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伊賀上野城が朝霧の中に浮かぶ写真を撮ってみたい!

はじめに

伊賀上野城の周辺には川が流れている。西側には木津川が流れ、南には久米川、そして北側には服部川と柘植川が流れている。川の水分が気化して空気中に広がり、気温が下がると霧になりやすい。伊賀上野城は、山に囲まれた伊賀盆地に位置しているため、朝霧が発生しやすい地域でもある。

偶然、出会った地元のアマチュア写真家の方から晴れた日の早朝には伊賀上野城の天守が朝霧の中に浮かぶ幻想的で美しい光景が見られると教えて貰った。

私も晩秋のある晴れた寒くて無風の早朝にチャレンジしてみることにした。朝霧が発生しやすい条件に合致しており、朝霧が発生しているはずだと期待に胸を弾ませて現場へと車を走らせた。

結論から言えば、初めてのチャレンジは100点満点中20~30点と言ったところだろうか。つまり、あまりうまくは行かなかったわけである。私がイメージしていたような霧の中に浮かぶ天守の姿を捉えることができなかったからである。その原因を究明して、次回以降にリベンジしたいと思っている。


<目次>
はじめに
伊賀上野城について
伊賀盆地の朝霧の発生条件
朝霧に浮かぶ伊賀上野城の撮影場所
あとがき

伊賀上野城について

伊賀上野城は、藤堂高虎が手がけた高石垣で有名な城跡である。現在は上野公園として整備されている。伊賀上野城は四方を山に囲まれた伊賀盆地の北側の丘に築かれた平山城である。

伊賀上野城は、元々は筒井定次【つついさだつぐ】が築城したとされる三層の天守を擁した城である。筒井定次は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将で、キリシタン大名としても知られ、文化人としても評価されている。筒井定次は、織田信長の娘を妻に娶り、豊臣秀吉にも仕えたが、関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍に与した。しかし、関ヶ原の戦い後に筒井家は改易させられ、家康に切腹を命じられたらしい。

慶長13年(1608年)に筒井定次が改易されると、徳川家康の信頼厚かった藤堂高虎が入封された。徳川家康は豊臣秀頼の大坂城へ圧力をかけるため(大坂城包囲網の一角として)、藤堂高虎に命じて、伊賀上野城の大規模な改修を行わせたという。このときに本丸を西に拡張して、高石垣がめぐらされた(延長368m)と言われている。同時に天守台には5層の天守が計画された。

しかしながら、慶長17年(1612年)に発生した暴風に襲われ、工事半ばで築城中の天守は倒壊してしまう。それから程なく豊臣氏が滅亡したため、結局、伊賀上野城の天守は再建されないままとまった。藤堂高虎の藤堂家の本拠は、津城(三重県津市)であったため、伊賀上野城は津城の支城として一族が城代を務めて、幕末を迎えた。

明治時代に入り、伊賀上野城の多くの建物が解体されたため、残念ながら現在では残っていない。しかし、昭和10年(1935年)に地元出身の衆議院議員であった川崎克【かわさきかつ】氏が私財を投じて「伊賀文化産業城」という名称で、木造の模擬天守を建設させたという。これが現在の伊賀上野城の天守であり、伊賀市のシンボルであり、伊賀市を代表する景勝地となっている。そして、伊賀盆地のランドマークにもなり、城下町を形づくる風景の一つとなっている。

名 称上野公園
所在地三重県伊賀市上野丸之内122-1
(伊賀上野城天守)三重県伊賀市上野丸之内106
駐車場あり(有料)
Link上野公園 – 伊賀上野観光協会
伊賀上野城 – 伊賀上野観光協会

伊賀盆地の朝霧の発生条件

盆地に朝霧が発生する条件は、一般的に地形や気象の要因によって複合的に決まる。伊賀上野城が朝霧の中に浮かぶ美しい光景を見るためには、早起きして天気予報をチェックすることが第一歩となる。

では、伊賀盆地に朝霧が発生する条件は、具体的にはどのようなものであろうか。

伊賀盆地は、四方を山に囲まれた典型的な内陸性盆地であるために、放射冷却が強く働く。そのため、夜間に地面が冷えて空気中の水蒸気が飽和している場合に霧が発生しやすくなる。

伊賀盆地には、木津川、服部川、柘植川などの川が流れており、水分が多く蒸発する条件が揃っているので湿度が高くなりやすく、霧が発生しやすい条件を満たしている。

伊賀盆地は、盆地であるがゆえに気温の日内変動が大きい。特に秋から冬にかけては日中と朝夕・夜間の気温差が著しい。そのような気象条件では霧が発生しやすくなる。一般には気温の日較差が10℃以上あることが霧の発生条件とされている。

以上のように、朝霧は気温と湿度の差によって起こる現象で、晴れた日の早朝に見られることが多い。そのような気象条件に合致するのは、確率的には秋から冬にかけてである。この季節は天気予報を見る機会が増えそうだ。


朝霧に浮かぶ伊賀上野城の撮影場所

伊賀上野城が朝霧の中に浮かぶ美しい光景を写真に収めるためには、撮影場所の選定も重要となる。

霧の中に現れる天守を望遠レンズで狙うことになるが、伊賀上野城は高台にあるので、その位置よりも高い位置から、すなわち城を見下ろすアングルがおすすめとなる。

私が出会った地元のアマチュア写真家の方の話では「ふるさと芭蕉の森公園」内にある展望台がこの辺りではその条件に合致しているらしい。

私もその展望台から伊賀上野城を狙ってみた。確かに城を遠くからやや見下ろすアングルが得られる位置であり、おすすめの撮影場所であることに納得した。

名 称ふるさと芭蕉の森公園
所在地三重県伊賀市長田2384
アクセス名阪国道・大内ICから約10分程度
駐車場あり(無料)
Linkふるさと芭蕉の森公園 | 観光三重

私は、まだ機会がなくて試したことがないが、霧が濃くて城が見えないときには、霧の中にぼんやりと浮かぶ城のシルエットを捉えると幻想的な写真になるかも知れない。その場合には、低い位置から城を見上げるアングルがおすすめとなるはずである。

霧の中の城を撮影するのは結構難しい。霧は光を反射するので、露出を下げないと真っ白な写真になってしまう。シャッタースピードを速めて、露出時間を短くすれば解消するが、これが結構難しくて素人泣かせである。ホワイトバランスに注意が必要で、霧の状態に合わせてホワイトバランスを調整すれば、霧の雰囲気が出ると共に自然な写真になるが、高解像度での撮影が必要となるので、素人泣かせではある。


あとがき

朝霧の発生条件は、地形や気象の要因によって複合的に決まることは理屈は理解していても、実際にそのとおりにうまくいくとは限らない。結局は運次第であるということか。

霧は確かに発生していたが、周辺の山々にかかっているだけで、肝心の伊賀上野城を浮かび上がらせるような状態ではなかった。

伊賀上野城が朝霧の中に浮かぶ美しい光景を見るためには、早起きして天気予報をチェックして、朝霧が発生する条件を満たしていれば、成功する確率が高くなるということだろう。後は天に運をゆだねるしか術はなさそうだ。ちょっと大げさではあるが、「人事を尽くして天命を待つ」ということなのかも知れない。

次の機会を待ってリベンジしたいと思う。