はじめに
天武天皇(第40代天皇、在位673~686年、飛鳥時代)は、古来の伝統的な文芸・伝承を掘り起こすことにも力を入れたという。681年には親王・臣下に命じて「帝紀及上古諸事」編纂の詔勅を出し、これが後に完成した「日本書記」編纂事業の開始と言われる。また、稗田阿礼【ひえだのあれ】らに命じて帝皇日継と先代旧辞の詠み習わせをさせた。これが後に筆録されて、「古事記」【こじき】となる。
古事記は712年、日本書紀は720年に完成した。いずれの完成も天武天皇の没後になったが、これらが現存する日本最古の史書とされ、両書を総称して「記紀」と呼ぶ。記紀の内容は、天皇家による支配を正当化する点で共通している。
古事記は、天皇家が統治する根拠と正統性を示すために、どちらかというと国内向けに書かれたものとされている。そのため、内容的には神話時代の物語が豊富で、漢字の音訓を使い分けて和文で表現しようとしている。文学的な色彩も濃厚で、国譲りや天孫降臨などの神話の世界に注力するという特徴を有しているとされる。一方で、古事記は出雲神話を重視しているとの指摘もある。
古事記では、物語の記載は短く、首尾一貫しており、天武天皇の意志がかなり反映されている可能性が高いと指摘されている。時代が進み、朝廷の権力基盤が確立されると神話満載の古事記の役割はなくなり、余り重要なものとみなされなくようだ。古事記の評価が復活したのは江戸中期の有名な国学者、本居宣長が「古事記伝」を著してからだという。
一方、日本書紀は、日本の正史として年代を追って書く編年体で書かれており、中国や朝鮮の歴史書の内容も参照しているという。物語は、一貫性を犠牲にして多数の説を併記しているところから、日本書紀が合議制・分担制で編纂された可能性が高い。
日本書紀は長大な漢文で、編纂当時の外国人、すなわち大陸の中国人に向けての書物であったようだ。それを裏付けるかのように、遣唐使が日本書紀を中国に持参したという話も残されているという。
古事記は、上中下の3巻からなるが、上巻【かみつまき】には、天地開闢【てんちかいびゃく】から日本列島の形成と国土の整備が語られ、天孫降臨【てんそんこうりん】を経てイワレヒコ(神武天皇)の誕生までを記す、いわゆる日本神話が語られている。
(引用:ウキペディア)
日本書紀では、古事記とは対照的に大国主神(日本書紀では「大己貴命」と表記)からの視点による伝承がほとんどないのも特徴的である。つまり、古事記では有名な「因幡の白兎」や「根の国への訪問」など大国主神を主人公とする出雲神話が全く記載されていない。
日本書紀は征服者側である大和政権の視点で編纂された史書であることが古事記と読み比べるとより強いことがよく分かる。歴史は勝者に都合よく書かれるのが常であるから日本書紀もそのことを念頭においた上で読むのが正しい読み方だと思う。
天孫降臨を果たした後のニニギがサクヤヒメを娶り、子供が生まれる話と、その子が山幸彦となり海底にある海神の宮殿を訪ねる話は大筋で古事記と同じである。
しかし、日本書紀ではその詳細について多くの伝承が記載されているので、古事記で理解できずにモヤモヤしていたところが日本書紀を読んでなるほどと合点がいったところもある。
神代の神々の物語は単純に読み物としても実に愉快であることには変わりがない。肩の力を抜いて純粋に楽しめばよいと思う。語弊を恐れずに言えば、どうでもよい話がこれほど真剣に語られていることの方が逆に新鮮で、不思議なほどに面白いのである。
古代人と現代人では価値観が違うのは当然である。小馬鹿にしたりせずに諸説ある話を丁寧に読んでいき、日本神話の世界を楽しみたいと思う。そして神話の伝説が残る史跡を訪ねてみたい。
日本神話のあらすじ
天地開闢(天地創造)から天皇家の開祖とされる神武天皇の誕生までの日本神話のあらすじは、どの部分を重要視するかで話が変わってくるが、多分、下記のようなものだろう。
