はじめに
三重県名張市の景勝地としては、赤目四十八滝、青蓮寺湖や香落渓がよく知られている。確かにこれらの景勝地は何度でも行きたくなる景勝地ではある。しかしながら、これらの景勝地以外にも一度は行ってみたくなるような観光名所は名張市にはある。
私は、シニア世代となり、会社をリタイアした後は名張市で暮らす日が多くなった。そして天候の良い日にはあまり混雑しないような景勝地を訪ねるようにしている。そのような生活を続けていると今まで知らなかった意外な場所に私の興味をそそる史跡や神社仏閣があることが分かってきた。
本稿では、勿論、名張市の代表的な観光名所である赤目四十八滝、青蓮寺湖や香落渓も紹介するが、それ以外にも私が是非、お薦めしたい景勝地を紹介している。そして、本稿は私が新たに景勝地として推薦したくなった場所が増えるたびに更新していくことを前提としている。
<目次>
はじめに
赤目四十八滝
- 赤目五瀑
- 日本サンショウウオセンター
- 護摩の窟
- 延寿院
- 赤目温泉
青蓮寺湖
香落渓
積田神社
観阿弥創座の地
夏見廃寺跡
- 夏見廃寺展示館
名張藤堂家邸跡
名張市旧細川邸やなせ宿
あとがき
赤目四十八滝
赤目四十八滝【あかめしじゅうはちたき】は、三重県名張市赤目町を流れる滝川の渓谷(赤目四十八滝渓谷)にある、一連の滝の総称であって、名のある大きな滝が48滝もあるわけではない。
赤目四十八滝は、室生赤目青山国定公園の一部に指定されている地域であり、その景観は一見の価値がある。名張市の代表的な景勝地となっている理由が納得して頂けるはずである。
赤目四十八滝のうち比較的大きくて、見所とされる5つの滝を、赤目五瀑【あかめごばく】と呼ぶ。
中でも不動滝は、かつては信仰の対象であり、この滝への参拝は「滝参り」と呼ばれていた時代がある。
勿論、「赤目五瀑」以外にも名がついた滝がいくつもある。中には落差が数メートルしかないので、本当に滝と呼べるのだろうかと思ったり、気をつけないと見落としてしまうものすらある。
しかし、名前の由来を知ると不思議と愛着が湧いてきたりする。そのような滝については、別稿に記載しているので、是非、ご一読して頂きたい。
この地は古より山岳信仰の聖地であり、地元には「滝参り」という呼び方が今も残る。奈良時代には修験道の開祖である役行者(役小角)の修行場にもなったと伝わる。地名「赤目」の由来は、役行者が修行中に赤い目の牛に乗った不動明王に出会ったとの伝承によるものとされる。
渓谷の周辺地域は野生動物と植生の宝庫である。特に渓谷は、世界最大級の両生類の一つといわれるオオサンショウウオの棲息地として知られ、滝への入り口付近には飼育・展示施設の日本サンショウウオセンターが設置されている。
滝のある渓谷は約4kmにわたって続き、四季折々の景観が楽しめるハイキングコースとなっている。紅葉の名所としても知られているので、秋には多くの観光客が訪れて、賑わいを見せる。
また、伊賀忍者の祖と言われる百地三太夫【ももちさんだゆう】が修行の場としてこの地を選び、多くの忍者を輩出したとも伝えられている。そのため、夏場には忍者にちなんだイベントも開催されている。
名 称 | 赤目四十八滝 |
所在地 | 三重県名張市赤目町長坂671-1 |
駐車場 | あり(有料) |
Link | 忍者修行の里 赤目四十八滝 |
日本サンショウウオセンター
日本サンショウウオセンターは、赤目四十八滝の入口にあり、ここが滝巡りのスタート地点となる。入館料は、赤目四十八滝入山料(500円)に含まれる。
オオサンショウウオは、赤目町を流れる滝川にも生息し、「生きた化石」と呼ばれる稀少動物で、特別天然記念物に指定されている。
日本サンショウウオセンターでは、オオサンショウウオが飼育されており、赤目生まれのオオサンショウウオをはじめ9種類50匹以上が展示されている。日本の珍しいサンショウウオも見ることができる。
名 称 | 日本サンショウウオセンター |
所在地 | 三重県名張市赤目町長坂861-1 |
駐車場 | あり(有料) |
Link | 日本サンショウウオセンター | 観光三重 |
護摩の窟
護摩の窟【ごまのくつ】は、赤目五瀑の一つである千手滝の近くに位置し、弘法大師・空海が護摩を修したところと伝えられている。現在は洞窟内に弘法大師像が安置されているという。
