はじめに
園城寺【おんじょうじ】は、天台寺門宗の総本山である。琵琶湖の南西に広がる長等山【ながらさん】の中腹にあり、滋賀県大津市に位置する歴史の長い寺院である。
園城寺は、7世紀に大友与多王【おおとものよたおう】によって創建され、天武天皇から「園城寺」という勅額を賜り、その名が広まったと伝わる。ところが、天智天皇、天武天皇、持統天皇の三帝の産湯に使われた霊泉があることから「三井寺」【みいでら】と呼ばれるようになり、近年ではこの通称の「三井寺」の方が通りが良くなっている。
園城寺(三井寺)は、天智天皇の念持仏を御本尊とし、平安時代に智証大師円珍によって再興された歴史ある寺院である。その美しい景観と共に、多くの文化財や国宝が残されている。
園城寺(三井寺)は、源平の争乱や南北朝の争乱など多くの法難を乗り越えて復興してきたことから「不死鳥の寺」と呼ばれることもある。
境内には多くの国宝や重要文化財があり、黄不動【おうふどう】と呼ばれる不動明王像が特に有名である。また、「三井の晩鐘」は、園城寺の鐘の音が美しいことから近江八景の一つに数えられたものである。
園城寺(三井寺)
園城寺【おんじょうじ】は、滋賀県大津市園城寺町にある天台寺門宗総本山の寺院で、山号を長等山【ながらさん】と称する。
御本尊は弥勒菩薩で、与多王【よたのおおきみ】(7世紀飛鳥時代の皇族で、弘文天皇(大友皇子)の皇子とされる伝承的人物で、大友与多王とも呼ばれる)による開基と伝わる。
大友氏の氏寺として草創されたらしい。9世紀に入り、円珍(天台寺門宗宗祖)によって再興されたことから天台寺門宗総本山の寺院となったようだ。
10世紀頃から比叡山延暦寺との対立抗争(山門寺門の争い)が激化し、比叡山の宗徒によって園城寺が焼き討ちされることが度々あったという。
さらには豊臣秀吉によって寺領が没収されて廃寺同然となったこともあったという。
園城寺は平安時代から戦国時代までで合戦・焼き討ち・火災などで23回も炎上しているが、うち14回は延暦寺による焼き討ちであったという。
しかしながら、こうした苦難を乗り越え、その都度再興されてきた。そのため園城寺は「不死鳥の寺」と称されるようになったという。
園城寺は、日本三不動の一つである黄不動【おうふどう】で著名である。観音堂には如意輪観世音菩薩が祀られ、西国三十三所の第14番札所となっている。
国宝の金堂【こんどう】は、園城寺の再興を許可した豊臣秀吉の遺志によって秀吉の妻、寧々(高台院)が慶長4年(1599年)に寄進したものであるとされている。
建物全体は和様で統一されており、典型的な桃山形式の仏堂で、天台宗本堂の古式建築形式を伝えているとされている。
園城寺は、通称で「三井寺」と呼ばれることの方が多い。この通称は、境内に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから「御井【みい】の寺」と呼ばれていたものが転じて「三井寺」となったという。
寺名の由来となった井戸である閼伽井屋【あかいや】(重要文化財)が境内に残されている。金堂の西に接して建つ小堂で、格子戸の奥にある岩組からは霊泉が湧出している。
現在の「閼伽井屋」の建物は、金堂と同じく高台院によって建立されたという。桧皮葺で、随所に桃山風の装飾を施した優美な建造物である。
正面上部の蟇股【かえるまた】には左甚五郎作の龍の彫刻があり、この龍が毎夜琵琶湖に現れて暴れていたので甚五郎が龍の目に五寸釘を打ち込んだという伝説が残る。
園城寺の鐘楼(重要文化財)は、 音色の良いことで知られ、平等院鐘、神護寺鐘と共に日本三名鐘に数えられている。
また、御神木の天狗杉(大津市指定天然記念物)は、樹齢約千年と言われている。
霊鐘堂には霊鐘「弁慶の引摺鐘」(重要文化財)が安置されている。
山門(比叡山延暦寺)との争いの際、山門側の弁慶が園城寺(寺門側)から奪い取って比叡山へと引き摺り上げて行く途中で撞くと、「イノウ、イノウ」(関西弁で「帰りたい」の意)と響いたという。
そのため弁慶が怒って鐘を谷底へ投げ捨てたという伝説が残る。鐘に付いた傷跡や割れ目はそのときのものと伝えられている。
一切経蔵(重要文化財)は、 室町初期の禅宗様経堂で、毛利輝元の寄進により、慶長7年(1602年)に山口にあった国清寺(現・洞春寺)の経蔵を移築したものとされる。
内部中央には、高麗版の一切経を納める八角形の輪蔵があり、中心軸で回転するようになっている。
三重塔(重要文化財)は、 奈良県の比蘇寺(現・世尊寺)にあった東塔を豊臣秀吉が伏見城に移築したものを、慶長6年(1601年)に徳川家康が園城寺に寄進したものとされる。
三重塔は、鎌倉時代末期から室町時代初期の建築物らしい。中世仏塔の特徴をよく表しているとされる。
名 称 | 園城寺(三井寺) |
所在地 | 滋賀県大津市園城寺町246 |
TEL | 077-522-2238 |
参拝時間 | 8:00~17:00 (10月1日からは9:00~16:30) |
駐車場 | あり(有料) |
Link | 三井寺(園城寺) |
あとがき
園城寺(三井寺)は、長い歴史を持つ寺院である。主なエピソードをピックアップすれば下記のようになる。
創建と初期の歴史
- 7世紀に大友与多王【おおとものよたおう】によって創建
- 天智天皇の念持仏である弥勒菩薩像を本尊とする
- 天武天皇から「園城寺」の勅額を賜る
- 天智天皇、天武天皇、持統天皇の三帝の産湯に使われた霊泉があることから「三井寺」とも呼ばれるようになる
中興と発展
- 9世紀には、唐から帰国した留学僧の智証大師円珍【ちしょうだいしえんちん】によって再興される
- 円珍は天台宗の別院として園城寺を発展させる
- 東大寺、興福寺、延暦寺と共に「本朝四箇大寺」の一つに数えられるようになる
延暦寺との抗争
- 平安時代以降、皇室や貴族、武家から信仰を集めて栄える
- 10世紀頃から比叡山延暦寺との対立抗争が激化
- 比叡山(山門)の宗徒によって度々焼き討ちされる
- 山門寺門の争いで被害を被るたびに再興された
近世の歴史
- 豊臣秀吉によって寺領を没収されて廃寺同然となる
- その後も再興され続けた
- 江戸時代には徳川家康の庇護を受ける
- 多くの文化財が保存された
現代の園城寺
- 国宝や重要文化財を多数所蔵
- 観光地としても人気が高い
園城寺(三井寺)は、被災と再興の歴史を繰り返し、現代では多くの文化財を所蔵し、多くの人々に愛され続けている。まさに、不死鳥の寺として、その地力を発揮し続けている。