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奈良市と奈良仏教の象徴「奈良の大仏・東大寺」

はじめに

東大寺は、奈良市に位置する、日本を代表する寺院である。特に「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏坐像が有名である。

御本尊である盧舎那仏坐像は、世界最大級の青銅製仏像であり、その圧倒的な大きさと美しさは訪れる人々を魅了する。

その盧舎那仏坐像を安置する大仏殿も世界最大級の木造建築物であり、その壮大な構造は一見の価値がある。

また、南大門は、鎌倉時代を代表する建築物であり、運慶と快慶らが彫ったとされる金剛力士像が安置されている。これらの像は国宝に指定されている。

二月堂では、毎年3月に「お水取り」と呼ばれる修二会が行われている。この春の訪れを告げる行事は、1200年以上も続いており、その長い歴史と伝統を感じることができる。

東大寺は、ユネスコの世界遺産「古都奈良の文化財」に登録されている(登録年:1998年)。以来、国内外から多くの観光客が訪れている。

東大寺を参拝する際には、スケールの大きさに感嘆するだけでなく、その長い歴史と高い文化にも関心を持ちたいと思う。


<目次>
はじめに
東大寺
あとがき

東大寺

東大寺【とうだいじ】は、華厳宗大本山の寺院である。山号はない。御本尊は盧舎那仏【るしゃなぶつ】で、奈良大仏として知られる。奈良時代に、聖武天皇が建立した寺院である。

聖武天皇は、仏教による国家鎮護のために当時の令制国60余か国に国分寺【こくぶんじ】の建立を命じていた。そして東大寺をそれら各国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けたという。

東大寺は、近代以降は所属宗派を明示する必要から華厳宗を名乗っているが、奈良時代には「六宗兼学の寺」とされ、大仏殿内には各宗の経論を納めた「六宗厨子」があった。

「六宗」とは、奈良時代の南都六宗(華厳宗・法相宗・律宗・三論宗・成実宗・倶舎宗)を指す。「宗派」というよりは「学派」と呼ぶべきものである。尚、日本仏教で「宗派」という概念が確立したのは中世以後のことである。

平安時代になり、桓武天皇の南都仏教抑圧策によって東大寺も圧迫を受けたらしい。しかし、唐から帰国した空海が東大寺の別当となり寺内に真言院が開かれ、空海の真言宗と共に最澄天台宗を加えて「八宗兼学の寺」として再出発したという。

聖武天皇の発願により建立された盧舎那仏(大仏)と大仏殿は、2度の兵火で焼け落ち、現存する大仏殿は三代目であり、江戸時代に再建されたものであるという。

三代目大仏殿(国宝)の高さ(46.8m)と奥行き(50.5m)は聖武天皇時代のものとほぼ同じであるが、間口(57m)は創建時の約3分の2に縮小されているという。尚、現存の盧舎那仏(大仏)像の高さは、約14.7mであるという。

賓頭盧尊者像【びんずるそんじゃぞう】は、大仏殿の正面右側に安置された像である。賓頭盧尊者【びんずるそんじゃ】は、釈迦仏の弟子・十六羅漢の一人とされる。神通力をもてあそんだとして釈尊に叱責され涅槃【ねはん】を許されず、釈迦の入滅後も衆生【しゅじょう】の救済にあたったとされる。日本では堂の前に置き、これを撫でると除病の功徳があるという俗信が広まったという。

国宝の南大門は、鎌倉時代(1199年)に復興されたものと言われており、巨大な木造の金剛力士立像(国宝)が安置されている。高さは8.4mで日本最大である。興味深いのは、向かって左に阿形像、右に吽形像が安置されているが、これは一般的な金剛力士立像の位置とは左右逆になっていることである。

重さ26.3トンもある梵鐘(国宝)は、東大寺創建当初のものであり、鐘声の振幅は非常に長いという。「奈良太郎」の愛称もある梵鐘【ぼんしょう】で、日本三名鐘の一つに数えられている。

名 称東大寺
所在地奈良県奈良市雑司町406-1
Link東大寺 (todaiji.or.jp)

正倉院

東大寺大仏殿の北北西に位置する正倉院【しょうそういん】は、校倉造【あぜくらづくり】の大規模な正倉(高床倉庫)であり、聖武天皇や光明皇后ゆかりの品をはじめ、多数の美術工芸品を収蔵していた建物である。

名 称正倉院
所在地奈良県奈良市雑司町129
Link正倉院 (kunaicho.go.jp)
正倉院 – 東大寺 (todaiji.or.jp)

あとがき

東大寺の鐘楼に伝説が残されている。それは、鎌倉時代の武将、朝比奈三郎義秀にまつわる伝説でもある。義秀が梵鐘を撞いたところ、三日三晩鐘の音が鳴りやまなかったという。そのため、それ以降は、本来、鐘木が当たる撞座の下の部分を撞くようになったという伝説である。非常に興味深い伝承である。現在でも、そのようにしているのであろうか?