はじめに
伊賀焼は、伊賀市を中心に生産される伝統的な陶器である。伊賀焼の特徴は、素材、技法、デザインにあると言われる。
- 素材
- 伊賀焼に使用される陶土は、古琵琶湖層から産出
- 耐火性が非常に高いという特性を有する
- 技法
- 高温で何度も焼成する「伊賀の七度焼」と呼ばれる製法
- この技法により独特の風合いと強度が生まれる
- デザイン
- 自然釉や焦げの景色を尊ぶ豪快な侘びを持つ作風が特徴
- 歪みの激しい造形や自然釉の美しさが高く評価される
伊賀焼の伝統と魅力を発信する施設として有名なのが、伊賀焼伝統産業会館と伊賀焼窯元 長谷園である。
伊賀焼
伊賀焼【いがやき】は、伊賀市周辺で作られる陶器を指す。
伊賀焼【いがやき】の歴史は古く、今から約1200年前の天平年間に、良質の陶土に恵まれた丸柱の農民が窯場をつくり、日用雑器を焼き始めたのが発祥といわれている。
室町時代や安土・桃山時代には、茶道の興隆と共に茶道具として注目されるようになったと伝えられている。
そして、江戸時代中期以降には、耐火性の高い伊賀陶土の特質を生かした日用食器類が作られるようになり、現在に至っているらしい。
伊賀焼は、手触りや口当たりの良さ、料理をより美味しく見せるための心遣いなどにこだわって作られており、作風は素朴で、無骨で力強い作品が多く、歪みや焦げ、炎が描く千変万化の表情を生かしている。
伊賀焼は、昭和57年(1982年)11月1日から経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されている。
伊賀焼の主な産地は、伊賀市の阿山地区の槙山や丸柱周辺である。
優れた耐火性を有する伊賀周辺の陶土(伊賀陶土)を使用しており、その高い耐火性から、土鍋や耐熱食器などに最適な陶器としても有名である。
伊賀焼の特徴は、ビードロ釉【ゆう】と呼ばれるガラス質と、赤く引き締まった、素朴で力強い肌合いである。
ビードロ釉は、陶器が高温で焼かれることにより生まれる。つまり、高温で焼かれた陶器に振りかかる灰がガラス質となって付着したものを指し、自然に任せるのではなくどのように付着するかを考えた(計算した)上で焼かれる高度な技術である。
伊賀焼は、信楽焼【しがらきやき】に似ているとよく言われるが、信楽焼に比べて硬くて重みがある点が異なっている。
製品名 | 茶器、花器、食器 |
生産地 | 伊賀市丸柱周辺 |
産地組合 | 伊賀焼振興協同組合(伊賀焼伝統産業会館内) 伊賀市丸柱169-2 TEL 0595-44-1701 |
伊賀焼伝統産業会館
伊賀焼伝統産業会館は、伊賀市の伝統工芸品である伊賀焼を幅広く展示する資料館である。
伊賀焼の製造過程や古今の伊賀焼の名品の展示を行っている。
私が伊賀焼伝統産業会館を訪れた際は、偶然にも伊賀焼の作陶家(常山窯)で、釉薬製造所(恒岡精渥場・五代目)の恒岡光興氏にお会いすることができた。伊賀焼をはじめ信楽焼との違いや、天然灰釉薬について素人にも分かるよう丁寧に教えて頂き、陶器や釉薬の奥の深さに感銘したことを覚えている。
(伊賀焼伝統産業会館の恒岡氏の展示ブース前で)
釉薬研究者で釉薬製造も手掛ける作陶家の恒岡光興氏が作ったカップと皿は独特の色合いと洗練された美しさがあった。妻への土産用として購入したら、妻も非常に喜んでくれた。私の良き想い出である。
伊賀焼伝統産業会館では、伊賀焼の体験教室や技術指導を行う実技研修室も備えているという。
名 称 | 伊賀焼伝統産業会館 |
所在地 | 三重県伊賀市丸柱169-2 |
営 業 | 火曜日〜日曜日(9:00〜17:00) 休館日:月曜(月曜が祝日の場合翌日休館) |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 伊賀焼伝統産業会館 | 伊賀焼 – 伊賀焼振興協同組合 |
長谷園
長谷園【ながたにえん】は、三重県伊賀市丸柱地区に位置する窯元で、天保3年(1832年)に創業した伊賀焼の老舗である。
創業当時から代々暮らしてきた風情のある日本家屋(母屋)を中心に、工房や登り窯など陶器製造の施設が集積されている。
山里の自然に囲まれた環境のなかに伊賀焼の展示室(3棟)をはじめ、体験工房、休憩所(大正館)や展望台が整備されている。
展示室と呼ばれる館内には所狭しと多くの伊賀焼の製品が並び、製品の販売も行われている。
体験工房の隣には大正館と呼ばれる休憩所があり、喫茶コーナーもあって、ゆっくりと時を過ごしたいときにはありがたい。
園内は広大で、観光スポットとしても親しまれているようだ。
毎年5月2日~4日には、恒例の「窯出し市」を開催しており、その3日間における集客力はかなり大きいはずである。
名 称 | 伊賀焼窯元 長谷園伊賀本店 |
所在地 | 三重県伊賀市丸柱569 |
営業日 | 9:00~17:00(定休日なし) |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 伊賀本店|伊賀焼窯元長谷園【公式】 |
あとがき
現代の伊賀焼では、一般的に目にすることが少なくなったが、かつては「伊賀に耳あり、信楽に耳なし」という言葉が存在した。
これは、伊賀焼には、一対の「耳」と呼ばれる取っ手部分が付いていたことを指す。伊賀焼におけるこの一対の耳は、桃山時代に生まれた「筒井伊賀」と呼ばれる伊賀焼の特徴の名残である。
この時代の伊賀焼は「古伊賀」とも呼ばれ、個性的な作品が多数見られることでも知られている。
伊賀焼は、何かにつけて信楽焼と比較されることも多い。伊賀流忍者と甲賀流忍者の比較ではないが、双方の産地が位置的にも近いことが原因の一つになっているのは明らかである。
伊賀焼には力強くて豪放なデザインが多く、一方の信楽焼には自然の窯変を活かしたデザインが多い。
伊賀焼と信楽焼のどちらが陶器として優れているかについては、使用目的や個人の好みによるところが大きいので、決着をつけることはできないし、比較自体が不毛である。どちらも日本の伝統的な陶器として高い評価を受けているのは確かである。