はじめに
高鴨神社【たかかもじんじゃ】は、奈良県御所市に位置する、歴史の古い神社である。賀茂別雷神社(上賀茂神社:京都市北区)や賀茂御祖神社(下鴨神社:京都市左京区)などの全国の鴨(加茂)神社の総本宮とされている。創建の年代は不詳であるが、古代から鴨一族の氏神として信仰されてきた神社である。
主祭神として、阿遅志貴高日子根命【あじしきたかひこねのみこと】を祀っている。
阿遅志貴高日子根命は、迦毛之大御神【カモノオオミカミ】とも呼ばれ、日本神話に登場する神である。この神様は、出雲大社の主祭神である大国主大神と宗像三女神の一柱である多紀理毘売命(宗像大社で祀られている田心姫神の別名)の子とされている。
阿遅志貴高日子根命は、友人の天若日子の葬儀に訪れた際、天若日子と顔が非常に似ていたため、天若日子の両親に見間違われてしまった。この誤解に怒り、喪屋を破壊して飛び去ったというエピソードを残している。尚、天若日子が亡くなった理由は、天若日子が高天原からの命令を無視して葦原中国に留まったため、高天原の神々によって殺されたからである。
その一方で、阿遅志貴高日子根命は、農業神、雷神、蛇神として信仰されている。そして「迦毛之大御神」という別名を有していることから「偉い神様」であるようだ。その理由は、天照大御神や伊邪那岐命と並んで「大御神」の敬称を持つ数少ない神様であるからだ。
高鴨神社には、配祀神として、下照比売命【したてるひめのみこと】、天稚彦命【あめのわかひこのみこと】、事代主命【ことしろぬしのみこと】、阿治須岐速雄命【あじすきはやおのみこと】の4柱も祀られている。
高鴨神社は、長い歴史と大自然の中の美しい社殿とが見事に調和した神社であり、神秘的な雰囲気を醸し出している。決して交通の便が良いとは言えない場所に位置しているにも関わらず、多くの参拝者が訪れている。
高鴨神社
高鴨神社【たかがもじんじゃ】は、大和の名門豪族であった鴨氏一族の守護神を祀った神社で、日本最古の神社の一つでもある。
弥生時代中期、この地から鴨氏の一族はひろく全国に移住してゆき、各地で鴨氏一族の守護神を祀った。そのために高鴨神社は全国の鴨(加茂) 社の総社である。京都にある世界遺産にも登録されている下鴨神社【しもがもじんじゃ】や上賀茂神社【かみがもじんじゃ】の総社もこの高鴨神社であるという。
高鴨神社の本殿には阿遅志貴高日子根命【アヂシキタカヒコネ】(迦毛之大御神【カモノオオミカミ】)が祀られている。
「大御神」と称される神様は、天照大御神、伊邪那岐大御神、迦毛之大御神の三柱の神様しか記紀には記されていないという。つまり偉大な神さまであるということらしい。
迦毛之大御神は、死した神をも甦えらせることができるという神力が強い神様で、病気平癒、初宮、大祓い等、甦りに関する信仰が深いとされる。また人の歩む道を目覚めさせてくれる神様として全国の信者によって篤く崇敬を受けているという。
境内の西神社には母神の多紀理毘売命【たぎりひめのみこと】、天御勝姫命【あめのみかじひめのみこと】、塩治彦命【やむやひこのみこと】、瀧津彦命【たきつひこのみこと】が祀られている。一方、東神社には天照大御神【あまてらすおおみかみ】、天兒屋根命【あめのこやねのみこと】、住吉大神【すみよしのおおかみ】が祀られている。
高鴨神社の神域は鉱脈の上と重なり、多くの「気」が出ていることでも有名らしい。「気」は身体に大変よく、神域を巡ることで心身が共にリフレッシュされると言われている。
高鴨神社では、社殿の写真撮影は禁止されている。そのため立派な社殿の写真が撮れず、紹介できないのが残念である。
名 称 | 高鴨神社 |
所在地 | 奈良県御所市鴨神1110 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 【公式】高鴨神社|日本最古 全国鴨社元宮 | 御所市 |
あとがき
鴨(賀茂)氏のルーツ
賀茂(加茂・鴨・加毛)を氏する氏族には、天神系・地祇【ちぎ】系・備前鴨(加茂)氏の3系統が知られているが、葛城の地との関係性が高い地祇系鴨(賀茂)氏のルーツを調べてみた。
地祇系鴨(賀茂)氏は、大鴨積命【おおかもつみのみこと】(大賀茂津美命・大賀茂都美命)を始祖とする。
大鴨積命は、大物主神(三輪明神)の子または後裔の大田田根子【おおたたねこ】の孫で、速須佐之男命の11世の孫であるとされる、古墳時代の豪族であった。
鴨(加茂)氏は、大和国(葛城)葛上郡の高鴨神社・鴨都波神社・葛木御歳神社付近(現・奈良県御所市)を本貫【ほんがん】としていた。
高鴨神社と鴨都波神社のそれぞれの主祭神である阿遅志貴高日子根命【あじすきたかひこねのかみ】(迦毛之大御神【カモノオオミカミ】)や積羽八重事代主命【つみはやえことしろぬしのかみ】は、鴨氏の祖神であるとされている。
大鴨積命は、鴨の地に祖神の事代主神を祀った鴨都波神社を建てたことから、「鴨君」【かものきみ】の姓を賜与【しよ】された。
子孫は「鴨」の姓を名乗っていたが、鴨蝦夷が「壬申の乱」の功臣となり、684年に「賀茂朝臣」【かものあそん】の姓を賜与されたという。
賀茂蝦夷の子が、賀茂吉備麻呂(飛鳥~奈良時代の貴族)である。遣唐使として2度も唐に渡ったと伝わっている。
平安時代中期には陰陽頭の賀茂忠行と賀茂保憲の父子を輩出し、その弟子である安倍晴明が興した安倍氏と並んで陰陽道の宗家となった。保憲の子である賀茂光栄は、暦道を継ぎ、それ以降、子孫は暦道を伝えたという。
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