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日本武尊を祀る和泉国一宮「大鳥大社」

はじめに

日本武尊【ヤマトタケルノミコト】(景行天皇12年~41年)は、古墳時代の天皇である景行天皇(垂仁天皇17年~景行天皇60年、第12代天皇)の皇子で、古代日本史上で最も有名な伝説的英雄である。

日本武尊の物語は『日本書紀』や『古事記』に記されており、熊襲征討東国征討を行ったとされる語はよく知られている。

日本武尊は、若い頃に、九州の熊襲【くまそ】を征伐するために派遣された。その際、彼は女装して敵の宴に潜入し、敵の首領を討ち取るという大胆な作戦を成功させたという(熊襲征討)。

その後、東国(現在の関東地方)を平定するために派遣され、多くの戦いを経て勝利を収めた(東国征伐)。日本武尊は、熱田神宮で祀られている草薙剣【くさなぎのつるぎ】を用いて、敵の火攻めから逃れたという伝説も残されている。

日本武尊の物語は、勇気と知恵、そして悲劇的な最期を描いたものとして、多くの人々に語り継がれている。その英雄の記述が、日本書記と古事記では異なる

日本書紀では、天皇賛美の傾向が強く、父の景行天皇に忠実で、天皇からの信頼も厚い日本武尊像が描かれている。まさに英雄である。

一方、古事記では父の天皇に疎まれ、肉親の愛に飢える悲劇の主人公として描かれている。話の大筋は同じだが、古事記では、日本武尊は 豪胆な性格ゆえ、父の景行天皇に疎まれるという人間関係から来る悲劇性が濃い。その分、浪漫的要素も強くなっている。何故、このように日本武尊の性格、エピソードの捉え方や全体のトーンに大きな差があるのかは謎である。

日本武尊の最期は、「伊吹山の神」の怒りに触れて病に倒れ、その魂は白鳥となって飛び去ったという。その白鳥が最終的に降り立った地に建立されたのが大鳥大社【おおとりたいしゃ】であると伝わっている(白鳥伝説)。

目次
はじめに
大鳥大社
あとがき

大鳥大社

大鳥大社は、大阪府堺市西区に位置する神社である。主祭神として日本武尊【ヤマトタケルノミコト】を祀り、大鳥連祖神【おおとりのむらじのおやがみ】も祀られている。全国にある大鳥神社総本社である。

日本武尊の武勇伝は、広く知られている。ヤマト王権に抵抗する九州南部の熊襲を平定し、帰途も従わぬ者たちを征伐しながら出雲の国をも平定した。そして、都に帰ると休む間もなく東国の平定を命ぜられた。東国追討に赴き、様々な災難に遭いながら何とか帰途につく。

その途中に伊吹山の荒ぶる神を倒すために山に入り、神の祟りに遭って病に冒された。病身のまま大和を目指したが、都にたどり着くことができずに伊勢国の能褒野【のぼの】で亡くなった。

亡骸はその地に葬られたが、その陵墓から白鳥となって飛び立ち最初に舞い降りた地が大和国の琴引原【ことひきのはら】(琴引原白鳥陵)の地であった。

再び飛び立ち、次に舞い降りたのが河内国の古市(古市白鳥陵古墳)の地であったという(日本書紀伝)。

その後は、社伝によると再び天空高く舞い上がり、最後に大鳥の地に舞い降りたという。そこに社を建ててお祀りしたのが大鳥大社の起源となっている。

神域は千種森【ちぐさのもり】と呼ばれ、白鳥が舞い降りた際、一夜にして樹木が生い茂ったと伝わる。以上が大鳥大社で伝承されている「白鳥伝説」である。

一方、大鳥連祖神は、この和泉国に栄えた神別である大中臣と祖先を一にする大鳥氏の部族の先祖をお祀りしたものである。

平安時代初期に編纂された古代氏族名鑑である「新撰姓氏録」には天児屋根命【あめのことやねのみこと】を祖先とすると伝えられている。

大鳥神社の主祭神・日本武尊の神徳は、文武の神として、累代の武家からの崇敬が篤く、多くの武人が参拝している。例えば、平清盛重盛父子が熊野参詣の途中に大鳥神社を参拝し、祈願と共に和歌と名馬を奉納したと伝わっている。

また、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と言った名だたる三武将も社領の寄進、社殿の造営等を再度に亘って奉仕したとの記録が残っている。

名 称大鳥大社
所在地大阪府堺市西区鳳北町1-1-2
TEL072-262-0040
駐車場あり(無料)
Link大鳥大社 (ootoritaisha.jp)

あとがき

大鳥大社は、日本武尊の伝説に深く結びついており、彼が白鳥となって飛び去った後、その白鳥が最終的に降り立った地に建立されたと伝えられている。この伝説的背景が、多くの参拝者を引きつけているのだと思う。

大鳥大社は、勝運、商売繁盛、交通安全、初宮(お宮参り)などのご利益があるとされている。特に「先が見通せる御守り」が人気が高い。

大鳥大社の本殿は「大鳥造」と呼ばれる独特の建築様式を持ち、切妻造・妻入社殿という古形式を保っている。また、拝殿前の鳥居は珍しい八角形の柱を使っており、見どころの一つとなっている。

境内の神域は、千種森【ちぐさのもり】と呼ばれ、樹木が密生しており、自然の中で静かな時間を過ごすことができる。御神木である楠【クスノキ】は、樹齢600年を超えるとされている。この楠は「根上がりの大クス」とも呼ばれ、その根が地上に盛り上がっていることから、商売繁盛や財運向上の象徴とされている。

大鳥大社では、毎年8月13日に例祭が行われ、多くの参拝者が訪れるという。また、10月には「鳳だんじり祭」が開催され、地域の伝統文化を楽しむことができるらしい。

私は、車を利用したが、大鳥大社はJR阪和線「鳳駅」から徒歩約3分とアクセスが非常に良く、気軽に訪れることができる。鳳駅前の道路は狭いので、混雑が予想される際には公共交通機関を利用した方が良さそうである。


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