はじめに
雲仙温泉は、約350年の歴史を誇る古湯で、長崎県島原半島にある温泉地である。
島原半島と言えば、「島原の乱」が歴史上有名で、戦場となった「原城跡」も遺跡として残されている。キリシタン殉教の舞台となった哀しい歴史が残るが、その島原の乱で活躍した天草四郎が考案したと伝わる郷土料理・具雑煮【ぐぞうに】も食することができる。
雲仙温泉は、雲仙岳をはじめ1000m級の山々に囲まれた温泉地(標高700m)で、約30もあるという地獄(源泉)から絶えず吹き上げる湯けむりと硫黄の香りで満ち溢れている。
山岳リゾートの雰囲気が漂い、日本初の国立公園に指定された温泉保養地であるのも頷ける。温泉神社【うんぜんじんじゃ】を中心に、旅館・ホテルや共同浴場が温泉街を形成している。
<目次> はじめに 雲仙温泉 雲仙温泉の泉質 【雲仙温泉のシンボル】温泉神社 【観光スポット】雲仙地獄・地獄巡り 雲仙・平成新山の展望台 仁田峠・第二展望所 島原半島の観光スポット 島原城 島原武家屋敷 湧水庭園「四明荘」 原城跡 あとがき |
雲仙温泉
雲仙温泉の泉質
雲仙温泉の泉質は、硫酸酸性の硫黄泉で、強い酸性を示す。源泉の最高温度は98℃であり、シューシューと音を立てる噴気の最高温度は120℃であるという。噴気の大部分が水蒸気であるが、炭酸ガスや硫化水素ガスを含み、強い硫黄臭を漂わせる。
硫酸酸性の硫黄泉には鉄イオン、アルミニウムイオン、硫酸イオンなどの成分を豊富に含まれている。そのため、リュウマチ、糖尿病、皮膚病に効能があるとされる。
雲仙温泉の主な泉質は硫黄泉であるが、宿泊施設や共同浴場によって源泉が異なるので、同じ硫黄泉でも白濁、クリーム色、灰色などがあり、湯華や鉱泥が沈殿している場合もあるという。
硫黄泉以外にも透明な酸性泉や赤い酸性泉に入れる施設もあるので、事前に施設の情報を知っておくと自分の好みのお湯に入ることができる。東園【あずまえん】では、鉄分の含まれた赤い酸性泉のお湯に入れるそうだ。
私のようにせっかく雲仙温泉に来たからには乳白色のお湯と硫黄の香りがする温泉情緒たっぷりの硫黄泉を選ぶ者も多いかも知れない。とにかく硫黄泉の泉質は申し分ない雲仙温泉である。
尚、硫黄泉は元々は透明であるが、源泉から配管で引湯する際に配管の内側に溜まった硫黄を含んだ鉱泥が流れてきるので白く濁って見えるのだという。だから配管の長さと年季によって白濁の程度が異なるのだという。それが旅館によって硫黄泉の白濁具合が異なっている理由だと分かると、違う旅館にも泊まってみたくなるのは温泉好きの性かも知れない。
雲仙温泉は湧出量も豊富なので源泉掛け流しの宿が多いのも温泉好きにとっては嬉しい。
雲仙温泉のシンボル
【温泉神社】
島原半島には温泉神社【うんぜんじんじゃ】がかつて18社もあったというくらい島原の人たちにとっては身近な神社である。
温泉神社の総本社が雲仙温泉街にある(雲仙地獄に隣接する)温泉神社であり、現在では雲仙温泉のシンボル的存在となっている。
「温泉」と書いて「うんぜん」と読むのは、この地が「雲仙」と表記されるようになる以前から「温泉【うんぜん】」と呼ばれていたからであるという。
温泉神社は、行基が温泉山満明寺を開山した際に創建した神社とされ、かつて四面宮や筑紫国魂神社と称していた時代もある。
温泉神社の御祭神は、次の5柱の神々である。
- 白日別命【しらひわけのみこと】
- 豊日別命【はやひわけのみこと】
- 速日別命【とよひわけのみこと】
- 豊久士比泥別命【たけひむかひとよくじひねわけのみこと】
- 建日別命【たけひわけのみこと】
拝殿奥には「夫婦柿」と呼ばれる樹齢200年超の柿の御神木があり、恋愛成就のパワースポットとして知られている。
名 称 | 温泉神社 |
所在地 | 長崎県雲仙市小浜町雲仙319 |
Link | 温泉神社|雲仙温泉郷 雲仙 温泉神社(総本社) – 【公式】四面宮会 |
