はじめに
長岳寺【ちょうがくじ】は、日本最古の歴史の道といわれる山の辺の道のほぼ中間点に位置する、高野山真言宗の寺院である。
長岳寺の境内は、約4万平方メートルの広さを誇り、八十八箇所石仏道が竜王山中腹の奥の院まで巡らされている。
庭園内には放生池もあり、弘法大師が生き物を放して慈悲の心を示したという伝説が残されている。
長岳寺の庭園は、池を中心とした浄土式庭園で、四季折々の花が咲き誇る。春には、桜、ツツジやカキツバタが咲き、夏にはアジサイや酔芙蓉が開花する。そして、秋は紅葉の季節で、境内のモミジが色づく。寒い冬でも早咲きの椿がその赤い花弁を見せてくれる。
このように、境内には四季折々の花が咲き誇る。特に、カキツバタやツツジの季節には多くの参拝者が訪れるという。しかしながら、紅葉の季節も本堂前の庭園が特に美しく、「日本紅葉の名所100選」にも選定されているほどである。
これらの理由から、長岳寺は、「関西花の寺二十五霊場の第19番札所」にもなっている。
また、長岳寺には多くの文化財があり、重要文化財としては楼門、五智堂、木造阿弥陀如来両脇侍像などがある。特に楼門は、日本最古の鐘楼門とされ、その美しい建築は訪れる人々を魅了する。
長岳寺を参拝した際には、是非、境内や庭園に咲く四季折々の花や歴史的な建造物を楽しみたいものである。
長岳寺
長岳寺【ちょうがくじ】は、奈良県天理市に位置する、高野山真言宗の寺院である。山号は、釜の口山【かまのくちさん】と称する。そのため「釜口大師」の名で親しまれている。御本尊は、阿弥陀如来である。
長岳寺は、824年に淳和天皇の勅願により弘法大師・空海が大和神社の神宮寺として創建(開山)したと伝えられている。
長岳寺の楼門は、日本最古の鐘楼門とされ、重要文化財に指定されている。
本堂は、天明3年(1783年)に再建され、阿弥陀三尊像と多聞天・増長天立像が安置されている。
五智堂は、鎌倉時代の建造物で、方一間の小規模な建造物である。また、十三重塔は、鎌倉時代の石塔で、一夜にして建てられたという伝説が残されている。
名 称 | 釜の口山 長岳寺 |
所在地 | 奈良県天理市柳本町508 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 釜口山長岳寺・長岳寺五智堂/天理市 |
あとがき
長岳寺は、歴史の長い寺院である。歴史のある神社仏閣には伝説が残されているものである。長岳寺も例外ではなく、長岳寺にはいくつかの興味深い伝説が残されている。例えば、下記のような伝説が残されているが、あなたは全てを信じますか?
- 血天井伝説
- 長岳寺の本堂には「血天井伝説」が残されている
- 戦国時代、龍王山城が松永弾正久秀に攻められた際、十市方の武将が血まみれになって本堂に逃げ込み、そこで息絶えたと伝えられている。その血痕が天井に残り、「血天井」と呼ばれるようになったという。
- 肘切門の伝説
- 長岳寺の総門は「肘切門」とも呼ばれている
- ある刀鍛冶が僧兵に刀の出来をけなされたため、「この切れ味を見てみろ」と言って総門の肘木を一刀両断に切り落としたことから、この名前が付けられたと言われている。
- 五智堂の伝説
- 長岳寺の飛地境内にある五智堂は、奈良時代に善無畏三蔵という人物が建てたと伝えられている
- この堂は、楊樹(やなぎ)の霊地に因んで建てられたと言われている
- 弥勒石棺仏の伝説
- 長岳寺の境内には「弥勒石棺仏」と呼ばれる石仏がある
- この石仏は、弘法大師・空海がこの地を訪れた際に、弥勒菩薩の姿を彫り込んだと伝えられている
- この石仏は、長岳寺の守護仏として信仰されている
- 十三重塔の伝説
- 長岳寺の境内にある十三重塔には伝説が残されている
- この塔は弘法大師が一夜にして建てたとされる
- そのため「一夜塔」とも呼ばれている
- 放生池の伝説
- 長岳寺の境内には「放生池」と呼ばれる池がある
- この池には、弘法大師が生き物を放して慈悲の心を示したという伝説が残されている
信じる、信じないは別にして、これらの伝説も、長岳寺の魅力をさらに深めるものであると私は思う。長岳寺を参拝する際には、是非、これらの伝説にも思いを馳せたいものである。