はじめに
高野竜神【こうやりゅうじん】国定公園は、和歌山県の高野山と龍神温泉一帯を中心とした山岳公園である。一部奈良県にも指定区域が広がる。
高野山は、弘法大師・空海によって開かれた真言密教の聖地として知られた宗教都市である。一方、龍神温泉は美肌効果の高い泉質のため「日本三美人の湯」として知られる温泉地である。高野山と龍神温泉は「高野龍神スカイライン」でつながれている。
本稿が高野山と龍神温泉の旅を存分に楽しむための参考になれば嬉しい。私自身も次に高野山と龍神温泉を訪ねる際には本稿で書き切れていない部分を勉強したいと思っている。
<目次> はじめに 高野山 大門 壇上伽藍 奥之院 金剛峯寺 大本山宝寿院 金剛三昧院 徳川家霊台 高野山霊宝館 苅萱堂 女人堂 慈尊院 高野参詣道 丹生酒殿神社 丹生都比売神社 護摩壇山 ごまさんスカイタワー 龍神温泉 周辺の観光スポット 皆瀬神社 温泉寺 曼陀羅の滝 天誅倉 野々垣内の吊橋(佐久間橋) あとがき |
高野山
高野山【こうやさん】は、弘法大師・空海によって開かれた真言密教の聖地である。空海が修禅の道場として開創した京都の東寺と共に真言密教の聖地であり、かつ、弘法大師入定信仰の山として、今日に至っても多くの参詣者を集めている。最近は外国人にも人気が高まっており、多くの海外からの観光客をみかける。
高野山とは、地理学上の「山」ではなく、和歌山県北部に位置する、八葉の峰と呼ぶ1,000m級の峰々に囲まれた盆地状の平坦地(標高約800m)に100か寺以上の仏教寺院建築が立ち並ぶ他に例を見ない宗教都市を指す。
八葉の峰とは、今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山を指す。これらの山々のうち、転軸山(標高915m)、楊柳山(1009m)、摩尼山(1004m)は高野三山と呼ばれる。
高野山真言宗の総本山である金剛峯寺【こんごうぶじ】には山内に117か寺もの子院があるという。高野山全域が金剛峯寺の境内と考え、これを「一山境内地」【いっさんけいだいち】と呼ぶ。つまり、高野山は境内の中に発展した町であり、元来は金剛峯寺と同義と考えられてきた。
高野山は、熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録されている。大門地区、伽藍地区、本山地区、奥院地区、徳川家霊台地区および金剛三昧院地区の6地区が世界遺産の構成要素となっている。
大門
大門【だいもん】は、密教(真言宗)の聖地・高野山への総門である。1705年に再建されたもので、国の重要文化財および世界遺産に登録されている。
高野山への総門は、大門【だいもん】と呼ばれ、左右に巨大な仁王像(金剛力士像; 吽形像と阿形像)が配置されている
京都の仏師・運長が造立
京都の仏師・康意が造立
高野山大門の仁王像(金剛力士像)は、大門のスケール感にマッチして非常に大きい。奈良・東大寺の仁王像に次ぐ大きさを誇るらしい。
名 称 | 大門 |
所在地 | 和歌山県伊都郡高野町高野山132 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | わかやま観光 大門 | 和歌山県公式観光サイト |
壇上伽藍
壇上伽藍【だんじょうがらん】は、弘法大師・空海が高野山を開山した際、真っ先に造営に取り組んだ場所で、奥之院【おくのいん】とともに高野山の二大聖地の一つである。
壇上伽藍には高野山全体の総本堂である金堂【こんどう】や高野山のシンボルともいえる高さ48.5mの根本大塔【こんぽんだいとう】など19もの諸堂が建ち並ぶ。
根本大塔の内部の柱や装飾は密教思想に基づく曼荼羅の世界観を具現化したものといわれている。
金堂は、一般の寺院でいう本堂に相当し、高野山全体の総本堂で高野山での主な宗教行事が執り行なわれる。国の史跡・世界遺産に登録されている。
壇上伽藍には根本大塔や金堂のほかにも国宝の不動堂などが立ち並ぶ。弘法大師伝説の一つである三鈷杵が飛行してかかっていたとされる「三鈷の松」や、「高野四郎」と呼ばれる大鐘楼もある。
名 称 | 壇上伽藍 |
