はじめに
佛頭山極楽寺【ぶっとうざんごくらくじ】は、奈良県御所市に位置する、浄土宗知恩院派の寺院である。御本尊は、阿弥陀如来立像である。
極楽寺は、金剛山と葛城山に囲まれた自然豊かな場所にあり、長い歴史を持つ古刹である。境内には本堂や天得堂、開山堂などがある。
佛頭山極楽寺
極楽寺【ごくらくじ】は、浄土宗の寺院である。山号を仏頭山 【ぶっとうざん】と称する。天歴5年 (951年)に一和僧都 【いちわそうず】によって創建された寺院であると伝わる。
極楽寺沿革の概略によれば、一和僧都(一和上人)が修行修学のため静寂なる地を求めていたところ、あるときに金剛山の東麓に毎夜放つ不思議な光を見つけた。奇異に思い、その出所を探していたところ、生身の仏様のような仏頭(弥陀仏の頭)が発掘されたと伝わる。
一和上人はこの不思議なことに驚いたが、この地を有縁の地と考えて「仏頭山」と呼び、天暦5年(951年)に発掘した仏頭を本尊として草庵を結んで、「法眼院」と名付けたという。法眼院【ほうげんいん】は院号である。
一和上人は、いよいよ善業【ぜんごう】を修め、念仏の功を積んだとされる。上人は正暦5年(993年)に大往生を逐げられたという。
そのため、この寺院は「佛頭山法眼院極楽寺」と称されるようになったと云えられている。
名 称 | 佛頭山極楽寺 |
所在地 | 奈良県御所市南郷108 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 浄土宗佛頭山極楽寺 極楽寺 | 御所市 (city.gose.nara.jp) |
あとがき
一和僧都は、南都(現在の興福寺)で修行し、後に興福寺の座主となった僧侶で、一般には「一和上人」と呼ばれることが多い。尚、僧都は僧正に次ぐ階級を示すのに対し、上人は尊称として使われることが多い。
佛頭山極楽寺の歴史は非常に興味深い。その概要をまとめると下記のようになる。
- 開山
- 天歴5年(951年)に一和僧都によって開山される
- 仏頭の発見
- 金剛山の東麓で光を放つ場所を探し求めたところ、仏頭(弥陀仏の頭)が発掘された
- これを本尊として草庵を結び、法眼院と名付けた
- 中興開山
- 建治元年(1275年)には浄土宗第三祖の記主禅師の門弟である林阿上人が当寺に入り、念仏の教えを広めた
- 戦乱と再建
- 天正10年(1582年)に戦乱で大きな被害を受けた
- 寛文年中(1661~1673年)に再建が企図された
- 近代の復興
- 明治15年(1882年)以降、仏法復興の気運と共に庫裡の再建が着手される
- 昭和2年(1927年)には天得堂が再建された
このように、佛頭山極楽寺は長い歴史を持ち、多くの困難を乗り越えてきたことが分かる。