タグ: 現存12天守

  • 彦根城を歩く──琵琶湖を望む井伊家の国宝天守と玄宮園

    目次
    はじめに
    彦根城
    玄宮園
    井伊直政について
    あとがき

    はじめに

    琵琶湖の光を受けて白く輝く彦根城の天守を仰ぎながら、石段をゆっくりと登っていく。 井伊家の居城として四百年の時を刻んできた国宝天守は、今もなお凛とした佇まいを保ち、訪れる者を静かに迎えてくれる。

    城を囲む石垣や櫓の影を抜けると、視界の先には、天守を借景とした名園・玄宮園が広がる。 池泉回遊式庭園の水面に映る天守、四季の移ろいを映し出す木々の色、そして庭を包む柔らかな空気── 城と庭園がひとつの風景として溶け合うこの場所には、彦根ならではの静かな美が息づいている。

    本稿では、彦根城と玄宮園を歩きながら、 琵琶湖を望む城の風景と、井伊家が守り継いだ歴史の余韻をゆっくりと味わってみたい。


    彦根城

    彦根城は、徳川四天王と呼ばれた井伊直政によって築かれた城である。関ヶ原の戦い(1600年)の後、直政は石田三成の居城であった佐和山城を手に入れたが、古い縄張りや三成の居城であったことを嫌い、新たに彦根山に城を築くことを決定したという。

    彦根城の築城は1603年に始まり、1622年に完成したという。彦根城は連郭式平山城で、天守は複合式望楼型の三層三階地下一階の構造をしている。彦根城は、徳川家康が豊臣家に対抗するための防衛拠点として重要な役割を果たしたとされる。

    明治時代の廃城令により多くの城が取り壊されるなか、幸いなことに彦根城は明治天皇の巡幸の際に保存が決定されたという。

    彦根城の天守は、現存する12天守の中でも特に美しいとされ、国宝に指定されている。天守の内部は見学可能であるが、私たちが訪れた際は、あいにく耐震対策工事中のため見学はできなかったのは残念であった。最上階からは彦根の町並みや琵琶湖を一望できるという。

    彦根城には多くの重要文化財があり、佐和口多聞櫓や馬屋など、当時の姿を残す建物を見学することができる。佐和口多聞櫓は、敵の動きを監視するための建物で、内部も見学可能である。

    天秤櫓は、秀吉が築いた長浜城の大手門を移築したものと伝えられている。

    太鼓門櫓は、合図用の太鼓があったことがその名の由来とされている。

    本丸の表口を固める櫓門である。櫓門としては珍しく、その背面が開放されて高欄付きの廊下になっている。

    時報鐘【じほうしょう】は、江戸時代から定刻を知らせてきた鐘である。

    彦根城のマスコットキャラクター「ひこにゃん」にも運が良ければ会うことができる。ひこにゃんは、天守前広場や彦根城博物館前に登場するらしいのでスケジュールをチェックしてほしい。私たちが訪れた日はまだ残暑が厳しい日であったので、夏場や暑い日は大変であろうと推察する。熱中症には気をつけて貰いたい。

    彦根城には国宝や重要文化財に指定された建造物も多くあり、その価値が高く認められているため、多くの観光客が訪れている。

    名 称彦根城
    所在地滋賀県彦根市金亀町1-1
    TEL0749-22-6100
    駐車場あり(有料)
    Link 国宝 彦根城

    玄宮園

    玄宮園【げんきゅうえん】は、池泉回遊式の大名庭園で、四季折々の美しい風景を楽しむことができる。

    また、玄宮園からは彦根城の天守を望むことができ、庭園と城の美しい調和を楽しむことができる。

    玄宮園は、彦根藩4代藩主の井伊直興によって延宝5年(1677年)に造営が始まり、延宝7年(1679年)に完成したという。江戸時代後期の文化10年(1813年)には、第11代藩主井伊直中の隠居屋敷として再整備され、現在の形に近づいたという。

    当初は槻之御庭【けやきのおんにわ】と呼ばれていたが、後に玄宮園と名付けられたらしい。中国湖南省の洞庭湖にある玄宗皇帝の離宮庭園を参考にして作庭されていることがその名の由来であるという。

    庭園内には「近江八景」を模した景観があり、天守を借景として美しい景色を楽しむことができる。庭園内には4つの島と9つの橋があり、池の周りには臨池閣や鳳翔台、八景亭などの建物が配置されている。

