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  • 御墓山古墳を歩く──古墳に眠る人々の姿を想う旅

    目次
    はじめに
    古墳の魅力について
    御墓山古墳を歩く
    歩いて感じた御墓山古墳
    この古墳に眠るのは誰なのか
    1500年前の伊賀を想像する
    古墳に眠る人々の姿を想う
    私たちが古墳から学べること
    あとがき



    はじめに



    三重県には数多くの古墳が残されているが、そのなかでもひときわ大きな前方後円墳が存在する。三重県内で規模の大きい前方後円墳を挙げると、次の4基になる。

    • 御墓山古墳(墳丘長188m・伊賀市佐那具町)
    • 馬塚古墳(墳丘長142m・名張市美旗町〈美旗古墳群〉)
    • 石山古墳(墳丘長120m・伊賀市才良)
    • 宝塚一号墳(墳丘長111m・松阪市宝塚町・光町)

    興味深いことに、この上位4基のうち3基が、かつての伊賀国の範囲に集中している。御墓山古墳と石山古墳は現在の伊賀市に、馬塚古墳は名張市に所在しており、古墳時代の伊賀地域に強力な首長勢力が存在していたことをうかがわせる。

    しかし、これほど巨大な古墳でありながら、その被葬者が誰であったのかは今なお明確ではない。御墓山古墳については本格的な発掘調査が行われておらず、埋葬施設の実態すら分かっていない。

    また石山古墳では発掘調査によって多くの副葬品や埴輪が発見されているものの、その被葬者の実名までは判明していない。

    考古学の研究は着実に進められているが、古墳に眠る人物像を具体的に描き出せる段階にはまだ至っておらず、多くの謎が残されている。そのことは歴史研究者にとっては課題であろうが、私たち歴史愛好家にとっては、古代への想像力をかき立てる大きな魅力でもある。

    前方後円墳とは、日本の古墳時代を代表する墳墓形式であり、3世紀後半から7世紀初頭にかけて各地で築造された。円形の後円部と方形の前方部を組み合わせた独特の形状を持ち、上空から眺めると鍵穴のように見える。

    なぜこのような特徴的な形が生まれたのかについては、祭祀の場を備えた首長墓とみる説や、宗教観・世界観との関係を指摘する説などさまざまな見解がある。しかし、その本来の意味については現在も定説がない。これは前方後円墳が今なお多くの謎を秘めていることを示している。

    奈良県桜井市の箸墓古墳は、最初期の巨大前方後円墳として知られ、古墳時代の幕開けを象徴する存在である。また、大阪府堺市の大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)は墳丘長約486メートルを誇り、日本最大の前方後円墳として知られている。

    前方後円墳は大和地域で成立したのち、日本列島各地へ広がっていった。その分布は、当時のヤマト王権と各地の首長層との政治的・文化的な結びつきを示していると考えられている。大型前方後円墳の被葬者たちは、それぞれの地域を治めながら、ヤマト王権との関係を築いた有力者たちであった可能性が高い。

    もちろん、伊賀に残る御墓山古墳や馬塚古墳、石山古墳の被葬者について確かなことは分かっていない。しかし、これほど大規模な前方後円墳を築くことができた人物である以上、古墳時代の伊賀地域を代表する首長層であったことは疑いないだろう。

    では、その人々はどのような社会を築き、どのような役割を担っていたのだろうか。そして、なぜ巨大な古墳を築かなければならなかったのだろうか。

    本稿では、限られた考古学的資料と歴史的背景を手掛かりに、伊賀の古墳に眠る人々の姿を想像してみたい。もちろん、それは厳密な歴史研究ではなく、一人の歴史愛好家としてのささやかな思索である。

    今回は、三重県最大の前方後円墳である御墓山古墳を訪ねながら、約1500年前の伊賀を生きた人々の息遣いに思いを馳せてみたい。巨大な墳丘の前に立つとき、その土の下に眠る一人の首長だけでなく、古墳を築いた無数の人々の姿もまた見えてくるような気がするのである。


    古墳の魅力について

    旅行先にある古墳や遺跡について事前に調べておくことは、旅をより豊かなものにしてくれる。私は、それぞれの古墳や遺跡がどの時代に築かれ、どのような歴史的背景を持っているのかをあらかじめ理解しておくことで、現地での体験が格段に深まることを実感している。

