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慈愛に満ちた観音様に会える向源寺・渡岸寺観音堂

はじめに

向源寺【こうげんじ】は、滋賀県長浜市高月町渡岸寺にある真宗大谷派の寺院である。天平8年(736年)に聖武天皇の勅願によって、泰澄が十一面観音を刻み、光眼寺として創建したのが始まりとされる。戦国時代の戦火を逃れた後に、浄土真宗に改宗し、寺名を光眼寺から向源寺に改めたと伝わっている。

一方、渡岸寺観音堂【どうがんじかんのんどう】は、向源寺の飛地境内にある観音堂で、国宝の十一面観音像が安置されていることで知られる。浄土真宗では阿弥陀如来以外の仏像を本堂に祀ることが認められていないため、観音堂は向源寺の飛地境内に設けられ、地名を取って「渡岸寺観音堂」と呼ばれるようになった。

戦国時代には、浅井勢と織田勢の戦火によって堂宇が焼失したが、住職や近隣の住民が観音像を土中に埋めて難を逃れたという。そして、大正14年(1925年)に、平安時代建築の様式を取り入れた観音堂が再建されたという。

その渡岸寺観音堂には、国宝に指定された十一面観音立像が安置されている。この観音像は、平安初期の様式を持ち、深い慈悲に満ちた表情が特徴的で、「祈りの仏」にふさわしい姿とされている。腰をひねった官能的なプロポーションや大きく作られた頭上面など、インドや西域の作風の影響を受けていると考えられている。この十一面観音立像は、その美しさから日本彫刻史上の最高傑作であると言われ、非常に高い評価を受けている。


<目次>
はじめに
向源寺・渡岸寺観音堂
あとがき

向源寺・渡岸寺観音堂

向源寺【こうげんじ】は、滋賀県長浜市高月町渡岸寺にある真宗大谷派の寺院で、山号は紫雲山と称する。渡岸寺観音堂【どうがんじかんのんどう】に安置されている十一面観音像(国宝)を有することで知られる。

寺伝によれば、奈良時代の736年、当時、都に疱瘡が流行したので、聖武天皇は泰澄【たいちょう】に除災祈祷を命じたという。泰澄は十一面観世音像を彫り、光眼寺を建立して、息災延命、万民豊楽の祈祷を行ったところ、憂いは絶たれたという。その後病除けの霊験あらたかな観音像として、信仰されるようになった。そして、790年、最澄が勅を奉じて七堂伽藍を建立したという。

1570年、浅井と織田の争いに巻き込まれて、戦火で伽藍は焼失した。しかしながら、観音を篤く信仰する住職巧円や近隣の住民は、十一面観世音像を土中に埋蔵して難を逃れたという。この後巧円は浄土真宗に改宗し、光眼寺を廃寺とし、向源寺を建立したとされる。

明治21年(1888年)、宮内省全国宝物取調局の九鬼隆一らが向源寺の十一面観音像を調査し、日本屈指の霊像であると賞賛したという。明治30年(1897年)、古社寺保存法に基づく日本で最初の国宝指定により、この十一面観音像も国宝に指定された。

国宝指定時の内務省告示における十一面観音像の所有者名は「観音堂」となっている。その理由は、向源寺が属する真宗では、阿弥陀如来以外の仏を本堂に祀ることを認めていないためで、この十一面観音像については、向源寺飛地境内の観音堂に祀るということで、本山から許可されたという経緯があったからだという。

大正14年(1925年)には平安時代建築の様式を取り入れた渡岸寺観音堂が再建され、昭和17年(1942年)には宗教団体法の規定に基づき、渡岸寺観音堂は正式に向源寺の所属となった。十一面観音像が文化財保護法に基づく国宝(新国宝)に指定されたのは昭和28年(1953年)である。

国宝の十一面観音立像は、向源寺に属する渡岸寺観音堂に安置されていたが、1974年に収蔵庫の慈雲閣が完成してからはそちらへ移されている。寺伝では泰澄作とされるが、像容に密教思想の影響がみられることから、実際の制作年代は平安初期の西暦9世紀頃とされるという。

十一面観音立像は、像高194cm(頭上面を含む)、檜材の一木彫であるという。均整のとれた体躯、胸部や大腿部の豊かな肉取り、腰をひねり片脚を遊ばせた体勢などにインドや西域の様式が伺われるという。腰をこころもち左にひねる造形が素晴らしい。

十一面観音像は、菩薩面3、瞋怒面【しんぬめん】3、狗牙上出面【くげじょうしゅつめん】3、大笑面【だいしょうめん】1、頂上仏面1の計11面を頭上に表すのが一般的であるが、この国宝の十一面観音像は、本面の左右にそれぞれ瞋怒面と狗牙上出面を大きく表し、天冠台上には菩薩面、瞋怒面、狗牙上出面を各2面、背面に大笑面を表しているのが特徴的である。

また、頂上面は螺髪【らはつ】をもつ如来形とするのが一般的であるが、本像の頂上面は髻【たぶさ】を結い、五智宝冠を戴く菩薩形であるのも特徴的であるとされる。

名 称向源寺渡岸寺観音堂
所在地滋賀県長浜市高月町渡岸寺50番地
拝観時間午前9時から午後5時まで(冬季は午後4時まで)
拝観料大人500円
駐車場あり(無料)
Link渡岸寺観音堂(向源寺)/公式ホームページ
渡岸寺観音堂(向源寺) | 滋賀県観光情報・公式観光サイト

あとがき

向源寺・渡岸寺観音堂の十一面観音立像は、その歴史的価値と芸術的な美しさから国宝に指定されている。

まず、歴史的価値については、仏像の制作時期が平安時代初期(9世紀)であるとされることから日本の仏教美術の重要な遺産であることに間違いはない。また、戦国時代の戦火を逃れ、住職や住民によって土中に埋められて守られたという歴史は尊い。

そして、芸術的美しさについては、専門家から下記のような評価を受けている。

  • 彫刻技術
    • 檜材の一木彫りで、頭上面や持物など一部は別材を使用
    • 均整のとれた体躯や豊かな肉取り、腰をひねった姿勢
    • インドや西域の影響を受けた官能的なプロポーション
  • 表情と姿勢
    • 深い慈悲をたたえた表情
    • 片脚を遊ばせた独特の姿勢
    • これらの表情や姿勢は観音像の美しさを際立たせている
  • 頭上面のデザイン
    • 頭上には11面が表現されている
    • 菩薩面、瞋怒面、狗牙上出面、大笑面、頂上仏面が配置

向源寺・渡岸寺観音堂の十一面観音立像は、明治30年(1897年)に、日本で最初の国宝に指定されたという実績がある。当時の「国宝」は、現在の「重要文化財」に相当するものであったらしいが、価値が高く評価されたことに変わりがない。

そして、昭和28年(1953年)に、文化財保護法に基づく新たな国宝に指定されたという経緯がある。

このように、向源寺・渡岸寺観音堂の十一面観音像は、その歴史的価値と芸術的美しさから国宝に指定され、現在も多くの人々に愛され続けている。


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