所在地 | 和歌山県伊都郡高野町高野山132 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 壇上伽藍 | 和歌山県公式観光サイト |
奥の院
奥之院【おくのいん】は、一般寺院でいうところの墓域ではあるが、高野山の信仰の中心であり、弘法大師・空海が入定【にゅうじょう】されている聖地である。
御廟橋の先には灯籠堂があり、その奥に弘法大師・空海の御廟がある。御廟橋の手前には水向地蔵もあって参拝者で賑わう。
御廟橋を渡った先には弥勒石と呼ばれる不思議な石が置かれている。御廟橋から先は聖域で、内部の撮影は禁止されている。
奥之院への入り口は、「一の橋」と「中の橋」の2箇所であり、正式な参道入り口は「一の橋」からである。しかしながら、「中の橋」前に無料の大駐車場とバス停があるため、参拝者の大半は「中の橋」から入ることが多い。
一の橋から御廟まで約2kmの参道には約20万基を超える墓石や祈念碑・慰霊碑が樹齢千年の杉木立の中に立ち並んでいる。
参道には、皇室、公家、大名などの墓が多数並び、戦国大名の約6割以上の墓所があるとされる。
武田信玄や上杉謙信をはじめ有名な戦国武将の墓石があり、織田信長や明智光秀など敵対した者同士の墓石も見つけることもできる。高野山では等しく、皆が平等の扱いを受けている。
紀伊山地に囲まれた広大な敷地内には神秘的な雰囲気が漂い、特に奥の院は聖域のパワーを感じる。参道を歩くだけで気が引き締まるような感じを受ける。
高野山は、国内外からの観光客を魅了し続けている聖地であり、心を癒すために何度も訪れてみたい場所である。
高野山奥の院は、国の史跡でもあり、世界遺産にもなっている。
名 称 | 奥の院 |
所在地 | 和歌山県伊都郡高野町高野山132 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 奥之院 | 和歌山県公式観光サイト |
金剛峯寺
金剛峯寺【こんごうぶじ】は、高野山にある高野山真言宗の総本山の寺院である。山号が高野山であるため、正式には高野山金剛峯寺【こうやさんこんごうぶじ】と号する。
高野山は「一山境内地」といわれ高野山全域が寺の境内地とされており、真言宗の総本山として金剛峯寺は高野山全体と同義である。このように金剛峯寺は、高野山全体の名称であるが、一般寺院でいう本坊に相当する大主殿は、座主の住寺となっている。
大主殿のほかに、別殿と新別殿があり、別殿では観光客に湯茶の施しがある。襖に柳鷺図のある「柳の間」は豊臣秀次の自刃の間と伝えられている。金剛峯寺境内にある「蟠龍庭」は日本最大の石庭である。
高野山内の子院数は、1600年代中頃が最盛期で1865院にも及んだという。しかし、1692年に江戸幕府によって大幅に減らされてしまったらしいが、1832年時点ではまだ812院もあったと記録に残こされている。現在では117か寺になっている。
名 称 | 高野山金剛峯寺 |
所在地 | 和歌山県伊都郡高野町高野山132 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 高野山真言宗 総本山金剛峯寺 |
大本山寳壽院
寳壽院【ほうじゅいん】は、高野山にある高野山真言宗・大本山の寺院である。御本尊は、大日如来である。
寳壽院は、高野山真言宗総本山・金剛峯寺の建物を模して作られている。これは金剛峯寺が災害などで、使えなくなった場合に復旧するまでの間、寳壽院に高野山真言宗の総本山を置くことになっているからである。
高野山真言宗の宗務が、たとえ一日たりとも滞【とどこお】らないようにするための対策(リスク管理)であるとされる。また、院内には、高野山真言宗僧侶の育成を目的とする高野山専修学院が置かれている。
名 称 | 大本山寳壽院 |
所在地 | 和歌山県伊都郡高野町高野山223 |
Link |
金剛三昧院
金剛三昧院【こんごうさんまいいん】は、2022年度のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場する尼将軍と呼ばれた北条政子が夫の源頼朝と息子の実朝の菩提を弔うために建立した寺院である。