雲仙温泉の観光スポット
【雲仙地獄・地獄巡り】
雲仙温泉で観光といえば、温泉街に隣接する雲仙地獄の地獄めぐり(遊歩道が整備されている)が有名である。硫黄の臭いと地の底から吹き出す噴気が辺り一面を覆い尽くす荒涼とした非日常的な光景は確かに地獄という名が相応しいだろう。
大叫喚地獄、お糸地獄、清七地獄など30余りの地獄があり、噴気孔から真っ白い湯けむりがもくもくと噴き上がっている。それぞれの名前の地獄にはその名の由来の伝説が残されている。哀しい伝説が記憶に残る。
雲仙温泉で最も活発な噴気活動をしているのが「大叫喚地獄」と呼ばれている一帯である。噴気は120℃の高温の水蒸気で、硫化水素ガスを含み、強い硫黄の臭いを漂わせている。
案内版によれば、雲仙地獄の東側の一番高い場所に位置し、白い噴気は30~40mにも登る。ゴウゴウという噴気音が、地獄に落ちていく亡者の絶叫のようにも聞こえるところから、この地獄の名前が付いたという。
雲仙地獄の地は、江戸時代にはキリシタン殉教の舞台となったところでもあり、殉教の碑が建てられている。
名 称 | 雲仙地獄・地獄巡り |
所在地 | 長崎県雲仙市小浜町雲仙320 |
Link | 雲仙地獄 – 雲仙観光局 |
【雲仙・平成新山の展望台】
仁田峠・第二展望所
雲仙岳は、長崎県の島原半島中央部にそびえる火山で、総計20以上の山々から構成される。主峰は普賢岳(標高1,359m)だが、平成2~7年(1990~1995年)の火山活動で平成新山(標高1,483m)ができ、こちらの方が最高峰になってしまった。
総計20以上の山々から構成される雲仙岳の形は複雑であるが、観光上のキャッチフレーズとして「三峰五岳の雲仙岳」が多用されるようになった。ちなみに三峰は、普賢岳(標高1,359m)・国見岳(1,347m)・妙見岳(1,333m)を指し、五岳は野岳(1,142m)・九千部岳(1,062m)・矢岳(943m)・高岩山(881m)・絹笠山(879m)を指すらしい。
この三峰五岳には平成新山は含まれていない。しかし、現在では雲仙岳の最高峰は平成新山(1,483m)であり、長崎県の最高峰でもある。
仁田峠は普賢岳の5合目にあたる峠であり、最高峰の平成新山を間近で見ることができる場所が仁田峠にある第二展望所(標高1,080m)である。この展望所からは眼前に平成新山の威容を望み、右手の眼下には有明海を見下ろすことができる。「第二」展望所となっているが、ここがイチオシの雲仙屈指の展望台であることに間違いはない。
尚、仁田峠へ向かう道路は一方通行となっており、引き返すことはできないので注意を要する。
名 称 | 仁田峠・第二展望所 |
所在地 | 長崎県雲仙市小浜町雲仙 |
Link | 仁田峠循環道路・仁田峠第二展望所 |
島原半島の観光スポット
島原城
島原城は、島原市のシンボル的存在として、また市内観光の際には素晴らしいランドマークとなる存在である。
現在の島原城は、戦後に復元された城で、城内の建物はキリシタン史料館(天守)、西望記念館(巽の櫓)、民具資料館(丑寅の櫓)などに利用されている。
島原城は、別名を森岳城ともいうが、それはかつて森岳と呼ばれた小高い丘を利用して築かれた城であるからだ。
かつての島原城は連郭式平城で、長方形の外郭は周囲約4kmの塀で囲まれ、城門が7か所、平櫓が33か所もあったという。内郭には堀に囲まれた本丸と二の丸があり、その北には藩主の居館であったとされる三の丸が位置していた。本丸には五層の天守をはじめ、3か所に三重櫓がそびえ立つ豪壮堅固な城構えであったと伝えられている。
残念ながら、当時の島原城は、明治7年(1874年)に明治政府の愚かな施策によって廃城となり、民間に払い下げられた後はそのまま荒廃してしまったという。
名 称 | 島原城 |
所在地 | 長崎県島原市城内1丁目1183-1 |
