はじめに
日本三大祭の一つとして知られる祇園祭【ぎおんまつり】は、京都市にある八坂神社で毎年7月に行われる祭事で、千年以上の歴史を持つとされる。祇園祭は、疫病退散を祈願するために始まった祭りであり、現在もその伝統が受け継がれている。祇園祭のハイライトは、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている山鉾巡行【やまほこじゅんこう】であるといえよう。
京都の八坂神社以外の神社でも祇園祭が催される理由は、祇園信仰が日本全国に広がったためである。祇園信仰は、平安時代に疫病を鎮めるために始まり、八坂神社を中心に広まったとされる。
この信仰の核心には、疫病や災害から人々を守る牛頭天王【ごずてんのう】への崇拝があるとされる。牛頭天王は、健速須佐之男命【たけはやすさのおのみこと】と歴史的に同一視されることが多い神である。
各地の祇園祭は、地域ごとの文化や歴史に根ざした独自の形を持っている。「伊賀の国」にも祇園祭があり、その一つが「植木神社の祇園祭(くねり神輿)」である。この祭りは、同じ祇園信仰を基にしながらも、この地域の特色を反映したものとなっている。
植木神社
植木神社は、三重県伊賀市平田にある神社で、主祭神として健速須佐之男命【たけはやすさのおのみこと】と櫛名田毘売命【くしなだひめのみこと】が祀られている。古くから地元の人々の信仰が厚く、夏の祇園祭(くねり御輿)が特に有名である。
境内にある拝殿の前には御神木として樹齢約200年とされる大イチョウや、樹齢約450年と推定されるサワラの樹木がある。
境内には拝殿と本殿があるが、拝殿と本殿が並んでいるため、境内からは本殿を見ることはできない。
境内の右端には鐘楼があり、神仏習合であった時代の名残りを感じさせてくれる。
名 称 | 植木神社 |
所在地 | 三重県伊賀市平田699 |
TEL | 0595-47-0431 |
駐車場 | あり(無料) |
Link |
祇園祭(くねり御輿)
祇園祭(くねり御輿)は、毎年7月の最終土・日曜日に植木神社で行われる伝統的な夏祭りである。神輿の屋蓋中央の鳳凰には、一把の稲の初穂を咬ませて五穀豊穣を祈願しているという。
地域の伝統と文化を感じることができるこの祭りは、三重県の無形民俗文化財に指定され、下記ような特徴がある。
- くねり御輿
- 祭りの最大の見所は神輿を大胆に傾ける「くねり神輿」
- 2基の神輿は16人ずつの若者や成人(45歳以下)によって担がれる
- 「チョーサヨー」の掛け声と共に左右に90度傾けられ、交互に舞う姿は他に例がないという
- 楼車【だんじり】
- 豪華絢爛な3台の楼車が、太鼓や囃子の音を鳴らしながら2基の神輿と共に旧平田宿の街道筋を練り歩く
行事の流れ
- 宵宮祭: 7月最終土曜日の午後7時30分から開始
- 本宮祭: 7月最終日曜日に行われる
- 遷幸祭:午前3時30分から開始
- 還幸祭:午後3時から開始
2024年度の植木神社の祇園祭は、7月27日(土)と7月28日(日)に催された。私は7月28日午後3時から始まった還幸祭を見学できる機会を得た。
神輿を傾けながら回る「クネリ」は、植木神社の祇園祭のオリジナリティを発揮するものであり、見どころであることには間違いない。
祇園花と呼ばれる花笠の行列も艶やかで、祇園際を華やかにする効果が十分に発揮されていた。
豪華絢爛な楼車【だんじり】3台が太鼓や囃子の音を鳴らしながら旧平田宿の町内を巡行するのは祇園祭らしくて良い。
かつての伊賀街道は、江戸時代には津城と伊賀上野城を結ぶ重要な官道であり、経済や生活の大動脈としての役割を果たしていたという。
旧平田宿は、伊賀街道の宿場町として整備され、馬継ぎの宿が設置されていたため、多くの旅人や文人が行き交う場所となっていたという。
植木神社は、旧平田宿が整備され、発展していくとともに地域の中心的な存在として規模も大きくなったという。そのため、旧平田宿の住民や旅人たちは、植木神社を信仰し、疫病や災害からの守護を祈願したのであろう。
多くの人々が参加する植木神社の祇園祭は、旧平田宿の住民にとって重要な祭事であり、地域の結びつきを強める役割を果たしてきたと思われる。この祇園祭は、地域の歴史的背景と文化を感じる貴重な機会を私たち観光客にも与えてくれる。
あとがき
私が見学することができた植木神社の祇園祭は、実は「還幸祭」と呼ばれる祇園祭の一部である。還幸祭は、御旅所【おたびしょ】で、ちょうど午後3時から始まった。
御旅所では、午後3時になると還幸祭の式典が始まった。夏の日差しが強い中、多くの人々が見学に訪れていた。伊賀上野ゲーブルテレビのクルーも取材に訪れていた。
私は午後2時には現地に到着していたので、御旅所に鎮座する2基の神輿をゆっくりと拝見することができた。
祇園祭は、一般的に疫病退散を祈願することが多いが、植木神社の祇園祭(うねり神輿)は五穀豊穣も祈願しているという。五穀豊穣を祈願するため、神輿の屋蓋中央の鳳凰には、一把の稲の初穂を咬ませているのはユニークである。
還幸祭の式典が終了すると2基の神輿が引き出され、1基ごとに数度「うねり神輿」を披露した後に、旧平田宿の街道筋に出て、植木神社に向かう道中で何度も「うねり神輿」を披露しながら街道筋を練り歩いて行った。
植木神社に到着し、最後の「うねり神輿」を披露し、還幸祭が終了したのは午後5時20分頃であった。途中、休憩時間があったとはいえ、炎天下で「うねり神輿」を約2時間も披露してくれた氏子の皆さんに盛大な拍手と共に感謝の言葉を送りたい。お疲れさまでした!
この祭りは、地域の人々が一体となって行うもので、地域の結束力を感じることができる。地元の人々が協力して準備し、祭りを盛り上げる姿は感動的でもある。一人の観光客でしかない私は、祭りを介して絆をさらに強めているコニュニティーの結束を羨ましいとさえ感じてしまう。
植木神社には駐車場(数台分)があるが、祇園祭期間中は使用できない(一般車両の乗り入れ禁止)。そのため、私は近くにある大山田せせらぎ公園の駐車場に駐車させてもらった。