はじめに
大和青垣【やまとあおがき】国定公園は、奈良盆地の東部に位置する丘陵地帯を中心とした国定公園である。名称の由来は、この一帯が古くから青垣山【あおがきやま】と呼ばれていたことによるとされる。
大和青垣国定公園の指定区域内には名刹【めいさつ】や古刹【こさつ】、それに古墳【こふん】が多く、他の自然公園とは異なる特徴を有している。自然景観だけでなく、文化的景観を加味したうえでの公園指定となっているらしい。
それだけにただ外観を見学するだけでなく、歴史的な背景や伝承を学ぶことがより良く理解する上で不可欠な前提となる。記紀にも登場する名刹や古刹が存在するだけに日本神話にも関心が自ずといく。また大和王権を強大にした天皇の古墳もあり、古代歴史に興味のある方には見過ごすことのできない国定公園であるに違いない。
実のところ私はまだ大和青垣国定公園の指定区域すべてを踏破していない。ごく一部だけである。それでもこの国定公園の素晴らしさを垣間見ることができたように思っている。当然、全指定区域を踏破するつもりではいる。
<目次> はじめに 公園内の神社仏閣 大神神社 石上神宮 長谷寺 白毫寺 長岳寺 圓照寺 円成寺 弘仁寺 公園内の古墳・史跡 景行天皇陵 崇神天皇陵 垂仁天皇陵 箸墓古墳 纏向遺跡 ホケノ山古墳 磯城瑞籬宮跡 街道 山の辺の道 柳生街道 あとがき |
公園内の神社仏閣
大神神社
大神神社【おおみわじんじゃ】は、三輪山【みわさん】の山麓に位置する、日本最古の神社で、三輪山を御神体とする。大和国の一宮【いちのみや】である。
一宮とは地域の中で最も社格の高い神社を指す。三輪山信仰は縄文時代または弥生時代にまで遡るかも知れないと言われている。
主祭神は大物主大神【おおものぬしのおおかみ】である。また、大神神社には大己貴神【おおむなちのかみ】(=大国主神)と少彦名神【すくなひこなのかみ】も祀られている。
大国主神と少彦名神は古事記や日本書紀にも登場する神で、二神が協働して出雲で「国造り」をしたとされる。途中で少彦名神が去ってしまい意気消沈している大国主神の前に現れたのが大物主大神であったことが記紀に記載されている。
大物主大神は、国造りを成就させるために三輪山に祀られることを望んだと記されている。
この伝承は大物主大神が大国主神の別の御魂として顕現され、三輪山に鎮まられたものだと理解されているようだ。
名 称 | 大神神社 |
所在地 | 奈良県桜井市三輪1422 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 【公式】三輪明神 大神神社 (おおみわじんじゃ) |
石上神宮
石上神宮【いそのかみじんぐう】は、布都御魂大神【ふつのみたまのおおかみ】を祀る神社である。
伊勢神宮と並んで日本最古の「神宮」であることが『日本書紀』に記されているという。
名 称 | 石上神宮 |
所在地 | 奈良県天理市布留町384 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 石上神宮 公式サイト|奈良県天理市 |
長谷寺
長谷寺【はせでら】は、真言宗豊山派の総本山の寺院である。山号は豊山【ぶさん】で、西国三十三所第8番札所である。御本尊は十一面観世音菩薩である。道明によって開山されたと伝わる。
初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬から5月上旬には約150種類以上、およそ7,000株の牡丹が満開になる。初瀬山の中腹に本堂が建ち、長谷寺は古くから「花の御寺」と称されている。
『源氏物語』の玉鬘【たまかずら】の巻のエピソード中に登場する「二本【ふたもと】の杉」は現在も境内に残っている。
名 称 | 豊山 長谷寺 |
所在地 | 奈良県桜井市初瀬731-1 |
駐車場 | あり(有料) |
Link | 奈良大和路の花の御寺 総本山 長谷寺 |
白毫寺
白毫寺【びゃくごうじ】は、春日山の南側の高円山の山麓に位置する、真言律宗の寺院である。山号は高円山で、御本尊は阿弥陀如来である。
勤操によって開山されたと伝えられている。境内から奈良盆地が一望できる。
名 称 | 高円山 白毫寺 |
所在地 | 奈良県奈良市白毫寺町392 |
駐車場 | なし |
Link | 白毫寺 | 奈良市観光協会サイト |
長岳寺
長岳寺【ちょうがくじ】は、日本最古の歴史の道といわれる山の辺の道のほぼ中間点に位置する、高野山真言宗の寺院である。
山号は釜の口山【かまのくちさん】であるため、「釜口大師」の名で親しまれている。御本尊は阿弥陀如来で、弘法大師・空海による開山と伝わっている。
名 称 | 釜の口山 長岳寺 |
