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伊賀の国・伊賀市の芭蕉の生家と蓑虫庵

はじめに

伊賀の国」は、かつての日本の地方行政区分で、現在の三重県西部、上野盆地一帯に該当する令制国の一つであり、東海道に属していた。「伊賀」は、現在でも三重県の伊賀地方を指す呼称として使われており、伊賀市と名張市を中心に構成されている。伊賀は、伊賀流忍者の発祥地として知られ、伊賀焼(陶器・炻器)や伊賀組紐の産地としても有名である。

伊賀市は、俳聖と呼ばれる松尾芭蕉の故郷であり、彼の生家【せいか】がある。また彼の門弟・服部土芳の居宅である蓑虫庵【みのむしあん】もある。これらの施設は、芭蕉翁の生涯とその作品を深く理解するための重要な場所となっている。

本稿は、史跡となっている芭蕉翁生家と、蓑虫庵を訪ねた際の記録である。


史跡芭蕉翁生家

史跡芭蕉翁生家は、寛永21年(1644年)に生まれた松尾芭蕉が30歳頃まで過ごした生家があった場所とされる。松尾芭蕉が生まれた地として、地元には「上野説」と「柘植説」が江戸時代からある。この史跡芭蕉翁生家は「上野説」によるものである。

史跡芭蕉翁生家正面
「上野説」による史跡芭蕉翁生家

現在の建物は、芭蕉が生きていた当時のものではないが、芭蕉ゆかりの地として長年大切にされてきたものである。伊賀市の有形文化財に指定されている。

和室
20畳ある三間続きの和室

松尾芭蕉は、藤堂新七郎家の嗣子・藤堂良忠に仕えていた。そのときに俳諧に出会って、俳諧を志すことになる。

土間から和室
土間から見た和室

句集『貝おほひ』は、生家の敷地内にあった釣月軒【ちょうげつけん】で執筆されたものとされる。この句集を上野天神宮へ奉納した後に、芭蕉は俳諧師になるべく江戸に出たと伝わる。

土間の眺め
土間

そのあとも、帰郷のたびにこの生家で過ごし、多くの名句を詠んだと伝わっている。

釣月軒の組写真
釣月軒(芭蕉が句集「貝おほひ」を執筆したとされる場所)

この生家の庭には芭蕉が自分の臍の緒【へそのお】を見つけた際に詠んだ「旧里や臍のをに泣としのくれ」という句碑が残っている。

中庭の画像
中庭(亀と鶴の組石がある)

元禄7年(1694年)には、伊賀の門人たちの尽力によって「無名庵」と称された庵が新たに敷地内に建てられたが、明治以降に失われ、句碑だけが残っている。

敷地西側の後ろ庭の画像
後ろ庭(無名庵跡の句碑がある)

質実な町家風の間取りや、梁・柱の荒々しい木組みから「江戸時代の暮らし」を感じることができる。

平面図
史跡芭蕉翁生家・間取り図

中庭には石灯籠や飛び石を配し、わびさびを意識した簡素な佇まいを醸し出している。敷地内の小茶室「幽蕉庵」【ゆうしょうあん】では、定期的に茶席や俳句会が催され、訪れるたびに違う表情を見せてくれるという。

名 称 史跡芭蕉翁生家
所在地三重県伊賀市上野赤坂町304
電 話0595-24-2711
入館料大人300円
営 業開館時間:午前8時30分~午後5時
休館日: 毎週火曜日、年末年始
駐車場あり(有料)
Link

蓑虫庵

蓑虫庵は芭蕉の高弟であった服部土芳【はっとりどほう】によって1688年に建てられた草庵(居宅)で、芭蕉も帰省した折には度々ここを訪れていたらしい。

服部土芳(1875–1951)は、俳人・書家としても知られ、自身の詩情を形にするため山林に草庵を築いた。素朴な外観ながら、軒先の絶妙な反りや木建具の緻密さに土芳らしさが宿っていると伝えられている。

蓑虫庵の由来は、芭蕉翁が庵開きの祝いとして服部土芳に贈った句「みの虫の音を聞きにこよ草の庵」に因んで名づけられたと伝わっている。

古い町並みの中に往時の面影を残す蓑虫庵

芭蕉の門人は地元では「伊賀連衆」と呼ばれ、高弟であった服部土芳は、この草庵(居宅)で芭蕉の遺語を集めて「三草子」を執筆したと伝わっている。

室内には床の間の掛け軸だけでなく、障子や襖にも土芳自身の書がびっしりと書かれている。野趣あふれる筆致と詩文が、静謐な空間をダイナミックに引き締めている。

「古池や 蛙飛び込む 水の音」の句碑

蓑虫庵は、無名庵、西麓庵、東麓庵や瓢竹庵など「芭蕉翁五庵」と呼ばれた草庵の一つである。

蓑虫庵は、芭蕉翁五庵の中で唯一現存するもので、庭内には茶室が完備されている。庭園にも趣があり、四季を通じて楽しめる。

名 称 蓑虫庵
所在地三重県伊賀市上野西日南町1820
電 話0595-23-8921
入館料大人300円
3館共通券(芭蕉翁生家・蓑虫庵・芭蕉翁記念館)
は大人750円
駐車場あり(有料)
Link

あとがき

芭蕉ゆかりの遺品・資料展示蔵を改装した史跡芭蕉翁生家展示棟には、芭蕉が実際に使ったと伝わる笈(旅用の箱)、草鞋【わらじ】、書簡など約500点を常設で展示されている。俳句だけでなく『おくのほそ道』の下絵や直筆書簡を間近に見ることで、俳聖の「旅人」としての素顔に触れられる。

一方、蓑虫庵の小さな坪庭には飛石、蹲踞【つくばい】、苔【コケ】、そして竹林が計算された配置で、訪れる私たちをゆるやかな時間の流れへと誘う。

蓑虫庵は、もともと非公開の私設茶室であったが、地域文化振興の一環で現在は予約制見学を実施している。茶会や俳句会の舞台として借り切ることもでき、実際に土芳が味わったとされる古き良き茶の湯を追体験できると評判である。

伊賀市は、芭蕉が幼少期を過ごしたとされる伊賀の街並みをたどるウォーキングコースが充実しているほか、芭蕉の句碑が点在しており、季節ごとの風景と俳句の両方を楽しむことができる。

地域と連動した年間行事として、毎年10月には芭蕉祭が開催されている。芭蕉祭は、句会や記念講演、地元の縁日と連動し、伊賀の里山文化と俳句が一度に楽しめるお祭りとなっている。


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