◆ はじめに
大内山川流域には、古くから熊野三山を目指す人々が往来した熊野街道が通っていた。現在の国道42号沿いには、往時の宿場町の面影を今なお残す風景が見られる。
その熊野街道沿い、深い杉木立に包まれた静寂の森のなかに、皇大神宮(伊勢神宮内宮)の別宮である瀧原宮(たきはらのみや)と瀧原竝宮(たきはらのならびのみや)が鎮座している。
両宮の御祭神はともに天照大御神御魂(あまてらすおおみかみのみたま)であり、古くから「大神の遙宮(とおのみや)」として篤い崇敬を集めてきた。一般には、瀧原宮を天照大御神の和魂(にぎみたま)、瀧原竝宮を荒魂(あらみたま)として祀るとの伝承でも知られている。
両宮は奥伊勢の豊かな自然に囲まれた山間に鎮座し、その神域には樹齢数百年を超える杉の巨木が立ち並ぶ。『倭姫命世記』によれば、倭姫命が天照大御神の鎮座地を求めて巡行した際、この地に宮殿を造営したことが起源とされ、現在でも「元伊勢」の一つとして語り継がれている。
また、山を背にし、前方に川が流れる地勢や社殿配置が現在の内宮とよく似ていることから、瀧原宮はしばしば「内宮の原型」あるいは「雛形」ともいわれている。
本稿では、伊勢神宮の域外別宮のなかでも特に深い歴史と崇敬を集める瀧原宮と瀧原竝宮を訪ね、その由緒と魅力を紹介したい。
天照大御神について
天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に登場する太陽神であり、高天原(たかまがはら)を統べる神として知られている。皇室の祖神であるとともに、日本人の総氏神として広く崇敬され、三重県伊勢市の皇大神宮(伊勢神宮内宮)に祀られている。
『古事記』では、黄泉の国から帰ったイザナギが禊(みそぎ)を行った際、左目を洗ったときに生まれたと伝えられている。そして、その弟である月読命(つくよみのみこと)と須佐之男命(すさのおのみこと)とともに「三貴子(みはしらのうずのみこ)」と称され、高天原の統治を任された。
天照大御神にまつわる神話のなかで特に有名なのが「天岩戸(あまのいわと)神話」である。須佐之男命の乱暴な振る舞いを憂いて天岩戸に隠れたため、世界は闇に包まれた。しかし、八百万の神々が知恵を絞り、岩戸からお出ましいただいたことで、再び世界に光が戻ったと伝えられている。
また、天孫降臨神話では、孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を地上へ遣わす際に、三種の神器である八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)を授けた。とりわけ八咫鏡は天照大御神の御魂代(みたましろ)として伝えられ、現在も伊勢神宮内宮の御神体とされている。
太陽の光が万物を育むように、天照大御神は生命と繁栄をもたらす神として崇められてきた。その信仰は古代から現代まで受け継がれ、伊勢神宮が「日本人の心のふるさと」と呼ばれる大きな理由の一つとなっている。
和魂と荒魂
和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)は、神道において神が持つ二つの異なる働きや側面を表す概念である。
和魂は、神の穏やかで慈愛に満ちた側面を意味する。人々に平安や幸福をもたらし、生活を守護する働きを担うと考えられている。
一方の荒魂は、神の力強く活動的な側面を表す。時には人々を畏れさせるほどの強大な力として現れるが、その力は新しい物事を生み出し、変革をもたらす原動力でもある。
神道では、和魂と荒魂は別々の神ではなく、同一の神が持つ二つの側面であると考えられている。穏やかさと力強さ、静と動という相反する性質を併せ持つことによって、神の働きは完全なものになるのである。