所在地 | 奈良県天理市柳本町508 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 釜口山長岳寺・長岳寺五智堂/天理市 |
圓照寺
圓照寺【えんしょうじ】は、山号が普門山【ふもんざん】という臨済宗妙心寺派の尼寺である。後水尾天皇【ごみずのおてんのう】の第1皇女であった文智女王【ぶんちじょおう】が創立したと伝わる。
斑鳩の中宮寺、佐保路の法華寺と共に大和三門跡と呼ばれる門跡寺院である。残念ながら一般観光客は境内にも立ち入ることができない。
名 称 | 普門山 圓照寺 |
所在地 | 奈良県奈良市山町1312 |
駐車場 | なし |
Link | 円照寺 |
円成寺
円成寺【えんじょうじ】は、山号を忍辱山【にんにくせん】といい、柳生街道沿いに位置する、真言宗御室派の寺院である。御本尊は阿弥陀如来である。
仏師・運慶の最も初期の作品とされる国宝の大日如来像を所蔵する古寺でもある。紅葉の名所として知られる。
名 称 | 忍辱山 円成寺 |
所在地 | 奈良県奈良市忍辱山町1273 (「忍辱山町」の読み方は「にんにくせんちょう」) |
駐車場 | なし |
Link | 忍辱山 円成寺 |
弘仁寺
弘仁寺【こうにんじ】は、山の辺北道の中ほどに位置する、小高い虚空蔵山の山腹にある高野山真言宗の寺院である。山号は虚空蔵山で、御本尊は虚空蔵菩薩である。
嵯峨天皇の勅願により、弘法大師・空海が創建したと伝えられている。通称「高樋の虚空蔵さん」と呼ばれている。
名 称 | 虚空蔵山 弘仁寺 |
所在地 | 奈良県奈良市虚空蔵町46番地 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 弘仁寺公式ホームページ |
公園内の古墳・史跡
景行天皇陵
渋谷向山古墳【しぶたにむかいやまこふん】は、奈良県天理市渋谷町にある柳本古墳群【やなぎもとこふんぐん】の古墳である。墳形は前方後円墳で、墳丘長は300mもある。柳本古墳群では最大規模である。
全国でも第8位の規模の古墳で、出土埴輪から古墳時代前期後半の4世紀後半頃(または4世紀中頃)の築造と推定される。
柳本古墳群では行燈山古墳(後述)に続く時期の築造で、古墳時代前期の古墳としては全国で最大規模になり、また行燈山古墳とともに初期ヤマト王権の大王墓と目される。被葬者は明らかではないが、宮内庁は第12代天皇の景行天皇【けいこうてんのう】の陵【みささぎ】に治定【じじょう】している。
渋谷向山古墳の後円部の先端を山辺の道(後述)が通り、行燈山古墳【あんどんやまこふん】にかけて上り坂の石畳の古道が多く残されている。
名 称 | 景行天皇陵(渋谷向山古墳) |
所在地 | 奈良県天理市渋谷町字向山 |
駐車場 | あり (無料) |
Link | 景行天皇陵(渋谷向山古墳) | 天理市観光協会 |
崇神天皇陵
行燈山古墳【あんどんやまこふん】は、奈良県天理市柳本町にある柳本古墳群の一つである。墳形は前方後円墳で、墳丘長は242mもあり、渋谷向山古墳(前述)に次ぐ規模である。
全国では第16位の規模の古墳で、出土埴輪・出土銅板から古墳時代前期後半の4世紀前半頃の築造と推定される。
柳本古墳群では渋谷向山古墳に先行する時期の築造とされ、渋谷向山古墳とともに初期ヤマト王権の大王墓と目される。被葬者は明らかでないが、宮内庁は第10代天皇の崇神天皇【すじんてんのう】の陵【みささぎ】に治定【じじょう】している。
名 称 | 崇神天皇陵(行燈山古墳) |
所在地 | 奈良県天理市柳本町字行燈 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 崇神天皇陵(行燈山古墳) | 天理市観光協会 |
垂仁天皇陵
菅原伏見東陵【すがわらのふしみのひがしのみささぎ】は、宮内庁では「宝来山古墳」と呼ばれる墳丘長が227mもある前方後円墳である。第11代天皇の垂仁天皇【すいにんてんのう】の陵であると推定されている。
名 称 | 垂仁天皇陵(菅原伏見東陵;宝来山古墳) |
所在地 | 奈良県奈良市尼辻西町 |
駐車場 | なし |
Link | 天皇陵-垂仁天皇 菅原伏見東陵 |
箸墓古墳
箸墓古墳【はしはかこふん】は、大和・柳本古墳群に含まれる纒向【まきむく】古墳群(箸中古墳群)の盟主的古墳であり、最も古い前方後円墳であるという。
邪馬台国の女王卑弥呼の墓ではないかとする学説もあるが、確定していない。実際の被葬者は不明であるが、宮内庁が「大市墓」【おおいちのはか】として、第7代孝霊天皇の皇女の倭迹迹日百襲姫命【やまとととひももそひめのみこと】の墓に治定【じじょう】し、陵墓として管理しているため、立ち入りができない。