    昭和26年(1951年)に国の名勝に指定されている。玄宮園はその美しい景観と歴史的価値が評価され、平日でも多くの観光客が訪れている。

    名 称玄宮園
    所在地彦根市金亀町1-1
    ( 彦根城内 )
    TEL0749-22-2742
    駐車場あり(有料)
    Link【公式】 国宝 彦根城

    井伊直政について

    井伊直政【いい なおまさ】は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将で、徳川四天王の一人として知られている。

    井伊直政は1561年2月19日に遠江国井伊谷(現在の静岡県浜松市)で生まれ、幼名は虎松と称した。父は井伊直親、母は奥山朝利の娘・ひよである。父が謀反の嫌疑をかけられ殺害された後、井伊直虎(直政の養母)によって育てられたという。

    直政は1575年に徳川家康に仕え、井伊家の旧領である井伊谷の領有を認められた。家康の小姓として取り立てられ、数々の戦功を挙げたという。

    直政は武田信玄の軍装を引き継ぎ、「井伊の赤備え」として知られる精鋭部隊を率いた。この部隊はその勇猛さで恐れられたという。特に、1584年の小牧・長久手の戦いで初めて赤備えを率いて武功を挙げ、「井伊の赤鬼」と称されたという。

    1600年の関ヶ原の戦いでは、徳川軍の一翼を担い、戦後には近江国佐和山城を与えらた。

    しかしながら、直政は関ヶ原の戦いで受けた傷がもとで、1602年に亡くなっている。彦根城の築城が始まる前年のことである。享年42歳であった。

    井伊直政は、その勇猛さと忠誠心で徳川家康を支え、江戸幕府の基礎を築く重要な役割を果たした。直政の功績は後世にわたり称えられ、彼の子孫は彦根藩主として幕末まで続いた。

    幕末には直政の直系子孫である井伊直弼が大老として活躍し、安政の大獄を行うが、桜田門外の変で暗殺された。


    あとがき

    玄宮園の池畔を離れ、ふと振り返ると、水面に映る天守が静かに揺れている。その姿は、井伊家が守り抜いた城の歴史と、庭園が育んできた四季の美しさを、今も変わらず語り続けているようだ。

    天守から望む琵琶湖の広がり、石垣に残る職人の手仕事、庭園を包む穏やかな風── それらが重なり合い、彦根城は単なる名城ではなく、時代を越えて人々の心に寄り添う“風景の記憶” となっている。

    歩き終えたとき、胸に残るのは、 歴史と自然が静かに調和するこの城が、これからも変わらず琵琶湖のほとりに佇み続けるだろうという確かな実感である。

    彦根城を歩く時間は、 井伊家の歴史に触れながら、 自分自身の歩みをそっと見つめ直すひとときでもある。


    関連記事
    現存天守が語る戦国時代の記憶:犬山城で感じる城下町風情
    雲海に浮かぶ天空の城へ:山城の名城・竹田城址の魅力
    謎多き天空の古代山城を訪ねて:鬼ノ城で出会う歴史と絶景
    錦帯橋の先に聳える天空の城:山城の名城・岩国城を訪ねて
    荒城の月が響く石に刻まれた兵の記憶:山城の名城・岡城跡で出会う音楽と風景
    現存天守が天空に浮かぶ!山城の名城・備中松山城を訪ねて
    漆黒の名城に魅せられて:平城の国宝・松本城の美と歴史
    赤穂浪士の志が残る平城跡:歴史が息づく赤穂城跡を訪ねて
    キリシタン文化と島原の乱の記憶をたどる平城跡:歴史が息づく島原城跡の魅力
    世界遺産・潜伏キリシタンの記憶をたどる:平山城の名城・原城跡が語る歴史
    現存天守が語る四国の名城:平山城跡・伊予松山城の魅力
    世界遺産に輝く平山城郭建築の最高傑作へ:国宝・姫路城の魅力的な風景と歴史
    現存天守に残る平山城郭と堀川と武家の記憶:国宝・松江城で出会う風景と歴史
    復元天守が語る藤堂高虎修築の記憶:平山城・大洲城の魅力
    日本一の高石垣に刻まれた戦国の記憶:平山城・伊賀上野城で味わう歴史の魅力
    櫓が語る天守なき名城の美学:平山城・明石城で出会う風景
    徳川御三家の誇りが息づく白亜の天守:平山城・和歌山城
    転用石の石垣に残る豊臣秀長の記憶:平山城・大和郡山城跡
    天守なき平山城が語る石垣に残る戦国時代の歴史:米子城跡
    石垣と城下町が語る毛利家と長州藩の歴史の記憶:平山城・萩城跡の魅力探訪