御本尊の愛染明王【あいぜんみょうおう】は、恋愛成就の仏として様々な縁を結んでくれるといわれている。
金剛三昧院の多宝塔は、北条政子が源頼朝の逝去に伴い創建した禅定院の規模を拡大し、金剛三昧院と改めたときに造営することになったものである。建立当時の朱色がほのかに残り、それが裳階【もこし】上の白い円形部分と絶妙なコントラストを創り出している。背後の杉木立とも調和して素晴らしい景観を呈する。
建立は貞応2年(1223年)と伝えられ、高野山で現存する建造物の中では最も古いものである。多宝塔の内部には須弥壇が設けられ、その前には秘仏・五智如来像【ごちにょらいぞう】(仏師運慶作・重要文化財)が安置されている。この多宝塔の高さは約15 m、屋根の一辺は約9 mである。
金剛三昧院は、多宝塔(国宝)をはじめ経蔵(重要文化財)や四所明神社など数々の歴史的文化財を擁しており、高野山が世界遺産として登録される際、根幹となる寺院として重要な役割を果たした。
名 称 | 金剛三昧院 |
所在地 | 和歌山県高野町高野山425 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 世界遺産高野山 金剛三昧院 |
徳川家霊台
徳川家霊台【とくがわけれいだい】は、徳川家光の建立したもので、徳川家康と秀忠の霊廟がある。
国の史跡および重要文化財であるとともに世界遺産にもなっている。
名 称 | 徳川家霊台 |
所在地 | 和歌山県伊都郡高野町大字高野山682 |
Link | 徳川家霊台 | 和歌山県公式観光サイト |
高野山霊宝館
高野山霊宝館【こうやさんれいほうかん】は、高野山にある博物館に相当する施設であり、高野山真言宗に関連する文化財約10万点を所蔵している。国宝、重要文化財等の保存・展示が行われており、定期的にテーマを絞った展示会が開催されている。
名 称 | 高野山霊宝館 |
所在地 | 和歌山県伊都郡高野町高野山306 |
Link | 高野山 霊宝館(れいほうかん) |
密厳院苅萱堂
密厳院苅萱堂【みつごんいんかるかやどう】は、高野山真言宗の寺院で、総本山金剛峯寺の塔頭の一つである。苅萱道心と石童丸の哀話の舞台としても知られている。
名 称 | 密厳院苅萱堂【みつごんいんかるかやどう】 |
所在地 | 和歌山県伊都郡高野町高野山478 |
Link | 宗教法人密厳院 | 高野山 密厳院苅萱堂 |
女人堂
女人堂【にょにんどう】は、かつて高野山が女人禁制であった時代に、高野七口と呼ばれる高野山への入り口7か所に、それぞれ女性のための籠もり堂として置かれた参籠所のことである。女人禁制の時代には女性はここまでしか入れなかったという。
かつては7か所にあった女人堂も現在では一か所に残るのみである。それが京大坂道の到着地点の不動坂口にある女人堂である。
この不動坂口に建つ女人堂が高野七口に建つ女人堂の中で最大だったと言われている。
女人堂には大日如来、弁財天、神変大菩薩が祀られている。金輪公園一心院谷にあり、公園になっている。
名 称 | 女人堂 |
所在地 | 和歌山県伊都郡高野町高野山709 |
Link | 高野山・女人堂 |
慈尊院
慈尊院【じそんいん】は、九度山町慈尊院にある高野山真言宗の寺院である。山号は万年山で、御本尊は弥勒菩薩(「慈尊」と呼ばれる)である。
高野山の政所【まんどころ】として創建され、高野山町石道の登り口に位置している。
境内は、国の史跡「高野参詣道」を構成する「町石道」の一部として指定されている。
また、本堂の弥勒堂は、世界遺産の一部として登録されている。
名 称 | 万年山慈尊院【じそんいん】 |
所在地 | 和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832 |
Link | 慈尊院 | 和歌山県の慈尊院公式サイト |
高野参詣道
高野参詣道【こうやさんけいみち】は、高野山へ徒歩で登拝するための参詣道【さんけいどう】(古道)である。「高野七口」と呼ばれる7つの主たる参詣道が知られている。国の史跡に「高野参詣道」として指定されているほか、世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の「高野参詣道」の構成資産として登録されている。