天地開闢の後に七代の神が交代し、その七代目にイザナギとイザナミの二柱の神が生まれた。二神は高天原(天上)から葦原中津国(地上)に降り立ち、結婚して結ばれ、その子として、大八島国(日本)を産んだ。ついで、多くの神々も産んだようだ。
しかし、イザナミは火の神を産んだ際に火傷を負って死んでしまう。イザナギはイザナミを恋しがり、黄泉国【よみのくに】(=死者の世界)を訪れて、連れ戻そうとするが、結局は連れ戻せなかった。
イザナギは黄泉国での穢れを落とすために禊【みそぎ】を行った。その禊の最後に、三貴子と呼ばれるアマテラス、ツキヨミ、スサノオの三柱が誕生した。
スサノオは乱暴者であったため、姉のアマテラスに反逆を疑われる。そこで、スサノオはアマテラスと心の潔白を調べる誓約【せいやく】を行う。誓約の結果、三女五男の神が誕生し、スサノオは潔白を証明できたが、調子に乗って悪行を続けた。
スサノオの蛮行に恐れをなし、アマテラスは天の岩戸に閉じ籠るが、天津神たちの知恵で外に出されてしまう。
一方、スサノオは天津神の審判により高天原を追放され、葦原中津国の出雲国に下る。天上界では乱暴者のイメージだけしかなかったスサノオが変貌を遂げ、英雄的な神となってヤマタノオロチを退治する。そしてクシナダヒメを娶って新たな展開が始まる。
日本神話の第二幕では、出雲大社の主祭神であるオオクニヌシ(大国主神)が登場してくる。「因幡の白兎」では和邇【わに】に皮を剝がされたウサギを助け、因幡のヤガミヒメ(八上比売)と結婚したことから、二度も八十神の兄弟神に殺されるが、蘇生する。
蘇生後も、兄弟神に執拗に迫害される。その迫害から逃れるためにスサノオが住む根の国へ訪問する。そこで、スサノオの娘であるスセリビメと出会って結婚する。
根の国ではスサノオの数々の試練を受けるがスセリビメの助けで乗り切る。原っぱでは火責めにもされるがネズミの助けで生還する。オオクニヌシは、スサノオの隙をついてスセリビメと共にスサノオの元を脱出することに成功する。途中までオオクニヌシを追いかけて来たスサノオは叱咤激励をして国造りを指南する。
オオクニヌシは、スサノオの教えに従い、八十神の兄弟神を服従させた。そしてスセリビメを正妻にして、出雲に大社を築いて国造りに着手する。
オオクニヌシは、神産巣日神【カミムスビノカミ】の子の小名毘古那神【スクナビコナノカミ】と共に国造りを進めた。小名毘古那神が去った後に現れた神(御諸山【みもろやま】の上に鎮座する神)の協力を得て、オオクニヌシの葦原中津国の国造りは完了し、オオクニヌシは国津神の盟主となった。
葦原中津国の国土が整うと国譲りの神話に移る。アマテラスは、葦原中津国の統治権を天孫に委譲することを要求し、オオクニヌシと子の事代主神はそれを受諾する。子の建御名方神は、承諾せず、抵抗するが建御雷神に敗れて、最後には受諾する。
葦原中津国の統治権を得ると高天原の神々は天孫・ニニギを日向の高千穂に降臨させる(天孫降臨)。
ニニギが笠沙御崎で美しいサクヤヒメ(木花佐久夜毘売)に出会い、結婚して三人の子供が生まれる。兄の火照命は、海幸彦であり、後に隼人阿多君の祖神となる。弟の火遠理命は、山幸彦であり、後の天津日高日子穂穂手見命であり、神武天皇の祖父にあたる。
兄の海幸彦と弟の山幸彦は、弟が兄の「釣り針」を海で失くしたことが原因で仲違いすることになる。途方に暮れる山幸彦は塩椎神の助けを借りて海神の宮殿を訪問する。
そこで海神の娘・トヨタマヒメ(豊玉毘売命)と出会い、結婚する。そして、誕生した息子も海神の娘・タマヨリヒメ(玉依毘売命)と結婚し、山幸彦の孫となる神武天皇が誕生する。
(古事記・上巻の了)
天地開闢
昔、まだ天と地が分かれておらず、陰陽の別もまだ生じていなかった時、鶏の卵の中身のように固まっていなかった中に、ほの暗くぼんやりと何かが芽生ていた。
やがてその澄んで明るいものは、ひとつにまとまりやすかったので昇りたなびいて天となった。一方、重く濁ったものは固まるのには時間がかかったが、下を覆い滞って大地となった。それゆえに、まず天が出来上がり、そのあとで大地が出来た。
