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ウェルネスツーリズム

【伊賀の国】芭蕉翁のふるさとの地で芭蕉塚を訪ねる

はじめに

伊賀の国」は、かつての日本の地方行政区分で、現在の三重県西部、上野盆地一帯に該当する令制国の一つであり、東海道に属していた。「伊賀」は、現在でも三重県の伊賀地方を指す呼称として使われており、伊賀市と名張市を中心に構成されている。伊賀は、伊賀流忍者の発祥地として知られ、伊賀焼(陶器・炻器)や伊賀組紐の産地としても有名である。

紀行文『おくのほそ道(奥の細道)』で有名な松尾芭蕉は、日本史上最高の俳諧師と称されることが多い人物である。松尾芭蕉は、寛永21年(1644年)に伊賀国阿拝郡(現在の三重県伊賀市)に生まれたと言われている。だから伊賀市は松尾芭蕉のふるさととして知られており、芭蕉翁記念館や俳聖殿など松尾芭蕉を記念するための施設が伊賀市の上野公園(伊賀上野城)内にある。

松尾芭蕉が「奥の細道」の旅を終えた結びの地である岐阜県大垣市には、芭蕉翁が「奥の細道」で詠んだ句碑が並ぶ「ミニ奥の細道」があるというが、芭蕉翁の生まれ故郷である伊賀市にも句碑が多く建立されている。

伊賀市では、句碑と呼ばずに「芭蕉塚」と称することが多い。いずれにせよ文化・歴史的観点から伊賀市は伊賀流忍者の故郷というだけではなく、芭蕉翁の生まれ故郷としての側面があるのは確かなようだ。

私は伊賀市内で芭蕉塚(松尾芭蕉の句碑)を目にする機会を得たので本稿で紹介したいと思う。

目次
はじめに
ふるさと芭蕉の森公園
雲とへだつ 友かや雁の 生きわかれ
野ざらしを 心に風の しむ身かな
古池や 蛙とびこむ 水の音
旅人と 我名よばれん 初しぐれ
俤や 姨ひとり泣く 月の友
行春や 鳥啼魚の 目は泪
閑さや 岩にしみ入る 蝉の聲
此秋は 何で年よる 雲に鳥
行秋や 手をひろげたる 栗のいが
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る
上野公園・伊賀上野城
さまざまの 事をおもひ出す 桜かな
新大佛寺丈六塚
丈六に かげろふ高し 石の上
猿蓑塚
初しぐれ 猿も小蓑を ほしげ也
あとがき

ふるさと芭蕉の森公園

ふるさと芭蕉の森公園は、松尾芭蕉の生まれ故郷である伊賀市の市街を一望できる景観に恵まれた山腹に位置し、市民の憩いの場になっている。

公園内には、散策のための遊歩道が整備されており、カエデなどのような四季を彩る樹木や草花が植栽されている。

ふるさと芭蕉の森公園は、市民の憩いの場として展望台や小さな子どもを連れた家族のために遊具のある広場も整備されている。

ふるさと芭蕉の森公園は、山腹に位置しているので、展望台からは伊賀上野城はじめ伊賀市の市街を一望できる。気象条件によっては朝霧の中に浮かぶ天守の姿を目にすることができるらしい。

公園の遊歩道沿いには「俳聖」と称される松尾芭蕉句碑が設置されている。その句碑の数は10基もある。私がこの公園を訪れた目的は、それらの句碑を眺めながら紅葉の見頃となった公園を散策することであった。

いずれも芭蕉翁の有名な俳諧(俳句)ばかりであるので、在りし日の芭蕉翁の面影を想像しながら散策を楽しむことができる。

尚、芭蕉翁の句の句意については、句碑の案内板に記された内容に基本的に基づいたものである。


雲とへだつ 友かや雁の 生きわかれ 芭蕉

句意:北国の空に去りゆくあの雁たちは雲のように遠く隔たって行き別れになってしまう友なのか。だが仮の生き別れだ。また会える日もあろう。

寛文12年(1672年)春の作とされる。俳諧師を志して江戸に下る際の留別の句であると伝わる。季語は「帰雁」。


野ざらしを 心に風の しむ身かな 芭蕉

句意:旅の途中で行き倒れて野晒しの白骨となる覚悟で、いざ出立しようとすると、ただでさえ肌寒く物悲し秋風がいっそう深くわが身にしみてくる。

貞亨元年(1684年)秋の作とされる。『甲子吟行(野ざらし紀行)』の旅への出立の際に詠んだ句であり、旅の不安からくる悲壮感がよく表現された句とされる。季語は「身にしむ」