    私は考古学に特別詳しいわけではない。しかし、自宅や旅先の近くに古墳があると知ると、自然と興味を惹かれてしまう。その理由は、そこに歴史のロマンを感じるからである。とりわけ、被葬者が誰であったのかについて学説が分かれていたり、確定的な証拠が十分に得られていなかったりする場合には、古代史への関心がそれほど強くない人であっても、大きな魅力を感じるのではないだろうか。

    古墳は単なる土の盛り上がりではない。その一つひとつが、当時の権力者や地域社会、人々の信仰や価値観を今に伝える歴史の証人である。そこに眠る人々は何を考え、どのような時代を生きたのか。そうした物語に思いを巡らせながら古墳を訪ねる体験は、まさに時空を超えた旅と言えるだろう。

    また、古墳や遺跡は、古代日本の社会構造や文化、人々の暮らしを知るための貴重な手がかりでもある。私たちは、それらに残された歴史や文化の断片を読み解くことで、現代へと続く日本の歩みをより深く理解することができる。

    だからこそ、それぞれの古墳や遺跡が持つ独自の価値を認識し、後世へ受け継いでいくことが重要である。古墳や遺跡はかけがえのない文化遺産であり、訪れる際には敬意を持って接するとともに、その保存と継承の大切さについても意識したいと思う。


    御墓山古墳を歩く

    御墓山古墳(みはかやまこふん)は、三重県伊賀市佐那具町に所在する前方後円墳であり、国の史跡に指定されている。上野盆地北東部の丘陵先端部に築かれた大型古墳で、三重県を代表する古墳の一つである。これまで本格的な発掘調査は行われておらず、その内部構造や埋葬施設の詳細については明らかになっていない。

    御墓山古墳の墳丘長は188メートルに達し、後円部は直径110メートル、高さ14メートル、前方部は幅80メートル、高さ10メートルを測る。三重県内では最大規模の古墳とされ、築造時期は5世紀頃の古墳時代中期と推定されている。

    被葬者については現在も明確には分かっていない。考古学的には、当時の伊賀地域を統括した有力首長の墓と考えられている。一方、地元では第8代孝元天皇の皇子とされる大彦命(敢國神社の祭神)の墓であるとの伝承が残されているが、これを裏付ける確実な考古学的証拠は確認されていない。

    御墓山古墳は上野盆地を見渡す丘陵上に築かれており、古墳時代の地域支配者の権威を象徴する立地となっている。墳丘は基本的に二段築成であるが、前方部には段築を設けることで三段に見えるよう工夫されているという特徴を持つ。

    また、後円部北西側には造出(つくりだし)が設けられている。造出は古墳に付属する祭祀空間と考えられており、当時の葬送儀礼や祭祀の様子を考えるうえで重要な施設である。さらに墳丘表面は葺石(ふきいし)で覆われており、その上には円筒埴輪や形象埴輪、家形埴輪などが並べられていたことが分かっている。

    墳丘の周囲では、後円部南側に周濠の存在が確認されているが、前方部周辺には周濠は認められていない。また古墳の東側では一辺約10メートルの方墳2基が見つかっており、陪塚として築かれたものと考えられている。

    一方で、埋葬施設や副葬品については依然として謎に包まれている。後円部墳頂には盗掘坑とみられる窪みが存在するものの、本格的な発掘調査が行われていないため、副葬品の内容や埋葬方法は明らかではない。こうした未解明の部分が多く残されていることも、御墓山古墳が古代史ファンを魅了する大きな理由の一つであろう。

    188メートルという巨大な墳丘の上に立つと、約1500年前の伊賀の支配者たちが見ていたであろう風景に思いを馳せることができる。被葬者は誰だったのか、どのような権力を持ち、どのような時代を生きたのか。御墓山古墳は、今なお多くの謎を秘めたまま私たちに古代のロマンを語りかけている。

    出典:三重県|埋蔵文化財センター:御墓山古墳

    歩いて感じた御墓山古墳

    御墓山古墳を実際に訪れてまず驚かされるのは、その規模の大きさである。

    数字の上では墳丘長188メートルと理解していても、現地に立つとその巨大さは想像をはるかに超えている。後円部へと続く緩やかな斜面、木々に覆われた墳丘、そして周囲を包む静寂。その風景を前にすると、ここが約1500年前に築かれた人工の構造物であることがにわかには信じがたい。