造化三神の登場
天と地が初めて分れた(天地開闢【てんちかいびゃく】)の後、天地が開けて国土が浮き滞っている様子は、例えて言えば、泳ぐ魚が水の上の方に浮いているようなものであったという。そんな時に天地のなかに、ひとつの物が空中にあった。形は葦の芽のようだったが、それが神という存在であり、やがて三柱の神が生まれた。
高天原【たかまがはら】と呼ばれる天上界に登場してきたのは、古事記では造化三神と呼ばれる次の三柱の神である。
- 天之御中主神【アメノミナカヌシノカミ】
- 高御産巣日神【タカミムスビノカミ】
- 神産巣日神【カミムスビノカミ】
この三柱の神はひとりでに生まれた神であった。それゆえに、純粋な男性神であった。
尚、大変尊い神は「尊【ミコト】」といい、それ以外の神は「命【ミコト】」といい、ともに「ミコト」と訓【よ】む。以下、すべての神の呼称はこれに従う。
特別な天津神
天地開闢の後の国土はまだまだ若く、固まらず、水に浮いている油のような状態であった。クラゲのようにフワフワと漂っているような状態であった時代に葦【あし】の芽が成長するように産まれたのが次の二柱の神である。
- 宇摩志阿斯訶備比古遲神【ウマシアシカビヒコヂノカミ】
- 天之常立神【アメノトコタチノカミ】
先述の造化三神にこの二柱を加えた五柱の神々は、「別天津神」と呼ばれる特別な五柱の神々である。但し、姿形はないという。
● 天之御中主神【アメノミナカヌシノカミ】 ● 高御産巣日神【タカミムスビノカミ】 ● 神産巣日神【カミムスビノカミ】 ● 宇摩志阿斯訶備比古遲神【ウマシアシカビヒコヂノカミ】 ● 天之常立神【アメノトコタチノカミ】 |
尚、天津神【あまつかみ】は高天原出身の神のことをいう。
神代七代
別天津神の誕生後、神代七代と呼ばれる神々が次々と生まれた。誕生順に下記の12柱の神々である。
陰陽【いんよう】の気が相交わってから生まれたので、男神と女神の両性がいる。生まれた順に次の6代12柱の神々である。
● 国之常立神【クニノトコタチノカミ】 ● 豊雲野神【トヨクモノノカミ】 |
● 宇比地迩神【ウヒジニノカミ】 ● 須比智迩神【スヒジニノカミ】(宇比地迩神の妹) |
● 角杙神【ツノグヒノカミ】 ● 活杙神【イクグヒノカミ】(角杙神の妹) |
● 意富斗能地神【オオトノジノカミ】 ● 大斗乃辨神【オオトノベノカミ】(意富斗能地神の妹) |
● 淤母陀流神【オモダルノカミ】 ● 阿夜訶志古泥神【アヤカシコネノカミ】(淤母陀流神の妹) |
● 伊邪那岐神【イザナギノカミ】 ● 伊邪那美神【イザナミノカミ】(伊邪那岐神の妹) |
最後に生まれた神代七代目と呼ばれる伊邪那岐神(イザナギ)と伊邪那美神(イザナミ)の二柱の神は「島産み」や「神産み」を行った重要な神である。
国産み
オノゴロ島の誕生
天津神たちが話し合って、イザナギとイザナミに「この漂ってる国を固めて完成させなさい」と命じ、天の沼矛【あめのぬぼこ】を渡した。
イザナギとイザナミは、天の浮橋【あまのうきはし】に立って、「この底の一番下に国がないはずはない」と言い、天の沼矛で下の方をさぐったところ、そこに青海原がみつかった。
そしてコロコロと鳴らして天の沼矛を引き上げると、矛の先から塩がしたたり落ちて、積もっていった。それが島となって誕生したのがオノゴロ島である。
イザナギとイザナミは、オノゴロ島に降り立ち、天御柱【あめのみはしら】を立てて、広い神殿を作った。
不吉な子供の誕生
イザナギは、イザナミに「おまえの身体はどうなっているのか」と尋ねた。するとイザナミは、「私の体は、段々と出来あがってきたのですが、足りないところ(=女性器のこと)があります」と答えた。
イザナギは、「私の体は段々と出来あがって、余ったところがある(=男性器のこと)。そこで私の余ったところを、お前の足りない所に挿して塞いで、国を産もうと思うのだが、どうだろうか」と提案すると、イザナミは「それがいいですね」と同意した。