高野七口とは、町石道、黒河道、京大坂道、小辺路(熊野古道の一つ)、大峰道、有田龍神道、相ノ浦道の七つの参詣道を指す。
これらの参詣道のうち、一般的によく利用されたのは、町石道、三谷坂、京大坂道不動坂および黒河道であるという。
町石道
町石道【ちょういしみち】は、慈尊院から高野山・壇上伽藍を経て奥の院へと通じる約26kmの表参道であった。弘法大師・空海が高野山を開山して以来の信仰の道とされ、かつては多くの参詣者で賑わったという。
町石道の名の由来は、道標として、1町(約109m)ごとに町石【ちょういし】と呼ばれる高さ約3m弱の五輪卒塔婆形の石柱が建てられた事による。壇上伽藍・根本大塔を起点として慈尊院までの約22kmの道中に180基、根本大塔から奥の院・弘法大師御廟まで約4kmの道中に36基、合わせて216基の町石が置かれている。慈尊院から参詣道(表参道)には36町(1里;約4km)ごとに町石と並んで「里石」【りいし】も置かれていた。
三谷坂
三谷坂【みたにざか】は、和歌山県かつらぎ町三谷の丹生酒殿神社を起点とし、笠松峠を経由して町石道へと合流する高野参詣道である。「三谷坂(丹生酒殿神社含む)」として、世界遺産の一部に登録されている。
平安時代における高野山への表参道として整備され、高野参詣道の中でも最古級である。高野山へは町石道に比べ、距離が短く、短時間で高野参詣が可能であったという。また、迂回すること無く丹生都比売神社に参詣でき、木陰があり、水はけがよくて道の状態もよいことから多くの参拝者が利用したと考えられている。沿道には、空海伝承にかかわりのある石造物が残されている。
京大坂道不動坂
京大坂道【きょうおおさかみち】は、高野七口の一つで、京都や大阪からの高野街道が紀の川を渡り、和歌山県橋本市学文路から高野町・極楽橋を通り、高野山の入り口となる不動坂口に至る参詣道である。そして京大坂道不動坂と呼ぶ場合は、京大坂道における「不動坂」と呼ばれる一部区間のみを指す。世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の「高野参詣道」の構成資産の一部として「京大坂道不動坂」が追加登録されている。
黒河道
黒河道【くろこみち】は高野七口の一つで、和歌山県橋本市・伊都郡九度山町・伊都郡高野町にまたがっている。世界遺産の一部として登録されている。
女人道
女人道【にょにんみち】は、高野山が1872年に女人禁制を解くまで、女性が高野山を参拝するために高野山境内の周囲に置かれた女人堂を結ぶ巡礼路として利用されていた参詣道である。世界遺産の一部として追加登録されている。
高野山へ至る道は七本(高野七道)あり、それぞれの入口(高野七口)には女人結界が設けられており、女信徒ため籠り堂として七つの女人堂が建てられたという。
この女人堂を巡りつつ、高野三山と呼ばれる奥の院の背後に聳える摩尼山(1004m)・楊柳山(1008m)・転軸山(915m)を越える行為を空海の行脚修行に見立てるために整備されたのが女人道であるという。距離にして約17Kmもある。現在では、舗装されている区間や車道との並走している区間もある。そうした場所は世界遺産からは除外されているらしい。
上述の町石道、三谷坂や京大坂道不動坂などは高野山へ至る高野参詣道であるのに対し、女人道は高野山周囲に巡らされた巡礼道という性質がある。そこが両者の決定的な差異となっている。
丹生酒殿神社
丹生酒殿神社【にうさかどのじんじゃ】は、高野参詣道の一つである「三谷坂」の起点に位置する、丹生都比売大神【にうつひめのおおかみ】の降臨地(元宮)とされる神社である。
三谷坂は、元々は丹生酒殿神社辺りに住んでいた丹生都比売神社惣神主が丹生都比売神社【にふつひめじんじゃ】へ通うために通った道が起源とされる。
丹生都比売神社が山上(中腹)に位置し、丹生酒殿神社が麓に位置することや、先述した丹生都比売神社惣神主が住んでいた事などから、丹生都比売神社は山宮(中宮)に相当し、丹生酒殿神社は里宮に相当すると推定されている。かつて丹生酒殿神社は丹生都比売神社にとっても重要な地位であったと考えられている。
