はじめに
浅草寺【せんそうじ】は、東京都台東区浅草にある都内最古の寺で、聖観世音菩薩を御本尊とすることから、浅草観音【あさくさかんのん】としてよく知られた存在である。

浅草寺の創建は、628年とされ、その歴史は1400年近くに及ぶ。現在では、下町情緒を残す街として東京の代表的な観光地となっており、国内外の参拝客や観光客で賑わっている。特に、羽子板市やほおずき市などの年中行事には多くの人出で賑わう。
全国有数の観光地であるため、正月の初詣では毎年多数の参拝客が訪れ、参拝客数は常に全国トップ10に入っている。
浅草寺
浅草寺【せんそうじ】は、東京都台東区浅草二丁目に位置する、聖観音宗の本山の寺院である。山号を金龍山と称するため、正式には金龍山浅草寺【きんりゅうざんせんそうじ】と号する。
御本尊が聖観世音菩薩【しょうかんのんぼさつ】であることから浅草観音【あさくさかんのん】として信仰されている。江戸三十三観音の第1番札所であるほか、坂東三十三観音の都内唯一の札所(第13番)である。
浅草寺は、元々は天台宗に属していたが、昭和25年(1950年)に独立して聖観音宗の本山となった。
浅草寺の創建は、飛鳥時代の推古天皇36年(628年)と伝えられている。宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた漁師の兄弟の網にかかった仏像が浅草寺の御本尊の聖観音像であるとされる。そして、この兄弟の主人は、聖観音像を拝すると出家し、自宅を寺に改めて供養したのが浅草寺の始まりとされる。
その後、勝海という僧が寺を整備し、645年に観音の夢告により御本尊を秘仏と定めた。観音像は、高さ1寸8分(約5.5センチ)の金色の像と伝わるが、非公開の秘仏のためその実体は明らかでない。
平安時代初期の857年に、延暦寺の慈覚大師円仁が来寺して「お前立ち」と呼ばれる秘仏の代わりに人々が拝むための観音像を造ったという。これを機に浅草寺では勝海を開基、円仁を中興開山と称している。
942年、安房守平公雅が武蔵守に任ぜられた際に七堂伽藍を整備したとの伝えがあり、雷門、仁王門(現・宝蔵門)などはこの時の創建と伝えられている。
1590年、江戸に入府した徳川家康は浅草寺を祈願所と定め、寺領五百石を与えたという。浅草寺の伽藍は1642年に相次いで焼失したが、3代将軍徳川家光の援助により、1648年に五重塔、1649年に本堂が再建されたという。徳川将軍家の加護により、浅草寺は観音霊場として多くの参詣者を集めたと伝わる。
1685年には、表参道に「仲見世」の前身である商店が設けられた理由は、寺が近隣住民に境内の清掃を役務として課す見返りに開業を許可したためとされる。江戸時代中期になると、境内西側奥の通称「奥山」と呼ばれる区域では大道芸などが行われるようになり、境内は庶民の娯楽の場となったという。
浅草は近代以降も庶民の盛り場、娯楽場として発達し、浅草寺はそのシンボル的存在であった。明治18年(1885年)には表参道両側の「仲見世」が近代的な煉瓦造の建物に生まれ変わった。
しかし、昭和20年(1945年)の東京大空襲で本堂(観音堂)や五重塔などが焼失したという。
浅草寺の境内には、多くの見どころがある。特に有名なのは雷門【かみなりもん】と呼ばれる大きな門である。雷門は、切妻造の八脚門で、表参道入口の門である。雷門の左右には雷神と風神の像を安置していることから「風雷神門」というのが正式名称であるが、通称の「雷門」で通っている。
雷門から宝蔵門までの約250mの表参道の両側には土産物や菓子などを売る商店が立ち並び、「仲見世通り」と呼ばれている。商店は東側に54店、西側に35店を数える。寺院建築風の外観を持つ店舗は、1925年に鉄筋コンクリート造で再建されたものである。
宝蔵門は、仲見世通りの商店街を抜けた先にある。入母屋造の二重門である。現在の門は1964年に再建された鉄筋コンクリート造である。
境内には本堂(観音堂)や五重塔があり、美しい建築と歴史的な雰囲気が楽しめる。本堂は、御本尊の聖観音像を安置するため観音堂とも呼ばれる。国宝であった本堂は、1945年の東京大空襲で焼失した。現在の本堂は、1958年に再建されたもので鉄筋コンクリート造である。内陣中央には御本尊の聖観音像(絶対秘仏)を安置する八棟造りの宮殿【くうでん】がある。宮殿内部は上段の間と下段の間に分かれ、上段の間には秘仏本尊を安置する厨子を納め、下段の間には前立【まえだち】本尊の観音像が安置されているという。宮殿の扉の前には「御戸帳」と称する、刺繍を施した帳【とばり】が掛けられているため、外からは内側が見えない。
五重塔も1945年の東京大空襲で焼失したため、現在の塔は本堂の西側に、1973年に再建されたもので鉄筋コンクリート造である。基壇の高さ約5 m、塔高は約48 mであるであるため、総高は約53mとなる。
二天門は、本堂の東側に東向きに建つ切妻造の八脚門で、重要文化財に指定されている。1618年に建築されたもので、東京大空襲でも焼け残った貴重な建造物である。
あとがき
浅草寺は、年間を通じて多くの行事が行われている。特に有名なのは、毎年5月に行われる「三社祭」である。この祭りは、江戸時代から続く伝統的な祭りで、浅草寺の周辺一帯が祭りの熱気に包まれるという。
三社祭【さんじゃまつり】の正式名称は「浅草神社例大祭」で、浅草神社の例大祭として行われる。
浅草神社には、浅草寺の御本尊である観音像を発見した漁師の兄弟と浅草寺の創建者の三人の功績を讃えるために建立された神社である。三社祭は浅草神社の例大祭であるが、浅草寺もこのイベントに関連する行事が行われ、多くの参拝客や観光客が両方の施設を訪れる。
三社祭は、浅草神社の氏子四十四ヶ町を中心に五月の第三土曜日を基点とした金・土・日曜日に行われ、江戸風情を残しつつ勇壮かつ華やかな神輿渡御が見どころとなる。三日間にわたる三社祭りには約180万人を数える人々が集まり、日本を代表する祭礼の一つとなっているという。江戸風情の残る下町・浅草が1年で最も活気付くと云われており、東京の初夏を代表する風物詩の一つになっている。