどのようにして知っていたのか謎であるし、非常に興味深い。

大村神社は、古来より地震守護の神社として知られており、拝殿の西側には、地下深くに広がり、大地を揺るがす大ナマズを押さえるとされる霊石・要石が奉斎されている。

要石は、本殿の横にある小さな石で、地震を防ぐと伝えられている。この石の下には地震を呼ぶ巨大なナマズがいるとされ、要石がそのナマズを抑えているという伝説がある。大ナマズは、断層帯の象徴なのであろうが、そもそも誰が思いつき、いつ頃から言い出したのか非常に興味深い。江戸時代の話で、地震の前兆としてナマズが沼で暴れたことが記録に残っているという。

大村神社・要石社で祀られる要石

毎年11月開催の「秋の例祭」では、要石の前に置かれた石のナマズを花車に乗せ、神輿と共に阿保の町中を練り歩くという風習が伝えられていた。現代は、この石のナマズの代わりに、例祭用の大ナマズ像が制作され、大ナマズ花車として使用される。

ナマズの絵の描かれた絵馬や奉納用の張子のナマズはとても愛らしく、お守りやお土産として持ち帰る参拝者もいるらしい。

この神社は、天正9年(1581年)の「天正伊賀の乱」で焼失したが、天正15年(1587年)には再建されたらしい。

この時に造営された本殿は、入母屋造・桧皮葺の建物で、桃山様式の華麗な建築美が特徴的である。現在は宝殿として残され、国の重要文化財に指定されている。

大村神社・宝殿

境内には、日本三奇鐘の一つとされる「虫喰鐘」が残されている。元々は大村神社の宮坊であった禅定寺の梵鐘で、明暦2年(1656年)に完成したものらしい。禅定寺の和尚が、諸国からの寄進を集めて17年がかりで梵鐘を完成させたという。

この梵鐘には「娘と古鏡の呪い」という伝説が残される。大和国葛城の豪家の娘が愛蔵していた鏡がこの梵鐘に鋳【い】込まれていたというのである。自分の姿を映してはいけないという鏡に憑りつかれていた娘は、この鏡と運命を共にしたという。娘は、亡霊となって現れ、それを機に梵鐘の丸い突起物が一つずつ落下したという言い伝えである。以来、この梵鐘は「虫喰い鐘」と呼ばれるようになったらしい。

この虫喰鐘は、実際は長い年月の間に化学変化によって鐘上部の突起物表面に瘤【こぶ】ができ、それが少しずつ剥がれ落ちてしまったためであろう。つまり、虫喰いの原因はサビだが、伝説の方がこの梵鐘に相応しいように心のどこかで思ってしまう。

大村神社・虫喰鐘

大村神社は、伊賀の国の歴史と信仰を伝える神社で、地震から地域を守る神様として、多くの人々から敬われている。

神社のすぐ近くにある桜山公園は桜の名所で、桜の季節には多くの人で賑わう。国の天然記念物に指定されたオオムラザクラやクシマザクラなどは一見の価値がありそうだ。

名 称大村神社
所在地三重県伊賀市阿保1555
TEL0595-52-1050
アクセス名阪国道「上野東IC」から車で約20分
駐車場あり(無料)(2ヶ所)
Link大村神社公式ホームページ

あとがき

大村神社の主祭神は、息速別命【いこはやわけのみこと】(大村神【おおむらのかみ】)であるが、武甕槌命【タケミカヅチノミコト】(鹿島神宮の主祭神)と経津主命【フツヌシノミコト】(香取神宮の主祭神)を配祀している。鹿島神宮(武甕槌命)と香取神宮(経津主命)にも地震鎮護の要石があり、大村神社の要石との関係性は大いにあることは理解できた。それにしても、伊賀の国の要石が、遠く離れた「常陸の国」や「下総の国」の要石と関係があるとは何とも興味深い話である。

さて、大村神社は、伊賀市阿保に位置する神社であるが、意外と名張市の市街地からは近い。もっとも伊賀市は名張市の隣町だから当然と言えば当然のことではあるが、面積の広い伊賀市にあっては、阿保地域は名張市の中心部からは距離的に近いのである。かつて私たち家族全員が名張市に住んでいた頃は、初詣には大村神社に参拝するのが常であった。

そんな大村神社についてブログで紹介する理由は、別稿で大村神社の秋祭り(秋の例大祭)について記事を書きたいと思ったからである。私は、大村神社には初詣で参拝することがあっても、秋祭りを見物することはなかった。

会社員をリタイアして、名張で一人暮らしを始めてからは、名張市や伊賀市の歴史や文化について興味を持ち始めた。そして、そこで学んだことを地域情報として多くの人たちと共有したいと思うようになったのが動機である。


大村神社の御神木

大村神社の境内には、「巳の神木」と呼ばれるスギの御神木がある。樹齢ついては分からないが、かなりの樹齢のスギの大木である。「古くから白に見ゆると幸福が来る」との説明板もある。巳 【み】は蛇【ヘビ】を意味するが、何らかの関係性があるのだろうか。

大神神社(奈良県桜井市)にも巳の神杉【みのかみすぎ】と呼ばれる樹齢400年のスギの御神木がある。この巳の神杉は、三輪の大物主大神の化身である白蛇が棲むことから名付けられたとされている。大村神社の巳の神木もそれとよく似た伝説が残されていのだろうか。それとも別の伝説があるのだろうか。興味深い。


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