そのため、特別な場合には両者を分けて祀ることがある。代表的な例が伊勢神宮で、天照大御神の御魂は皇大神宮(内宮)と荒祭宮に分けて祀られている。
和魂と荒魂を分けて祀るのは、それぞれの働きを敬い、その力をより深く感じ取るためであるとされる。荒魂は力強い活動や変革の源として、和魂は平和や調和をもたらす存在として、それぞれ崇敬の対象となってきた。
瀧原宮と瀧原竝宮を参拝する際にも、この和魂と荒魂という考え方を知っておくと興味深い。静寂に包まれた神域のなかで、天照大御神の持つ穏やかさと力強さという二つの側面に思いを巡らせることができるからである。
瀧原宮の由緒
瀧原宮(たきはらのみや)は、皇大神宮(伊勢神宮内宮)の別宮であり、対をなす瀧原竝宮(たきはらのならびのみや)とともに、宮川の支流である大内山川が流れる大紀町滝原の地に鎮座している。
二つの社殿は東西に並んで建ち、東側が瀧原宮、西側が瀧原竝宮である。両宮の御祭神はいずれも天照大御神御魂(あまてらすおおみかみのみたま)であり、古くから天照大御神の和魂・荒魂を祀る宮としても語り継がれてきた。
参拝は一般に、瀧原宮、瀧原竝宮の順に行うのが古くからの習わしとされている。
瀧原宮は、皇大神宮の14所ある別宮の一つであり、「大神の遙宮(おおかみのとおのみや)」として篤い崇敬を集めてきた。また、天照大御神が現在の伊勢神宮内宮に鎮座される以前、一時的に奉斎された場所と伝えられ、「元伊勢」の一社としても知られている。
鎌倉時代に成立した神道書『倭姫命世記』によれば、その由緒は約二千年前の倭姫命の巡幸伝承にさかのぼる。
第十一代垂仁天皇の皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)は、天照大御神の永遠の鎮座地を求めて各地を巡っていた。宮川流域をさかのぼる途中、急流に行く手を阻まれた一行の前に、この地を治める神である真名胡神(まなごのかみ)が現れ、川を渡る手助けをしたという。
真名胡神に導かれた倭姫命は、清らかな流れと深い森に囲まれた「大河の瀧原の国」と呼ばれる美しい地にたどり着いた。そしてこの地を深く愛で、草木を切り開いて二宇の宮殿を造営した。これが現在の瀧原宮と瀧原竝宮の起源と伝えられている。
その後、倭姫命はさらに旅を続け、五十鈴川の川上に現在の皇大神宮(内宮)を定めた。しかし、一度天照大御神が奉斎された瀧原の地は、その後も特別な聖地として尊ばれ続け、今日まで別宮として守り継がれている。
伊勢神宮から離れた奥伊勢の山間にありながら、瀧原宮は別宮の中でも特に重要な存在とされる。社殿の配置や周囲の地形が内宮とよく似ていることから、「内宮の原型」あるいは「雛形」と評されることも少なくない。
また、内宮や外宮と同様に二十年に一度の式年遷宮が行われており、千年以上にわたって受け継がれてきた神宮祭祀の伝統を今に伝えている。
奥伊勢の深い森に抱かれた瀧原宮の神域を歩いていると、倭姫命がこの地を「大河の瀧原の国」と称えた理由が、今もなお実感できるように思われる。

瀧原宮を歩く
神域の最奥部には二つの社殿が並んで建っており、向かって右側が瀧原宮、左側が瀧原竝宮である。
参拝は、まず瀧原宮にお参りし、その後に瀧原竝宮へ向かうのが古くからの習わしとされている。
瀧原宮は、一般に天照大御神の和魂を祀る宮として知られており、その静謐な雰囲気は訪れる人々を深い安らぎへと誘ってくれる。
● 深い杉の参道──樹齢を重ねた巨木が迎える神域
鳥居をくぐると、まず目に飛び込んでくるのが杉の巨木に囲まれた長い参道である。
空高くまっすぐに伸びる杉の大樹は、長い歳月のあいだ神域を見守り続けてきた。足を踏み入れると、澄み切った空気と深い静寂に包まれ、日常の喧騒が遠のいていくように感じられる。