名 称 | 丹生酒殿神社 |
所在地 | 和歌山県伊都郡かつらぎ町三谷631 |
Link | 丹生酒殿神社 | かつらぎ観光協会 |
丹生都比売神社
丹生都比売神社【にふつひめじんじゃ】は、和歌山県かつらぎ町上天野に鎮座する、全国に約180社ある丹生都比売神を祀る神社の総本社である。本殿、楼門および境内は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つとして登録されている。
弘法大師・空海が金剛峯寺を建立するに際し、丹生都比売神社が神領を寄進したと伝えられ、古くより高野山と深い関係にある神社である。空海を高野山に導いたのが神様のお使いの白黒2頭の犬であったという伝説から境内にはご神犬がいる。
神社背後の尾根には高野山への表参道・高野山町石道が通り、丹生都比売神社は高野山への入り口にあたることから高野山参拝前にはまず丹生都比売神社に参拝するのが習わしであったという。
名 称 | 丹生都比売神社 |
所在地 | 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230 |
Link | 世界文化遺産丹生都比売神社|丹生都比売神社 |
護摩壇山
護摩壇山【ごまだんざん】(標高1,372m)は、和歌山県田辺市と奈良県十津川村との県境に位置する、紀伊山地に属する山岳である。
熊野の伝承では「一ノ谷の戦い」後に戦線を離脱して小森谷渓谷に隠れ住んでいた平維盛が、「壇ノ浦の戦い」で平家が敗れたことを知り、護摩壇山で平家の行く末を占ったという。その際に護摩を焚いたとの言い伝えからこの山名が付いたという。
護摩壇山の東方約700mの位置には和歌山県の最高峰・龍神岳【りゅうじんだけ】(標高1,382m)が聳えているほか四方八方を1,000m級の山々に囲まれている。
高野龍神スカイライン(国道371号)によって護摩壇山頂上近くまで車で行くことができる。高野龍神スカイラインは、高野山から護摩壇山を経て龍神温泉に至る、和歌山と奈良の県境にある1000m級の尾根に沿って延びる延長約43kmの山岳道路である。かつては有料道路であったが、国道371号の一部区間となった現在も「高野龍神スカイライン」の愛称で親しまれている。
全線にわたって眺望が良いわけではないが、紀伊半島西側の山岳地帯を走る道路の所々から紀州の山々を眺望できる景観は優れている。
適度なアップダウンと幾重にもカーブが折り重なることから、ドライブ・ツーリングの名所になっており、特に紅葉のシーズンには観光客であふれ、車が数珠つなぎとなる場合があるという。
ごまさんスカイタワー
道の駅・田辺市龍神ごまさんスカイタワー【みちのえき・たなべしりゅうじんごまさんスカイタワー】は、高野龍神スカイラインの途中にある道の駅で、「ごまさんスカイタワー」という名の展望塔がある。その展望塔からは天気さえ良ければ遠く紀伊山地の山々を眺めることができる。
高野龍神スカイラインの中間付近にある道の駅・田辺市龍神ごまさんスカイタワーには、護摩木をイメージした高さ33mもあるごまさんスカイタワーがある。
ここは紀伊山地の山々を一望できる休憩スポットとして知られ人気の場所である。勿論、護摩壇山(標高1372m)も見える。
名 称 | 道の駅・田辺市龍神ごまさんスカイタワー |
所在地 | 和歌山県田辺市龍神村龍神1020-6 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 田辺市龍神ごまさんスカイタワー |
龍神温泉
龍神村【りゅうじんむら】は、和歌山県の中央東部に位置し、かつて自治体名が日高郡龍神村であったが、平成の大合併で(旧)田辺市、中辺路町、本宮町、大塔村と合併して(新)田辺市となった。しかし、田辺市の広域地名として「龍神村○○」の名称を残している。龍神村の約70%を標高500m以上の山岳が占めており、日高川が主要地区を流れている。 北側には護摩壇山と龍神岳などの山々が聳えている。
龍神温泉【りゅうじんおんせん】は、日高川の渓流沿いに位置し、木々の香りと川のせせらぎが響く自然豊かな温泉地である。
