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【伊賀の国】火の忍術の伝統が残る手力神社の秋祭り

はじめに

伊賀の国」は、かつての日本の地方行政区分で、現在の三重県西部、上野盆地一帯に該当する令制国の一つであり、東海道に属していた。「伊賀」は、現在でも三重県の伊賀地方を指す呼称として使われており、伊賀市と名張市を中心に構成されている。伊賀は、伊賀流忍者の発祥地として知られ、伊賀焼(陶器・炻器)や伊賀組紐の産地としても有名である。

手力神社は、伊賀流忍者との関わりが深く、特に火の忍術を得意とした藤林氏の氏神として知られる。

手力神社の秋祭りは、例年10月17日に開催される手力神社例大祭である。この神社の秋祭りの見どころは、奉納花火である。この奉納花火は、火術、火筒、のろしなどの「火の忍術」を得意とした藤林長門守が手力神社に花火を奉納したのがはじまりとされている。

藤林長門守は、伊賀流忍者の三大上忍の一人に数えられる人物である。尚、三大上忍とは、服部半蔵、百地丹波守、および藤林長門守を指す。かつては、この地に藤林長門守の居城があったとされる。藤林長門守の墓碑もその城跡にあったらしいが、大正時代に近くの正覚寺の墓地に移されている。

手力神社の秋祭りでは、火の忍術を得意とした藤林一族に由来する奉納花火が行われ、伊賀市内で最も遅い花火大会としても知られている。その秋の夜空を彩る花火を楽しみに訪れる観光客も多い。このように、伊賀の国の歴史と文化に触れることができる貴重な秋のイベントであり、地元の人々だけでなく、観光客も十分に楽しめる秋祭りとなっている。

目次
はじめに
手力神社
手力神社の秋祭り
あとがき

手力神社

手力神社は、三重県伊賀市に位置する歴史ある神社である。主祭神として天手力雄命【あめのてぢからおうのみこと】を祀っている。正応年間(1288~1292年)に長野県の戸隠神社・奥社より勧請されたと伝えられている。

天手力雄命は、日本神話にも登場する、「天の岩戸」を開いた力持ちの神様として知られ、五穀豊穣や厄除けの神様として崇められている。

手力神社は「湯船の手力さん」としても親しまれ、手や力の神様、延寿の神様として信仰されている。

名 称手力神社
所在地三重県伊賀市東湯舟1025 
駐車場あり(無料)約20台分
Link手力神社 – 伊賀忍者ゆかりの神社仏閣
手力神社 – 伊賀上野観光協会

手力神社の秋祭り

手力神社の秋祭りは、伝統的な祭りで、特に奉納花火が有名である。伊賀市内で最も遅い花火大会として知られ、多くの見物客が訪れる。例年、約250発ほどの花火が打ち上げられる。

この祭りの奉納花火は、火の忍術を得意とした伊賀流忍者の藤林一族に由来し、今では、地域の伝統と文化を感じることができる貴重なイベントとなっている。

かつて、この奉納花火を地元の氏子が手作りをして奉納していた時代もあったらしいが、現代ではプロの花火師の手に委ねているということである。

美杉手筒会(津市)による手筒花火が披露され、集まった人たちはその豪快さに対して驚きの大歓声を上げていた。勿論、私もその一人である。

手力神社の秋祭りは、毎年10月17日に開催され、祭典は午後2時から始まり、奉納花火は午後8時から行われる。この祭りのプログラムは下記の通りである。

  • 午後2時頃
    • 祭典開始
  • 午後5時頃
    • 御幣行灯に点灯
  • 午後8時頃
    • 奉納花火の開始
    • 午後8時30分頃に手筒花火も披露される
  • 午後9時頃
    • 奉納花火の終了

名 称手力神社 例祭奉納花火大会
会 場手力神社
所在地三重県伊賀市東湯舟1025
最寄駅JR草津線「柘植駅」
駐車場秋祭り当日は近くの道路脇の空き地を臨時に使用

あとがき

私は、今回はじめて、手筒花火【てづつはなび】を間近で観ることができた。手筒花火は、伝統的な花火の一種で、その特徴は竹筒を使った手持ち式の花火である。見た目の迫力と臨場感が非常に魅力的な花火である。

直径約10cm、長さ約1m程の竹筒に火薬を詰め、花火師が直接手に持って点火し、花火が噴き出す様子を見せる。火薬が燃焼し始めると、火柱が勢いよく噴き出し、周囲を照らし出す。このため、非常に迫力がある。花火師の火傷が心配になるほどである。この光景は非常に迫力満点で、観客からの拍手喝采も多い。

手筒花火は戦国時代に武士たちが用いた火縄銃が起源とされている。平和な時代に花火として進化し、現在の形になったらしい。花火師たちの熟練した技術が必要とされる花火の形態であり、間近で観る観客にとっては新しい驚きを感じる。

手筒花火の迫力と美しさは、一度見ると忘れられない体験となるはずである。興味があれば、ぜひ現地で体感してみてほしい。


藤林長門守についての経歴や業績に関する情報は残念ながら不明である。忍術兵法書として有名な「萬川集海」は、藤林長門守の子孫である藤林左武次保武によって著されたものとされる。

藤林長門守一族の墓碑が正覚寺の墓地の一角にあり、その中央の最も大きいのが初代藤林長門守のものであるという。


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