延寿院
延寿院【えんじゅいん】は、天台宗山門派(延暦寺派)の寺院で、山号を黄竜山と称する。御本尊は不動明王である。本堂は、赤目四十八滝の入山口に近く、坂を登った先に位置する。地元では、別名で「滝寺」とも呼ばれている。
寺の創建は、役行者【えんのぎょうじゃ】によるものとされているが、平安時代の中頃に役行者ゆかりの赤目滝が僧・正縁によって発見され、河内国の僧である延僧によって本堂が1122年に建立されたと伝わる。
本堂には、霊験あらたかな赤目不動尊像が安置されている。赤目不動尊は、目黒不動尊や目白不動尊と共に、日本不動三体仏の一つに数えられている不動尊である。
延寿院の前身は、青黄竜寺と呼ばれており、伊賀一国の納経所となっていた。そのため多くの参詣者が集まり、賑わっていたという。
境内にある石燈篭は、鎌倉時代の傑作と言われ、旧国宝であり、現在は国の重要文化財に指定されている。
また、境内にある枝垂桜の推定樹齢は300年以上であり、名張市の文化財に指定されている。
名 称 | 黄竜山 延寿院【えんじゅいん】 |
所在地 | 三重県名張市赤目町長坂755 |
駐車場 | なし |
Link | 延寿院 | 観光三重 |
赤目温泉
赤目温泉【あかめおんせん】は、三重県名張市の赤目四十八滝の入口辺りで湧く温泉である。1967年に最初の温泉施設が開湯したのが歴史の始まりでとされる比較的新しい温泉である。
赤目四十八滝遊歩道の入り口付近に建つ3軒の温泉施設兼宿泊施設(対泉閣・滝本屋・トマルカフェSANKAKU)の泉質はアルカリ性単純温泉で、無色透明のお湯である。
一方、少し離れた山中にある沢沿いの一軒宿(山水園)の泉質は単純弱アルカリ性放射能泉である。ラドン含有率は近畿で随一とされている。
異なる源泉が湧いているのは興味深い。また各旅館は、いずれも趣向を凝らした浴場を備えた和風旅館であり、山里の料理が名物となっている。
温泉宿
対泉閣
名 称 | 伊賀かくれ宿 赤目温泉隠れの湯 対泉閣 |
泉 質 | アルカリ性単純温泉 |
所在地 | 三重県名張市赤目町長坂682 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 対泉閣公式HP |
滝本屋
名 称 | 四季の宿 滝本屋 |
泉 質 | アルカリ性単純温泉 |
所在地 | 三重県名張市赤目町長坂716 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 滝本屋公式HP |
トマルカフェSANKAKU
名 称 | トマルカフェSANKAKU |
泉 質 | アルカリ性単純温泉 |
所在地 | 三重県名張市赤目町長坂720-1 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | トマルカフェSANKAKU |
山水園
名 称 | 山の湯 湯元 山水園 |
泉 質 | 単純弱アルカリ性放射能泉 |
所在地 | 三重県名張市赤目町柏原1203 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 山水園公式HP |
青蓮寺湖
青蓮寺ダム【しょうれんじダム】は、三重県名張市青蓮寺に位置し、名張川の支流である青蓮寺川に造られた多目的ダムで、そのダム湖は青蓮寺湖【しょうれんじこ】と呼ばれている。
青蓮寺湖は、室生赤目青山国定公園の一部に指定されている地域であり、その景観は一見の価値がある。展望台は絶好のビューポイントとなっている。
青蓮寺ダムの型式はアーチ式コンクリートダムであり、高さは82 mもある。
青蓮寺湖は、ブラックバス釣りでも知られるが、周囲を山に囲まれた風光明媚な場所である。春(3月下旬~4月上旬)は桜、秋(11月上旬~下旬)は紅葉が湖面に映える。
青蓮寺湖の美しい湖畔はサイクリングにも最適である。適度なアップダウンがあるので、日頃のトレーニング不足を補うのにちょうど良い。
自転車で青色に塗装された青蓮寺橋を渡りながら眺める景色は格別である。
赤色に塗装された弁天橋を渡りながら眺める景色も格別である。
近くの青蓮寺湖観光村ではぶどう狩り、いちご狩りが楽しめる。また、青蓮寺川上流には紅葉の名所として知られる香落渓があり、山を越えると赤目四十八滝もある。
