はじめに
古くから幸福を招くといわれる七福神を祀る寺院が淡路島にもあることを妻から教えてもらった。教わったというか例にたがわず「七福神巡り」に誘われたというのが正しい見解である。
神戸からだと淡路島までは車ですぐに行けるので断る理由をサラリーマン生活をリタイアした私には見つけられない。だからと言って決して嫌々承諾したわけではない。私は「七福神巡り」を体験したことがなかったので、少しだけ興味はあった。
最初に参拝した八浄寺で「淡路島七福神めぐり」の作法を住職に教えてもらい、興味が俄然湧いてきたのを鮮明に覚えている。
各寺では奉納金(300円)を納めれば、御祈願をして貰え、住職から法話を聞くこともできた。参拝記念品や吉兆福笹も授かり、福を授かった気分になったものだ。
淡路島を七福神が乗る宝船に見たて、島内各所に位置する7ヶ所の寺院を巡る参拝の旅も車で巡拝すれば日帰りコース(淡路島内の走行距離は約80km)となる。
本稿が私のような出不精者が「淡路島七福神めぐり」をきっかけに各地の七福神巡りに興味を抱き、外出の動機付けの一助になればと願っている。
<目次> はじめに 七福神とは 大黒天(裕福の神) 弁財天(知恵の神) 福禄寿(大望の神) 布袋尊(和合の神) 恵比寿神(律儀の神) 毘沙門天(勇気の神) 寿老人(長寿の神) 淡路島の七福神めぐり 八浄寺(大黒天) 智禅寺(弁財天) 長林寺(福禄寿) 護国寺(布袋尊) 萬福寺(恵比寿天) 覚住寺(毘沙門天) 宝生寺(寿老人) あとがき |
七福神とは
七福神【しちふくじん】は、元々はインド伝来の大乗仏教における経典の一つである仁王経【にんのうぎょう】に記述されている「七難即滅 七福即生」という仏教語に由来する、福徳の神として日本で信仰される七柱の神々(大黒天・弁財天・福禄寿・布袋尊・恵比寿神・毘沙門天・寿老人)を指す。この七福神の顔ぶれは、江戸時代に定まったものであるという。
(左から順に、毘沙門天・布袋尊・弁財天・大黒天・恵比寿天・寿老人・福禄寿)
七福神は、日本では現世利益(五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、長命長寿、立身出世など)を授ける七柱の神として信仰される。
(左から順に、布袋尊・福禄寿・恵比寿天・大黒天・弁財天・寿老人・毘沙門天)
大黒天
大黒天【だいこくてん】は、「裕福の神」とされる。
大国天は、元々はヒンドゥー教のシヴァ神の異名であり、世界の創造、維持、再生を司る神として信仰されている。この神が仏教に取り入れられ、仏法を守護する「護法善神」となって、現在では七福神の一柱として信仰されている。
日本においては、「大黒」と「大国」が共に【だいこく】の読みであることから、日本神話で有名な大国主神【おおくにぬしのかみ】と混同され、習合した結果、いつしか米俵に乗って福袋と打出の小槌を持った微笑の長者形で表されるようになったという。
袋を背負っているお姿は、大国主神が「因幡の白兎」の神話で八十神たちの荷物を持たされ、大きな袋を担いでいた姿に由来しているという。
また、「根の国訪問」の神話で大国主神が鼠に助けられたという話から鼠【ネズミ】が大黒天の使いとされる。
大黒天の真言は、「おんまかぎゃらやそわか」である。
弁財天
弁財天【べんざいてん】は、「知恵の神」とされる。
弁財天は、元々はヒンドゥー教の女神・サラスヴァティーで、聖なる河とその化身とされ、「水の女神」であったが、次第に芸術・学問などの「知を司る女神」へと変遷した。音楽神・福徳神・学芸神の性格に加え、戦勝神の性格も持つために仏教に取り込まれて、仏教の守護神にも数えられる。
また、神仏習合によって神道にも取り込まれ、様々な日本的変容を遂げた稀有な神さまである。
日本では財宝神としての側面に信仰が集まり、「弁財天」あるいは「辨財天」と表記する場合が多い。そのため近世になると「七福神」の一柱としても信仰されるようになった。
弁財天は、元々はインドの「水の女神」であったことから、川・池・泉・湖・海・島・港湾など水に関係する場所に弁財天を祀る弁天社や弁天堂が数多く建立された。島や池に地名として弁天島や弁天池と名付けることも多かったという。
神仏習合の弁天社は、明治初期の神仏分離政策のあおりを受け、多くは神社となった。その際に主祭神が弁財天から日本神話に登場する宗像三女神の一柱の市杵嶋姫命【いちきしまひめ】(海上神)に改められた弁天社が多い。そのために弁財天と市杵嶋姫命は同一視されることが多くなったという。