    古墳の周囲を歩いていると、自然の丘陵を眺めているような感覚に包まれる。しかし、この巨大な墳丘は人々が土を運び、形を整え、長い時間をかけて築き上げたものである。そう考えると、その背後にあった膨大な労力と組織力に圧倒される。

    後円部北西側には造出が設けられているという。現在は樹木に覆われて全体像を把握しにくいが、ここで葬送儀礼や祭祀が行われた可能性があると考えると、古代の人々が故人を送り出した情景が目に浮かぶようである。

    また、御墓山古墳が築かれている場所は、上野盆地北東部を見渡す丘陵の先端部である。古墳の被葬者は、生前もこの風景を眺めていたのかもしれない。眼下に広がる土地や集落を見守るように築かれた巨大古墳には、地域の支配者としての威厳と誇りが込められているようにも感じられる。

    古墳を訪ねる楽しみは、解説板の内容を知ることだけではない。現地の空気を感じながら、目の前に広がる風景の中に古代の人々の営みを重ねてみることにある。御墓山古墳は、そのことを改めて教えてくれる場所であった。

    名 称御墓山古墳
    所在地三重県伊賀市佐那具町字天王下
    駐車場なし
    Link御墓山古墳 / 史跡
    三重県|埋蔵文化財センター:御墓山古墳
    御墓山古墳 文化遺産オンライン

    この古墳に眠るのは誰なのか

    御墓山古墳の最大の謎は、やはり被葬者が誰であるのかという点であろう。現在のところ、本格的な発掘調査は行われておらず、埋葬施設の詳細や副葬品の内容は明らかになっていない。そのため、被葬者を特定できる確実な証拠も発見されていない。

    考古学的には、5世紀頃の伊賀地域を代表する有力首長の墓と考えられている。墳丘長188メートルという規模を考えれば、地域社会の頂点に立つ人物であったことは間違いないだろう。

    一方で、地元には第8代孝元天皇の皇子とされる大彦命の墓であるという伝承も残されている。しかし、この伝承を裏付ける考古学的証拠は確認されておらず、現時点ではあくまで伝承の域を出ない。

    それでは、この古墳に眠る人物はどのような人生を歩んだのだろうか。

    想像に過ぎないが、伊賀の地を治め、多くの人々を束ねながら、ヤマト王権との関係を築いた首長だったのかもしれない。交易や地域経営に力を尽くし、人々の暮らしを支えた人物であった可能性もある。

    しかし、私が古墳の前に立って考えるのは、その人物の権力や地位だけではない。

    その人にも家族がいたはずである。親がいて、子がいて、親しい仲間がいたことだろう。亡くなったときには、その死を悼み、見送った人々がいたに違いない。

    巨大な古墳は一人の権力者のために築かれたものである。しかし同時に、それは故人を送り出した人々の思いの結晶でもあるように思える。

    被葬者の名前は失われたかもしれない。だが、その人が生きた証と、人々が寄せた敬意だけは、1500年という長い時を超えて今も残されているのである。


    1500年前の伊賀を想像する

    御墓山古墳が築かれたのは、今から約1500年前の5世紀頃である。当時の日本列島ではヤマト王権が勢力を拡大しつつあり、各地の有力首長たちは王権と結びつきながら地域を治めていた。

    伊賀は盆地地形に恵まれ、近畿と東国を結ぶ交通の要衝でもあった。現在のような道路や鉄道は存在しなかったが、人や物資、情報が行き交う重要な地域であったことは想像に難くない。

    御墓山古墳の墳丘長は188メートルにも及ぶ。この巨大な古墳を築くためには、膨大な土木工事と多くの労働力が必要であったはずである。一人の有力者の意志だけで完成できるものではなく、地域社会全体の協力があって初めて実現した事業であっただろう。

    古墳の築造には、土を運ぶ人々、石を積む人々、埴輪を製作する職人たち、祭祀を執り行う人々など、多くの人々が関わったに違いない。巨大な墳丘を前にすると、その頂に眠る首長だけでなく、古墳造営に携わった無数の人々の存在にも思いが及ぶ。