イザナギは「それでは、私とあなたでこの天御柱を互いに反対に回って、まぐわいましょう。あなたは右回りに、私は左回りに行きましょう」と約束し、回った。そうするとイザナミが先に「あぁ、なんてイイ男なんだろう!」と言い、その後にイザナギが「あぁ、なんてイイ女なんだろう!」と言った。イザナギは、言い終えた後で「女が先に話しかけるなんて不吉だ」と言った。
二柱が床で交わって作った最初の子は水蛭子【ヒルコ】であったが、その子は葦で作った船に乗せて流して、捨ててしまった。
次に淡島【あわしま】が生まれたが、これも子供とは認めなかった。そこでイザナギとイザナミは話し合い、「今、産んだ子供は不吉だった。天津神の所に行って報告しましょう」と言って、すぐに高天原に上り、天津神に報告した。
天津神は、太占【ふとまに】(鹿の肩の骨を焼いて占うこと)で占った後で、イザナギとイザナミに「女が先に話しかけたのが良くなかった。もう一回言い直しなさい」と言った。
大八島国(日本列島)の誕生
イザナギとイザナミは、再び地上に降りて、天御柱の周りを前と同じように回り、今度はイザナギが先に「あぁ、なんとかわいい少女だろう」と言った。次にイザナミが「あぁ、なんてすばらしい男性でしょう」と言った。そう言い合って交わって出来た子は淡道之穂之狭別島【あわじのほのさわめしま】(淡路島)であった。
次に産まれたのは伊予之二名島【いよのふたなしま】(四国)であった。伊予之二名島には体一つに顔が四つもあった。そして、それぞれの顔には名前があった。
伊予国は愛比売【エヒメ】、讃岐国は飯依比古【イヒヨリヒコ】、阿波国は大宜都比売【オオゲツヒメ】、土佐国は建依別【タケヨリワケ】と呼ばれた。
引き続いて、次々と島々が生まれた。生まれた島々の名は誕生順に次のようなものであった。
- 隠伎之三子島(隠岐にある三つの島)
- 筑紫島【つくししま】(九州;筑紫、豊、肥、熊曾の国々)
- 伊伎島【いきのしま】(壱岐島)
- 津島【つしま】(対馬)
- 佐渡島
- 大倭豊秋津島【おおやまととよあきづしま】(本州)
イザナギとイザナミが産んだ八個の島は、大八島と呼ばれたことから、日本列島を大八島国と呼ぶようになったと言われている。
大八島以外の島々の誕生
イザナギとイザナミは、大八島を産んで帰る途中でも次々に島を産んでいる。誕生順に次の6つの島々である。
- 吉備児島【きびこじま】
- 小豆島
- 大島
- 女島
- 知訶島
- 両児島
イザナギとイザナミによって生まれた島は、最終的に大小合わせ14個の島々である。
神産み
神々の誕生
イザナギとイザナミは、島を産み終えたので、次に神を産むことにした。生まれた神々は誕生順に下記のとおりである。
● 大事忍男神【オオコトオシオノカミ】 ● 石土毘古神【イワツチビコノカミ】 ● 石巣比売神【イワスヒメノカミ】 ● 大戸日別神【オオトヒワケノカミ】 ● 天之吹男神【アメノフキオノカミ】 ● 大屋毘古神【オオヤビコノカミ】 ● 風木津別之忍男神【カザモツワケノオシオノカミ】 ● 大綿津見神【オオワタツミノカミ】(海の神) ● 速秋津日子神【ハヤアキツヒコノカミ】(港の神) ● 速秋津比売神【ハヤアキツヒメノカミ】(その妹) |
この速秋津日子神と速秋津比売神の二柱の神からは、下記の神々が生まれた。
● 沫那芸神【アワナギノカミ】 ● 沫那美神【アワナミノカミ】 ● 頬那芸神【ツラナギノカミ】 ● 頬那美神【ツラナミノカミ】 ● 天之水分神【アメノミクマリノカミ】 ● 国之水分神【クノミクマリノカミ】 ● 天之久比箸母智神【アメノクヒザモチノカミ】 ● 国之久比箸母智神【クノクヒザモチノカミ】 |
イザナギとイザナミが、さらに産んだのは、次の神々である。
● 志那都比古神【シナツヒコノカミ】(風の神) ● 久久能智神【ククノチノカミ】(木の神) ● 大山津見神【オオヤマヅミノカミ】(山の神) ● 鹿屋野比売神【カヤノヒメノカミ】(野の神) (別名:野椎神【ノヅチノカミ】) |
