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勝浦温泉を起点に熊野古道を経て熊野三山をめぐる旅

はじめに

熊野神社【くまのじんじゃ】という名の神社は全国に数多く存在する。熊野神社というのは熊野三山から熊野権現の勧請を受けた神社で、全国各地に約4,700社もあるという。熊野神社は、熊野社などのように類似の社号で称されている場合もある。

熊野は、和歌山県南部~三重県南部の地域を指す。和歌山県南部にある、熊野本宮大社熊野速玉大社熊野那智大社を合わせて熊野三山という。

熊野三山へ参拝するための道を熊野古道という。熊野の神々は自然信仰に根ざしていたが、奈良~平安時代にかけて熊野は仏教・密教・修験道の聖地ともなり、神=仏であるという考え方が広まった。

その影響を受けた三山は結びつきを深め、同じ12柱の神々(=仏たち)をお祀りするようになる。

熊野三山の神秘性はますます高まり、平安時代の末には「浄土への入り口」として多くの皇族や貴族が参拝するようになったと言われている。

浄土へお参りし、帰ってくるということは、死と再生を意味する。そのため熊野三山は「よみがえりの聖地」として、今なお多くの人々の信仰を集めているという。

そんな熊野三山を巡る旅にはいろいろなルートがあり、旅行プランにもまさしく十人十色である。今回の旅の特徴は、熊野三山を参拝するための起点として勝浦温泉を選んだことである。


<目次>
はじめに
熊野本宮大社
熊野速玉大社
熊野那智大社
勝浦温泉
あとがき

熊野本宮大社

熊野本宮大社(和歌山県田辺市)は熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の中心、全国に4700社以上ある熊野神社の総本宮である。

熊野本宮大社本殿

御祭神は、熊野三山に共通する熊野十二所権現と呼ばれる十二柱の神々である。 奈良時代より神仏習合を取り入れ、御祭神に仏名を配するようになったとされる。

熊野本宮大社(田辺市)の主祭神は、家津美御子大神【けつみみこのおおかみ=素戔嗚尊(スサノオノミコト)】である。

熊野本宮大社本殿

日本神話では、古代本宮の地に神が降臨したと伝えられている。三本の川の中州にあたる聖地、大斎原に社殿を建てたは、崇神天皇65年(紀元前33年)のことであったと伝わる。

大斎原に残る大鳥居

本宮の上四社の第一殿と第二殿にはそれぞれ伊邪那美神(夫須美大神)と 伊邪那岐神(速玉大神)が祀られている。

御祭神は、熊野三山に共通する熊野十二所権現と呼ばれる十二柱の神々である。 奈良時代より神仏習合を取り入れ、御祭神に仏名を配するようになったとされる。

奈良時代には仏教を取り入れ、神=仏としてお祀りするようになった(神仏習合)。

平安時代になると、皇族・貴族の間に熊野信仰が広まり、京都から熊野古道を通って上皇や女院の一行が何度も参拝に訪れた。

室町時代には、武士や庶民の間にも熊野信仰が広まっていった。男女や身分を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さから、大勢の人が絶え間なく参拝に訪れる様子は「蟻の熊野詣」と例えられるほどであったと伝わる。

熊野本宮大社には八咫烏【やたがらす】と呼ばれる3本足のカラスがいたるところに配置されている。

熊野本宮大社八咫烏【やたがらす】
八咫烏ポスト

八咫烏は、日本書紀・古事記の「神武東征」という物語に登場する。

「神武東征」とは、神武天皇日向(現在の宮崎県)から橿原(現在の奈良県)に遷都し、大和朝廷を開いて初代天皇に即位するまでを描いた物語のことである。

神武天皇が熊野に到着された時、神の使者である八咫烏が奈良まで道案内をしたというエピソードから、熊野三山に共通する「導きの神鳥」として信仰されるようになったと伝承されている。

八咫烏は日本サッカー協会のシンボルとして全国的にも有名になっている。

名 称熊野本宮大社
所在地和歌山県田辺市本宮町本宮
駐車場あり(無料)
Link熊野本宮大社【公式サイト】

熊野速玉大社

熊野速玉大社(新宮市)所蔵の「熊野権現御垂迹縁起」(1164年)によると、熊野の神々は、神代の頃、まず初めに神倉山ゴトビキ岩に降臨され、その後、景行天皇58年、現在の社地に真新しい宮を造営してお遷りになり、「新宮」と号したことが記されている。

熊野速玉大社拝殿

初めは二つの神殿に熊野速玉大神熊野夫須美大神家津美御子大神を祀ることから始まり、平安時代初期に現在のような十二の神殿が完成したと伝わる。

熊野速玉大社本殿

日本書紀には、神武天皇神倉山に登拝されたことが記されているという。悠久の古より人々から畏れ崇められてきた神倉山には、社殿はなく、自然を畏怖し崇める自然信仰(原始信仰)が中心であったと考えられる。