箸墓古墳を宮内庁治定では「大市墓」とされるのは飛鳥時代から奈良時代にかけてこの地域には市が発達し「大市」と呼ばれたのが所以である。
倭迹迹日百襲姫命は、第10代崇神天皇の祖父、第8代孝元天皇の姉妹で、巫女的な女性であったと伝わる。考古学の邪馬台国畿内説を支持する学説のなかでは、箸墓古墳が倭迹迹日百襲姫命の墓であり、倭迹迹日百襲姫命が女王卑弥呼であるならば、箸墓古墳は女王卑弥呼の墓であるとする三段論法が成立する。なんとも古代ロマンとミステリーが織りなす興味深い話となっている。
名 称 | 箸墓古墳(倭迹迹日百襲姫命陵) |
所在地 | 奈良県桜井市箸中 |
Link | 箸墓古墳 – 桜井市観光協会公式ホームページ |
纏向遺跡
纒向遺跡【まきむくいせき】は、2世紀末から4世紀前半(弥生時代末期から古墳時代前期)にかけての遺跡である。
最古の巨大前方後円墳とされる箸墓古墳と、それより古い5つの纒向型前方後円墳が分布するこのあたり一帯を「前方後円墳発祥の地」とする研究者もいる。纒向遺跡は弥生時代から古墳時代への転換期の様相を示す遺跡であり、研究者からは邪馬台国畿内説を立証する遺跡ではないかと支持され、邪馬台国の最有力候補地ともされる。
纏向遺跡の名称は、旧磯城郡纒向村に由来して名付けられたという。「纒向」の村名は、垂仁天皇の「纒向珠城宮」【まきむくたまきぐう】、景行天皇の「纒向日代宮」【まきむくひしろぐう】より名づけられ、その伝承も基礎としたものとされる。
名 称 | 纒向遺跡 |
所在地 | 奈良県桜井市太田 |
Link | 纒向遺跡ってどんな遺跡?|桜井市纒向学研究センター |
ホケノ山古墳
ホケノ山古墳【ほけのやまこふん】は、纒向古墳群の一つで、形状は帆立貝形古墳(纒向型前方後円墳)とされている。墳丘長は80mで、三輪山の西山麓、箸墓古墳の東側の丘陵に位置する。
被葬者は不明であるが、大神神社では豊鍬入姫命【とよすきいりひめのみこと】の墓と考えているようだ。第10代崇神天皇の皇女であり、天照大御神の宮外奉斎の伝承では巫女的な女性であったとされる。
築造時期は、桜井市纒向学研究センターの研究では、邪馬台国の時代(3世紀中頃)に重なるとしている。一方、奈良県立橿原考古学研究所は、出土遺物から築造年代を3世紀中頃としつつ、木槨木材の炭素年代測定結果の幅が4世紀前半をも含むと報告している。石囲い木槨(割竹形木槨)を持つことが『魏志倭人伝』の「棺あって槨なし」という記述と矛盾することから築造は4世紀であるとし、邪馬台国畿内説に対する反証の一つになっている。
磯城瑞籬宮跡
磯城瑞籬宮【しきのみずかきのみや】は、奈良県桜井市金屋に位置していたと推定されており、第10代天皇の崇神天皇【すじんてんのう】の都とされている。
志貴御県坐神社【しきみあがたにますじんじゃ】には「崇神天皇磯城瑞籬宮跡」の石碑が建てられている。磯城瑞籬宮跡の北側には大神神社【おおみわじんじゃ】が鎮座する。
名 称 | 磯城瑞籬宮跡 |
所在地 | 奈良県桜井市金屋896 |
Link | 磯城瑞籬宮伝承地 – 桜井市観光協会公式HP |
街道
山の辺の道
山の辺の道【やまのべのみち】は、古代大和の山辺に通した道である。奈良盆地の東南にある三輪山の麓から東北部の春日山の麓まで、奈良盆地の東縁、春日断層崖下を山々の裾を縫うように南北に走っている。「日本史上最古の道」あるいは「日本現存最古の道」として知られる。
一般的にハイキングコースとして親しまれているのは東海自然歩道となっている、石上神宮(天理市)から大神神社付近(桜井市)までの約15kmほどである。
田畑の間を抜ける際にはその眼下に奈良盆地を望むことができるほか大和三山も遠望できる。
名 称 | 山辺の道 |
Link | 山の辺の道(南)コース | 天理観光ガイド・天理市観光協会 山の辺の道(北)コース | 天理観光ガイド・天理市観光協会 山の辺の道(天理~桜井) 山の辺の道|奈良県観光[公式サイト] |桜井市 【山辺の道・北コース】 | 奈良まちあるき風景紀行 |
柳生街道
柳生街道【やぎゅうかいどう】は、奈良市にある街道で、奈良町から春日山と高円山の谷を越え、忍辱山を経て柳生へと繋がる道である。柳生より先は笠置や月ヶ瀬・上野方面へ通じたという。現在では奈良と春日山の間が往時の姿を留めるだけである。
名 称 | 柳生街道 |
Link | 柳生街道 | 奈良市観光協会サイト |
あとがき
記紀にも登場する大神神社や石上神宮をはじめて訪ねることができた。以前から参拝したいと思っていたが、後回しになっていたことを率直に反省したい。次の機会には山の辺の道もハイキングしてみたいと思う