はじめに
かつて熊野三山を中心とする熊野信仰に基づき、熊野三山に参詣することを「熊野詣で」【くまのもうで】と呼ぶ時代があった。この熊野詣では、院政時代(1086~1192年)から流行したという。朝廷では宇多法皇から亀山上皇まで間に約100回もの行幸【ぎょうこう】があったとされる。なかでも後白河法皇の34回と後鳥羽上皇の28回の行幸は群を抜いている。
熊野詣は鎌倉時代に武士や庶民の間にも急速に広まり、熊野古道の一つである紀伊路(中辺路も含める)と伊勢路が開けたとされる。紀伊路は京から往復170里(約680km)もあり、約1ヵ月の旅程であったという。紀伊路には九十九王子(後述)も整備され、大いににぎわったという。「蟻の熊野詣で」といわれるほど多くの参詣者が熊野三山を目指した時代があったという。
2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたが、紀伊路が含まれていない理由について興味をもった。さらには熊野古道自体についても何も知らないことに気付いて愕然とした。「熊野古道」という名前は有名であるため、知っているつもりになっていたのである。熊野古道のことを知れば、熊野三山についての理解も深まるかも知れないと思う。
スパツーリズムの観点から熊野本宮温泉郷には興味があったので、本稿で熊野古道と一緒に「学びの旅」をしたいと思う。
熊野古道
熊野古道【くまのこどう】は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じるかつての主な6つの参詣道(熊野参詣道)の総称である。その6つの熊野古道は、紀伊半島に位置し、道は三重・奈良・和歌山の3県と大阪府にまたがる。
- 紀伊路(渡辺津~田辺)
- 小辺路(高野山~熊野三山、約70km)
- 中辺路(田辺~熊野三山、約84km)
- 大辺路(田辺~串本~熊野三山、約120km)
- 伊勢路(伊勢神宮~熊野三山、約160km)
- 大峯奥駈道 (吉野~熊野三山、約80km)
これらの参詣道は、2000年に「熊野参詣道」として国の史跡に指定された。また、2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界文化遺産として登録されたが、紀伊路は含まれていない。
熊野古道の遺構の特徴として、那智山にある大門坂など舗装用の石畳がある。石畳が用いられた理由は、紀伊半島が日本でも有数の降雨量の多い地域だからである。
紀伊半島の中央部は山々と谷に覆われているため、古来より道路の開発が困難な場所であり、往来に適する場所は限られている。そのため、現代の主要な交通路も古人が拓いた道に並行あるいは重複して開通しているケースが多い。
小辺路
小辺路【こへち】は、高野山と熊野本宮大社を最短距離で結ぶために紀伊山地を南東に向かって縦走する(約70km)、熊野三山への参詣道(熊野古道)である。そのため大峯奥駈道に次ぐ厳しいルートである。
高野山を起点とする小辺路は、すぐに奈良県側に入り、野迫川村と十津川村を通って柳本(十津川村)付近で十津川(熊野川)に出会う。柳本を発って果無山脈【はてなしさんみゃく】東端にある果無峠を越えると和歌山県側に再び入り、田辺市本宮町八木尾の下山口にたどり着く。ここからしばらくは熊野川沿いに国道168号線をたどり、やがて中辺路に合流して熊野本宮大社に至ることになる。
小辺路を徒歩で行くなら、2泊3日または3泊4日の行程となるようだ。全ルート踏破には1,000m級の峠を3つ越えなければならず、一度山道に入ると長時間にわたって集落と行き合うことがないため、本格的な登山の準備が必要である。
中辺路
中辺路【なかへち】は、和歌山県田辺市から熊野本宮大社と熊野那智大社を経て熊野速玉大社に至るおよそ84kmの参詣道(熊野古道)である。観光スポットとしての「熊野古道」は、この中辺路の区間を指すことが多い。
中辺路の道程
紀伊路(後述)は、紀伊田辺で中辺路に合流する。紀伊田辺からは東進して、岩田川河谷を経て滝尻からは大塔山系の北縁部を東進して熊野本宮大社と熊野那智大社を順に参拝して熊野速玉大社に至るのが熊野古道・中辺路の道程である。
熊野古道中辺路に沿ってかつては九十九王子が設置されていたので、中辺路の道程を踏襲するためには九十九王子跡を訪ねながら進むのがよい。
王子【おうじ】とは参詣途上で儀礼を行う場所であったと考えられている。熊野古道の紀伊路と中辺路沿いには九十九王子【くじゅうくおうじ】と呼ばれる一群の神社があり、主に12~13世紀に皇族や貴人の熊野詣に際して先達をつとめた熊野修験者の手で組織され、参詣者の守護が祈願されたという。
# | 名 称 | 所在地 |
---|---|---|
68 | 出立王子 | 田辺市上の山 |
69 | 秋津王子 | 田辺市上の山 |
70 | 万呂王子 | 西牟婁郡上富田町 |
71 | 三栖王子 | 西牟婁郡上富田町 |
72 | 八上王子 | 西牟婁郡上富田町 |
73 | 稲葉根王子 | 西牟婁郡上富田町 |
74 | 一ノ瀬王子 | 西牟婁郡上富田町 |
75 | 鮎川王子 | 西牟婁郡上富田町 |
76 | 滝尻王子 | 田辺市中辺路町 |
77 | 不寝王子 | 田辺市中辺路町 |
78 | 大門王子 | 田辺市中辺路町 |
79 | 十丈王子 | 田辺市中辺路町 |
80 | 大坂本王子 | 田辺市中辺路町 |
81 | 近露王子 | 田辺市中辺路町 |
82 | 比曽原王子 | 田辺市中辺路町 |
83 | 継桜王子 | 田辺市中辺路町 |
84 | 中ノ河王子 | 田辺市中辺路町 |
85 | 小広王子 | 田辺市中辺路町 |
86 | 熊瀬川王子 | 田辺市中辺路町 |
87 | 岩神王子 | 田辺市中辺路町 |
88 | 湯川王子 | 田辺市中辺路町 |
89 | 猪鼻王子 | 田辺市本宮町 |
90 | 発心門王子 | 田辺市本宮町 |
91 | 水呑王子 | 田辺市本宮町 |
92 | 伏拝王子 | 田辺市本宮町 |
93 | 祓戸王子 | 田辺市本宮町 |
ー | 熊野本宮大社 | 田辺市本宮町 |
94 | 湯ノ峯王子 | 田辺市本宮町 |
ー | 熊野那智大社 | 那智勝浦町 |
95 | 多富気王子 | 那智勝浦町 |
96 | 市野々王子 | 那智勝浦町 |
97 | 浜の宮王子 | 那智勝浦町 |
98 | 佐野王子 | 新宮市 |
99 | 浜王子 | 新宮市 |
ー | 熊野速玉大社 | 新宮市 |
九十九王子の中には五体王子【ごたいおうじ】と呼ばれる王子があり、他の王子よりも格式が高いとされる。熊野三山の主神の御子神ないし眷属神として三山に祀られる神々のなかでも、五所王子と呼ばれる神々(若一王子・禅師宮・聖宮・児宮・子守宮)を祀る神社である。熊野三山から勧請したものとされる。
出立王子
出立王子【でだちおうじ】は、熊野古道・紀伊路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟である。跡地には「潮垢離浜旧跡」の碑が建っており、和歌山県指定の史跡である。
「塩垢離」【しおごり】とは「海水を浴びて身の穢れを祓う儀式」のことで、熊野古道・中辺路へ向かう者は塩水を浴びて海に別れを告げたという。
出立王子跡地は、芳養王子から古道を南下して、国道42号線沿いに進んだ先にある天神崎をさらに過ぎ、会津川河口手前の上野山台地の中腹南側に位置する。
出立王子の先には北新町道標(田辺市北新町)があり、ここで大辺路と中辺路に分かれる。
名 称 | 出立王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市上の山2丁目7 |
秋津王子
秋津王子【あきつおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟である。水害などの天災の遭遇し、何度も移転を繰り返しているようで、元々の所在地が不明である。
