はじめに
高野山の奥之院は、弘法大師空海が入定(永遠の瞑想に入る修行)した場所として知られ、高野山の中でも最も重要な聖地の一つとして信仰を集める。つまり高野山の信仰の中心である。
835年に弘法大師空海が入定し、その後、奥之院は空海の御廟として信仰の中心となった。空海は今もなお奥之院で瞑想を続けていると信じられており、多くの参拝者が訪れる。
奥之院は、戦国時代から江戸時代にかけて多くの武将や貴族が墓所を建立し、供養塔が立ち並ぶ場所となった。特に、徳川家康が高野山を墓所と定めたことで、多くの大名が墓石を建てるようになり、現在では約20万基の墓石が並んでいるという。
奥之院には、仏教の供養塔とともに神道の鳥居も見られ、神仏習合の象徴的な場所となっている。これは、高野山が宗教戦争を未然に防ぐ役割を果たしたこととも関連していると言われている。
奥の院へは現在も多くの参拝者が訪れ、弘法大師御廟への参道は厳粛で神秘的な雰囲気に包まれている。奥之院は、歴史と信仰が深く結びついた場所であり、参拝の際にはそれを体感したい。
奥の院
奥之院【おくのいん】は、一般寺院でいうところの墓域ではあるが、高野山の信仰の中心であり、弘法大師・空海が入定【にゅうじょう】されている特別な聖地である。
一の橋は奥之院の入り口となる橋で、正式には大渡橋【おおばし】と称する。奥之院の正式な参拝は、一の橋から始まる。
一方、中の橋は、奥之院参道にある2番目の橋で、正式名称は手水橋【ちょうずばし】と称する。平安時代にはこの川で身を清めてから参拝していたという。
中の橋前には無料の大駐車場とバス停があるため、近年では参拝者の大半は「中の橋口」から入ることが多いという。
奥之院の参道は、一の橋から弘法大師御廟まで約2kmにわたって続く。
この参道の両側には、樹齢約700年の杉木立の中に20万基を超える墓石や祈念碑・慰霊碑が並んでいる。
紀伊山地に囲まれた広大な敷地内には神秘的な雰囲気が漂い、特に奥の院は聖域のパワーを感じる。参道を歩くだけで気が引き締まるような感じを受ける。
奥の院の参道には、皇室、公家、大名などの墓が多数並び、戦国大名の約6割以上の墓所があるとされる。
豊臣家や武田信玄をはじめとする有名な戦国武将や、織田信長や明智光秀など敵対した者同士の墓石も見つけることもできる。
高野山では敵味方の区別なく、皆が等しく平等の扱いを受けている。石田三成などの歴史上の人物の墓石を見つけるのも奥の院をゆっくりと散策する魅力であるかも知れない。
御廟橋は、弘法大師御廟へと向かう参道の最後の橋である。この橋を渡ると大師御廟への霊域に入ることになる。そのため橋の前で服装を正し、礼拝してから渡るのが参拝の作法である。また、御廟橋から先は聖域のため、内部の撮影は禁止されている。
御廟橋を渡った先には弥勒石と呼ばれる不思議な石が置かれている。また御廟橋の手前には水向地蔵もあって参拝者で賑わう。
御廟橋の先には灯籠堂があり、その奥に弘法大師・空海の御廟がある。燈籠堂は、弘法大師御廟の拝殿にあたる建物で、堂内には多くの燈籠が奉納されている。燈籠堂内では先祖供養や納骨(分骨)の申し込みと読経が行われる。
燈籠堂は、高野山第二世真然大徳【しんぜんだいとく】によって建立され、1023年に藤原道長の寄進によって、ほぼ現在に近い大きさになったと伝えられている。
堂内には消えずの火として祈親上人が献じた祈親燈【きしんとう】、白河上皇が献じた白河燈、祈親上人のすすめで貧しいお照が大切な黒髪を切って献じた貧女の一燈【いっとう】などが燃え続け、多くの人々の願いが込められた燈籠が奉納されている。
弘法大師御廟は、弘法大師空海が入定した場所であり、今もなお空海が瞑想を続けていると信じられている。この御廟は大師信仰の中心聖地であり、現在でも肉身をこの世にとどめ、深い禅定に入られており、私たちへ救いの手を差し伸べているという入定信仰が生き続けている。現在も参拝者を救い続けていると信じられており、日本有数のパワースポットとして、参拝者が絶えない。
高野山は、国内外からの観光客を魅了し続けている聖地であり、心を癒すために何度も訪れてみたい場所である。奥の院は、単なる墓地ではなく、国の史跡でもあり、世界遺産にもなっている。
このように奥之院は歴史と信仰が深く結びついた場所であり、参拝する私たちに活力を与えてくれる場所である。
名 称 | 奥の院 |
所在地 | 和歌山県伊都郡高野町高野山132 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 奥之院 | 和歌山県公式観光サイト |
あとがき
奥の院の最奥にある御廟の地下には、今だに弘法大師は生きておられる。高野山の人々や真言宗の僧侶の多くにとっては、高野山奥之院の御廟において現在も弘法大師が禅定を続けているとされている。御廟の前に立ち、「南無大師遍照金剛」と唱えて、皆合掌する。誰もが弘法大師の存在を信じて、疑うことはない。皆、そう信じている。
毎日、二人の僧が弘法大師の食事を箱に入れて、その地下室へ降りてゆく。千二百年以上もの間、絶えることなくずっとそれは続いているのである。 実に驚くべきことではないか。
私も弘法大師(地元では「お大師さま」と呼ぶ)を信仰してきた一人である。私自身がシニアになり、お大師さまをより近くに感じる世代にもなった。