天空の城・備中松山城──現存天守に残る小堀親子の記憶

目次
はじめに
備中松山城
小堀正次と政一(小堀遠州)
あとがき

はじめに

雲海に浮かぶ姿から“天空の城”と称される備中松山城。 山上にひっそりと佇む現存天守を目にした瞬間、その静かな気配に、時代を超えて守られてきた城の息づかいを感じる。

この城の整備に深く関わったのが、小堀正次【こぼり まさつぐ】とその息子、小堀政一【こぼり まさかず】(通称、遠州) である。小堀遠州は、茶の湯・作庭・建築に通じた文化人としても知られている。 彼らが大切にした“美と調和”の精神は、 石垣の積み方、天守の佇まい、山城としての構えに至るまで、今もなお静かに息づいている。

山道を登りながら、木々の間から現れる天守を見上げていると、 小堀親子がこの地に託した美意識と、山城を守ろうとした人々の記憶が、ゆっくりと胸に染み込んでくる。

本稿では、天空に浮かぶ備中松山城を歩きながら、 現存天守に残された小堀親子の記憶をたどってみたい。


備中松山城

備中松山城【びっちゅうまつやまじょう】は、岡山県高梁市に位置する歴史的な城で、標高約430mの臥牛山【がぎゅうざん】に築かれている山城である。

備中松山城の歴史は、1240年に秋庭三郎重信【あきば さぶろう しげのぶ】が臥牛山に砦を築いたことに始まるとされる。その後、城の中心は小松山の峰に移り、城の縄張りも時代とともに変化したという。

戦国時代には、備中松山城は一大要塞として機能し、臥牛山全域に21もの砦が築かれたという。1575年には毛利輝元が城主となり、備中松山城は毛利氏の東方進出の拠点となった。

関ヶ原の戦い(1600年)後、備中松山城は徳川幕府の支配下に入り、小堀正次・政一(遠州)父子が城の修築を行った。その後、水谷勝隆が城主となり、1683年に大規模な修築が行われ、現在の姿となったと言われている。

明治維新後、備中松山城は廃城となったが、昭和初期に地元住民の努力により修復が行われたという。現在では、国の重要文化財として保存され、多くの観光客が訪れる景勝地となっている。

臥牛山(標高約430m)の頂上に築城された備中松山城は、特に秋から冬にかけての早朝には、幻想的な雲海の景色を楽しむことができる。雲海に浮かぶ備中松山城は「天空の城」としても知られており、雲海に浮かぶ山城の姿は圧巻の美しさである。

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右手山頂に見える城郭が備中松山城で、典型的な山城である

日本三大山城(岩村城、高取城、備中松山城)の一つに数えられ、天守二重櫓土塀が現存する山城の名城である。

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備中松山城土塀

備中松山城の周囲には高さ10m以上の巨大な石垣(高石垣)があり、難攻不落の名城としての面影を残している。特に秋は紅葉が美しく、石垣とのコントラストが見事である。

備中松山城は、自然の岩と人工的な石垣が巧みに組み合わされて築かれている。特に大手門跡ではその融合を見ることができる。

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備中松山城石垣

備中松山城の天守は、現存12天守の一つで、国の重要文化財に指定されている。

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備中松山城天守

天守と並んで見どころの一つである二重櫓は、年に数回特別公開されることがある。

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備中松山城二重櫓

備中松山城は、その歴史的価値と美しい景観から、多くの観光客に愛される景勝地である。

名 称備中松山城
所在地岡山県高梁市内山下1
TEL0866-21-0461
駐車場あり(無料)
Link備中松山城 – 天空の山城

小堀正次と政一小堀遠州

小堀正次【こぼり まさつぐ】とその息子、小堀政一【こぼり まさかず】(通称、遠州)の努力によって備中松山城はその歴史的価値を高めたと言われている。そして現在でも多くの観光客に愛される景勝地となっている。

関ヶ原の戦い(1600年)後、徳川家康の命により、小堀正次は備中松山城の城主となった。正次は備中松山城の大規模な改修を行い、城の防御力を強化した。また、正次は備中松山城の城主として、幕府の直轄地である天領の管理も任されていた。

1604年に小堀正次が急死したため、息子の小堀政一(遠州)が備中松山城を継ぐことになった。政一(遠州)は父の遺志を継ぎ、城の改修を続けた。

政一(遠州)は、駿府城や名古屋城の修築、後陽成院御所の造営など、幕府や朝廷の重要な建築プロジェクトにも関わった人物とされている。

また、小堀政一(遠州)は、茶人、建築家、作庭家としても知られ、茶道の遠州流の祖としても名を馳せている。遠州の美意識と技術は、備中松山城の改修にも反映されており、その後の日本の建築や庭園文化に大きな影響を与えたと言われている。

小堀遠州が作庭した庭園には下記のような特徴があるとされる。

  • 直線的な造形
    • 直線的な石橋や石畳が多く見られる
    • 遠州独自の美意識が反映されている
    • この造形は当時としては斬新な発想であったという
  • 自然と人工の調和
    • 自然の景観と人工的な要素が巧みに組み合わされている
    • その調和が美しい景観を生み出している
  • 茶室との一体感
    • 庭園と茶室が一体となった設計が特徴
    • 庭園内の茶室からの眺めも楽しむことができる
    • 小堀遠州は茶人でもあったことが影響している

小堀遠州が作庭した庭園には下記のような有名な庭園が含まれている。

  • 龍潭寺庭園(浜松市)
    • 遠州三名園の筆頭
    • 井伊直虎・井伊直政の墓所も残る井伊家の菩提寺の庭園
    • 小堀遠州が作庭したと伝わる国指定名勝の庭園
  • 長楽寺庭園「満天星の庭」(浜松市)
    • 遠州三名園の一つ
    • 無数のドウダンツツジが春は白く、秋は紅葉に染まる
    • 静岡県指定名勝
  • 本興寺庭園(湖西市)
    • 遠州三名園の一つ
    • 小堀遠州作庭と伝わる池泉鑑賞式庭園
    • 北原白秋が愛した庭園として知られる
  • 大池寺庭園蓬莱庭園(甲賀市)
    • 水口城を築城した小堀遠州が作庭の枯山水庭園
    • 日本国内屈指のサツキの大刈込庭園
    • 甲賀市指定名勝

あとがき

天守を後にし、山道を下りながら振り返ると、備中松山城が静かに空へ向かって立ち上がる姿が目に入る。その佇まいは、山城としての厳しさと、小堀親子が遺した“美と調和”の精神を、今も確かに伝えている。

現存天守が守り続けてきたのは、単なる建築物としての価値ではなく、この地に生きた人々の思いや、城を整えた者たちの美意識そのものだ。山上に吹く風の中に、その記憶がそっと漂っている。

歩き終えたとき、胸に残るのは、天空の城が語る静かな歴史の重みと、その奥にある“人の記憶”への深い敬意だ。

備中松山城を歩く時間は、小堀親子の美意識に触れながら、自分自身の歩みをそっと見つめ直すひとときでもある。


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