はじめに
美保神社【みほじんじゃ】は、島根県松江市美保関町にある神社で、全国各地にある「えびす神社」の総本宮である。えびす神として商売繁盛の神徳のほか、漁業や海運の神、田の虫除けの神としても信仰を集めている。
美保神社には、主祭神として事代主神【ことしろぬしのかみ】とその母神である三穂津姫命【みほつひめのみこと】が祀られている。三穂津姫命は、高皇産霊尊【たかみむすびのみこと】の娘であり、稲作や農業の神として信仰されている。
事代主神は、大国主大神【おおくにぬしのおおかみ】の子で、漁業や商業の神として知られ、恵比寿神【えびすがみ】と同一視されている。
日本神話において、事代主神は「国譲り」の際に重要な役割を果たした神として登場してくる。天照大御神【あまてらすおおみかみ】の使者である建御雷神【たけみかづちのかみ】が大国主大神に国譲りを迫った際、事代主神はこれを承諾し、国を天照大御神に譲ることを決定したとされる。
国譲り
葦原中津国の国土が整うと「国譲り」の神話へと移る。天照大御神は、葦原中津国の統治権を天孫に委譲することを要求し、大国主大神と子の事代主神はそれを受諾する。もう一人の子の建御名方神は、承諾せず、抵抗するが建御雷神に敗れて、最後には受諾することになる。
美保神社
美保神社の参拝方法は2礼2拍手1礼。出雲大社とは異なり、一般的な参拝方法である。
美保神社(島根県松江市)は、事代主神(えびす神)を祀る神社の総本社である。天平5年(733年)編纂の『出雲国風土記』及び延長5年(927年)成立の『延喜式』に社名が記されており、遅くともその時期には美保神社が鎮座していたと推測できる。
境内からは4世紀頃の勾玉の破片や雨乞いなどの宗教儀式で捧げたと考えられる6世紀後半頃の土馬が出土しており、古墳時代以前にも何らかの祭祀がこの地で行われていたと考えられている。
美保神社の御祭神は、事代主神【コトシロヌシノカミ】と三穂津姫命【ミホツヒメノミコト】である。
事代主神は、大国主大神の第一の御子神であり、鯛を手にする福徳円満の神、えびす様として知られる。「海上安全、大漁満足、商売繁昌、歌舞音曲(音楽)、学業」の守護神として篤く信仰されている。また、出雲神話「国譲り」の段において父神の大国主大神より大変重要な判断を委ねられた尊い神様であると伝わる。
一方、三穂津姫命は、高天原の高皇産霊命【たかみむすひのみこと】 (天地開闢の時に高天原に現れた偉大な神)の娘で、大国主大神の妻である。三穂津姫命は、高天原から稲穂を持って降臨され、人々に食糧として配り広められた神様で「五穀豊穣、夫婦和合、安産、子孫繁栄、歌舞音曲(音楽)」の守護神として篤く信仰されている。また、美保という地名は三穂津姫命の御名に縁があると伝えられている。
美保関は、古より海上交通の関所で北前船をはじめ諸国の船が往来し、港として栄えた場所であったという。「関の明神さんは鳴り物好き、凪と荒れとの知らせある」と、船人の口コミで広く伝えられたらしい。船人の美保神社に対する信仰心は非常に篤く、海上安全や諸願成就などの祈願の為、さまざまな地域から夥しい数の楽器が奉納され、この内846点が国の重要有形民俗文化財に指定されている。
奉納鳴物のなかには、日本最古のオルゴールやアコーディオン、鳥取城で登城の時を告げていた直径157cmにもなる大鼕、島原の乱で戦陣に出されたと伝わる陣太鼓、初代荻江露友が所有していた三味線など名器や珍品も数多く含まれているという。
鳴物奉納の信仰は、現代においても続いており、1992年(平成4年)には明治の初頭以来途絶えていた「歌舞音曲奉納」を100年ぶりに復活させている。一流の演奏家が神前に向かって(聴衆に背を向けて)演奏し、聴衆は一切の拍手をしないという独特の音楽祭が開催されたらしい。
事代主神には、鶏を嫌うという伝説がある。この神様は毎晩、海を渡って三穂津姫命のもとへ通っていたが、ある夜、鶏が間違って真夜中に鳴いたため、慌てて小船に乗ったところ、櫂を忘れてしまい、手で漕いでいると鰐に手を噛まれたという。それ以来、事代主神は鶏を憎むようになり、美保関では鶏を飼わない習わしが続いているという。現在でもこの習わしは続いているのだろうか、興味深いことである。
名 称 | 美保神社 |
所在地 | 島根県松江市美保関町美保関608 |
拝観時間 | 24時間参拝可能! |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 美保神社 | えびす様の総本宮 |
あとがき
近世に入り、「大社(出雲大社)だけでは片詣り」と言われるようになり、出雲大社とともに美保神社への参拝者数も増加したらしい。つまり、出雲大社→美保神社の順で両方の神社をお参りする(両詣りをする)と良い(ご利益がある)という。
その理由は、出雲大社の主祭神は大国主命【オオクニヌシノミコト】であり、一方の美保神社の主祭神は事代主命【コトシロヌシノミコト】(=大国主大神の子)と三穂津姫命【ミホツヒメノミコト】(=大国主大神の妻)である。
つまりは出雲大社(親の神様)→美保神社(妻と子の神様)の順で両方の神社を参拝するとご利益があるわけである。両詣りをすると、縁結びの効果が上がり、願いが叶いやすくなると伝わる。
出雲大社と美保神社は、距離にして約70 kmも離れているが、はるか昔より出雲の国の西と東の守り神として人々から慕われてきたという歴史がある。
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