Link | 島原城について | 島原城 | 公式ホームページ 島原城 | 公式ホームページ |
島原武家屋敷
私の妻は武家屋敷にも興味があるらしく、城下町を旅行する際には決まって武家屋敷を訪れる。したがって、例外なく私もお供するわけである。武家屋敷は、どれも同じようなものだろうと高を括っていたが島原城下の武家屋敷はどこか感じが違っていた。質素な武家屋敷と水路が400年近くも当時の姿のまま残されており貴重な文化歴史遺産といえるだろう。
島原に残されている武家屋敷は、現在の島原城の西側に位置し、長さがおよそ400mほどに渡って下級武士の住まいがあった場所とされている。
島原城の築城のとき、外郭の西に接して扶持取70石以下の武士たちの住宅団地が建設されたと伝わる。戦いのときには鉄砲を主力とする徒士(歩兵)部隊の住居であったので、鉄砲町とも呼ばれていたらしい。
街路の中央の水路は湧水を引いたもので、生活用水として大切に守られてきたという。そう島原市内は湧水でも有名なところである。
名 称 | 島原武家屋敷 |
所在地 | 長崎県島原市下の丁 |
Link | 武家屋敷 / 観光TOP / 島原市 |
湧水庭園「四明荘」
明治時代後期、当時開業医師であった伊東元三氏の別邸として建築されたもので、四方の眺望に優れていることから「四明荘」と名付けられたという。
昭和初期に、禅僧を招いて造られたという庭園の池には錦鯉が泳ぐ。この池には1日に約3000トンもの湧水(清水)が流れ込んでいるという。
案内の着物姿の上品な女性はとても親切な応対をして下さる方で、あまりに居心地がよく、思わず長居をしてしまった。
名 称 | 湧水庭園「四明荘」 |
所在地 | 長崎県島原市新町二丁目 |
Link | 湧水庭園「四明荘」 / 島原市 |
原城跡
原城跡は、今から約400年前の江戸時代に起こった島原・天草一揆(島原の乱)の舞台となった場所である。この島原の乱を契機として江戸幕府は鎖国政策にふみきったと社会科の教科書で学んだものである。
現在の原城跡には城が建っていた面影が全くなく、雑草が生える台地が広がっているだけである。その理由は、キリスト教信者による反乱の再発を恐れた幕府軍によって徹底的な城郭の破壊が行われたためであると説明されている。
2018年6月30日に世界遺産登録が決まった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産の一つに選ばれている。
名 称 | 原城跡 |
所在地 | 長崎県南島原市南有馬町乙 |
Link | 原城跡 | 見る・学ぶ | 南島原ひまわり観光協会 |
あとがき
雲仙温泉の泉質は硫黄泉であり、乳白色のお湯と硫黄の香りは温泉情緒たっぷりである。温泉街の近くには観光スポット「地獄巡り」があり、転地効果を最大限に発揮する。各地獄から立ち登る湯けむりを眺めれば、温泉地に来たという実感が得られる。
日本で最初に国立公園に指定された抜群の自然環境と、雲仙地獄で湧く源泉を利用した名湯の素晴らしさ、それらに呼応するかのような落ち着いた風情の温泉街は、旅人たちには忘れ難いものとなる。スパツーリズムにはうってつけの温泉地だと思う。
湧水庭園「四明荘」がある島原市の新町一帯は湧き水が豊富で、全長100メートルの水路があり、別名「鯉の泳ぐまち」と呼ばれている。本当に水路のいたるところで鯉が泳いでいるのを目撃した。それが昨日のことのように懐かしく思い出される。
【参考資料】
雲仙の泉質・効能 – 雲仙観光局 |
温泉神社|雲仙温泉郷 |
雲仙 温泉神社(総本社) – 【公式】四面宮会 |
雲仙地獄 – 雲仙観光局 |
仁田峠循環道路・仁田峠第二展望所 |
島原城 | 公式ホームページ |
武家屋敷 / 観光TOP / 島原市 |
湧水庭園「四明荘」 / 島原市 |
原城跡 | 見る・学ぶ | 南島原ひまわり観光協会 |
鯉の泳ぐまち / 島原市 |