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真言密教の聖地・高野山真言宗の総本山「金剛峯寺」

はじめに

金剛峯寺【こんごうぶじ】は、高野山真言宗の総本山であり、その歴史は平安時代に遡る。

816年に、嵯峨天皇から弘法大師空海に高野山の地が下賜され、空海はこの地に真言密教の道場を設立し、伽藍の建立を始めた。

高野山は、平安時代から鎌倉時代にかけて多くの信仰を集め、重要な修行の場となった。特に、藤原道長や白河上皇などの貴族や皇族が参詣し、伽藍の整備が進んだという。

1592年、豊臣秀吉が母親の菩提を弔うために青巌寺【せいがんじ】を建立した。1869年に、青巌寺と興山寺が合併し、「金剛峯寺」と改称された。

真言密教の聖地として現在も信仰を集めており、多くの参拝者が訪れている。2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産に登録されたことから、海外からも多くの観光客が訪れるようになった。


【目次】
はじめに
金剛峯寺
大本山寳壽院
あとがき

金剛峯寺

金剛峯寺【こんごうぶじ】は、高野山にある高野山真言宗総本山の寺院である。山号が高野山であるため、正式には高野山金剛峯寺【こうやさんこんごうぶじ】と号する。

金剛峯寺・建造物配置図

金剛峯寺の正門(山門)は、金剛峯寺の建物の中では最も古い建築物であり、重要文化財に指定されている。昔は天皇と皇族、高野山の重職だけがくぐることを許さる神聖な門とされていた。

高野山は「一山境内地」といわれ高野山全域が寺の境内地とされており、真言宗の総本山として金剛峯寺は高野山全体と同義である。このように金剛峯寺は、高野山全体の名称であるが、一般寺院でいう本坊に相当する主殿は、座主の住寺となっている。

大主殿奥書院は、1862年に建てられた建物で、重要文化財に指定されている。大広間と持仏間にある壮大な襖絵は一見の価値がある。江戸時代の初期に活躍した雲谷等顔の弟子で斉藤等室の筆と伝えられる群鶴の絵や、狩野探幽斎守信による梅月流水などが描かれている。

上段の間の前にある中庭は、四季折々の高野山の美しい風景を眺められる庭園である。春には石楠花(シャクナゲ)が咲き誇り、秋には真っ赤に染まる紅葉が楽しめる。

大主殿のほかに、別殿新別殿がある。別殿の襖に柳鷺図のある「柳の間」は豊臣秀次が自刃した部屋と伝えられている。

新別殿は、1984年に弘法大師御入定・1150年御遠忌大法会の際に新設された建物である。普段は休憩所として利用可能であり、観光客に湯茶の施しもある。

新別殿の北側に広がる蟠龍庭【ばんりゅうてい】は、石庭としては国内で最大級の面積を誇るという。雲海を表す白川砂と、弘法大師誕生の地である四国の花崗岩を使って表現された雌雄の龍が特徴的である。

真然堂真然廟)は、1640年に建てられた建物で、重要文化財に指定されている。

経蔵は、1679年に建てられた建物で、重要な経典が収蔵されている。

護摩堂は、1863年に建てられた建物で、重要文化財に指定されている。

鐘楼は、1864年に再建されたもので、重要文化財に指定されている。

このように、金剛峯寺には歴史的な建造物が多くあり、美しい庭園もあって、訪れる私たちを感動させてくれる。参拝する際には金剛峯寺の歴史と文化を体感したいものである。

名 称高野山金剛峯寺
所在地和歌山県伊都郡高野町高野山132
駐車場あり(無料)
Link高野山真言宗 総本山金剛峯寺

大本山寳壽院

寳壽院【ほうじゅいん】は、高野山にある高野山真言宗大本山の寺院である。御本尊は、大日如来である。

大本山寳壽院は、1016年に深覚僧正によって創建され、元々は無量壽院【むりょうじゅいん】と称していた。1913年に寳性院【ほうせいいん】と合併したのを機に「寳壽院」となった。そして、1973年には大本山に昇格し、高野山真言宗の重要な寺院としての地位を確立したという。

寳壽院は、高野山真言宗総本山・金剛峯寺の建物を模して作られている。これは金剛峯寺が災害などで、使えなくなった場合に復旧するまでの間、寳壽院が高野山真言宗の総本山としての役割を果たすことになっているからである。高野山真言宗の宗務が、たとえ一日たりとも滞【とどこお】らないようにするための対策(リスク管理)であるとされる。

大本山寳壽院は一般拝観は行っていないが、金剛峯寺を模した建物を外側から見ることはできる。その美しさと荘厳さは訪れる人々を魅了するはずである。

また、院内には、高野山真言宗僧侶の育成を目的とする高野山専修学院が置かれている。修行の様子を見学することもできる。

名 称大本山寳壽院
所在地和歌山県伊都郡高野町高野山223
Link

あとがき

高野山【こうやさん】は、弘法大師空海によって開かれた真言密教の聖地である。弘法大師が修禅の道場として開創した京都の東寺と共に真言密教の聖地であり、かつ、弘法大師入定信仰の山として、今日に至っても多くの参詣者を集めている。最近は外国人にも人気が高まっており、多くの海外からの観光客をみかける。

高野山とは、地理学上の「山」ではなく、和歌山県北部に位置する、八葉の峰と呼ぶ1,000m級の峰々に囲まれた盆地状の平坦地(標高約800m)に100か寺以上の仏教寺院建築が立ち並ぶ他に例を見ない宗教都市を指す。

八葉の峰とは、今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山を指す。これらの山々のうち、転軸山(標高915m)、楊柳山(1009m)、摩尼山(1004m)は高野三山と呼ばれる。

高野山真言宗の総本山である金剛峯寺【こんごうぶじ】には山内に117か寺もの子院があるという。高野山全域が金剛峯寺の境内と考え、これを「一山境内地」【いっさんけいだいち】と呼ぶ。つまり、高野山は境内の中に発展した町であり、元来は金剛峯寺と同義と考えられてきた。

かつて高野山内の子院数は、1600年代中頃が最盛期で1865院にも及んだという。しかし、1692年に江戸幕府によって大幅に減らされてしまったらしいが、1832年時点ではまだ812院もあったと記録に残こされている。現在では117か寺になっているが、それでも少なくはない数である。

高野山は、熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録されている。高野山では大門地区、壇上伽藍地区、金剛峯寺(総本山)地区、奥之院地区、徳川家霊台地区および金剛三昧院地区の6地区が世界遺産の構成要素となっている。


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