名 称 | 秋津王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市秋津町43 |
万呂王子
万呂王子【まろおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟である。
秋津王子から左会津川沿いに東南に進んだ先の北岸に、王子屋敷と呼ばれる田圃【でんぼ】があり、ここが万呂王子とされるが、元々の所在地は現在とは違う可能性も指摘されている。
名 称 | 万呂王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市上万呂430-1 |
三栖王子
三栖王子【みすおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟である。万呂王子から先の左会津川を東側に渡った小高い丘の上にある。旧社地はミカン畑になっており、遺物と三栖山王子社跡碑だけが残る。
熊野古道紀伊路の道筋が潮見峠越えに変更になったことから、メインルートから外れ、荒廃したという。
名 称 | 三栖王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市下三栖444-2 |
八上王子
八上王子【やかみおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟である。
跡地は、三栖王子から県道上富田南部線沿いに進み、三栖谷峠を越えて坂道を下った先の高畑山の山麓にある。
現在は八上神社【やかみじんじゃ】として天照大御神を祀っている。八上神社境内は名勝「南方曼荼羅の風景地」の一部に指定されている。
名 称 | 八上王子 |
所在地 | 和歌山県西牟婁郡上富田町138 |
稲葉根王子
稲葉根王子【いなばねおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する神社で、九十九王子の一つ、かつ、五体王子でもある。和歌山県の史跡に指定されている。
名 称 | 稲葉根王子(五体王子) |
所在地 | 和歌山県西牟婁郡上富田町岩田 |
一ノ瀬王子
一ノ瀬王子【いちのせおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟である。跡地には小祠と石碑が残されている。
跡地は、和歌山県指定の史跡で、稲葉根王子跡の岩田神社から富田川(岩田川)沿いに進んだ先にある一ノ瀬橋を渡った富田川左岸にある。
一ノ瀬は富田川の渡河地点であることから、水垢離【みずごり】の場と考えられている。
名 称 | 一ノ瀬王子 |
所在地 | 和歌山県西牟婁郡上富田町市ノ瀬小山1592 |
鮎川王子
鮎川王子【あゆかわおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟である。跡地には鮎川王子碑と大塔宮剣神社碑が建てられている。
跡地は、一ノ瀬王子から富田川を北上した対岸にある。鮎川王子跡は、和歌山県指定の史跡になっている。
名 称 | 鮎川王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市鮎川659 |
滝尻王子
滝尻王子【たきじりおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する神社で、九十九王子の一つ、かつ、五体王子でもある。国の史跡「熊野参詣道」の一部である。
現在の名称は、滝尻王子宮十郷神社【たきじりおうじぐうとうごうじんじゃ】で、天照皇大神、日子火能迩々芸命、天忍穂耳命、日子穂々手見命、鵜茅葺不合命の5柱が祀られている。
名 称 | 滝尻王子(五体王子) |
所在地 | 和歌山県田辺市中辺路町栗栖川859 |
不寝王子
不寝王子【ねずおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟である。緑泥片岩の碑のみが残されている。
跡地は、滝尻王子の後背にそびえる剣山(標高371m)への急坂の途中にある。
名 称 | 不寝王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市中辺路町栗栖川字平原 |
大門王子
大門王子【だいもんおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟である。跡地は、高原集落から十丈峠へ向かう山道の右手にある。
跡地を示す町石卒塔婆と緑泥片岩碑は朱塗りの社殿の背後に隠れてしまっている。
名 称 | 大門王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市中辺路町高原707-2 |
十丈王子
十丈王子【じゅうじょうおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟である。
跡地は、大門王子から2kmほど上田和に向かって登っていた先の十丈峠【じゅうじょうとうげ】の付近にある。
名 称 | 十丈王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市中辺路町 |
大坂本王子
大阪本王子【おおさかもとおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟である。笠塔婆(町石卒塔婆)のみが残されている。
「大阪本」の由来は、大阪峠(逢坂峠)の麓にあることから名づけられたと考えられている。逢坂峠は近露側から登るには相当の急坂であることから、古くから「大坂」と呼ばれていたという。
名 称 | 大坂本王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市中辺路町近露逢坂2511 |
近露王子
近露王子【ちかつゆおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する神社で、九十九王子の一つである。国の史跡「熊野参詣道」の一部である。
名 称 | 近露王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市中辺路町近露字北野906 |
比曽原王子
比曽原王子【ひそはらおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟である。緑泥片岩の碑のみが残されている。
碑は、近露王子から約2kmほど進んだ先の国道沿いの土手の草叢のなかにある。社祠があったとされる場所は、杉の植林地になってから時間が経っているために痕跡は見出せないという。
名 称 | 比曽原王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市中辺路町野中字比曽原1143 |
継桜王子
継桜王子【つぎざくらおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つである。国の史跡「熊野参詣道」の一部および名勝「南方曼荼羅の風景地」の一部である。
名 称 | 継桜王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市中辺路町野中 |
中ノ河王子
中ノ河王子【なかのかわおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟である。紀州藩が建てた緑泥片岩の碑だけが残されている。
跡地は、継桜王子のある野中集落から高尾隧道口を過ぎてすぐの国道の側方から山中に入った先にある。
名 称 | 中ノ河王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市中辺路町野中字高尾2177 |
