はじめに
京都の神社仏閣は国際的にも有名であり、世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産として17か所が登録されている。世界文化遺産に登録されていない寺社にも素晴らしい景勝地があり、むしろそちらの方が多いくらいだ。護王神社【ごおうじんじゃ】もその一つである。

護王神社は、京都市上京区にある京都御所の西側に位置する神社で、奈良時代から平安時代にかけて活躍した和気清麻呂【わけのきよまろ】を祀っている。この神社は「いのしし神社」とも呼ばれ、イノシシ(猪)をモチーフにしたユニークな狛イノシシがあることで知られる。
護王神社
護王神社【ごおうじんじゃ】は、和気氏の創建による高雄山神護寺境内に作られた、和気清麻呂を祀った護王善神社に始まると伝わる。主祭神は和気清麻呂と姉の和気広虫【わけのひろむし】である。
和気清麻呂は、平安京遷都に貢献した人物であり、その功績を称えるために祀られている。
興味深いのは境内に狛犬ではなく狛イノシシがあることである。神社の表門や境内にはいのしし(猪)の像や彫刻が多くあり、特に鳥居の前には巨大な狛いのししが奉納されている。
名 称 | 護王神社 |
所在地 | 京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385 |
駐車場 | |
Link | 京都御所の西側、蛤御門の向かいに鎮座する護王神社 |
和気清麻呂
和気清麻呂は、奈良時代末期から平安時代初期にかけての高級官僚で、歴代天皇の側近として平安京遷都などに力を発揮した人物として知られる。また、僧・道鏡の皇位継承問題にからんで流罪になったことでも知られている。
称徳天皇の信任が厚かった僧・道鏡は「八幡大菩薩のお告げ」により皇位を継ぐ者とされていたが、称徳天皇は神意を再確認すべく、和気清麻呂を八幡大菩薩が鎮座する宇佐八幡宮(現在の宇佐神宮)へ派遣した。宇佐から戻った清麻呂は「宇佐八幡は、臣下の者が皇位に就くことを望んでいない」と奏上した。
これが道鏡の怒りにふれ、769年に清麻呂と姉の和気広虫(法均尼)はそれぞれ大隅国と備後国へ流罪となった。しかし、770年に、称徳天皇が崩御し、天皇の信望が厚かった道鏡は左遷され、入れ代わるように清麻呂と広虫は許されて都に戻された。
清麻呂が和気氏の私寺である神願寺の建立を願い出たのはそれから10年後の780年から806年までの間とされる。神願寺という寺号は宇佐八幡の神意に基づいて建てた寺という意味である。
あとがき
護王神社の参拝者には、足腰の健康や怪我の回復を願う人々が多いという。その理由は和気清麻呂の伝説によるところが大きい。
和気清麻呂の伝説によると、清麻呂の足の腱を切られた後、いのししが彼を守り、足の痛みが治ったと言われている。そのため、足腰の健康や怪我の回復を願う人々が多く訪れるのだという。
護王神社では、御朱印帳が豊富に揃っているが、足腰の健康を願う御朱印を受けることもできるという。
護王神社は、足腰の健康だけでなく、歴史的な背景やユニークな伝説も楽しめる魅力的なスポットとなっている。