はじめに
大鳥神社は、滋賀県甲賀市に位置する神社で、「てんのうさん」とも呼ばれる。主祭神としてスサノオノミコトが祀られている。
大鳥神社で行われる「大原ぎおん(祇園祭)」は、毎年7月23日(宵宮祭)と24日(本祭)に開催される夏祭りである。八坂神社の祇園祭と同様に、疫病や災厄を祓うための祭礼である。
大鳥神社の祇園祭は、応永22年(1415年)から続く伝統ある祭礼で、古くから地域の人々に親しまれている。宵宮祭では、氏子たちが灯籠を頭に載せて宮入りし、灯籠をぶつけ合う「灯籠ぶつけ」を行う。一方、本祭では、花鉾を先頭に花傘を持参して歌い踊る「花奪神事」が行われ、飾られた花を奪おうとする人々と、それを防ぐ人々との壮絶な様子が展開される。
大原ぎおん(祇園祭)は、その華麗さと荒々しさで知られ、「喧嘩祭り」とも呼ばれているそうである。
大鳥神社
大鳥神社【おおとりじんじゃ】は、甲賀市甲賀町鳥居野にある神社で、主祭神として素盞鳴命(スサノオ)を祀っている。そして相殿神としてスサノオの妻神である櫛名田比売【くしなだひめ】と大己貴命(=大国主命)も祀られている。
平安時代の元慶6年(882年)に、伊賀国阿拝郡河合郷篠山嶽より大原中に勧請されるが、その後鳥居野(現在地)に遷座する。
その際、神宮寺として天台宗の大原山河合寺も創建され、両者は神仏習合の下で一体化し、河合寺には子院が36院もあって、大いに栄えたという。
鎌倉時代から室町時代にかけ、近江守護の六角氏の崇敬が厚く、社名も河合社・河合祇園社・大原祇園社・牛頭大明神・牛頭天王社などと呼ばれるようになったという。
明治元年(1868年)の神仏分離令によって河合寺と分離され、河合寺は弥勒如来坐像などを櫟野寺に移して廃寺となった。
さらに令達によって旧大原荘の大の字と鳥居野の鳥の字を合わせて当社の名称は「大鳥神社」に改められたという。
大正5年(1916年)4月に、本殿のみを残して拝殿の一部、楼門、回廊、神楽殿、社務所、旧河合寺堂舎などを焼失するが、大正9年(1920年)に復興されたらしい。
毎年7月23日と24日に行われる大鳥神社の祇園祭は、その歴史は古く、応永22年(1415年)から続く例祭で、「大原ぎおん」とも呼ばれる。
すべての災いや病気の疫神を払う祭礼で、華麓さと壮観(荒々しさ)で知られている。
名 称 | 大鳥神社 |
所在地 | 滋賀県甲賀市甲賀町鳥居野782 |
電 話 | 0748-88-2008 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 滋賀県甲賀市 大鳥神社 |
あとがき
率直に言えば、私は「大原ぎおん」という言葉の響きからもっと優雅な祇園祭をイメージしていたが、調べてみると「喧嘩祭り」と言われるだけに祇園祭の優雅さよりも荒々しさの方が勝っているような印象を受ける。
毎年7月23日の宵宮祭でさえ、激しいバトルが想像される。
- 灯籠ぶつけ
- 氏子たちが灯籠を頭に載せて宮入り
- その灯籠をぶつけ合う
- 獅子の舞火取式
- 大原中の踊り子が獅子の舞を披露
毎年7月24日の本祭は、完全なバトル以外の何物でもない!
- 花奪神事
- 花鉾を先頭に花傘を持参して歌い踊る行事
- 飾られた花を奪おうとする人々と、それを防ぐ人々との壮絶な様子が展開される
華麗な「大原ぎおん」という名の、荒々しさで知られる「喧嘩祭り」を、傍観者の一人として、安全な場所から一度は見学してみたいという好奇心が私に芽生えたのは確かである。尤もかつてのような賑わいのあった「大原ぎおん」が残っていればの話であるが・・・「大原ぎおん」の伝統の灯が消さないで貰いたい。