ゆっくりと参道を歩いているだけで心が落ち着き、奥伊勢の自然が持つ力強い生命力を実感することができる。
また、参道沿いには幹がねじれながら天に向かって伸びる「ねじり杉」があり、訪れる人々の間では特別な力を感じる木として親しまれている。
● 頓登川の御手洗場──内宮の原風景を思わせる清流
参道の途中には石畳の階段があり、その先には頓登川(とんどがわ)の清流が流れている。
ここは参拝前に手を清める御手洗場であり、その姿は内宮の五十鈴川御手洗場を思わせる。
透き通った水は川底の石まではっきり見えるほど美しく、耳を澄ませば川のせせらぎだけが静かに響いている。自然のままの川辺に立っていると、古代の人々もまた同じ流れで身を清めたのではないかと思えてくる。
瀧原宮が「内宮の原型」や「雛形」と呼ばれる理由の一端を、この御手洗場からも感じ取ることができる。
● 二つの正殿が並ぶ姿──神宮建築の美しさ
神域の最奥部には、瀧原宮と瀧原竝宮の社殿が静かに並んで建っている。
どちらも白木の美しい神明造で、簡素でありながら厳かな風格を備えている。その姿は内宮の正宮を思わせ、神宮建築の美しさを間近に感じることができる。
木々に囲まれた静寂のなかで二つの社殿を前にすると、天照大御神の御魂を祀る特別な聖地であることを実感する。
参拝は、瀧原宮、瀧原竝宮の順に行うのが一般的とされている。
● 御船倉──瀧原宮に伝わる珍しい建物
瀧原宮の境内には、他の別宮ではあまり見られない高床式の建物「御船倉(みふなくら)」が建っている。
この建物は神事に用いる御船に関係する施設とされ、瀧原宮ならではの特色ある建造物として知られている。
高床式の素朴な造りは、古代の倉庫建築を思わせ、神宮の長い歴史を今に伝えている。
● 若宮神社と長由介神社──瀧原宮を支える所管社
瀧原宮と瀧原竝宮の手前には、小さな社が二つ並んでいる。これらは瀧原宮の所管社である。
若宮神社は水に関わる神を祀る社であり、神宮祭祀とも深い関わりを持つ。
また、長由介神社(ながゆけじんじゃ)は瀧原宮の祭祀を支える神を祀る社で、古くから地域の人々の信仰を集めてきた。
小さな社ではあるが、瀧原宮の神域を構成する大切な存在であり、あわせて参拝することで神域への理解もいっそう深まるだろう。
巨杉の参道を歩き、清流で身を清め、二つの社殿の前に立つと、瀧原宮が「大神の遙宮」と呼ばれてきた理由が自然と理解できる。奥伊勢の森に包まれた神域には、内宮とはまた異なる静けさと、はるか古代から続く祈りの気配が今も息づいているように感じられた。

瀧原竝宮の由緒
瀧原竝宮(たきはらのならびのみや)は、隣に鎮座する瀧原宮と対をなす別宮であり、その由緒は瀧原宮と一体のものである。御祭神は瀧原宮と同じく天照大御神御魂(あまてらすおおみかみのみたま)である。
一般には、瀧原宮を天照大御神の和魂(にぎみたま)、瀧原竝宮を荒魂(あらみたま)として祀ると考えられている。
神道では、一柱の神には穏やかで慈愛に満ちた側面である「和魂」と、力強く活動的な側面である「荒魂」という二つの働きがあるとされる。瀧原宮と瀧原竝宮は、その二つの御魂を並び祀る珍しい形態を今に伝えている。
また、このように二つの御魂を対をなす宮として祀る姿は、古代の神宮祭祀のあり方を伝えるものとも考えられており、伊勢神宮の成り立ちを考えるうえでも興味深い存在である。
瀧原竝宮を歩く
瀧原竝宮は瀧原宮と同じ神域の最奥部に鎮座している。独立した境内を持つわけではないが、瀧原宮と対をなす存在だからこそ、この地ならではの魅力を感じることができる。
瀧原宮に参拝した後、瀧原竝宮の前に立つと、同じ神域でありながらどこか趣の異なる空気を感じる人も少なくない。二つの宮を合わせて参拝することで、天照大御神の多面的な御神徳に思いを巡らせることができる。