自然信仰を原点に神社神道へと展開していく熊野信仰は、六世紀に仏教が伝わると早くから神仏習合が進み、「熊野権現信仰」が全国に広まっていく。

権現」とは、神が仮の姿を仏に変えて衆生を救うために現れるという意味で、過去・現在・未来を救済する霊場として熊野は広く人々に受け入れられていった。

さらに、強者弱者、地位や善悪、信不信を問わず、別け隔てなく救いを垂れる神仏として崇敬され、人々は難行を覚悟で、熊野をめざし、「蟻の熊野詣で」の諺も生まれた。

熊野古道は、滅罪と救いを求めて難行を続ける人々がつけた命の道であり、険しい山路を越えてやっとのことで宝前に辿り着いた人々は、皆涙に咽んだという。

熊野古道
熊野古道

そんな参拝者を熊野の神官達は、たとえ参詣者のわらじが雨で濡れていてもそのまま快く拝殿に迎え入れたという。これを「濡れわら沓の入堂」といい、熊野速玉大社の社訓になっているという。

熊野は生きる力を、もう一度受け取りに来るところとされる。命がけの旅は、私達が生まれた時に持っていたはずの純真なこころと姿を取り戻す試練の旅でもある。

難行苦行の果てにあるものは、人生の再出発を踏み出すための勇気と覚悟の加護である。熊野速玉大社が「甦りの地」といわれる本意は、正にここにあるとされる。

名 称熊野速玉大社
所在地和歌山県新宮市新宮一番地
駐車場あり(無料)
Link熊野速玉大社【公式サイト】

熊野那智大社

熊野那智大社(那智勝浦町)の御祭神は、熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)で、イザナギノミコトの別名である。 またの名を「結神(ムスヒノカミ)ともいう。

ムス」は万物の生成・育成を意味し、「」は目に見えない存在を意味するという。御神徳によって「結宮(むすびのみや)」と称され、人の縁だけでなく諸々の願いを結ぶ宮として崇められた。

熊野那智大社は、神日本磐余彦命(カムヤマトイワレヒコノミコト)の御東征を起源としている。

西暦紀元前662年、神日本磐余彦命の一行は丹敷浦(にしきうら)(現在の那智の浜)に上陸した。一行が光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで行ったところ、那智御瀧を探りあて、その御瀧を大己貴命(オオナムチノミコト)の現れたる御神体としてお祀りした。

神日本磐余彦命の一行は、天照大神から使わされた八咫烏の先導によって無事、大和の橿原の地へ入り、西暦紀元前660年2月11日に初代天皇、神武天皇として即位した。

先導の役目を終えた八咫烏は熊野の地へ戻り、石に姿を変えて休んでいる(烏石)と伝わる 。

その後、熊野の神々が光ヶ峯に降臨され、御滝本に祀られた。

仁徳天皇5年(317年)、山の中腹にあらためて社殿を設け、熊野の神々と御瀧の神を祀ったのが熊野那智大社の起源だという。

那智の御瀧は、熊野那智大社の別宮、飛瀧神社御神体として祀られている。那智の御瀧は、自然を尊び、延命息災を祈る人が多い。

一般には「那智の滝」と呼ばれるこの滝は落差133mもあり、その雄姿は訪れた者を圧倒する。世界的にも誇れる景勝地で、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に含まれている。

また八咫烏の縁起によりお導きの神として交通・海上の安全の守護を祈願されている。

さらに御神木の梛の木は無事息災をあらわすものとして崇められている。

このように熊野那智大社は熊野の自然と共に神々の恵み深い御神徳のある神社である。

名 称熊野那智大社
所在地和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
駐車場あり(有料)
Link熊野那智大社【公式サイト】


勝浦温泉

勝浦温泉【かつうらおんせん】は、山海の豊かな自然に恵まれた場所に立地する、和歌山県が誇る景勝地の一つである。

山間部は世界遺産に登録されている「紀伊山地の霊場と参詣道」の指定エリアであり、特に「那智の滝」で有名な熊野那智大社に近い。

一方、海岸部は勝浦湾で、湾を出ればリアス式海岸熊野灘が広がっている。自然の造形が美しいリアス式海岸の前方には大小異なる島々がおよそ130ほど浮かび、風光明媚な景観を造る。

勝浦温泉は、山間部の荘厳な雰囲気と爽快な海岸部の両方が楽しめる温泉地と言えよう。このような温泉地は全国的にも数が少ないはずである。

温泉街のある勝浦は、元々は漁港として栄えてきたところであるので、当然ながら海の幸が豊富である。特に、勝浦漁港は日本一の生マグロの水揚げ高を誇り、「生マグロ料理」はご当地料理の一つと言える。マグロは、生でも、焼いても、煮ても良しと、食べ方はいろいろあるらしいが、私は「生まぐろ丼」が好きだ。勝浦漁港から直送されるネタは鮮度抜群である。

勝浦が温泉地になったのは大正時代からで、ボーリングによる源泉採掘で新たな源泉が続々と発見された昭和時代になってから本格的な温泉地として開発されてきた比較的新しい温泉地である。