古池や 蛙とびこむ 水の音 芭蕉

句意:春日遅々たる春の昼下がりで、水の淀んだ古池は森閑と静まり返っている。そう思った瞬間、ポチャッと蛙が飛びこんだ水音がして、そのあとは再び元の静寂のままである。

貞享3年(1686年)春の作とされる。この古池は江戸深川の芭蕉庵の傍にあったものでないかと解されている。いずれにせよ芭蕉翁の代表作であるこの句は、芭蕉が推進する蕉風と呼ばれる俳諧の作風の展開の句として、閑寂幽玄の句風を打ちたてる基になったとされている。季語は「蛙」。誰ものがよく知っている芭蕉の代表句であり、私も学校の教科書で学び、覚えやすい句であると思う。


旅人と 我名よばれん 初しぐれ 芭蕉

句意:潔い初時雨にぬれながら、道々で「もうし旅のお人よ」と呼ばれる身に早くなりたいものだ。

貞亨4年(1687年)冬の作とされる。『笈の小文』の旅への歓送の句会で詠まれた句である。季語は「初しぐれ」。


俤や 姨ひとり泣く 月の友 芭蕉

句意:姨捨山の月を眺めていると、月夜に捨てられてひとり泣き暮したという老婆の俤【おもかげ】が浮かんでくる。しかし、今宵はその老婆の俤(面影)を偲んで月を友としてみよう。

貞享5年(1688年)秋の作とされる。中秋の名月の夜、更科で詠まれた句であると言われている。季語は「月」。


行春や 鳥啼魚の 目は泪 芭蕉

句意:今まさに過ぎ去ろうとする春に別れを惜しむかのように、鳥は啼き、魚は目に涙を湛えている。

元禄2年(1689年)春の作とされる。『おくのほそ道』への旅立ちに際して、見送りの人々への留別の句であるとされる。季語は「行く春」。


閑さや 岩にしみ入る 蝉の聲 芭蕉

句意:全山静寂の中で、苔むした岩に滲み透るような細く澄んだ蝉の声が、いっそう静寂感を深める。

元禄2年(1689)夏の作とされる。『おくのほそ道』の旅中、宝珠山の山腹に位置する天台宗の立石寺を昼過ぎに訪れた際に詠んだ句とされる。季語は「蝉」。芭蕉翁の代表作の一つとして、私も好きな句である。


此秋は 何で年よる 雲に鳥 芭蕉

句意:思えば多年、漂泊の旅を重ねてきたが、この秋はなんでこうも深く老いの衰えを感ずるのか。孤独な思いでふり仰ぐと、遠くはるかな雲間に消えてゆく鳥の姿が、たまらなく寂しい。

元禄7年(1694年)秋の作とされる。年齢を重ねると自ずと体力も衰えてくるものである。気力があっても体力が追い付いてこないということはシニアになる確かにある。私自身もシニアになり、芭蕉のこの句が沁みるようになった。季語は「秋」。


行秋や 手をひろげたる 栗のいが 芭蕉

句意:晩秋の山道には栗の毬が大きく割れたまま梢に残っている。それはまるで去り行く秋を惜しみ、手のひらをいっぱいに広げて秋を押し戻そうとでもするかのようだ。

元禄7年(1694)秋の作とされる。伊賀の地で詠まれた句とされている。季語は「行秋」と「毬栗」。


旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る 芭蕉

句意:旅先で死の床に臥しながらも、見る夢はあの野この野と知らぬ枯野を駆け廻る夢ばかりだ。

元禄七年(1694年)冬の作とされる。芭蕉翁が病床中に詠んだ句とされる。季語は「枯野」。芭蕉翁が死の床でも元気に旅をしていた頃を想い出して詠んだ句であるかと思うと切なくて自然に目頭が熱くなるのを禁じ得ない。


ふるさと芭蕉の森公園へのアクセスは、下記の住所に車載ナビを設定すれば良い。

名 称ふるさと芭蕉の森公園
所在地三重県伊賀市長田2384
アクセス名阪国道・大内ICから約10分程度
駐車場あり(無料)
Linkふるさと芭蕉の森公園 | 観光三重

もし、車載ナビで上手く場所が特定できない場合は、駐車場のすぐ隣に位置する常住寺の住所を設定しても良い。

名 称常住寺
所在地三重県伊賀市長田2378

上野公園・伊賀上野城

伊賀上野城の城跡を中心に整備された上野公園は、伊賀市の代表的な景勝地の一つである。芭蕉翁記念館や俳聖殿など松尾芭蕉を記念するための施設もある。そんな上野公園には勿論、芭蕉翁の句碑が設置されている。複数の句碑が設置されているかと思っていたが、私が探せる限りは一基のみのようである。