このように近世以降の弁財天信仰は、仏教、神道、民間信仰が混交して、訳が分からないほどに複雑であるが、唯一、変わらないことは弁財天が女神だということである。七福神の中でも唯一の女神であり、一般的には琵琶を抱え、バチを持って演奏している姿の天女形として描かれることが多い。
弁財天の真言は、「おんそらそばていえいそわか」である。
福禄寿
福禄寿【ふくろくじゅ】は、「大望の神」とされる。
福禄寿は、元々は中国において福星・禄星・寿星の三星をそれぞれ神格化した、三体一組の神であった。道教では、福禄寿を「幸福」(実子に恵まれること)、「封禄」(財産)、「長寿」(健康を伴う長寿)の三徳を具現化したものと説いているらしい。
ところが日本においては福禄寿を三体一組の神ではなく一柱の神として認識され、現在では七福神の一柱として信仰されている。
福禄寿の姿は、背が低く長頭で長い髭をはやし、杖に経巻を結び、亀に乗って、鶴を伴っている。
福禄寿の真言は、「おんまかしりそわか」である。
布袋尊
布袋尊【ほていそん】は、「和合の神」とされる。
布袋尊は、唐の時代の末期に中国の明州に実在したとされる伝説的な禅僧である。本名は、契此【かいし】または釈契此【しゃくかいし】であったらしいが、常に頭陀袋【ずだぶくろ】を背負っていたことから「布袋」という俗称がつけられたという。
日本では室町時代後期から七福神の一柱として信仰され、水墨画の画題にも選ばれて、大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれた。太っておおらかな風貌が好まれ、手にした袋から財を出し与えてくれると信じられている。
肥満体の布袋尊は、広い度量や円満な人格、また富貴繁栄をつかさどるものと考えられ、所持品である袋は「堪忍袋」とも見なされるようになったという。
布袋尊の真言は、「おんまいたれいやそわか」である。
恵比寿神
恵比寿神【えびすしん】は、「律儀の神」とされる。
恵比寿神は、七福神の中で唯一の日本古来の神である。古くから漁業の神であり、現在では「商いの神」とされ、商売繁盛や五穀豊穣の御利益があるとして信仰されている。
「えびす神」は、イザナギとイザナミの子である蛭子【ひるこ】もしくは大国主神の子である事代主神【ことしろぬしかみ】のどちらかとされることが多いが、淡路島の萬福寺では「恵美酒天」と表記され、ヒルコ神を祀っているという。
さすが淡路島にはイザナギとイザナミが最初に産んだとされる「おのころ島」伝説(日本神話)が残り、ヒルコはイザナギとイザナミの間に最初に生まれてきた神であるだけのことはある。
「えびす神」は、左手に鯛(めでたい)と右手に釣り竿(釣り糸は礼儀のシンボル)を持った姿で描かれることが多い。
恵比寿神の真言は、一般的には「おんいんだらやそわか」だが、淡路島の萬福寺では真言を「なむえびすだいじん」と唱える。
毘沙門天
毘沙門天【びしゃもんてん】は、「勇気の神」とされる。
毘沙門天は、ヒンドゥー教ではクベーラと呼ばれ、元々はインド神話における「富と財宝の神」とされる。
ところが、中央アジアを経て中国に伝わる過程で「武神」としての信仰が生まれ、四天王の一尊である武神・守護神とされるようになったという。
日本では四天王の一尊として祀る場合は「多聞天」、独尊像として祀る場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例となっている。
毘沙門天は、室町時代末期には日本独自の信仰として七福神の一柱とされ、江戸時代以降は特に勝負事に御利益を授ける神として崇められてきた。
毘沙門天の真言は、「おんべいしらまんだやそわか」である。
寿老人
寿老人【じゅろうじん】は、「長寿の神」とされる。
寿老人は、中国の伝説上の人物で、道教では神仙とされる。酒を好み頭の長い「長寿の神」とされ、手に長寿のシンボルとされる「不老長寿の桃」を持っている。そして、「不死の霊薬」の入った瓢箪【ひょうたん】を運ぶ牡鹿を従えている。この牡鹿は「長寿と自然の調和」のシンボルとされる。
寿老人の真言は、「おんばざらゆせいそわか」である。
淡路島の七福神めぐり
淡路島を七福神が乗る宝船に見立て、七福神を祀る下記の7か所の寺院を参拝して巡る。寺院の参拝順序は自由で、どの寺院から参拝しても良いし、期間も自由である。
- 八浄寺【はちじょうじ】:【大黒天】を祀る
- 智禅寺【ちぜんじ】:【弁財天】を祀る
- 長林寺【ちょうりんじ】:【福禄寿】を祀る