小広王子
小広王子【こびろおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟である。本来の跡地は消滅しているが、紀州藩が建てた緑泥片岩碑だけが現在地に移されたという。
旧蹟は、中ノ河王子から続く小さな峠(小広峠)にある。碑は上部が欠損して、下部の「王子」の文字がわずかに読み取れるのみである。
名 称 | 小広王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市中辺路町野中字小広1 |
熊瀬川王子
熊瀬川王子【くませがわおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟である。
跡地は、小広峠を下って熊瀬川をわたり、草鞋峠へ登る道の傍らにある。
名 称 | 熊瀬川王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市中辺路町 |
岩神王子
岩神王子【いわがみおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟である。
跡地は、中辺路の難所として知られた岩神峠にある。
栃ノ河の河原から、所々に石畳の残された男坂を登ると、小さな切通し状の峠の北側に王子址がある。
名 称 | 岩神王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市中辺路町道湯川岩神222 |
湯川王子
湯川王子【ゆかわおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟である。
岩神峠のふもと、湯川川の源流域の谷間にある。かつては若一王子社として祀られたという。
現在の小さな社殿は1983年に再建されたものらしい。
名 称 | 湯川王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市中辺路町道湯川字王地谷20 |
猪鼻王子
猪鼻王子【いのはなおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の神社の旧蹟で、現在は跡地に紀州藩の碑が残るのみである。
猪鼻王子の跡地は、音無川【おとなしがわ】の河畔にある。王子址には林道から河原に下りて行かねばならない。
猪鼻王子から発心門王子まではごく近い距離にあり、かつては山道を登って行ったと伝えられているが、現在ではその跡をたどることはできない。
名 称 | 猪鼻王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市本宮町三越字猪鼻1811 |
発心門王子
発心門王子【ほっしんもんおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する神社で、九十九王子の一つ、かつ、五体王子でもある。国の史跡「熊野参詣道」の一部である。
名 称 | 発心門王子(五体王子) |
所在地 | 和歌山県田辺市本宮町三越字上久保1652 |
水呑王子
水呑王子【みずのみおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟で、緑泥片岩碑が立っているのみである。
名 称 | 水呑王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市本宮町三越字大横手1416-1 |
伏拝王子
伏拝王子【ふしおがみおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟である。
名 称 | 伏拝王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市本宮町伏拝字茶屋続157 |
祓戸王子
祓戸王子【はらいどおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つである。本宮大社の旧社地まではわずかな距離しかなく、本宮参拝の直前に身を清める潔斎所としての性格を帯びていたと考えられている。
中辺路は、本宮町九鬼で小辺路と合流する。小辺路との合流点にはかつて関所があり、茶屋が設けられていたことから三軒茶屋跡とも呼ばれる。
名 称 | 祓戸王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市本宮町祓戸1077 |
湯ノ峯王子
湯の峰王子【ゆのみねおうじ】は、湯の峰温泉の温泉街にほど近い、東光寺の裏手の丘の上にある神社で、九十九王子の一つであると共に国の史跡「熊野参詣道」の一部でもある。
名 称 | 湯の峰王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市本宮町湯峰11 |
多富気王子
多富気王子【たふけおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟で、現在は跡地に石碑と庚申塚のみが残されている。
名 称 | 多富気王子 |
所在地 | 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 |
市野々王子
市野々王子【いちののおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する九十九王子の一つの旧蹟で、現在は跡地として国の史跡「熊野参詣道」の一部に指定されている。
名 称 | 市野々王子 |
所在地 | 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町市野々1993 |
浜の宮王子
浜の宮王子【はまのみやおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する神社跡で、かつて九十九王子の一つであった。国の史跡「熊野参詣道」の一部である。
跡地には熊野三所大神社【くまのさんしょおおみわしゃ】が建立されており、夫須美大神・家津美御子大神・速玉大神の三神が祀られている。主祭神像三躯は重要文化財に指定されている。
浜の宮王子の守護寺である補陀洛山寺が隣接しており、神仏習合の名残をみることができる。
名 称 | 浜の宮王子 |
所在地 | 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜の宮350 |
佐野王子
佐野王子【さのおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する神社跡で、かつて九十九王子の一つであった。和歌山県の史跡に指定されている。
跡地は、王子橋の北約80mの位置にあり、「王子跡」と刻銘された石碑および説明版が設置されている。さらに碑の北側には北条政子の宝筐印塔と地蔵群が、南側には神武天皇聖績狭野顕彰碑がある。
名 称 | 佐野王子 |
所在地 | 和歌山県新宮市佐野641 |
浜王子
浜王子【はまおうじ】は、熊野古道中辺路沿いに位置する神社で、九十九王子の一つである。和歌山県指定の史跡である。
名 称 | 浜王子 |
所在地 | 和歌山県新宮市熊野地5158-2 |
中辺路の道沿いには湯の峰温泉(後述)があり、古くから参拝客たちの湯垢離【ゆごり】と休息の場として利用されてきた。
中辺路のうち、途中の分岐点から湯の峰温泉に至るまでの区間は「赤木越」と呼ばれ、湯の峰温泉から大日山(369m)を越えて熊野本宮大社(大斎原)を結ぶ区間の峠道は「大日越」と呼ばれたという。
大辺路
大辺路【おおへち】は、田辺市街地から串本を経由して熊野那智大社に至るおよそ120kmの海辺の参詣道(熊野古道)である。