名 称 | 青蓮寺湖(青蓮寺ダム湖) |
所在地 | 三重県名張市中知山1-166 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 青蓮寺・香落渓 – 三重 なばりの観光ガイド 青蓮寺ダム管理所-水資源機構 木津川ダム総合管理所 |
香落渓
香落渓【かおちだに】は、三重県名張市にある渓谷で、名張川(木津川水系)の支流である青蓮寺川の上流域に位置する渓谷である。下流には青蓮寺湖がある。
室生火山群の活動がつくりだした雄大な渓谷で、柱状節理の岩壁(断崖や奇岩)が、青蓮寺川に沿って約8kmくらい続く。
香落渓一帯は、野生動物と植生の宝庫でもあり、室生赤目青山国定公園の一部に指定されている地域である。その景観は一見の価値があり、名張市の代表的景勝地の一つとして知られている。
青蓮寺川に沿って造られた県道81号線を走っていると柱状節理による斧で刻んだような壮大な断崖が聳え立っている場所がある。屏風岩、天狗柱岩、鬼面岩、鹿落岩などと名づけられた奇岩群が目に飛び込んでくる。
これらは1500万年前に起こった火山の噴火によって堆積した安山岩が幾年もの歳月を掛けて侵食され続けたことで形作られたものである。奇岩群の他に茶屋滝や抹揚淵などの名所もある。
紅葉の名所としても有名で、秋には山が紅葉で色づくことから多くの観光客で賑わう。
名 称 | 香落渓・紅葉谷 |
所在地 | 三重県名張市青蓮寺 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 香落渓 | 観光スポット | 観光三重 |
積田神社
積田神社【せきたじんじゃ】は、「南都春日大社奥宮」【なんとかすがたいしゃおくみや】とも呼ばれる神社である。
今から約1350年ほど前にあたる西暦676年に、鹿島大神【かしまおおみかみ】が常陸国【ひたちのくに】の鹿島神宮から大和国【やまとのくに】の春日大社へと遷幸【せんこう】した際、途中で立ち寄られて鎮座された場所とされている宮である。したがって、仮の宮とは言え、春日大社の前身にあたる神社である。
鹿島大神は、鹿島神宮の御祭神である武甕槌大神【たけみかづちのおおかみ】のことである。記紀に記された日本神話では、天照大御神の命を受け、経津主大神【ふつぬしのおおかみ】と共に、葦原の中つ国の王である大国主大神【おおくにぬしのおおかみ】に「国譲り」を交渉をした神さまとして知られる。ちなみに経津主大神は香取神宮の御祭神である。
積田神社には、下記の3柱の神さまが祀られている。
- 武甕槌大神【たけみかづちのおおかみ】
- 経津主大神【ふつぬしのおおかみ】
- 天児屋根命【あめのこやねのみこと】
鹿島大神はムチがわりに柿の枝を用いていたと伝わる
天児屋根命は、日本神話の「天岩戸神話」において天照大御神が岩戸を少し開いたときに布刀玉命【ふとたまのみこと】とともに鏡を差し出した神さまで、春日神の一柱として春日大社で祀られている。
積田神社の参道は、例年11月下旬~12月上旬に紅葉の見頃を迎え、イチョウとカエデが色づき、絶景を作り出す。
紅葉の名所の一つであることは、地元ではよく知られているが、世間一般にはまだ無名と言わざるを得ない。
積田神社がこのまま静かな隠れた紅葉の名所でいてもらいたい気持ちと、より多くの人にも知ってもらいたい気持ちが正直、半々である。
名 称 | 積田神社 |
所在地 | 三重県名張市夏見2162 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 積田神社 | 観光三重 |
観阿弥創座の地
能の大成者である観阿弥が初めて座を起こしたとされる地が現在の三重県名張市の小波田地区にある。
現在、この地区には観阿弥が座を起こしたことを記念して能舞台が設置されており、「観阿弥ふるさと公園」として整備されている。
そしてこの能舞台で例年11月の第一日曜日に観阿弥祭が開催されている。私は偶然にも名張市の広報誌で2022年11月6日に観阿弥祭が開催されることを知り、その観阿弥祭を観劇できる機会を得ることができた。