しかし、この地に温泉が湧くことは江戸時代から知られていたようである。

現在、勝浦温泉で確認されている源泉数は177本もあるという。これは白浜温泉をはるかに上回る県内最大の源泉数である。

泉質

勝浦温泉には源泉数が177本もあるから、泉質もさまざまであるが、代表的な泉質は硫黄を含有した泉質である。

例えば、ホテル浦島の泉質は含硫黄-ナトリウム・カルシウム-塩化物泉であり、ホテル中の島の泉質も硫黄を含んだ塩化物泉である。一方、かつうら御苑の泉質は、硫黄泉である。

このように温泉宿によって泉質が異なるので、自分の好きな温泉を選択することができる。

効能

泉質の違いによる効能については、別のブログに記載しているのでそちらを参考にしてほしい。


温泉街

温泉街からは勝浦湾が望める。勝浦温泉には旅館やホテルが18軒と民宿が8軒もあるらしい。温泉街で宿泊するなら、海を見ながら露天風呂に浸かれる宿に泊まりたい。その方が勝浦温泉の魅力を身近に感じられるからだ。

海が一望できる露天風呂や海岸に接した洞窟風呂などの浴場を備えた宿なら勝浦温泉の醍醐味をきっと満喫できるはずである。

波と風が長い時間をかけて作り上げた洞窟がそのまま浴場になった洞窟風呂「忘帰洞」で有名な「ホテル浦島」では洞窟風呂以外にも岩風呂と樽風呂があり、どちらも海の眺望が楽しめる。勝浦湾の眺望を客室なら眺めたい場合は、4棟のうち高台に建つ「山上館」がおすすめかも知れない。展望風呂も設置されている。

名 称ホテル浦島
所在地和歌山県東牟婁郡那智勝浦町勝浦1165-2
駐車場あり。但し、ホテルの近くにはない。
下記の専用駐車場を使用
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町天満441-16
専用駐車場からは、シャトルバスでホテルに向かう
Linkホテル浦島 公式HP | 大洞窟温泉忘帰洞 南紀勝浦温泉

勝浦湾を360度のパノラマで満喫できる宿は「ホテル中の島」である。この宿は離島にあるため、温泉街の「観光桟橋」から、専用の連絡船を使ってアクセスしなければならないが、その価値は十分にある。海にせり出す露天風呂に浸れば、目の前に迫る海との一体感が得られるはずだ。至極の贅沢と言えよう。

名 称ホテル中の島
所在地和歌山県東牟婁郡那智勝浦町勝浦1179-9
駐車場あり。但し、ホテルの近くにはない。
下記の専用駐車場を使用
船着き場無料駐車場。
カーナビ用電話番号:0735-52-1110
「観光桟橋」から、専用の連絡船を使ってホテルへ
Link碧き島の宿 熊野別邸 中の島【公式】|和歌山 島の温泉宿

海山の絶景が見渡せる庭園付き展望露天風呂が自慢の宿は「かつうら御苑」である。展望露天風呂からの眺めは勝浦温泉でも最高クラスであるとされる。113室もある客室は全室オーシャンビューで、那智湾の景色も素晴らしい。

名 称かつうら御苑
所在地和歌山県東牟婁郡那智勝浦町北浜海岸
駐車場あり。
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町勝浦216-19(カーナビ用)
Linkかつうら御苑│那智勝浦の温泉旅館

紀の松島の周遊

「紀の松島」をめぐる遊覧船で、観光桟橋から「太地くじら浜公園」(下船可能;別便で帰れる)を経由してぐるっと周遊するコースは人気であるという。旅行日程に余裕があれば、約1時間ほどの遊覧船の旅を体験するのも悪くはない。

名 称紀の松島めぐり
所在地和歌山県東牟婁郡那智勝浦町勝浦442-20
駐車場なし(付近の有料駐車場を使用:1210円/日)
Link那智勝浦に来たら紀の松島めぐり

あとがき

熊野三山には何度か参拝しているが何も知らずに参拝していたことを反省したい。今回、熊野三山について記載することでようやく私自身が熊野三山についての理解を少しだけではあるができたように思う。

次回の参拝からようやく私も心からの参拝ができそうな気がしている。多分、以前とは違った気分で鳥居をくぐることができるはずである。

勝浦温泉は、比較的新しい温泉地であるため知名度では白浜温泉に劣っているかも知れないが、源泉数では白浜温泉を大きく上回っている。和歌山県が誇る温泉地であることには相違はなく、私の個人的な好みでも軍配をあげたいほどである。


【参考資料】
熊野本宮大社【公式サイト】
熊野速玉大社【公式サイト】
熊野那智大社【公式サイト】
和歌山県那智勝浦町
ホテル浦島 公式HP | 大洞窟温泉忘帰洞 南紀勝浦温泉
碧き島の宿 熊野別邸 中の島【公式】|和歌山 島の温泉宿
かつうら御苑│那智勝浦の温泉旅館
那智勝浦に来たら紀の松島めぐり