はじめに
円空【えんくう】(1632~1695)は、江戸時代初期の遍歴の僧(修験僧/廻国僧)であり、仏師としても名高い。
1632年に美濃国(現在の岐阜県)で生まれた円空は、幼い頃に母を洪水で失い、浄土真宗の寺に預けられて、23歳で出家したという。彼は修験道の修行を積み、密教を学んだという。特に白山信仰に深く関わり、白山を水源とする流域を中心に信仰を広めたと伝わる。
32歳の時に木仏12万体作像の悲願をたてて、北海道から関西まで多くの地を旅しながら、1695年に64歳で亡くなるまで多くの仏像や神像を彫り続けため「造仏聖」として知られるようになる。
円空が彫った仏像は「円空仏」と呼ばれる。円空仏の特徴は独特の作風にある。円空は木の持つ特徴を最大限に生かし、即興的に彫り上げるスタイルを持っていた。そのため、円空仏は力強いフォルムと自然の木の形を生かした彫刻が特徴となっている。
円空は、その生涯に約12万体の仏像を彫ったとされ、現在までに約5300体余りの仏像が発見されている。円空の仏像は、彼の信仰の深さと自然への畏敬の念を伝えているとされる。彼の作品は、後世の仏師や芸術家にも大きな影響を与えたという。
円空の彫った仏像(円空仏)は、各地の寺社や美術館で見ることができるが、栃尾観音堂【とちおかんのんどう】もその一つである。私は、奈良県天川村を訪ねた際に、この栃尾観音堂で円空仏を初めて目にすることができた。
栃尾観音堂
栃尾観音堂【とちおかんのんどう】は、奈良県天川村に位置する歴史ある観音堂で、円空が彫った仏像(円空仏)を安置していることで知られる。
栃尾観音堂には大峯修行に訪れていた円空が栃尾地区に滞在した際に彫ったとされる聖観音菩薩立像、大弁財天女立像、金剛童子立像、護法神像の4体の仏像が祀られている。
およそ300年間もの長い間、大切に祀られてきた4体の円空仏(聖観音菩薩立像・大弁財天女立像・金剛童子立像・護法神像)の表情は、温和で親近感に満ちている。これらの円空仏は時代を超えて観る者の心に響き、魅了してやまない。
円空は、1672年から1675年までの間に二度も大峯山に入山し、山上ヶ岳などで厳しい冬のさなかの越冬修行を行っているらしい。その際に栃尾観音堂に仏像を残したとされている。栃尾観音堂に安置された4体は、群像として見られるものは珍しく、円空仏の中でも傑作とされ、評価が高いという。
特に、彫りの深い護法神像は円空が初めて彫ったものとして注目されている。
栃尾観音堂に安置されている4体の円空仏は、円空の独特な作風をよく表しており、穏やかな微笑みをたたえている。また、近畿地方では珍しい群像として安置されているため、その評価も高いと言われている。
名 称 | 栃尾観音堂【とちおかんのんどう】 |
所在地 | 奈良県吉野郡天川村栃尾 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 栃尾観音堂 | 天川村公式サイト(奈良県) |
あとがき
栃尾観音堂の4体の円空仏は、今にもやさしく話しかけてくれそうな温かい親近感に満ちており、時代を超えて私たちの心に響くものがある。自然と合掌している自分がいることに気付く。
栃尾観音堂の裏手には、円空がお手植えしたと伝わる円空銀杏がある。この大イチョウは、樹齢320年以上と推定され、幹のまわりは5m、その高さは30m以上あるという。