コロナ禍で観阿弥祭の中止が続いていたらしいが、3年ぶりに開催されたという2022年の観阿弥祭は、第53回目を迎えていた。2022年の観阿弥祭では名張子ども狂言の会(大蔵流)による狂言(「しびり」)や連吟(「宇治の晒」)と、地元の能楽愛好団体による謡曲【ようきょく】や仕舞【しまい】が披露された。
さらに2022年の観阿弥祭は、名張能楽祭が同時開催されたことから大蔵流狂言師の茂山宗彦【しげやまもとひこ】氏と山下守之【やましたもりゆき】氏による狂言「清水【しみず】」を鑑賞することもできた。狂言「清水」は、大蔵流では鬼狂言と呼ばれ、太郎冠者(シテ=主役)と主人との掛け合いが楽しい話である。
主人に先回りするために家と清水との間を疾走する太郎冠者の様子と苦しい言い訳が演じられており実に楽しい。この狂言の話は、かつて学校の何かの教科書で学んだ記憶があり、非常に懐かしい思いがした。
名 称 | 観阿弥創座の地(観阿弥ふるさと公園) |
所在地 | 三重県名張市上小波田 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 観阿弥|名張市 |
夏見廃寺跡
夏見廃寺跡【なつみはいじあと】は、名張川右岸の男山南斜面に位置する古代寺院跡である。発掘調査により、白鳳文化を伝える「せん仏」などが出土しており、国の史跡に指定されている。周辺は公園として整備されている。
創建当時の寺院名は「昌福寺」と推定されている。主要伽藍として、金堂(本堂)、三重塔、講堂および掘立柱建物の遺構が発掘されている。
これら主要伽藍の配置は、斜面上段の中央に金堂を配置し、その東側に三重塔を配置している。斜面下段においては、講堂を西側に配置し、掘立柱建物をその東側に配置している。掘立柱建物は僧坊ではないかと推定されている。
発掘調査によれば、金堂は7世紀末頃(白鳳期)、三重塔と講堂は8世紀前半頃(奈良時代)に建立されたと推定されている。残念ながら、これらの伽藍は10世紀末頃(平安時代)に焼失したと推定されている。
夏見廃寺(昌福寺)の創建に関しては、天武天皇の皇女である大来皇女(初代斎王)が父、天武天皇のために発願し、725年に完成したとされる説が有力である。
かつて名張は畿内の東限地とされ、ヤマト王権にとって重要地とされていた。大来皇女が飛鳥浄御原宮から東海道を通って斎宮に向かう際には名張川で禊をおこなったと伝わっている。
名 称 | 夏見廃寺跡【なつみはいじあと】 |
所在地 | 三重県名張市夏見2759 |
駐車場 | あり(無料)(名張中央公園の駐車場を使用) |
Link | 夏見廃寺|名張市 |
夏見廃寺展示館
夏見廃寺展示館は、夏見廃寺跡への入口に建ち、夏見廃寺跡の出土品等を展示している施設である。
夏見廃寺展示館の専用駐車場は、入館者以外は使用禁止である。夏見廃寺跡へは最も近い駐車場となるが、夏見廃寺跡の見学のみの場合は、名張中央公園の駐車場(無料)を使用することになる。入館料を駐車場代と考えることも一つの考えである。
名 称 | 夏見廃寺展示館 |
所在地 | 三重県名張市夏見2759 |
入館料 | 大人200円(名張藤堂家邸との共通券:大人300円) |
営 業 | 営業時間:9:00~16:30(閉館17:00) 定休日:月・木曜、祝日の場合は翌日休 |
駐車場 | あり(無料)(入館者のみ使用可) |
Link | 夏見廃寺|名張市 |
名張藤堂家邸跡
名張藤堂家邸跡【なばりとうどうけやしきあと】は、名張藤堂家の陣屋【じんや】(藩庁が置かれた屋敷)であった現存建築物の一部を公開しているものである。
名張藤堂家初代の藤堂高吉は、丹羽長秀の三男で、羽柴秀長、次いで藤堂高虎の養子となった人物である。
藤堂高吉は、伊賀国名張の旧領主筒井氏の家臣邸跡地に陣屋を構え、旧領今治より連れてきた商人、職人も城下に居住させ、名張の町の発展の礎を築いた領主であったらしい。
藤堂家の当初の名張陣屋【なばりじんや】の屋敷は、1710年の名張大火で焼失したため、その後に徐々に再建・増築されたきたものと推定されている。
明治元年にその陣屋屋敷の大部分が破却されたが、屋敷の一部は居住部分(中奥や茶室)を中心に残こされている。上級武士の屋敷として、生活の場の中奥部分が残されているのは全国的にも珍しく、貴重な存在となっている。そのため三重県の文化財に指定されている。