この大山津見神と野椎神の二柱からは、下記の4対8柱の神々が生まれた。
● 天之狭土神【アメノサヅチノカミ】 ● 国之狭土神【クニノサヅチノカミ】 ● 天之狭霧神【アメノサギリノカミ】 ● 国之狭霧神【クニノサギリノカミ】 ● 天之闇戸神【アメノクラトノカミ】 ● 国之闇戸神【クニノクラトノカミ】 ● 大戸惑子神【オオトマトヒコノカミ】 ● 大戸惑女神【オオトマトヒメノカミ】 |
火の神の誕生と死の原因
イザナギとイザナミがさらに生んだのは、次の神々である。
● 鳥之石楠船神【トリノイハクスフネノカミ】 (別名を天鳥船【アメノトリフネ】という) ● 大宜都比売神【オオゲツヒメカミ】 ● 火之夜芸速男神【ヒノヤギハヤオノカミ】(火の神) (別名を火之炫毘古神【ヒノカガビコノカミ】又は火之迦具土神【ヒノカグツチノカミ】という) |
イザナミは、この火の神(=火之迦具土神【ヒノカグツチノカミ】)を産んだことで女陰(女性器)に焼けどを負って倒れてしまった。この焼けどの苦しみから嘔吐して生まれたのが次の二柱である。
● 金山毘古神【カナヤマヒコノカミ】 ● 金山毘売神【カナヤマヒメノカミ】 |
次に焼けどの苦しみから脱糞し、糞から生まれたのが次の二柱である。
● 波邇夜須毘古神【ハニヤスヒコノカミ】 ● 波邇夜須毘売神【ハニヤスヒメノカミ】 |
次に焼けどの苦しみから失禁し、尿から生まれたのが次の二柱である。
● 弥都波能売神【ミズハノメノカミ】 ● 和久産巣日神【ワクムスビノカミ】 |
イザナギは「愛する妻の命をただ一人の子供によって無くしてしまうなんて」と言い、イザナミの枕元や足元で這い廻り泣いた。その涙から産まれたのは泣沢女神【ナキサワメノカミ】(香具山の麓の丘の木の下に鎮座する神)である。
イザナミの遺体は出雲国と伯耆国【ほうきのくに】の境にある比婆山【ひばのやま】に葬られた。イザナミは黄泉国(死者の国)へと行ってしまったのである。
イザナギは、腰に挿していた十拳剣【とつかのつるぎ】を抜き、イザナミの死の原因となった火之迦具土神の首を切り落とした。
すると剣やそのツバや鞘についた血痕が沢山の神聖な岩に飛び散った。そしてそこから生まれたのが下記の神々である。
● 石拆神【イワサクノカミ】 ● 根拆神【ネサクノカミ】 ● 石筒之男神【イワツツノオノカミ】 ● 甕速日神【ミカハヤヒノカミ】 ● 樋速日神【ヒハヤヒノカミ】 ● 建御雷之男神【タケミカヅチノオノカミ】 ● 闇淤加美神【クラオカミノカミ】 ● 闇御津羽神【クラミツハノカミ】 |
また、殺された火之迦具土神の体からも神々が生まれた。
● 正鹿山津見神【マサカヤマツミノカミ】(頭から) ● 淤縢山津見神【オドヤマツミノカミ】(胸から) ● 奥山津見神【オクヤマツミノカミ】(腹から) ● 闇山津見神【クラヤマツミノカミ】(陰部から) ● 志芸山津見神【シギヤマツミノカミ】(左手から) ● 羽山津見神【ハヤマツミノカミ】(右手から) ● 原山津見神【ハラヤマツミノカミ】(左足から) ● 戸山津見神【トヤマツミノカミ】(右足から) |
イザナミに会いに黄泉国へ
イザナギは、イザナミに会いたくて、黄泉国へと追って行くことにした。黄泉国の入り口の塞がれた戸で出迎えたイザナミに対して、イザナギは「愛しい我が妻よ、二人でつくった国はまだ出来ていないから一緒に帰ろう」と話しかけた。
するとイザナミは「もっと早く来てくれれば、よかったのに悔しいことです。もう黄泉国の釜で煮た食べ物を食べてしまったので、現世には戻れません。でも、せっかく会いに来てくれたのだから黄泉国の王に相談してみます。その間、決して覗かないで下さいね」と言って、御殿の中に入って行った。
ところがいつまで待ってもイザナミが帰ってこないので、イザナギは耐えられなくなった。角髪【みずら】(髪をまとめて耳あたりでまとめた束のこと)に挿していた櫛の太い歯を一本折り取って、明かりを灯して、宮殿の内部を見ることにした。
