はじめに
イザナギとイザナミは、古事記や日本書紀に描かれた日本神話における創造神であり、夫婦の神である。彼らは天地開闢【てんちかいびゃく】から悠久の時を経た後に現れ、日本列島や多くの神々を生み出したとされている。
イザナギは、古事記で「伊邪那岐神」、日本書紀では「伊弉諾神」と表記される男神である。一方、イナナミは、古事記では「伊邪那美神」、日本書紀では「伊弉冉神」と表記される女神である。
イザナギとイザナミの物語は、日本神話の中でも特に重要であるとされる。その理由は、彼らの創造の行為は日本列島の国土や数多の神々の起源を説明するものとなっているからである。
イザナギとイザナミの神話の物語は、オノコロ島の創造から始まる。イザナギとイザナミは、天上界にあったとされる天の浮橋【あまのうきはし】に立ち、天沼矛【あめのぬぼこ】を使って混沌とした海をかき混ぜ、矛を引き上げた際に滴り落ちた塩の塊が積もり重なって誕生した最初の島がオノコロ島であるとされる。
そのオノコロ島であるとされる島の一つが淡路島南部に位置する沼島であり、この小さな島にイザナギとイザナミを祀る自凝神社【おのころじんじゃ】が鎮座する。
オノコロ島の創造
神世七代の神々の時代が続き、神世七代最後の神としてイザナギとイナナミの二神が登場し、「国産み」の神話が始まる。
天津神たちが話し合って、イザナギとイザナミに「この漂ってる国を固めて完成させなさい」と命じ、天の沼矛【あめのぬぼこ】を渡した。
イザナギとイザナミは、天の浮橋【あまのうきはし】に立って、天の沼矛を海に突き刺してかき回した。そしてコロコロと鳴らして引き上げると、矛の先から塩がしたたり落ちて、積もっていった。それが島となって誕生したのがオノコロ島である。
イザナギとイザナミは、オノコロ島に降り立ち、天御柱【あめのみはしら】を立てて、自ら広い神殿を作ったとされる。
自凝神社
自凝神社【おのころじんじゃ】は、淡路島の沼島に位置し、イザナギとイザナミの二神の「国生み」ゆかりの神社である。
沼島は、島全体がイザナギとイザナミによる「国生み」の際、「天の沼矛」【あめのぬぼこ】の先から滴り落ちたしずくが凝り固まってできたという「オノコロ島」だとされる場所の一つであるとされる。
自凝神社の創建については不明であるが、小さな祠であった自凝神社を大正11年(1922年)頃に沼島出身の岩田なつ氏が浄財を集め、現在の社殿を完成させたと伝わっている。
自凝神社はイザナギとイザナミの二神を祀る神社で、神社が鎮座する山全体を沼島の人々は「おのころ山」と呼んで山を御神体とみなして山裾の海岸「水の浦」から礼拝していたという。
社殿に向かって続く石段は、まるで天に届くかのようにまっすぐに伸びている。この石段はかなりの急勾配であり、夏の暑い日に登るのは体力的に結構疲れる。
この石段を登り切った先に拝殿があり、その奥に本殿が鎮座している。拝殿横の坂道を少し登った所にはイザナギとイザナミの二神の石像が建立されている。
名 称 | 自凝神社 |
御祭神 | 伊邪那岐神 伊邪那美神 |
所在地 | 兵庫県南あわじ市沼島73 |
Link | 沼島 おのころ神社(自凝神社) 「あわじウェブドットコム」 |
あとがき
沼島は、「国産み神話」に登場する「おのころ島」であるとの伝承が残されており、この島に鎮座する自凝神社にはイザナギとイザナミの二神が祀られている。自凝神社に至る参道には竹林が広がり、神々しい雰囲気が感じられる。山全体がご神体として信仰されていることも神秘的な雰囲気が漂わせるのに十分である。
実は、淡路島には沼島以外にも「おのころ島」であるとの伝承が残されており場所がもう一か所ある。それが自凝島神社である。
自凝島神社は、イザナギとイザナミが国産みと神産みを行った舞台とされている。自凝島神社には、22m近い高さを誇る大鳥居や、鶺鴒石【せきれいいし】と呼ばれる夫婦の契りを象徴する石が残されていたりする興味深い神社である。自凝神社よりも交通アクセスは容易である。
どちらの神社も歴史的な背景や神話に関連する興味深い場所であるので、淡路島を訪れた際には観光スポットに加えては如何であろうか。
【関連記事】
【古事記版日本神話】天地創造からヤマタノオロチ退治までの物語 |
【古事記版日本神話】大国主神の誕生から天孫ニニギの降臨までの物語 |
【古事記版日本神話】天孫ニニギとその御子・海幸彦と山幸彦の物語 |
【日本書紀版日本神話】天地創造からヤマタノオロチ退治までの物語 |
【日本書紀版日本神話】大国主神の登場から天孫ニニギ降臨までの物語 |
【日本書紀版日本神話】天孫ニニギとその御子・海幸彦と山幸彦の物語 |