他の熊野古道のルートと同じく、道中には厳しい峠道があるなどなかなかの難路であったという。現在、大辺路の大半の道は市街地や国道に吸収されており、残っているのは沿道の寺社や碑柱のような遺構のみである場合が多い。
そのような状況の中、現存する峠道には富田坂【とんだざか】、仏坂【ほとけざか】、長井坂【ながいざか】がある。
富田坂は白浜町富田から安居【あご】を結ぶ七曲りの急坂の峠道であり、仏坂は白浜町安居集落からすさみ町を結ぶ急坂の峠道である。一方、長井坂はすさみ町口和深から見老津を結ぶ丘陵地の峠道である。
紀伊路
紀伊路【きいじ】は、畿内と熊野三山を結ぶ参詣道(熊野古道)である。熊野古道の中では、伊勢路と並んで最も古くから知られた道であるが、摂津国と和泉国では和泉山脈や葛城山脈に、紀伊国では紀伊山地と河川に制約されて困難な道であったようだ。
そんな困難な道であるにもかかわらず、紀伊路は7世紀以降、熊野三山への参詣道として正式なルートとして認識され、皇族や貴族による参詣の隆盛をみた。なお、近世以降の紀伊路は紀伊田辺以東で中辺路【なかへち】の名で呼ばれるようになったという。
熊野詣は徒歩が原則とされており、熊野詣の先達をつとめ、参詣道の整備や参詣儀礼の指導にあたったのは修験者であったため、困難な修行の道を踏み越えて行くことそれ自体に信仰上の意義が見出されていたという。
摂津国や和泉国では熊野古道は「熊野街道」とも呼ばれた。それは紀伊路は幹線道路として住人の生活道路であり、経済上の役割をも担っていたからである。近代になって国道の整備が進んだ際にも紀伊路のルートがしばしば重複して採用されたという。そのため熊野古道として紀伊路が昔の姿のままで残こされているケースは皆無に近い。
紀伊路の道程
紀伊路は、摂津国の淀川河口の渡辺津を起点とし、和泉山脈から延びる和泉丘陵の先端部を紀州街道にほぼ平行して道がつけられていたようだ。そして、現在の阪南市付近で丘陵越えに方向を転じており、同様に丘陵越えに転じた紀州街道に合流して雄ノ山峠を越えて紀伊国に入っていた。
紀伊国を南下すると今度は紀伊山地から延びる丘陵地形が続き、紀ノ川・有田川・日高川といった河川を渡りながら紀伊田辺に着く。紀伊路は、紀伊田辺で中辺路【なかへち】と大辺路【おおへち】の二手に分かれて東進し、熊野三山を目指すことになる。
紀伊路は、「信仰の道」であるだけでなく「生活の道」でもあったため、近代以降においても利用され続けられた。しかし、その結果、交通機関としての自動車の普及が進むにつれて、自動車の通行が可能なルートが開削されるようになる。その潮流に伴い、熊野古道・紀伊路は幹線道路としての役目を終え、集落の中を通っていた道も旧状を失ったり、道ではなくなった場合も多い。
中辺路と同様に、紀伊路にもかつては九十九王子が設置されていたが、中辺路とは異なり九十九王子跡の痕跡すら消滅しているケースが大半であるため、九十九王子跡を訪ねながら紀伊路を踏襲する旅をすることは容易ではなくなっている。
# | 名 称 | 所在地 |
---|---|---|
01 | 窪津王子 | 大阪市 |
02 | 坂口王子 | 大阪市 |
03 | 郡戸王子 | 大阪市 |
04 | 上野王子 | 大阪市 |
05 | 阿倍王子 | 大阪市 |
06 | 津守王子 | 大阪市 |
07 | 境王子 | 堺市 |
08 | 大鳥居王子 | 堺市 |
09 | 篠田王子 | 和泉市 |
10 | 平松王子 | 和泉市 |
11 | 井ノ口王子 | 和泉市 |
12 | 池田王子 | 岸和田市 |
13 | 麻生川王子 | 岸和田市 |
14 | 近木王子 | 岸和田市 |
15 | 鞍持王子 | 岸和田市・貝塚市 |
16 | 鶴原王子 | 泉佐野市 |
17 | 佐野王子 | 泉佐野市 |
18 | 樫井王子 | 泉佐野市 |
19 | 厩戸王子 | 阪南市 |
20 | 信達一ノ瀬王子 | 阪南市 |
21 | 長岡王子 | 阪南市 |
22 | 地蔵堂王子 | 阪南市 |
23 | 馬目王子 | 阪南市 |
24 | 中山王子 | 和歌山市 |
25 | 山口王子 | 和歌山市 |
26 | 川辺王子 | 和歌山市 |
27 | 中村王子 | 和歌山市 |
28 | 吐前王子 | 和歌山市 |
29 | 川端王子 | 和歌山市 |
30 | 和佐王子 | 和歌山市 |
31 | 平緒王子 | 和歌山市 |
32 | 奈久知王子 | 和歌山市 |
33 | 松坂王子 | 海南市 |
34 | 松代王子 | 海南市 |
35 | 菩提房王子 | 海南市 |
36 | 祓戸王子 | 海南市 |
37 | 藤代王子 | 海南市 |
38 | 藤白塔下王子 | 海南市 |
39 | 橘本王子 | 海南市 |
40 | 所坂王子 | 海南市 |
41 | 一壷王子 | 海南市 |
42 | 蕪坂王子 | 有田市 |
43 | 山口王子 | 有田市 |
44 | 糸我王子 | 有田市 |
45 | 逆川王子 | 湯浅町 |
46 | 久米崎王子 | 湯浅町 |
47 | 井関王子 | 広川町 |
48 | 河瀬王子 | 広川町 |
49 | 馬留王子 | 広川町 |
50 | 沓掛王子 | 日高町 |
51 | 馬留王子 | 日高町 |
52 | 内ノ畑王子 | 日高町 |
53 | 高家王子 | 日高町 |
54 | 善童子王子 | 御坊市 |
55 | 愛徳山王子 | 御坊市 |
56 | 九海士王子 | 御坊市 |
57 | 岩内王子 | 御坊市 |
58 | 塩屋王子 | 御坊市 |
59 | 上野王子 | 御坊市 |
60 | 津井王子 | 印南町 |
61 | 斑鳩王子 | 印南町 |
62 | 切目王子 | 印南町 |
63 | 切目中山王子 | 印南町 |
64 | 岩代王子 | みなべ町 |
65 | 千里王子 | みなべ町 |
66 | 三鍋王子 | みなべ町 |
67 | 芳養王子 | 田辺市 |
68 | 出立王子 | 田辺市 |
北新町道標 | 田辺市北新町 |
窪津王子跡
窪津王子【くぼつおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(1番目)である。現在、その跡地には坐摩神社【いかすりじんじゃ】の行宮【あんぐう】が建っている。
名 称 | 窪津王子跡 |
所在地 | 大阪府大阪市中央区天満橋付近 |
坂口王子跡
坂口王子【さかぐちおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(2番目)である。現在、その跡地は消滅している。
名 称 | 坂口王子跡 |
所在地 | 大阪府大阪市中央区神崎町の南大江公園周辺 |
郡戸王子跡
郡戸王子【こうとおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(3番目)である。現在は消滅している。跡地には高津宮神社が鎮座する。
名 称 | 郡戸王子跡 |
所在地 | 大阪府大阪市中央区高津1-1-29 |
上野王子跡
上野王子【うえのおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(4番目)である。現在は消滅している。跡地には上之宮台ハイツが建っており、その入り口の軒下に「上宮跡」の石碑がある。
名 称 | 上野王子跡 |
所在地 | 大阪府大阪市天王寺区上之宮町4 |
阿倍王子
阿倍王子【あべのおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(5番目)である。現在は、阿倍王子神社【あべおうじじんじゃ】と称している。
名 称 | 阿倍王子 |
所在地 | 大阪市阿倍野区阿倍野元町9-4 |
津守王子跡
津守王子【つもりおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(6番目)である。現在は消滅している。
