漆黒の名城・松本城──国宝の天守と城郭に残る石川父子の想い

目次
はじめに
松本城
石川数正と康長の父子
あとがき

はじめに

北アルプスを望む信州の平野に、 漆黒の天守を静かにそびえ立たせる松本城。 白亜の城が多い中で、黒い下見板に覆われたその姿は、“黒城”として独自の風格を放ち、国宝五城のひとつとして今も多くの人を魅了している。

この城の近世城郭としての姿を形づくったのが、 徳川家康の重臣であった石川数正と、その子・康長である。彼らは、戦国の緊張がまだ残る時代に、防御性と実用性、そして美しさを兼ね備えた城を築こうとした。天守の構造、堀の配置、石垣の角度── そのひとつひとつに、石川父子の築城哲学が静かに息づいている。

天守へ続く橋を渡り、黒い壁に映る光と影を眺めていると、 石川父子がこの地に託した想いが、 四百年の時を超えてそっと胸に響いてくる。

本稿では、漆黒の名城・松本城を歩きながら、 国宝の天守と城郭に残された石川父子の記憶をたどってみたい。


松本城

松本城は、長野県松本市にある歴史的な城で、別名で深志城【ふかしじょう】とも呼ばれる。松本城の築城は、1504年に小笠原貞朝が深志城を築いたことに始まるとされている。戦国時代には、武田信玄が深志城を支配し、織田信長や上杉謙信との戦いが続いたという。

その後、石川数正と康長の父子が天守を建て、城郭と城下町の整備を行ったという。江戸時代初期には、松平氏や水野氏などが城主を務め、松本藩の藩庁として機能した。

明治7年(1874年)の廃城令により松本城は廃城となり、取り壊しの危機を迎えたが、幸いにも市川量造ら地元の有力者の尽力によって保存されたという。

1936年に天守が国宝に指定され、1952年には文化財保護法によって再び国宝に指定されている。松本城はその美しい外観と歴史的価値で訪れる私たちを魅了する。

松本城は、かつて深志城と呼ばれていた理由は、この城が「深志」と呼ばれる地に築城されていたからである。深志城は1504年に小笠原貞朝によって築かれた城であるが、戦国時代に小笠原貞慶が城主となったのを機に「松本城」と改名された。「松本」という名前には、城主に返り咲いたことを「待ち望む」という意味や、小笠原一族の中で「本」【もと】であることを示す意味が込められているとも言われている。

天守は安土桃山時代末期から江戸時代初期に石川数正と康長の父子によって建造されたもので、現存する天守の一つとして国宝に指定されている。また、城跡は国の史跡に指定されている。

松本城の天守は五層六階で、現存する12天守の中で最も古い城の一つとされている。また、五層の天守を持っているのは松本城と姫路城だけであるという。さらに、松本城の天守は、大天守と乾小天守が渡櫓で連結され、辰巳附櫓と月見櫓が複合されているが、このような構造は他に類を見ないものであるという。

松本城の外観は、上部が白漆喰、下部が黒漆で塗られており、この白黒の対比が特徴的である。一説には、豊臣秀吉に忠誠を示すために黒漆が使われたと伝えられている。

戦国時代に造られた部分には、鉄砲狭間や弓狭間が多く設置されており、敵を標的とした石落しもある。一方、江戸時代初期に造られた部分には戦の備えはほとんどなく、優雅さを醸し出す建造物が多いと指摘されている。

松本城は平城であり、天守を囲むように堀が巡っている。天気が良ければ、北アルプスを背景にした美しい景色が眺められる。それも松本城の魅力の一つであるかも知れない。

名 称松本城
所在地長野県松本市丸の内4-1
駐車場あり(有料)
Link国宝 松本城 – 松本市

石川数正と康長の父子

石川数正(1533~1592)とその息子、石川康長(1554~1643)は松本城の建設と発展に大きく貢献した人物とされている。

石川数正は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将であり、大名である。数正は徳川家康の片腕として活躍し、家康からの信頼も厚かった人物である。数正は家康の重臣として多くの戦いに参加し、特に織田信長との同盟を成立させるなど、外交面でも重要な役割を果たした。

しかし、1585年に突如として家康の元を離れ、豊臣秀吉に仕えるようになった。この出奔の理由については諸説あるが、秀吉の器量に惚れ込んだとも、家康の家中で孤立していたためとも言われている。

1590年に松本城の城主になったのを機に、数正は松本城の本格的な建設に着手し、天守の構想と起工を行ったという。また、城下町の整備にも尽力したという。

石川康長は、石川数正の長男であり、松本藩の第2代藩主である。康長は父の後を継ぎ、松本城の建設を完遂させた。康長は豊臣秀吉や徳川家康に仕え、多くの戦いに参加した。関ヶ原の戦いでは東軍に与し、徳川秀忠に従って戦ったという。

康長は父の数正の後を継ぎ、松本城の建設を完遂させたという。康長の代には、天守三棟(大天守、乾小天守、渡櫓)や本丸・二の丸御殿などが建設され、松本城は近世城郭としての基礎を固めたと評価されている。

このように石川父子は共に松本城の歴史において重要な役割を果たし、その後の城下町の整備にも力を尽くしました発展にも大きく貢献したと後世に伝えられている。


あとがき

天守を後にし、堀沿いの道をゆっくりと歩きながら振り返ると、 夕陽に照らされた漆黒の松本城が、静かに空へ向かって立ち上がっている。 その姿は、石川数正・康長父子が思い描いた “堅牢でありながら美しい城”の理想を、 今も変わらず伝え続けているように見える。

黒い下見板の質感、石垣の曲線、平城ならではの広がりを持つ城郭の構え── そのすべてに、父子二代がこの地に刻んだ築城の想いが宿っている。松本城が国宝として高く評価されるのは、単なる美しさだけでなく、城に込められた“人の記憶”が今も息づいているからだろう。

歩き終えたとき、胸に残るのは、黒城が語る静かな歴史の重みと、その奥にある石川父子への深い敬意だ。

松本城を歩く時間は、名将たちの築いた美と知恵に触れながら、自分自身の歩みをそっと見つめ直すひとときでもある。


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