はじめに
明治の森箕面【めいじのもりみのお】国定公園は、大阪府の箕面山周辺の山林と山麓に広がる大阪府営箕面公園に指定された国定公園である。この公園が東海自然歩道のターミナル(終点または起点)となっている。
この国定公園は、大阪市近郊の箕面市北部の低山岳地帯(標高100~600m)に位置し、地質は主に古生層だが、一部には花崗岩や石英閃緑岩が露出している場所もある。
この国定公園には、およそ1,300種の植物と3,500種の昆虫が生息しているという。そのため数多くの野鳥、哺乳動物、両生類、爬虫類や魚類なども生息する。まさしく大自然の宝庫である。こんな自然公園が大都市・大阪の近郊にあるとは驚きである。
箕面滝
箕面滝【みのおたき】は、明治の森箕面国定公園内にある、落差33 mの滝である。箕面大滝と呼ばれることもある。
明治の森箕面国定公園は、関西の紅葉の名所であり、秋には多くの人で賑わう。箕面滝はそのシンボル的な存在で、人気も高い。
公園の周辺にはニホンザルが頻繁に出現し、自動車のボンネットの上に乗ったり、箕面滝そばの売店から菓子パンを窃盗したりとやりたい放題である。私はこの事実を目撃しているので決して嘘をついたり、誇張して言っているわけではない。道中で猿を見つけたら決してこちらから向かっていってはいけない。相手は野生の猿であるので危険である。
名 称 | 箕面滝 |
所在地 | 大阪府箕面市箕面公園1 |
駐車場 | あり(有料) |
Link | 箕面大滝 | 箕面市観光協会 | 箕面さんぽ 箕面公園 公式サイト |
唐人戻岩
唐人戻岩【とうじんもどりいわ】は、大門橋【だいもんばし】(別名、戻岩橋)にさしかかるところにある2つの大きな岩のことである。 2つの巨岩が滝道をふさぐようにある。昔、中国の唐使が箕面の滝の評判を聞き駕籠に揺られてこの岩まで来たが、あまりの山道の険しさに恐れをなして引き返したという伝説が、この巨岩の名称の由来になっているという。
一方の巨岩の高さは約7.5mで、幅は7.3mであり、他方の巨岩の高さは7.03mで、幅は2.1mであるという。
名 称 | 唐人戻岩 |
所在地 | 大阪府箕面市箕面公園1 |
駐車場 | あり(有料) |
Link | 唐人戻岩 | 箕面市観光協会 | 箕面さんぽ |
姫岩
姫岩【ひめいわ】は、落合橋の近くに位置する巨石のことである。姫岩は、刃物で切られたように縦に真二つに割れていて、
その間は人がちょうど一人通れるくらいの隙間になっている。
姫岩が出現した原因として、潜在的な割れ目があった斜面上方の大岩が大地震などで岸壁から剥がれ落ち、その際に大岩が更に二つに割れたものと推察されている。その理由は、姫岩が剥がれ落ちた元の岩壁が斜面上方で見つかっているからである。
姫岩の名の由来は、箕面の地が役行者にゆかりの深いことから「胎内くぐり」にあやかっていると考えられている。
名 称 | 姫岩 |
所在地 | 大阪府箕面市箕面公園1 |
駐車場 | あり(有料) |
瀧安寺
瀧安寺【りゅうあんじ】は、本山修験宗の寺院で、山号は箕面山【みのおさん】である。寺伝によれば、役小角が箕面滝の下に堂を建設し、本尊の弁財天像を安置し、「箕面寺」と命名したのが始まりとされる。
後醍醐天皇が隠岐に島流しになった際には、護良親王が当寺に帰還祈祷を依頼したと伝わる。その後「瀧安寺」という寺号を賜ったとされる。
山岳霊場として栄え、空海や日蓮、蓮如が修行したと伝わっており、現在も護摩法要が行われているという。
室町時代末期に織田信長によって焼失したが、江戸時代になって後水尾天皇の援助によって現在の地に再建されたと伝わる。
名 称 | 瀧安寺 |
所在地 | 大阪府箕面市箕面公園2-23 |
駐車場 | あり(有料) |
Link | 箕面山瀧安寺 日本最古の弁財天 |
勝尾寺
勝尾寺【かつおじ】は、「勝ちダルマ」で有名な高野山真言宗の寺院である。山号は応頂山で、御本尊は十一面千手観世音菩薩である。西国三十三所第23番札所でもある。
勝尾寺は平安時代以降、山岳信仰の拠点として栄え、天皇など貴人の参詣も多かった。元慶4年(880年)、住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして「勝尾寺」に差し控えたという。
元暦元年(1184年)、治承・寿永の乱(源平合戦)の一ノ谷の戦いの煽りで全山焼失する。文治4年(1188年)、源頼朝の命により、熊谷直実・梶原景時によって再建されたという。
江戸時代の延宝2年(1674年)、高野山の釈迦文院の末寺となり、宗派を天台宗から真言宗に改めている。
名 称 | 勝尾寺 |
所在地 | 大阪府箕面市勝尾寺 |
駐車場 | あり(有料) |
Link | 西国二十三番札所 勝尾寺 |
八天の石蔵
八天石蔵【はってんいしぐら】は、勝尾寺境内周辺に点在する遺跡群であり、鎌倉時代に寺領を表示するために設置されたものとされる。
計8箇所に銅造の仏像計8体を信楽焼の容器に納めて埋納し、その上に石積の壇が設けられたという。現在は、仏像等が発掘されて勝尾寺に保管されているという。
他に例をみない遺跡として貴重である。石蔵は国の史跡に、出土品は重要文化財にそれぞれ指定されているという。
影向石
勝尾寺境内には八天石蔵とは別に影向石【ようごういし】が存在し、この石の下にも仏像が埋められていると考えられている。
八天石蔵から出土した仏像は、五大明王のうち中央に位置する不動明王の像を欠くことから、影向石の下には不動明王像が埋納されているのではと考えられているが明らかにはされていない。
あとがき
明治の森箕面国定公園についての私のイメージは、箕面滝と野生の猿である。峠道で数匹の野生の猿に囲まれ、そのうちの一匹が私の車のボンネットに座り込み、全く動こうとしなかったのには閉口したことを今でも鮮明に覚えている。
また箕面滝近くの茶店(売店)の中から野生の猿が袋に入ったパンらしきものを加えて逃げていくのを目撃した。全くの無法地帯というほかない。あれから年月が経過しているが、今でも同様のありさまなのであろうか。確認のためにも、そしてまだ訪ねたことがない景勝地にも行ってみることにしょうか。