さまざまの 事をおもひ出す 桜かな 芭蕉

句意:ふるさとに帰り、なつかしい場所の庭先に昔のように咲き誇っている桜を見ると、自分の若い頃のことなど、さまざまのことが思い出されてならない。

貞享五年(1688年)、芭蕉が45歳のときの作と言われている。芭蕉が江戸から伊賀上野へ帰った際、旧藩主下屋敷での花見に招かれたのは実に22年ぶりのことであったという。辺りの景色一面が昔のままで、桜の花を眺めていると昔のいろいろ事を思い出され、感慨無量の気持ちをそのままに詠んだ句とされている。

若き日の芭蕉は、藤堂藩伊賀附の侍大将藤堂新七郎に仕えたが、その嫡男・藤堂良忠は蝉吟と号する俳人でもあり、芭蕉とは交流があったらしい。芭蕉は藤堂良忠(蝉吟)から格別の待遇を与えられており、下屋敷である八景亭にも幾度か同行し、俳諧を学ぶ学友として苦楽を共に味わったという。

そんな支援者であった藤堂良忠は、寛文六年(1666年)、25歳の若さで他界してしまった。芭蕉は失意の中で伊賀上野を去り、京での血の滲むような苦闘の末、やがて江戸に下って俳諧の宗匠として認められるまでになったという経緯がある。

芭蕉が22年ぶりに招かれた八景亭での花見は、実は藤堂良忠の嫡男・藤堂良長が催したものであったという。

この句は、『笈日記』や『笈の小文』【おいのこぶみ】などに「おなじ年の春にや待らむ故主蝉吟公の前庭にて」と前書きと共に収載されているという。

句の背景が分かると、この短い句から芭蕉翁の想いがより一層強く感じられるようになる。次は春の桜の季節に来てみよう。

名 称上野公園伊賀上野城天守
所在地三重県伊賀市上野丸之内122-1
駐車場あり(有料)
Link上野公園 – 伊賀上野観光協会

新大佛寺・丈六塚

新大佛寺境内の大師堂の近くには、松尾芭蕉がこの地で詠んだとされる句である「丈六にかげろふ高し石の上」の句碑(丈六塚)が建立されている。

丈六に 陽炎高し 石の上 芭蕉

句意: かつて丈六尺の大仏さまがいた場所には、今は石の台座だけが残こされている。しかし、その石の上には陽炎が立ち上がり、大仏さまのように座っているように思える。

貞享五年(1688年)、芭蕉翁が45歳の時にこの地で詠んだ句とされている。

名 称新大佛寺
所在地三重県伊賀市富永1238
駐車場あり(無料)
Link三重県伊賀市の新大仏寺

猿蓑塚

猿蓑塚は、国道163号(伊賀街道)を津市方面へ向かう途中、上阿波地区の東端に位置する新長野トンネルの手前の道路(津芸濃大山田線)を左折して180mほど進んだ左側にある。

初しぐれ 猿も小蓑を ほしげ也 芭蕉

句意:蓑笠を着けてはいるが冷たい初時雨に打たれながら山道を歩いていて、ふと近くの木を見上げると、猿も雨に濡れて寒さで震えているようだ。 その猿までもが小さい蓑を欲しがっているように見える。

元禄2年(1689年)9月下旬の作で、芭蕉翁が46歳のとき、伊勢の山田から郷里の伊賀上野へ出る長野峠辺りで詠んだ句だとされる。俳諧撰集『猿蓑』の巻頭を飾った句でもあり、芭蕉翁の最高傑作の句とされることもある。季語は「初しぐれ」(冬)。

私もこの句は学校の教科書で学んだ記憶があり、強く印象に残っている。確か「小蓑」と表現したところが秀逸だとされている。

名 称猿蓑塚
所在地三重県伊賀市上阿波(山中長野峠小公園)
駐車場路肩に数台分の駐車スペースがある
Link猿蓑塚(芭蕉句碑) | 観光三重

あとがき

久しく俳句には接していなかったが、芭蕉翁の俳句(俳諧)に接する機会を得たことで、俳句の良さを想い出すことができた。ふるさと芭蕉の森公園には10基の句碑があり、どの句も芭蕉翁の代表作と言っても過言ではない有名な句である。そんな芭蕉翁の俳句に感じ入りながら、遊歩道沿いの紅葉を眺めつつゆっくりと散策できたのは贅沢な時間と言えるであろう。

季節が違えば、感じ方も変わるだろうか。今度は秋以外の季節に来てみようかと思う。秋以外に詠んだ句にもきっと共感できることだろう。

芭蕉翁の生まれ故郷である伊賀市には芭蕉翁の句碑が市内に点在しているようだ。機会を見つけて、他の句碑も訪ねてみたいと思っている。


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