およそ千三百余年前の開湯以来、熊野信仰の昔から名湯として知られている。龍神温泉の名は、弘法大師・空海が難陀龍王【なんだりゅうおう】のお告げで湯を開いたことから名付けられたと伝わる。
江戸時代には紀州藩の藩湯(歴代の紀州徳川藩主の別荘地)として栄えた名湯で、美肌効果の高い泉質のため「日本三美人の湯」としても知られる。
名 称 | 龍神温泉 |
所在地 | 和歌山県田辺市龍神村龍神 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 龍神温泉郷|龍神村の観光情報/社団法人龍神観光協会 龍神温泉郷-龍神・小又川 | 日本温泉協会 |
龍神温泉の泉質と効能
泉質は、炭酸水素塩泉である。いわゆる「美肌の湯」として知られている泉質である。
効能は、きりきず、末梢循環障害、冷え性、皮膚乾燥症、筋肉、関節の慢性的痛み、こわばり、軽い喘息・肺気腫、痔の痛み、運動麻痺による筋肉のこわばり、冷え性、末梢循環障害、胃腸機能の低下、軽症高血圧、自律神経不安定症やストレスによる諸症状、耐糖能異常、軽い高コレステロール血症、病後回復期、疲労回復、健康増進などである。
龍神温泉の旅館と食事
龍神温泉の地は山や川の恵みも豊富で、私たちが宿泊した旅館では好みに合わせてジビエ料理も提供してくれた。
名 称 | 龍神温泉 美人亭 |
所在地 | 和歌山県田辺市龍神村龍神96-3 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 【公式】龍神小又川温泉 美人亭 |
龍神温泉周辺の観光スポット
龍神温泉周辺には観光スポットも多いが、独断と偏見で私のおススメ観光スポットを紹介したい。というのはウソで、正直に話せば、私の妻が行きたいと言った所に同行しただけである。結果としてすべて良い所であり、私自身も十分に満足している。
名 称 | 道の駅・龍神 |
所在地 | 和歌山県田辺市龍神村龍神170-3 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 龍神 [ Ryuujin ] |
皆瀬神社
皆瀬神社【かいせじんじゃ】は、室町時代の長禄2年(1458年)に龍神正直氏(龍神氏10代目当主)が勧請し、文明年間(1469~1486年)に龍神正氏(龍神氏11代目当主)が社殿を造営したという。主祭神は八幡大明神である。
明治42年(1909年)、神社合祀令により多くの神社が合祀されたため、配祀神として天児屋根命【あめのこやねのみこと】はじめ16柱の神々が祀られている。
大正13年(1924年)の社殿の大改築の際には名大工たちがその技術の限りをつくし、龍神材を用いて春日造りの神殿を建造したという。巨木に囲まれた境内の中に立派な社殿が鎮座する。
皆瀬神社は、龍神の吊橋を渡れば道の駅・龍神から徒歩ですぐの場所にある。吊橋を渡るのが嫌でなければの話である。
勿論、私は吊橋を渡ることはせず、神社横の駐車場まで車で行って参拝させて頂いた。
名 称 | 皆瀬神社 |
所在地 | 田辺市龍神村龍神1346番地 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 和歌山県神社庁-皆瀬神社 かいせじんじゃ- |
温泉寺
温泉寺【おんせんでら】は、龍神温泉の元湯から道を挟んだ場所に建立されており、登り口の階段を上がれば徒歩1分程度のすぐのところにある。
弘仁年間に、弘法大師が難陀龍王の夢のお告げで温泉を見つけ、薬師如来を安置したのが始まりとされる。
後の宝永2年(1705年)に僧・明算によって龍王社薬師堂が再建されて「温泉寺」と名付けられたという。現在の温泉寺は再建されたものらしい。
名 称 | 温泉寺 |
所在地 | 和歌山県田辺市龍神村龍神23 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 龍神温泉付近の見どころ|社団法人龍神観光協会 |
曼陀羅の滝
曼陀羅の滝【まんだらのたき】は、弘法大師・空海が龍神に温泉を開いたときに名付けられたと伝わる滝である。
