◆ はじめに
肱川【ひじかわ】の流れを見下ろすように佇む大洲城は、 復元天守でありながら、どこか“時を超えて戻ってきた本物”のような気配をまとっている。その静かな姿を前にすると、木の香りと白壁の柔らかな光が、 かつてこの地を守った人々の息づかいをそっと呼び覚ましてくれる。
大洲城の整備に深く関わったのが、築城の名手として知られる藤堂高虎。戦国時代から江戸時代初期にかけて数々の城を手がけた高虎の築城技術は、堅牢さと美しさを兼ね備えた“実用と美の調和”にあると言われる。復元天守の端正な姿にも、その築城哲学が静かに息づいている。
天守へ向かう坂道を歩きながら、 木造復元ならではの温もりと、 高虎がこの地に残した技術の確かさが、ゆっくりと胸に染み込んでくる。
本稿では、大洲城の復元天守を歩きながら、 藤堂高虎の築城技術がどのように息づいているのかをたどってみたい。
大洲城
大洲城【おおずじょう】は、愛媛県大洲市にある歴史的な城である。その歴史は鎌倉時代末期の元弘元年(1331年)に、伊予国守護の宇都宮豊房が築いた地蔵ヶ岳城に始まるとされる。
その後、戦国時代を経て、近世初頭に大洲の地を治めた小早川隆景、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞泰らの各大名たちの手によって城郭が整備されてきたという歴史がある。特に藤堂高虎の時代には、城の大規模な修築が行われ、近世城郭としての形態が整えられたという。
江戸時代には伊予大洲藩の政治と経済の中心地として繁栄し、明治維新後も地元住民の保護活動により一部の建築物が保存されてきた。現在の天守は平成16年(2004年)に伝統工法を用いて木造で復元されたもので、往時の姿を忠実に再現しているという。

このように、戦国時代を経て、近世初頭に大洲の地を治めた小早川隆景をはじめ、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞泰ら各大名たちの造営を経て近世城郭が整備されたようだ。特に、藤堂高虎の時代には大規模な修築が行われ、近世城郭としての形態が整えられたと言われている。

大洲城の4層4階の天守は、平成16年(2004年)に木造で忠実に復元されている点が高く評価されている。これが実行できたのは、江戸時代の模型(天守雛形と呼ばれる組模型)や明治期の古写真が残っており、これらの史料を基にして、当時の姿を再現したという。

現存する台所櫓や高欄櫓などの建物は国の重要文化財に指定されており、歴史的価値が高いものである。
4階建ての天守からは大洲市の街並みや肱川【ひじかわ】の美しい景色を一望でき、その眺めは絶景である。このように、大洲城は歴史と文化、そして美しい景観を楽しむことができる素晴らしい景勝地である。
| 名 称 | 大洲城 |
| 所在地 | 愛媛県大洲市大洲 |
| 駐車場 | あり(無料) |
| Link | 大洲城|愛媛県大洲市 |
藤堂高虎の築城技術
藤堂高虎【とうどう たかとら】は、文禄4年(1595年)に大洲城の城主となり、当時「地蔵ヶ岳城」と呼ばれていた大洲城を近代城郭に大改築したという。高虎の手によって、城は防御力と美しさを兼ね備えた近世城郭として整備されたという。この大規模な改築は、大洲城の歴史と魅力を語る上で欠かせない要素となっているのは確かなようである。
藤堂高虎は慶長13年(1608年)に伊勢国津藩に転封されたが、大洲は彼の領地のままであったという。その後、脇坂安治が淡路から移封され、大洲藩が創立されたらしい。
藤堂高虎は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将で大名である。高虎の生涯は非常に波乱に満ちており、多くの築城や戦功を挙げている。
高虎は、弘治2年(1556年)1月6日、近江国犬上郡藤堂村(現・滋賀県犬上郡甲良町)で生まれたという。15歳のときに浅井氏に仕え、姉川の戦いで初陣を飾ったと伝えられている。
1576年、豊臣秀吉の弟である豊臣秀長に仕え、竹田城や三木城攻めなどで戦功を挙げたらしい。1585年の紀州征伐や四国攻めでも戦功を挙げ、紀伊国粉河に1万石の領地を与えられて大名になった。
高虎は、多くの城の築城や改修に関わり、その技術は徳川家康からも高く評価されたという。1600年の関ヶ原の戦いでは東軍として活躍し、戦後に伊予今治に20万石を与えられている。そして1630年に江戸で没したと伝えられている。
藤堂高虎は、黒田孝高、加藤清正と並び「築城三名人」の一人と称され、築城の名人として多くの城の築城や改修に関わってきた人物でもある。特に、層塔式天守や高石垣の技術は彼の独自のものであるらしく、多くの城郭にその技術が生かされている。
藤堂高虎が築城や改修に関わった城として、有名なものには下記のような城があり、今日でも名城と呼ばれる城ばかりである。
藤堂高虎の築城技術は、現在でも多くの城郭にその影響を残しており、彼の功績は日本の城郭史において非常に重要とされる。
◆ あとがき
天守を後にし、城下へと続く坂道をゆっくりと下りながら振り返ると、大洲城が静かに空へ向かって立ち上がる姿が目に入る。その端正な佇まいは、復元でありながら、藤堂高虎が追い求めた“堅牢さと美しさの調和”を確かに伝えている。
高虎の築城は、ただ強固な城を築くのではなく、地形を読み、風景と調和し、そこに暮らす人々の営みを守るための知恵に満ちていた。大洲城の復元天守には、その哲学が静かに息づき、訪れる者に深い余韻を残してくれる。
歩き終えたとき、胸に残るのは、木造復元の温もりと、その奥にある“技と志”への静かな敬意だ。
大洲城を歩く時間は、藤堂高虎という名将の築城技術に触れながら、自分自身の歩みをそっと見つめ直すひとときでもある。