- 護国寺【ごこくじ】:【布袋尊】を祀る
- 萬福寺【まんぷくじ】:【恵比寿天】を祀る
- 覚住寺【かくじゅうじ】:【毘沙門天】を祀る
- 宝生寺【ほうじょうじ】:【寿老人】を祀る
「淡路島七福神めぐり」の方法は、最初に参拝した寺院でハッピー券を頂戴し、各寺院で奉納金(300円)を納めて、住職に御祈願をして貰う。住職の法話が拝聴できると共に参拝記念品も授かる。
各寺院を参拝するごとにハッピー券に参拝のスタンプが押され、七ヶ寺すべてを参拝(結願)【けちがん】すると、最後に参拝した寺院で「吉兆福笹」が頂戴できる。
この吉兆福笹を翌年に最初に参拝した寺院で返却すると、吉兆福笹の中にある福券と引き換えに、翌年の干支が描かれた色紙が頂戴できるという。
八浄寺(大黒天)
八浄寺【はちじょうじ】は、高野山真言宗の寺院で、山号を蓮台山と称する。御本尊は阿弥陀如来である。
「淡路島七福神霊場」の総本山として、境内には国内唯一の宝塔とされる瑜祇七福宝塔【ゆぎしちふくほうとう】が建立されている。
本堂は、平成元年(1989年)に再建されたものであり、その本堂には日本一大きいとされる木造の大黒天像(高さ2m以上)が安置されている。
八浄寺の境内には弘法大師・空海を祀る大師堂や弥勒菩薩を祀る弥勒堂も建立されている。
八浄寺は、淡路四国八十八ヶ所霊場の第64番札所でもある。お砂踏み霊場が設けられており、 四国八十八箇所のお砂踏みができる。
名 称 | 八浄寺 |
所在地 | 兵庫県淡路市佐野834 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 八浄寺 淡路島七福神の大黒天(大黒さん)とご利益 |
智禅寺(弁財天)
智禅寺【ちぜんじ】は、高野山真言宗の寺院で、山号を大廣山と称する。御本尊は大日如来であり、本堂の中央に大日如来像が祀られている。
智禅寺は、西隣にある草香八幡神社の神宮寺であったが、明治初期の神仏分離政策により分離させられたという。
山門は竜宮門と呼ばれ、上部に梵鐘がある鐘楼門となっている。
本堂には御本尊の大日如来像の他に、弁財天を祀る祭壇がある。
その祭壇にはお顔がマツコ・デラックス似だとしてメディアに取り上げられた弁財天像や松久宗琳作の弁財天像が祀られている。
名 称 | 智禅寺 |
所在地 | 兵庫県淡路市草香436 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 智禅寺 淡路島七福神の弁財天(弁天さん)とご利益 |
長林寺(福禄寿)
長林寺【ちょうりんじ】は、高野山真言宗の寺院で、山号は平栖山と称する。御本尊は、十一面観音菩薩である。
長林寺は、天平9年(737年)に行基によって創建されたと伝わる、歴史のある寺院である。かつては七堂伽藍が建立され、塔頭十二坊を構えるなど繁栄したようであるが、火災によって消失しているのは残念である。
長林寺の年季の入った本堂横のお堂には七福神の一柱、福禄寿が祀られている。残念ながら本堂を含め建物内の写真は撮影できなかったが、かなり年季の入った神像であることが理解できた。
長林寺は、淡路西国三十三ヶ所霊場の第18番札所であると共に淡路四国八十八ヶ所霊場の第45番札所でもある。
名 称 | 長林寺 |
所在地 | 兵庫県洲本市五色町都志万歳975 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 七福神めぐり | 福禄寿 長林寺 長林寺 淡路島七福神の福禄寿とご利益 |
護国寺(布袋尊)
護国寺【ごこくじ】は、高野山真言宗の寺院で、山号を賀集山と称する。御本尊は大日如来である。
護国寺は、行教(京都の石清水八幡宮を開創した僧)によって創建されたと伝わり、西隣の賀集八幡神社の神宮寺であったが、明治初期の神仏分離政策によって分離したという。
本堂には、御本尊の大日如来坐像(重要文化財)が安置されている。この木造の仏像は平安時代後期の作とされる。
護国寺は、布袋尊を祀る「淡路島七福神」の札所でもある。本堂には布袋尊像が数体安置されている。
護国寺の境内は広く、境内を散策するだけでも楽しい。
護国寺の境内には、兵庫県指定の名勝にもなっている護国寺庭園がある。この庭園は、池泉鑑賞式庭園で、淡路島最古の庭園であるとされる。
護国寺庭園は、作庭時期の異なる南側の本堂書院庭と北側の庫裡書院庭とからなっている。
護国寺は、淡路四国八十八ヶ所霊場の第17番札所にもなっている。