温泉寺の奥山にあって、温泉寺の近くの登り口から登山道を歩いておよそ20分ぐらいで辿り着ける。
曼陀羅の滝は、小説家・中里介山【なかざとかいざん】(1885~ 1944)の大人気の長編時代小説「大菩薩峠」【だいぼさつとうげ】(全41巻;未完)の第5巻「龍神の巻」で登場したことから有名になったとされる。同時に龍神温泉が全国的に知られるようになったのもこの小説の影響が大きいという。
「大菩薩峠・龍神の巻」には、天誅組と偶然に同行することになった主人公の机竜之助【つくえりゅうのすけ】が、十津川から紀州へ落ち延びる際に追手の爆弾によって失明する危機となった。この窮地に、修験者の助言によって曼荼羅の滝の水で眼を洗って治療しようとする話が描かれているという。
名 称 | 曼陀羅の滝 |
所在地 | 和歌山県田辺市龍神村龍神 |
Link | 龍神温泉付近の見どころ|社団法人龍神観光協会 |
天誅倉
天誅倉【てんちゅうくら】は、天誅組の残党が幽閉された土蔵を復元したものである。元々の天誅倉は昭和39年(1964年)の大雨で倒壊したために復元された。
文久3年(1863年)の8月に、尊皇攘夷と倒幕を掲げて大和国で挙兵した天誅組と呼ばれる勤王の志士たちは紀州藩に鎮圧されてしまった。水郡長雄【にごりながお】をはじめとする河内勢の志士8人は龍神村の小又川まで逃れてきたが、紀州藩に捕らられて3日間にわたって幽閉されていた場所が天誅倉である。
土蔵内には水郡長雄が書いたとされる辞世の歌が残されており、現在もその複製を見学することができる。
皇国の ためにぞつくす まごころは
神や知るらん 知る人ぞしる
名 称 | 天誅倉 |
所在地 | 和歌山県田辺市龍神村小又川27 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 龍神温泉付近の見どころ|社団法人龍神観光協会 |
野々垣内の吊橋(佐久間橋)
妻と一緒に旅をすると必ずと言ってよいほどその地に架かる吊橋を見に行くことになる。言わば「お約束」のようなものだ。勿論、高い所が苦手な私はただ妻が吊橋を渡っているのをできるだけ遠くから眺めているだけである。それでも心臓の鼓動が高まるのを感じる。健康に良くないかも知れないと訴えても妻にはスルーされるだけであり、当分はこの状況は続くだろう。
しかし今回の野々垣内の吊橋(佐久間橋)は、さすがの妻にとっても渡るには結構勇気がいったらしい(吊橋で勇気を出す意義を私は全く見い出せないが・・・)。
それでもLINEで連絡をとりあっているという娘からのリクエストに応えて、動画撮影のために2往復もするからその気が知れない。できることなら彼女の頭の中を覗いてみたいものだ。
名 称 | 野々垣内の吊橋(佐久間橋) |
所在地 | 田辺市龍神村野々垣内(道の駅・龍神から約1 km上流地点) |
駐車場 | なし(200mほど上流にある林道入口近くの広場に路上駐車) |
あとがき
高野山には伯母が住んでいたので物心ついた頃からよく遊びに行った想い出がある。伯父がある寺院の執事をしていたので高野山の寺院や宿坊のことを教えてもらった想い出もある。実家が法事をするときには金剛三味院にお世話になっているので、高野山に参拝する機会も比較的多いのではないかと思う。
昔は「林間学校」と称して夏場には多くの中学生や高校生が高野山に来ていたのを覚えている。今はどうなのであろうか。最近は高野山に行くと海外からの観光客に出会うことも珍しくなく、昔とは全く違った光景を目にすることが多い。写真撮影が禁止されている場所も増えたように思うし、人が多くて無動作に被写体にカメラを向けることにも躊躇してしまう場面が多い。
カメラも持たずに手ぶらで奥の院の参道をゆっくりと歩くのが高野山を旅する本来の楽しみ方なのかも知れない。
一方、龍神温泉は高野龍神スカイラインを利用すればすぐに行ける場所であるにもかかわらず、私は一度しか行った経験がない。近郊には白浜温泉など知名度の高い温泉地があるが、龍神温泉は山あいの静寂な環境の中にあって心を癒してくれる温泉地であり、周辺にある観光スポットも混雑することがなく私好みの場所であった。近いうちに再訪したいと思っている。