名 称 | 津守王子跡 |
所在地 | 大阪府大阪市住吉区墨江2-3 |
境王子跡
境王子【さかいおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(7番目)であるが、現在は消滅している。跡地と推定されている場所は王子ヶ飢公園【おおじがうえこうえん】になっており、「境王子跡」の石碑が建っている。
この地域は、摂津国、河内国、和泉国の境があった場所で、「境王子」の名はこれに由来するとされる。また、「堺」という地名も境王子が置かれた平安時代後期から登場するようになっていることから、境王子が地名の由来となったと考えられている。
名 称 | 境王子跡 |
所在地 | 大阪府堺市堺区北田出井町3丁4-6 |
大鳥居王子跡
大鳥居王子【おおとりいおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(8番目)であるが、現在は消滅している。
「大鳥居」の名称は、付近に鎮座する大鳥神社とその鳥居に由来すると考える説が有力である。
名 称 | 大鳥居王子跡 |
所在地 | 大阪府堺市西区鳳東町7丁のNTT鳳営業所付近 |
篠田王子跡
篠田王子【しのだおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(9番目)であるが、現在は消滅している。住宅街になっている跡地には石碑が建っている。
名 称 | 篠田王子跡 |
所在地 | 大阪府和泉市王子町3付近 |
平松王子跡
平松王子【ひらまつおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(10番目)であるが、現在は消滅している。跡地の放光池1号公園前には石碑が建っている。
名 称 | 平松王子跡 |
所在地 | 大阪府和泉市幸町3にある放光池1号公園付近 |
井ノ口王子跡
井ノ口王子【いのくちおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(11番目)であるが、現在は消滅している。跡地にある子安地蔵の横には石碑が建っている。
名 称 | 井ノ口王子跡 |
所在地 | 大阪府和泉市井ノ口町の槙尾川のすぐ近く、 柳田橋の手前北の子安地蔵の横 |
池田王子跡
池田王子【いけだおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(12番目)であるが、現在は消滅している。現在は、畑と駐車場になっている。
名 称 | 池田王子跡 |
所在地 | 岸和田市下池田 (JR阪和線久米田駅に近い私有地) |
麻生川王子跡
麻生川王子【あそかわおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(13番目)であるが、現在は消滅している。
名 称 | 麻生川王子 |
所在地 | 大阪府貝塚市半田 |
近木王子跡
近木王子【こぎおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(14番目)であるが、現在は消滅している。
名 称 | 近木王子跡 |
所在地 | 大阪府貝塚市地蔵堂 善正寺の東側が旧社地に比定される |
鞍持王子跡
鞍持王子【くらもちおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(15番目)であるが、現在は消滅している。跡地と推定される地には鳥居と小社祠が遺されている。
名 称 | 鞍持王子跡 |
所在地 | 大阪府貝塚市王子 |
鶴原王子跡
鶴原王子【つるはらおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(16番目)であるが、現在は消滅している。貝田王子の別称でも知られる。
名 称 | 鶴原王子跡 |
所在地 | 大阪府泉佐野市貝田町 |
佐野王子跡
佐野王子【さのおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(17番目)であるが、現在は消滅している。跡地と推定される地には顕彰碑がある。
名 称 | 佐野王子跡 |
所在地 | 大阪府泉佐野市上町 |
樫井王子跡
樫井王子【かしいおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(18番目)であるが、現在は消滅している。跡地と推定される場所(私有地)には顕彰碑が建てられている。
名 称 | 樫井王子跡 |
所在地 | 大阪府泉佐野市南中樫井 |
厩戸王子跡
厩戸王子【うまやどおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(19番目)であるが、現在は消滅している。跡地には石碑と説明板がある。
名 称 | 厩戸王子跡 |
所在地 | 大阪府泉南市信達大苗代 |
信達一ノ瀬王子跡
信達一ノ瀬王子【しんだちいちのせおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(20番目)であるが、現在は消滅している。跡地には地蔵石像と馬頭観音像が祀られている。
名 称 | 信達一ノ瀬王子跡 |
所在地 | 和歌山県泉南市信達牧野 |
長岡王子跡
長岡王子【ながおかおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(21番目)であるが、現在は消滅している。
名 称 | 長岡王子跡 |
所在地 | (不明) |
地蔵堂王子跡
地蔵堂王子【じぞうどうおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(22番目)であるが、消滅している。
名 称 | 地蔵堂王子跡 |
所在地 | (不明) |
馬目王子跡
馬目王子【まのめおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(23番目)であるが、消滅している。
名 称 | 馬目王子跡 |
所在地 | (不明) |
中山王子跡
中山王子【なかやまおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(24番目)であるが、消滅している。跡地は私有地となっている。
名 称 | 中山王子跡 |
所在地 | 和歌山県和歌山市滝畑275 |
山口王子跡
山口王子【やまぐちおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(25番目)であるが、消滅している。跡地は、雄ノ山峠を越えたところにある。
名 称 | 山口王子跡 |
所在地 | 和歌山県和歌山市湯屋谷118 |
川辺王子跡
川辺王子【かわのべおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(26番目)であるが、消滅している。跡地には石鳥居がある。力侍神社境内の川辺王子跡は和歌山県指定の史跡になっている。
名 称 | 川辺王子跡 |
所在地 | 和歌山県和歌山市上野23 |
中村王子跡
中村王子【なかむらおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(27番目)である。消滅している。跡地は、力侍神社の近くの田の中にある。
名 称 | 中村王子跡 |
所在地 | 和歌山県和歌山市楠本346 |
吐前王子跡
吐前王子【はんざきおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(28番目)であるが、消滅している。跡地は、布施屋駅の南東にある。
名 称 | 吐前王子跡 |
所在地 | 和歌山県和歌山市737 |
川端王子跡