名 称 | 護国寺 |
所在地 | 兵庫県南あわじ市賀集八幡732 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 護国寺 淡路島七福神の布袋尊とご利益 |
萬福寺(恵比寿天)
萬福寺【まんぷくじ】は、高野山真言宗の寺院で、山号を賀集山と称する。御本尊は大日如来である。
萬福寺は、藤原仲麻呂の乱に敗れて淡路国に流され、その地で崩御した淳仁天皇の御陵を守るための僧侶の宿坊として宝亀年間(770年~781年)に創建されたのが始まりであるとされる。
本堂には御本尊の大日如来のほか、恵美酒神【えびすしん】が祀られており、「淡路島七福神巡り」の札所となっている。
境内には薬師堂があり、淡路島四十九薬師霊場の14番札所になっている。
また萬福寺は淡路四国八十八ヶ所霊場の番外札所でもある。
名 称 | 萬福寺 |
所在地 | 兵庫県南あわじ市賀集鍛冶屋87-1 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 万福寺 淡路島七福神の恵美酒太神とご利益 |
覚住寺(毘沙門天)
覚住寺【かくじゅうじ】は、高野山真言宗の寺院で、山号は南隆山である。御本尊は、如意輪観音菩薩である。
寺伝では、592年に聖徳太子の勅詔によって創建されたという淡路島で最も古い寺院であるらしい。かつては七堂伽藍を備えた大きな寺であったとも伝わっている。
覚住寺は、西隣の上田八幡神社の神宮寺であったが、明治初期の神仏分離政策により分離させられたという。
本堂には御本尊の如意輪観音菩薩を祀るほか、「淡路島七福神巡り」の札所として毘沙門天を祀っている。
百足【ムカデ】は毘沙門天の使いとされている。そのため覚住寺では百足のデザインが太鼓や座布団に施されている。
である百足がデザインされている
覚住寺は、淡路四国八十八ヶ所霊場の第9番札所でもある。
名 称 | 覚住寺 |
所在地 | 兵庫県南あわじ市神代社家343 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 覚住寺 淡路島七福神で毘沙門天のお寺とご利益 |
宝生寺(寿老人)
宝生寺【ほうじょうじ】は、高野山真言宗の寺院で、山号を十輪山と称する。御本尊は地蔵菩薩である。
寺伝では、天平13年(740年)に聖武天皇の勅命を受けた行基によって創建されたという。御本尊の地蔵菩薩像は、行基が自ら彫ったものとされる。この地蔵菩薩像は「日限地蔵尊」と呼ばれ、霊験あらたかな尊像として祀られたと伝わっている。
宝生寺は、西隣にある春日神社の神宮寺であったが、明治初期の神仏分離政策によって分離させられたという。
宝生寺は、「淡路島七福神巡り」の札所でもあり、寿老人を祀っている。
2023年10月現在、本堂は老朽化のため建て替え中であり、2024年6月頃の竣工を予定しているらしい。それまでは駐車場に設けられた仮参拝所で「淡路島七福神巡り」の参拝を受け付けている。
宝生寺は、淡路四国八十八ヶ所霊場の第75番札所でもある。
名 称 | 宝生寺 |
所在地 | 兵庫県淡路市里326 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 宝生寺 | 淡路島観光ガイド |
あとがき
私はこの歳になって初めて「七福神巡り」をした。「七福神」の名ばかりは知っていたが、詳しくは知らなかったので、「淡路島七福神巡り」をすることで、はじめて七福神を知った気に少しはなれたのが率直に嬉しい。
他の七福神巡りはどうかは知らないが、淡路島での七福神巡りは非常に興味深かった。各寺院は本堂の中央の須弥壇に御本尊を祀っているが、その隣に祭壇を設けて七福神の一柱を祀っている。
七福神への祈願は木魚の代わりに太鼓を叩いて般若心経と真言を唱える。また祈願の最初と最後には2拍手を打つ決まりになっている。神仏習合が残されていて、非常に感銘を受けた。
ちなみに「淡路島七福神巡り」ができる七ヶ寺の御本尊は下記のようになっている。仏教寺院であることを再認識する。
- 八浄寺の御本尊:阿弥陀如来
- 智禅寺の御本尊:大日如来
- 長林寺の御本尊:十一面観音菩薩
- 護国寺の御本尊:大日如来
- 萬福寺の御本尊:大日如来
- 覚住寺の御本尊:如意輪観音菩薩
- 宝生寺の御本尊:地蔵菩薩
毎年旧正月の三日間、各寺院では「七福神まつり」が開催されているようだ。次はその「七福神まつり」の際に参拝してみたいものである。