はじめに
昨今はどうかは知らないが、「浦島太郎」の物語は私たちの世代では知らない者がいないほどに有名なおとぎ話であった。いわゆる「日本むかしばなし」の定番のお話である。
浦島太郎は浜辺で子供たちにいじめられていたカメを助け、お礼に龍宮城に連れて行ってもらった。
竜宮城では、美しい乙姫様がいたり、タイやヒラメの舞があったりして、毎日を楽しく過ごした。しかし故郷が恋しくなり、浦島太郎が村に戻りたいと言い出すと、乙姫様が『玉手箱』を土産にくれた。ところが、帰ってきた村は、何百年も経ったあとの世界で見覚えのある顔の人は誰一人としていなかった。浦島太郎は悲しく、寂しくなって玉手箱を開けてしまった。すると玉手箱の中から煙が立ち込め、みるみるうちに、浦島太郎はおじいさんになってしまった。
以上が私が知っている「浦島太郎」のあらすじである。浦島太郎の伝説は日本各地に残るが、香川県三豊市に属する「荘内半島」もその一つである。荘内半島には浦島太郎の伝説が色濃く残っていて私の好奇心を掻き立てる。どんな伝説が残っているのか楽しみである。
荘内半島の浦島太郎伝説にまつわる地名
荘内半島の香川県三豊市詫間町には浦島伝説にまつわる地名として下記のような地名が残されているという。
- 浦島(荘内半島と粟島、志々島の地域のかつての総称)
- 生里(浦島太郎が生まれた里)
- 糸の越(浦島太郎が釣り糸を持って通った所)
- 鴨の越(浦島太郎がカメを助けたとされる浜辺)
- 丸山島(鴨の越の海岸にある島。島には竜王宮がある)
- 箱(浦島太郎が玉手箱を開けたとされる所)
- 紫雲出山(玉手箱から出た煙が紫の雲となってかかった山)
- 上天(紫雲出山中腹、浦島太郎が昇天した場所)
- 仁老浜(老人となった浦島太郎が余生を過ごしたとされる)
- 積(浦島太郎が竜宮城から宝物を積んで帰りついた場所)
- 金輪のはな(太郎と握手をした乙姫さまが腕輪を落した所)
- 室浜(浦島太郎が若さを維持してしばらく暮らした場所)
浦島
荘内半島にある大浜・積・生里・箱・香田・粟島・志々島の地は、かつて総称して「浦島」【うらしま】と呼ばれていたそうである。
室町幕府第3代将軍・足利義満が、1389年に厳島神社に参詣した折に、瀬戸内航行の要所にある三崎神社(生里【なまり】)を参拝したと伝わる。
その際に「へだてゆく八重の汐路の浦島や箱の三崎の名こそしるけれ」と詠んでいることから室町時代当時には既に「浦島」と呼ばれていたことが史料からも分かっているらしい。「三崎」とは荘内半島の先端部に位置する地区を指し、三崎神社が鎮座する。
糸之越
糸之越【いとのこし】は、浦島太郎が釣りをしていた場所とされる。浦島太郎が休んだと伝わる「越掛石」もあるという。私は実際に「越掛石」を見たことはないが、「腰掛石」と表記しないところが面白い。多分、「糸之越」と「腰掛け」をかけているのだろう。
鴨の越
鴨の越【かものこし】の海岸は、浦島太郎がカメを助けた場所であるとされる。この「鴨の越」海岸から「竜宮」と目される丸山島へは干潮時には砂の道を通って徒歩で渡れるらしい。
丸山島
丸山島【まるやまじま】は、鴨の越の海岸にある島で、島には竜王宮がある。干潮時には歩いて島へ渡れるという。
丸山島には浦島神社があり、神社の前には亀に乗った浦島太郎の像もあるという。この亀に乗った浦島太郎は「老人」の姿をしているというから、製作者の意図はどこにあるのだろうか? 気になる。
亀に乗ったというのは若者の時であるから、物語を正確に描写した像でないことは明らかである。もし製作者の単なるミスであってもそれはそれで愉快だ。目くじらを立てるほどでもない。
箱
箱【はこ】の地は、浦島太郎が玉手箱を開けた所とされ、この里には浦島太郎親子の墓が祀られている。
浦島太郎親子の墓は、「諸大龍王」の石碑の後ろ側にある。五輪塔が3基並んでおり、真ん中が浦島太郎の墓と言われている。