川端王子【かわばたおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(29番目)であるが、消滅している。跡地は、布施屋駅の南西にある。旧社地に遥拝所として小祠が建てられている。
名 称 | 川端王子跡 |
所在地 | 和歌山県和歌山市布施屋708 |
和佐王子跡
和佐王子【わさおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(30番目)であるが、消滅している。跡地は矢田峠の手前にある「和佐王子」の石碑の辺りとされている。
名 称 | 和佐王子跡 |
所在地 | 和歌山県和歌山市禰宜260 |
平緒王子跡
平緒王子【ひらおおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(31番目)であるが、消滅している。跡地は、平尾地区中央の小字王子脇の自治会館の辺りとされている。
名 称 | 平緒王子跡 |
所在地 | 和歌山県和歌山市平尾562 |
奈久知王子跡
奈久知王子【なくちおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(32番目)であるが、消滅している。跡地は、薬勝寺地区にあり、竹やぶの中に小祠が祀られている。
名 称 | 奈久知王子跡 |
所在地 | 和歌山県和歌山市薬勝寺 |
松坂王子跡
松坂王子【まつさかおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(33番目)であるが、消滅している。跡地は、亀ノ川を渡って県道に突き当たる辺りとされている。
名 称 | 松坂王子跡 |
所在地 | 和歌山県海南市旦来1226-1 |
松代王子跡
松代王子【まつしろおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(34番目)であるが、消滅している。跡地は、日方川に架かる松代橋の傍らにある説明板と道標を手がかりに、山道を200mほどわけ入った所とされている。緑泥片岩の石碑が建てられており、和歌山県指定の史跡となっている。
名 称 | 松代王子跡 |
所在地 | 和歌山県海南市大野中1055 |
菩提房王子跡
菩提房王子【ぼだいぼうおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(35番目)であるが、消滅している。跡地は、春日橋で日方川を越えて蓮花寺を過ぎた辺りにある。
名 称 | 菩提房王子跡 |
所在地 | 和歌山県海南市大野中95 |
祓戸王子跡
祓戸王子【はらいどおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(36番目)であるが、消滅している。跡地は、地元の伝承によれば如来寺の隣地であったという。
海南はかつて熊野神域の入り口とされ、熊野一之鳥居があった場所である。当時はその鳥居をくぐり、祓戸王子を経て藤代王子に向かったと伝えられている。
名 称 | 祓戸王子跡 |
所在地 | 和歌山県海南市鳥居257-1 |
藤代王子跡
藤代王子【ふじしろおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(37番目)であり、かつ、五体王子の一社であった。現在は、藤白神社【ふじしろじんじゃ】と称している。藤白神社は藤代王子社から勧進されたものである。
藤代王子から藤代塔下王子【ふじしろとうげおうじ】まで続く約2kmの坂道が藤白坂である。この坂は、京の都から熊野三山を目指す参詣者が通る最初の難所で、熊野聖域の入り口と位置づけられてきたという。藤白坂は古道の趣きを残しており、1丁間隔で道標となる地蔵をかたどった丁石が据えられている。
名 称 | 藤代王子跡(五体王子) |
所在地 | 和歌山県海南市藤白466 |
藤白塔下王子跡
藤白塔下王子【ふじしろとうげおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(38番目)である。藤白神社の裏手から藤白峠を目指して藤白坂を登って行くと地蔵峰寺に着く。その境内が藤白塔下王子の跡地であり、石碑が建っている。
地蔵峰寺には石地蔵(国の重要文化財)が祀られている。旅人の安全を祈念したものだという。地蔵峰寺の背後にある山頂には、「御所ノ芝」と呼ばれる展望所があり、そこからの眺望は絶景である。『紀伊国名所図絵』で「紀州随一の美景なり」と絶賛された場所である。県指定の史跡にもなっている。
名 称 | 藤白塔下王子跡 |
所在地 | 和歌山県海南市下津町橘本1615 和歌山県海南市下津町橘本1611(地蔵峰寺境内) |
橘本王子跡
橘本王子【きつもとおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(39番目)であるが、消滅している。跡地は、地蔵峰寺からミカン畑の中を貫く古道を道標に従って辿り着く阿弥陀寺の境内にある。
峠を越えると海南市下津町となり、所坂王子がある。
名 称 | 橘本王子跡 |
所在地 | 和歌山県海南市下津町橘本1084-2 |
所坂王子跡
所坂王子【ところざかおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(40番目)であるが、消滅している。現在は、橘本神社【きつもとじんじゃ】と称している。「所坂王子跡」として和歌山県指定の史跡になっている。
名 称 | 所坂王子跡 |
所在地 | 和歌山県海南市下津町橘本779 |
一壷王子跡
一壷王子【いちのつぼおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(41番目)であるが、消滅している。跡地は、山路王子神社の境内にある。
名 称 | 一壷王子跡 |
所在地 | 和歌山県海南市下津町市坪269 |
蕪坂王子跡
蕪坂王子【かぶらざかおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(42番目)であるが、消滅している。跡地は拝ノ峠を登りきった先の丘陵上の下津湾を臨む場所にある。
名 称 | 蕪坂王子跡 |
所在地 | 和歌山県有田市畑427 |
山口王子跡
山口王子【やまぐちおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(43番目)であるが、消滅している。雄ノ山峠を越えたところに旧址があるとされる。
名 称 | 山口王子跡 |
所在地 | 和歌山県和歌山市湯屋谷118 |
糸我王子跡
糸我王子【いとがおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(44番目)であるが、消滅している。
白倉山の脇を抜けると有田市に入り、有田川を渡る。そして、糸我峠を越えると湯浅町になる。
名 称 | 糸我王子跡 |
所在地 | 和歌山県有田市中番930 |
逆川王子跡
逆川王子【さかさがわおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(45番目)であるが、消滅している。
名 称 | 逆川王子跡 |
所在地 | 和歌山県有田郡湯浅町吉川925-2 |
久米崎王子跡
久米崎王子【くめさきおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(46番目)であるが、消滅している。湯浅の市街地からはすぐ広川町となる。
名 称 | 久米崎王子跡 |
所在地 | 和歌山県有田郡湯浅町別所322 |
井関王子跡
井関王子【いせきおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(47番目)であるが、消滅している。かつての宿場であった井関集落を通って鹿ヶ瀬峠へと向かうことになる。