また、桃山式枯山水の庭園も残こされている。
名張藤堂家は、江戸時代には津藩(藤堂本家)の一門家臣であった。元々は丹羽家を遠祖とするため、藤堂本家からの独立を試みるが、それに失敗して以降は藤堂本家からの監視が厳しく、不遇であったとされる。
名 称 | 名張藤堂家邸跡 |
所在地 | 三重県名張市丸之内54-3 |
入館料 | 大人200円(夏見廃寺展示館との共通券:大人300円) |
営 業 | 営業時間:9:00~17:00(閉門) 定休日:月・木曜、祝日の場合は翌日休 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 名張藤堂家邸|名張市 |
名張市旧細川邸やなせ宿
名張市旧細川邸やなせ宿は、江戸時代末期から明治初年に、薬商細川家の支店として建てられた旧細川邸を観光交流施設として位置づけされた施設である。観光交流センターと呼ぶに相応しい施設である。名張の情報発信にも寄与している。
旧細川邸は、虫籠窓【むしこまど】や袖卯達【そでうだつ】、つし二階を備える典型的な町屋である。そのため旧細川邸の川蔵、主屋、中蔵や門が国の有形文化財に指定されている。
旧細川邸の母屋部分は、当時の面影をそのまま残しているという。したがって、初瀬街道(大和長谷寺と伊勢神宮を結ぶ街道)沿いに名張らしい風情をかたちづくっているとされる。
施設の愛称、やなせ宿【やなせしゅく】の由来は、明治維新以前の名張の地が簗瀬【やなせ】と称されていたからだという。そして、「宿」には江戸時代の「初瀬街道」の宿場として栄え、名張八宿と呼ばれた賑わいを再生して、人々が集う場所となることを目指したいとの願いが込められているようだ。
尚、名張の地が、簗瀬と呼ばれていた理由は、古来より名張川は鮎【あゆ】の名所で、この付近には鮎を捕るためにの簗【やな】がたくさん設けられ、いつしか地名も「簗瀬」と称されるようになったからだという。
この「旧細川邸やなせ宿」は、歴史的町並みの保存整備に関する拠点施設とするため、名張市の目指す「名張地区既成市街地再生計画・名張まちなか再生プラン」のプロジェクト概要に沿って改修工事を行ったものであるという。
この施設は、平成20年(2008年)6月7日にオープンしたというから、かれこれ15年の年月が過ぎたことになる。
今では、ワンデイシェフ(日替わりシェフ)の「ワンデイレストラン」のランチも楽しめる。私もデザート付きのハンバーグランチを美味しく頂いた経験がある。
その他には各種教室の開催、さらにはギャラリーとしての展示スペースなどとしても活用されているという。私が訪ねた日も地元写真愛好家による写真展が開催されていた。
この「旧細川邸やなせ宿」は、名張地区を訪れる観光客へ観光案内所および地域住民の交流施設として、観光客が随時利用でき、観光情報の提供や地場物産品等の紹介が日々行われている。
さらには、名張市の文化や伝統を紹介したり、来館者が再訪したくなるような憩いのスペースになることを目指しているという。
いずれにせよ、江戸時代から明治初年に薬商細川家の支店として建てられた町家が、観光交流施設として名張の情報発信基地に再生されたのは興味深いことである。
ちなみに薬商細川家の本店(奈良県宇陀市大宇陀区)の方は、宇陀市の文化財に指定され、現在は歴史文化館「薬の宿」として公開されているという。
名 称 | 名張市旧細川邸やなせ宿 |
所在地 | 三重県名張市新町136 |
入館料 | 無料 |
営 業 | 営業時間:9:00~17:00 定休日:月曜、祝日の場合は翌日休 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 名張市旧細川邸やなせ宿 やなせ宿の概要について|名張市 |
あとがき
「灯台下暗し」という言葉があるが、まさしく今の私に当てはまる言葉である。名張市には今から20年も前に住んでいたが、当時はただ暮らしていただけで、名張の文化や歴史のことはあまり知らないでいた。
20年ぶりに名張の地で過ごす時間が増えて、少しずつではあるが、ようやく名張の良さが分かるようになった気がしている。
一方で、自分自身もシニアになったという年齢の影響が多分にあるような気がしている。いずれにせよ、折角の機会なので名張での生活を満喫したいと思っている。