    彼らはどのような暮らしを送り、どのような未来を思い描いていたのだろうか。

    御墓山古墳は、権力者の墓であると同時に、その時代を生きた人々の営みを今に伝える壮大な歴史の記念碑なのである。


    古墳に眠る人々の姿を想う

    御墓山古墳の被葬者が誰であったのか、現在のところ確かなことは分かっていない。考古学的には、古墳時代の伊賀地域を代表する有力首長の墓と考えられている。しかし、その人物の名前も、生涯も、どのような言葉を語ったのかも記録には残されていない。

    それでも私は、古墳の前に立つと、そこに眠る人物の姿を想像せずにはいられない。

    この人物は地域の人々から尊敬されていたのだろうか。それとも厳しい統治者であったのだろうか。周辺の集落をまとめ、ヤマト王権との関係を築きながら、伊賀の発展に力を尽くした人物だったのかもしれない。

    さらに想像を広げれば、その周囲には家族がいたはずである。亡くなった首長を見送りながら、深い悲しみに包まれた人々もいたことだろう。

    私たちは「巨大な古墳」という遺構に目を奪われがちである。しかし、その背景には喜びや悲しみ、希望や不安を抱えながら生きた人々の姿があったはずである。

    1500年前の人々もまた、家族を愛し、仲間と協力し、より良い暮らしを願って日々を送っていたに違いない。

    そう考えると、古代と現代の間には長い年月が横たわっているものの、人間の本質はそれほど変わっていないようにも思える。

    古墳を訪ねる旅の魅力は、歴史的事実を学ぶことだけではない。遠い昔を生きた人々との静かな対話を楽しむことにもあるのではないだろうか。


    私たちが古墳から学べること

    古墳は単なる観光資源でもなく、土で造られた巨大な構造物でもない。そこには古代社会の政治、文化、信仰、技術、そして人々の暮らしが刻み込まれている。

    一基の古墳を見学するだけでも、その時代の社会の姿や、人々の価値観について多くのことを考えさせられる。だからこそ、旅行先で古墳や遺跡を訪れる際には、その背景にある歴史にも目を向けてみたい。

    また、古墳は一度失われれば二度と元に戻すことのできない貴重な文化遺産でもある。長い年月のなかで守り伝えられてきたからこそ、私たちは今日、その姿を目にすることができる。

    私たちに求められているのは、先人たちが残してくれた歴史の証人を大切に守り、次の世代へ引き継いでいくことであろう。

    御墓山古墳を歩きながら、私は改めてそう感じた。

    被葬者の名前は分からない。生涯も分からない。しかし、その人物が生きた証は、1500年という時を超えて今もなお残されている。

    古墳を訪ねることは、過去を振り返るだけの旅ではない。そこに生きた人々の思いに耳を傾け、自分自身の人生を見つめ直す旅でもある。

    御墓山古墳は、静かに佇みながら、今も私たちに多くのことを語りかけているように思えるのである。


    あとがき

    御墓山古墳を訪れる前、私は「三重県最大の前方後円墳」という知識だけを持っていた。しかし、実際にその地を歩いてみると、単なる史跡以上の存在であることを強く感じた。

    そこには古代の首長たちの歴史があり、古墳を築いた人々の汗があり、故人を送り出した人々の祈りがあった。

    私たちが目にしているのは巨大な土の構造物である。しかし、その背後には数え切れないほどの人々の人生が存在していたはずである。

    被葬者が誰であったのかは分からない。おそらく今後も確定しないかもしれない。しかし、その謎こそが古墳の魅力の一つでもある。分からないからこそ想像が広がり、遠い古代との対話が始まるのである。

    旅先で古墳や遺跡を訪れるたびに感じるのは、歴史とは教科書の中だけに存在するものではないということだ。現地を歩き、その場所の空気に触れ、ときには立ち止まって想像してみることで、過去は驚くほど身近なものになる。

    御墓山古墳は、約1500年の時を超えて今も静かに佇んでいる。そして訪れる人々に、「あなたはこの地に生きた人々をどのように想像しますか」と問いかけているように思える。

    私もまた、その問いへの答えを探しながら、これからも古墳を訪ねる旅を続けていきたい。




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