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密教復興の志を今に伝える―覚鑁上人ゆかりの根来寺の魅力

はじめに

根来寺【ねごろじ】は、和歌山県岩出市にある新義真言宗の総本山の寺院である。

根来寺は、平安時代後期の1130年に覚鑁【かくばん】上人によって創建された寺院である。覚鑁上人は、高野山で真言密教を修め、鳥羽上皇の庇護を受けて「伝法院」と「密厳院」を高野山に建立したが、1140年に高野山内の反対勢力によって焼き討ちされ、根来の地に移ったという。

1288年、頼瑜【らいゆ】僧正が大伝法院の活動を根来に移し、根来寺は「学山根来」として多くの学僧を抱える学問の拠点となった。根来寺は、戦国時代には一大宗教都市として栄え、僧兵による鉄砲隊も編成された。

根来寺の境内マップ

1585年、豊臣秀吉の紀州攻めにより根来寺の大部分が焼失したが、大塔や大師堂などの建物は焼け残った。江戸時代に入ると、紀州徳川家の庇護を受けて再建が進められた。

江戸時代には主要な伽藍が復興され、東山天皇より覚鑁上人に「興教大師」の大師号が下賜された。1976年から始まった発掘調査により、根来寺の壮大な規模が明らかになっている。


根来寺

根来寺の大塔は、国内最大の多宝塔であり、国宝に指定されている。1547年に完成し、豊臣秀吉の焼き討ちを免れた貴重な建物である。大塔の木部には戦国時代の弾痕が残っており、歴史の痕跡を感じることができる。

光明殿は、根来寺の開祖である興教大師覚鑁上人の尊像が安置されているお堂である。このお堂では、日夜回向が行われている。

大門は、かつての壮大な寺院の名残を感じさせる立派な楼門建築である。大門の2階には「根来山」と書かれ、その威厳を示している。

名勝庭園は、紀州徳川家ゆかりの庭園で、自然の滝や池が配置された美しい日本庭園である。江戸時代に築庭され、四季折々の風景を楽しむことができる。

根来寺は、桜の名所としても有名である。春には約7,000本の桜が咲き誇る。

もみじ谷は、紅葉の名所としても知られている。秋には美しい紅葉が境内を彩り、川沿いの散策道や橋の上から絶景を楽しむことができる。

また、もみじ谷では初夏にゲンジボタルも見られるという。

名 称 根来寺
所在地和歌山県岩出市根来2286
TEL0736-62-1144
駐車場あり(無料)
Link新義真言宗 総本山 根來寺(根来寺) 公式HP

あとがき

真言宗の宗祖・弘法大師空海が高野山で入定【にゅうじょう】したのは、835年3月21日である。その後、荒廃した高野山の復興と真言宗教学の振興において大いに活躍したのが「中興の祖」とされる興教大師【こうぎょうだいし】覚鑁【かくばん】である。

興教大師覚鑁は、真言宗の教えを伝えるための最も重要なお堂である大伝法院【だいでんぼういん】を1132年に高野山に建てるが、排斥運動に会い、1140年に修行の場を高野山から根来山【ねごろさん】(和歌山県)へと移し、そこを根本道場とした。

しかしながら、興教大師覚鑁は、その2年後に多くの弟子が見守る中、49歳で生涯を閉じた。

鎌倉時代の中頃になり、頼瑜【らいゆ】僧正が出て、大伝法院を高野山から根来山へ移したことから、根来山は学問の面でも大いに栄え、最盛時には2900もの坊舎(僧侶の寮)と、約6000人の学僧を擁していたという。


新義真言宗【しんぎしんごんしゅう】は、弘法大師空海が創始した真言宗の宗派の一つで、真言宗中興の祖とされる覚鑁(興教大師)の教学を元に覚鑁派の僧正・頼瑜に連なるものである。高野山内で新たな教義を打ち立てたため「新義」と呼ばれている。

古義真言宗(従来の真言宗)では本地身説法(真言宗最高仏である大日如来が自ら説法する)を説くのに対して、新義真言宗では加持身説法(大日如来が説法のため加持身となって教えを説法する)と説く。つまり古義では大日如来が直接説法するという立場に対し、新義では衆生の利益のために姿や形を変えて説法するという説をとる。このような教義上の違いがあるというが、私には難しくて教義の本質がよく理解できない。

新義真言宗は、覚鑁が開いた大伝法院根来寺を中心として繁栄していたが、その後、智山(京都智積院)と豊山(大和長谷寺)の二派が分派することになる。


根来寺を中心とする一帯に居住した僧兵たちの集団は、根来衆【ねごろしゅう】と呼ばれることがある。根来衆は、雑賀衆と同様に鉄砲で武装しており、傭兵集団としても活躍したという。

1543年8月25日、種子島の門倉岬に明国船の姿が現われ、三名のポルトガル人(南蛮人)によって鉄砲と火薬をはじめ西欧び文物が伝えられた。いわゆる「鉄砲伝来」として日本人の多くが学ぶ日本の歴史の1ページである。

根来寺の杉の坊算長津田監物算長)は、自ら種子島に渡り、鉄砲と火薬の製法を習い、これを根来の地に持ち帰ったと伝わる。その鉄砲と同じ物を根来坂本に住む、堺の鍛冶師、芝辻清右衛門に倣製を命じたという。それが本邦初の国産火縄銃であると言われている。

根来寺の門前町、西坂本の芝辻鍛刀場において火縄銃の国産化と量産化に成功させたというのは興味深い。さらに、根来寺の僧兵で構成された根来鉄砲隊を創設し、我が国最古の砲術「津田流」を創始したのも津田監物算長であるというから驚きである。

津田監物算長は、国産火縄銃の普及者であり、和流砲術の宗祖であり、根来鉄砲隊の創始者である。津田監物算長は、この鉄砲がやがて根来寺滅亡の引き金になるとは知らず、69歳の天寿を全うし、紀の川市安楽川の墓石の下で眠りを続けているという。


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