名 称 | 井関王子跡 |
所在地 | 和歌山県有田郡広川町3113-1 |
河瀬王子跡
河瀬王子【ごのせおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(48番目)であるが、消滅している。跡地は、河瀬橋を渡った広川西岸にある。
名 称 | 河瀬王子跡 |
所在地 | 和歌山県有田郡広川町河瀬143 |
馬留王子跡
馬留王子【うまどめおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(49番目)であるが、消滅している。
この王子は「東の馬留王子」と呼ばれ、ここに至る峠道は紀伊路の中でも最も険路とされた。「馬留」とは馬で越えるには険しい峠のため、京の都から来た貴人でもここに馬を留め置いて徒歩で峠を越えなければならなかったことに由来する。尾根続きの小峠を境に日高町となり、下り道には約500mの石畳が続く。
名 称 | 馬留王子跡 |
所在地 | 和歌山県有田郡広川町 |
沓掛王子跡
沓掛王子【くつかけおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(50番目)であるが、消滅している。鹿ヶ瀬峠【ししがせとうげ】の古道を越え、峠道を下りきったあたりが跡地であると考えられている。
名 称 | 沓掛王子跡 |
所在地 | 和歌山県日高町原谷902 |
馬留王子跡
馬留王子【うまどめおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(51番目)であるが、消滅している。跡地を示す石碑が光明寺の境内の隣に建っているが、実際の跡地は石碑より上のミカン畑の中であると推定されている。
原谷集落にある王子は「西の馬留王子」と呼ばれ、この辺りは古来から黒竹(クロチク)が自生しており、その光景は多くの和歌に詠まれてきたという。
原谷集落界隈は山道ではなく、里山や田園地帯となる。ほどなく紀伊路は御坊市に入る。
名 称 | 馬留王子跡 |
所在地 | 和歌山県日高町原谷362 |
内ノ畑王子跡
内ノ畑王子【うちのはたおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(52番目)であるが、消滅している。
名 称 | 内ノ畑王子跡 |
所在地 | 和歌山県日高町萩原1500 |
高家王子跡
高家王子【たいえおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(53番目)であるが、消滅している。内原王子神社の社地が高家王子の旧址であると推定されている。
名 称 | 高家王子跡 |
所在地 | 和歌山県日高郡日高町萩原1670 |
善童子王子跡
善童子王子【ぜんどうじおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(54番目)であるが、消滅している。跡地と推定される場所には小祠が祀られている。
名 称 | 善童子王子跡 |
所在地 | 和歌山県御坊市富安1347 |
愛徳山王子跡
愛徳山王子【あいとくさんおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(55番目)であるが、消滅している。跡地は、八幡山の北側にあるミカン畑の中にあり、「愛徳山王子跡地」の石碑と「愛徳山王子」の碑が建っている。
名 称 | 愛徳山王子跡 |
所在地 | 和歌山県御坊市吉田2167 |
九海士王子跡
九海士王子【くあまおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(56番目)であるが、消滅している。八幡山の南麓に位置する本来の旧社地はミカン畑になったため、旧社地の東側に遥拝所を設け、小祠と海女王子【あまおうじ】社地の石碑が建っている。
御坊市にある道成寺の御本尊は千手観音菩薩であるが、その菩薩像を海から拾い上げた海士【あま】を祀ったとされるのが九海士王子である。
名 称 | 九海士王子跡 |
所在地 | 和歌山県御坊市吉田2263-1 |
岩内王子跡
岩内王子【いわうちおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(57番目)であるが、消滅している。
名 称 | 岩内王子跡 |
所在地 | 和歌山県御坊市岩内字田畑515 |
塩屋王子跡
塩屋王子【しおやおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(58番目)であるが、消滅している。跡地は、日高川支流の王子川右岸丘陵上にある。
現在は、塩屋王子神社と称している。塩屋王子神社の境内は、和歌山県指定の史跡であると共に「熊野参詣道紀伊路」の構成資産の一部として「塩屋王子跡」が国の史跡に指定されている。
名 称 | 塩屋王子跡 |
所在地 | 和歌山県御坊市北塩屋1145 |
上野王子跡
上野王子【うえのおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(59番目)であるが、消滅している。跡地は、名田町上野の集落のはずれにある。
名 称 | 上野王子跡 |
所在地 | 和歌山県御坊市名田町上野 |
津井王子跡
津井王子【ついおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(60番目)であるが、消滅している。
名 称 | 津井王子跡 |
所在地 | 和歌山県日高郡印南町印南745 |
斑鳩王子跡
斑鳩王子【いかるがおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(61番目)であるが、消滅している。跡地は、印南町南部の光川地区と推定されている。
名 称 | 斑鳩王子跡 |
所在地 | 和歌山県日高郡印南町3450 |
切目王子
切目王子【きりめおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(62番目)で、かつ、五体王子の一社である。創建は崇神天皇の時代(3世紀後半から4世紀前半と推定)にさかのぼるとされる。現拝殿は1908年に再建されたものという。
名 称 | 切目王子 |
所在地 | 和歌山県日高郡印南町西ノ地328 |
切目中山王子跡
切目中山王子【きりめなかやまおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(63番目)であるが、現在は、中山王子神社【なかやまおうじじんじゃ】と称している。和歌山県指定の史跡となっている。
紀伊水道から太平洋になる海岸線に出て、しばらく海辺を歩くと印南町に入る。そこからは榎木峠を越えて、みなべ町に入る。
名 称 | 切目中山王子跡 |
所在地 | 和歌山県印南町島田2916 |
岩代王子跡
岩代王子【いわしろおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(64番目)であるが、消滅している。跡地は、西岩代川の河口近く、海岸に面して場所にある。
名 称 | 岩代王子跡 |
所在地 | 和歌山県日高郡みなべ町西岩代1558 |
千里王子
千里王子【せんりおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(65番目)である。岩代王子と千里王子を結ぶ参詣道はかつては海岸伝い(千里の浜)であったと伝えられるが、今日では侵食のために通行不能である。
社殿は、御神体24体と共に良好な状態で遺されている。御祭神は不詳であるが、本地仏として如意輪観音を祀る。
名 称 | 千里王子 |
所在地 | 和歌山県日高郡みなべ町山内2519 |