浦島太郎墓碑の由来を記した立派な碑が建っていることに少々驚いた。何故かというと、「浦島太郎」伝説にここまで大真面目で取り組んでいるとは予期していなかったからである。本当に浦島太郎がかつてこの島にいたのかも知れないと思ってしまうから不思議な光景である。
浦島太郎親子の墓がある箱【はこ】は、浦島公園として整備されている。
名 称 | 浦島公園 |
所在地 | 香川県三豊市詫間町箱 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 浦島太郎伝説の足跡を探る|香川県観光協会公式サイト |
紫雲出山
紫雲出山【しうでやま】には、浦島太郎が玉手箱を開けた時に、立ち昇った白煙が紫の雲となってこの山にかかったという伝説が残る。山頂付近には浦島太郎を祀る竜王社がある。
上天【じょうてん】の地は、紫雲出山の中腹にあり、浦島太郎がここから昇天したといわれている。
浦島太郎伝説では、浦島太郎が鶴となって乙姫さま(カメ)のもとへ帰ったという説もあるという。
名 称 | 紫雲出山・山頂展望台 |
所在地 | 香川県三豊市詫間町大浜乙451-1 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 紫雲出山 | 三豊市観光交流局 |
仁老浜
仁老浜【にろはま】は、浦島太郎の母の生家があったとされる場所である。そして老人となった浦島太郎が余生を送ったとされる場所でもある。そのことにより、この浜は「仁義深い老人の浜」と呼ばれるようになり、いつしか「仁老浜」の語源となったとされる
積
積【つむ】の地は、浦島太郎が乙姫さまから送られた宝物を積んで到着した所とされている。
現在、その積の地には素晴らしい「お花畑」がある。その名を「フラワーパーク浦島」という。
フラワーパーク浦島
フラワーパーク浦島は、荘内半島の積地区に位置し、休耕田を活用した「お花畑」である。
香川県農業開発公社に預けている休耕田を詫間町が花作りをすることで保全管理をしているというユニークな花の公園である。
休耕田となる前は除虫菊が栽培されており、それに一番似ているということでマーガレットを中心に四季折々の花が栽培されているという。
有難いことに花の手入れは地元の高齢者の方が中心となり行っているらしい。
そんなフラワーパーク浦島は、瀬戸内海に面し、青い空の下、島々を背景にして色とりどりの花が美しいお花畑である。
特に5月はマーガレットが一面に咲き誇り、圧巻の景色をみせる。そのマーガレット畑で虞美人草(ポピー)を見つけることができた!
ポピーは、ヒナゲシ(雛芥子)のことでケシ科ケシ属の植物である。シャーレイポピー(Shirley poppy) やグビジンソウ(虞美人草) とも呼ばれる。
ヨーロッパ原産の一年草で、他のケシ科の植物も含めて単にポピーと呼ばれることもある。(引用:ウィキペディア)
名 称 | フラワーパーク浦島 |
所在地 | 香川県三豊市詫間町積528-1 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | フラワーパーク浦島 | 三豊市観光交流局 フラワーパーク浦島|香川県観光協会公式サイト |
金輪の鼻
金輪の鼻【かなわのはな】は、乙姫さまが浦島太郎と握手をかわした時に自身の腕輪(金の輪)を落としてしまった所とされる。
室浜
室浜【むろはま】は、竜宮から帰った浦島太郎が2~3年釣りをし、その間若さを失わなかったので「不老の浜」と呼び、「ぶろま」といわれていた浜であるという。
あとがき
正直に言うと、最初、荘内半島が「浦島太郎」伝説が色濃く残る地域だと知らずに私は訪れている。香川県の秩父が浜に行くついでに、紫雲出山とフラワーパーク浦島に立ち寄ったというのが最初である。そのときに、荘内半島には「浦島太郎」の伝説にかかわる地名が多く残されていることをはじめて知った。
それ以降も荘内半島に行く機会が何度もあり、浦島太郎伝説にまつわる地区にも立ち寄ってはいるが、まだ、行っていない場所があることを本稿を書いていてよく分かった。残りの場所へも是非、足を運び、おとぎ話の世界に思いを馳せたい。