● 二宮並立が生み出す美しい景観
瀧原竝宮最大の見どころは、瀧原宮と全く同じ規模・様式の社殿が並び立つ姿である。
白木の社殿と茅葺屋根による神明造の美しさは、深い森の緑と見事な調和を見せる。神域に漂う静寂のなかで社殿を眺めていると、簡素でありながら荘厳な神宮建築の魅力を改めて感じさせられる。
● 荒魂に思いを寄せる
瀧原竝宮は、一般には天照大御神の荒魂を祀る宮として知られている。
荒魂は単なる「荒々しさ」ではなく、変革や発展をもたらす力強い働きの象徴でもある。そのため、瀧原竝宮の前に立つと、新たな一歩を踏み出す勇気や活力を授かるように感じるという参拝者もいる。
もちろん感じ方は人それぞれであるが、和魂とされる瀧原宮に参拝した後に訪れることで、神のもう一つの側面について考える機会となるだろう。
● 瀧原宮から瀧原竝宮へ
古くからの参拝習慣では、まず瀧原宮に参拝し、その後に瀧原竝宮へ向かうとされている。
実際に歩いてみると、二つの宮を順に参拝することで、一つの神の二つの御魂を敬うという神道の考え方を自然に体感できる。
瀧原宮と瀧原竝宮は別々の神社ではなく、互いに補い合う存在であることが理解できるだろう。
● 式年遷宮を伝える古殿地
社殿の隣には、白い御敷石が敷かれた空地がある。これは社殿を建て替える際に用いられる古殿地(こでんち)である。
神宮では二十年に一度の式年遷宮が行われるが、新しい社殿は古殿地に建てられ、遷宮後は元の社殿地が古殿地となる。この繰り返しによって、神宮の伝統と技術が千年以上にわたって受け継がれてきた。
静かな古殿地を眺めていると、悠久の時の流れのなかで続いてきた神宮祭祀の重みを感じることができる。
瀧原宮と瀧原竝宮は、深い森と清流に包まれた奥伊勢ならではの神域である。
二つの宮に参拝することで、天照大御神の和やかな側面と力強い側面の両方に思いを寄せることができる。伊勢神宮を訪れる機会があれば、ぜひ足を延ばして参拝したい別宮である。
四季折々に表情を変える豊かな自然も魅力の一つであり、とりわけ紅葉の季節には、神域全体が鮮やかな彩りに包まれる。静寂のなかに佇む二つの社殿は、訪れる人に古代から続く祈りの心を静かに伝えてくれるだろう。
| 名 称 | 瀧原宮・瀧原竝宮 |
| 所在地 | 三重県度会郡大紀町滝原872 |
| アクセス | 紀勢自動車道大宮大台ICから国道42号を約3km |
| 駐車場 | あり(無料) |
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◆ あとがき
瀧原宮と瀧原竝宮は、倭姫命が天照大御神を奉戴して巡幸した際に創建されたと伝えられており、現在の伊勢神宮内宮(皇大神宮)へと続く長い歴史の流れを今に伝える貴重な聖地である。
深い杉木立に包まれた参道を歩き、清らかな頓登川の流れに耳を傾け、並び立つ二つの社殿を前にすると、遠い古代から受け継がれてきた祈りの心が静かに伝わってくるように感じられる。
また、瀧原宮と瀧原竝宮は、天照大御神の和魂と荒魂という二つの側面に思いを巡らせることができる特別な場所でもある。穏やかさと力強さ、静と動という相反する性質が一体となって神の働きを成しているという神道の世界観は、私たち自身の人生にも通じるものがあるように思える。
伊勢神宮を訪れる人は多いが、この奥伊勢の地に鎮座する二つの別宮まで足を延ばす人は決して多くない。しかし、だからこそここには内宮とは異なる静寂があり、神話の時代を思わせる素朴で清浄な空気が残されている。
瀧原宮と瀧原竝宮を参拝し終えて振り返ると、倭姫命が「大河の瀧原の国」に心を惹かれた理由が、少しだけ理解できたような気がした。奥伊勢の豊かな自然と悠久の歴史に抱かれたこの神域は、これからも多くの人々の心を静かに癒やし続けてくれることだろう。