三鍋王子
三鍋王子【みなべおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(66番目)であるが、現在は、鹿島神社と称している。鹿島神社の社殿は、王子社の旧社殿を移築したものであるという。
名 称 | 三鍋王子 |
所在地 | 和歌山県日高郡みなべ町北道60 |
芳養王子
芳養王子【はやおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(67番目)である。千里の浜を歩き、三鍋王子(現鹿島神社)を経て着く、芳養川河口東岸の砂丘上に社殿がある。
明治初期の神仏分離政策の影響を受け、幾度か改称した後に現行の大神社【おおじんじゃ】と称するようになったという。
名 称 | 芳養王子 |
所在地 | 和歌山県田辺市芳養1029 |
出立王子跡
出立王子【でだちおうじ】は、熊野古道・紀伊路に置かれた九十九王子の一つ(68番目)であるが、消滅している。跡地は、天神崎を過ぎた会津川河口手前の上野山台地の中腹南側にある。
当地での潮垢離【しおごり】の儀式は特に重視されたという。塩垢離とは「海水を浴びて身の穢れを祓う儀式」のことで、中辺路へ向かう者は塩水を浴び、海に別れを告げたという。跡地には「潮垢離浜旧跡」の碑が建っている。王子社址は和歌山県指定の史跡になっている。
名 称 | 出立王子跡 |
所在地 | 和歌山県田辺市上の山2丁目7 |
北新町道標
北新町道標【きたしんまちどうひょう】は、紀伊路の終点で、中辺路と大辺路に分かれる分岐点でもある。道標(道分け石)が路傍に建っている。
名 称 | 北新町道標 |
所在地 | 和歌山県田辺市北新町 |
伊勢路
伊勢路【いせじ】は、伊勢神宮と熊野三山を結ぶ街道(熊野古道)である。現在では伊勢側の大部分は三重県道に、熊野側の大部分も国道42号に吸収されてしまったが、今なお残された区間が世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されている。
大峯奥駈道
大峯奥駈道【おおみねおくがけみち】は、修験道の根本道場・金峯山寺がある吉野山から大峯山を縦走して熊野三山に至るおよそ80kmの参詣道(熊野古道)である。元々は1,000~1,900m級の険しい峰々を踏破する修験道の修行の道として開かれた道であり、熊野古道の中で最も厳しいルートである。
吉野から熊野までの間には、社寺のほかに大峰山脈の主稜線沿いに75の靡【なびき】と呼ばれる行場(霊場)がある。そして熊野本宮大社の本宮証誠殿(1番)に始まり、吉野川河岸の柳の宿(75番)までそれぞれに番号が割り振られている。
順峯と逆峯
本宮から吉野に向かう道順を「順峯」【じゅんぷ】と言い、逆に吉野から本宮に向かう道順を「逆峯」【ぎゃくふ】と呼ぶ。
天台宗系の聖護院(本山派)は順峯を、真言宗系の醍醐寺三宝院(当山派)は逆峯をそれぞれ主導していたが、江戸時代以降は両派ともに逆峯が一般的かつ正統的なものとされている。
熊野本宮温泉郷
熊野本宮温泉郷は、湯の峰温泉、川湯温泉、渡瀬温泉の三か所の温泉地で構成される。
湯の峰温泉
湯の峰温泉【ゆのみねおんせん】は、和歌山県田辺市本宮町湯峯に位置する、「つぼ湯」で有名な温泉地であり、約1,800年の歴史を有する。
4世紀頃に熊野の国造、大阿刀足尼によって発見され、後に歴代上皇の熊野御幸によってその名を全国に知らしめた日本最古の湯で、古くから熊野詣【くまのもうで】の旅人たちにとっての湯垢離【ゆごり】と休息の場として知られていた。
2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一部として、温泉としては初の世界遺産にも登録されている。
湯の峰温泉には、伝説上の人物である小栗判官が蘇生した地とされている。餓鬼阿弥の姿となり死の淵を彷徨う小栗判官が、照手姫の助けで湯に浸かって体を癒した「小栗判官と照手姫伝説」が残る。
源泉・泉質・効能
湯の峰温泉の源泉は、湯の峰川の河床付近を中心に十数か所に分布しており、温泉の湧出に伴う気泡が観察できる。「つぼ湯」脇にある河床の砂岩の亀裂からも温泉の湧出が認められる。
泉質は、塩化物・炭酸水素塩・ナトリウムを主成分とする含硫黄の炭酸水素塩泉に分類される。
湧出温度は92.5℃、湧出量は全体で毎分885Lであり、神経痛、リウマチ性疾患、皮膚病、糖尿病などに効能を持つとされる。
温泉街
四村川の流れる谷の両岸に十数軒の旅館が並ぶ温泉街がある。
名 称 | 湯の峰温泉 |
所在地 | 和歌山県田辺市本宮町湯峯110 |
Link | 湯の峰温泉 – 熊野本宮観光協会 |
つぼ湯
温泉街の中心地には公衆浴場かつ天然温泉の岩風呂である「つぼ湯」が位置している。「つぼ湯」は日本最古の共同浴場とも言われている。
つぼ湯は一日に七回も湯の色が変化するとの言い伝えがあり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道の構成資産」の一部として、温泉としては世界で唯一、登録されている。
名 称 | つぼ湯 |
所在地 | 和歌山県田辺市本宮町湯峯110 |
Link | 湯の峰温泉 公衆浴場・つぼ湯 – 熊野本宮観光協会 |
東光寺
東光寺【とうこうじ】は、山号を薬王山と称する、湯の峰温泉にある天台宗の寺院である。1108年に鳥羽天皇の勅願により寺領と多宝塔が与えられたのが開創とされ、熊野信仰の隆盛に伴い諸堂や仏像が建造されたという。
伝承によれば、東光寺の本尊は湯の峰温泉の源泉の周囲に湯の花が積もって薬師如来の形となったものを「湯峯薬師」として発見者の裸形上人が祀ったという。その本尊の胸から温泉が噴出していたことから「湯の胸温泉」と呼ばれていたものが転じて「湯の峰温泉」の名になったとされている。
名 称 | 東光寺 |
所在地 | 和歌山県田辺市本宮町湯峯113 |
Link | 東光寺(和歌山) | 和歌山 Attractions |
川湯温泉
川湯温泉【かわゆおんせん】は、和歌山県田辺市本宮町に位置する、「仙人風呂」で有名な温泉地である。熊野川の支流・大塔川の左岸に旅館や食堂、共同浴場が集まって温泉街を形成する。泉質はナトリウムー炭酸水素塩・塩化物温泉である。
川原を掘れば温泉が湧くことが大きな特徴である。川の流れの中にも湯が湧いており、川底から気泡が上がるのが見える。川の流量が減る冬季に、川をせき止めて作られる巨大な露天風呂「仙人風呂」(例年12月~2月末日)が有名である。古くから温泉利用されており、仙人風呂は江戸時代初期に始まったとされる。
川湯温泉から熊野本宮大社へは車で10分程で行ける。
名 称 | 川湯温泉 |
所在地 | 和歌山県田辺市本宮町川湯 |
Link | 川湯温泉 – 熊野本宮観光協会 |
渡瀬温泉
渡瀬温泉【わたぜおんせん】は、和歌山県田辺市本宮町に位置する温泉地である。泉質は、塩化物・炭酸水素塩泉(塩化物泉)である。
四村川の広い谷間にあり、川の両岸に3軒のホテルと大きな日帰り入浴施設が存在する。ホテルと日帰り施設はいずれも同じ経営母体の運営である。
キャッチフレーズが「西日本最大の露天風呂」で、温泉施設は広い庭園となっている。その中に男性用は6箇所、女性用は5箇所の湯船を配するほか貸切の家屋風呂もある。3本の源泉から毎分600L以上の湯が湧いており、源泉掛け流しである。
周辺にはキャンプ場や町民保養温泉センター(クアハウス熊野本宮)もある。
名 称 | 渡瀬温泉 |
所在地 | 和歌山県田辺市本宮町渡瀬45-1 |
Link | 渡瀬温泉 – 熊野本宮観光協会 |
あとがき
冒頭にも書いたが、私は熊野古道について全く何も知らなかったことが明らかになってしまった。今まで「熊野古道」と一括りで捉えていたことを反省している。紀伊路と中辺路に残る九十九王子跡などの史跡や古道を訪ねて少しでも理解していきたいと思っている。