するとイザナミの身体には蛆【うじ】がたかり、8体の雷神が覆い被さっていた。そのようなイザナミの変わり果てた姿を見て、イザナギは怖くなり逃げ帰ろうとした。
するとイザナミが「私に恥をかかせましたね」と言って、すぐに予母都志許売【ヨモツシコメ】(黄泉国の醜女【しこめ】=死者の国の強い女)を呼んでイザナギを追わせた。
イザナギは髪につけていた黒いカズラを取って投げるとみるみる成長して山ブドウが実った。この山ブドウの実を醜女が食べている間にイザナギは逃げ延びた。しかし、更に醜女が追ってきたので、今度は右の角髪【みずら】に挿していた櫛の歯を折って投げるとタケノコが生えてきた。今度はそれを醜女が食べている間にイザナギは逃げ延びた。
イザナミは、次にその身に沸いた雷神たちに1500人の軍勢を従わせてイザナギを追わせた。イザナギは後ろ手に長剣を振りつつ逃げたが、彼らはなおも追ってきた。そこで黄泉比良坂【よもつひらさか】にさしかかったときに、桃の実3個を投げると、雷神の軍勢は退散した。イザナギは、その桃に「お前は私を助けてくれたように、人民が苦しいときには助けてくれ」と言い、意富加牟豆美命【オオカムズミノミコト】という名前を授けた。
最後にイザナミ自身が追ってきた。そこでイザナギは千引きの岩を黄泉比良坂で引っ張って、塞いでしまおうとした。
その千引きの岩を間にして、イザナミとイザナギは話し合った。イザナミは「愛しい私のイザナギよ。こんなことをするのならば、あなたの国の人民を毎日1000人ずつ締め殺してしまいましょう」と言った。それでイザナギは「愛しき私のイザナミよ。あなたがそうするならば、一日に1500の産屋を立てましょう」と言い返した。
それ以来、毎日1000人が死に、1500人が生まれるようになったという。そしてイザナミは黄泉津大神【ヨモツオオカミ】と呼ばれるようになった。
黄泉の坂をふさいだ岩は、道反之大神【チガエシノオオカミ】(別名、黄泉戸大神【ヨミドノオオカミ】)と名づけられた。
禊から生まれた神々
黄泉国から帰還したイザナギは、身体を清める禊【みそぎ】をすることにした。それで、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原【あわぎはら】に行って、禊をすることにした。
禊をする前に自分の身に着けていたものを脱ぎ捨てたところ次の12柱の神々が誕生したという。
● 衝立船戸神【ツキタツフナトノカミ】(杖から) ● 道之長乳歯神【ミチノナガチハノカミ】(帯から) ● 時量師神【トキハカシノカミ】(袋から) ● 和豆良比能宇斯能神【ワヅラヒノウシノカミ】(衣から) ● 道俣神【チマタノカミ】(袴から) ● 飽咋之宇斯能神【アキグヒノウシノカミ】(冠から) ● 奥疎神【オキザカルノカミ】(左の腕輪から) ● 奥津那芸左毘古神【オキツナギサビコノカミ】(同上) ● 奥津甲斐弁羅神【オキツカヒベラノカミ】(同上) ● 辺疎神【ヘザカルノカミ】(右の腕輪から) ● 辺津那芸左毘古神【ヘツナギサビコノカミ】(同上) ● 辺津甲斐弁羅神【ヘツカヒベラノカミ】(同上) |
イザナギは、「上の瀬(水面に近い方)は流れが速い。下の瀬(水底の方)は流れが遅い」と言い、中段にもぐって禊をした。この禊によって次の14柱の神々が誕生した。
● 八十禍津日神【ヤソマガツヒノカミ】(穢れから) ● 大禍津日神【オオマガツヒノカミ】(穢れから) ● 神直毘神【カムナオビノカミ】 ● 大直毘神【オオナオビノカミ】 ● 伊豆能売神【イヅノメノカミ】 ● 底津綿津身神【ソコツワタツミノカミ】 ● 底筒之男命【ソコツツノオノミコト】 ● 中津綿津身神【ナカツワタツミノカミ】 ● 中筒之男命【ナカツツノオノミコト】 ● 上津綿津身神【ウワツワタツミノカミ】 ● 上筒之男命【ウワツツノオノミコト】 ● 天照大御神【アマテラスオオミカミ】(左目を洗うと誕生) ● 月読命【ツキヨミノミコト】(右目を洗うと誕生) ● 建速須佐之男命【タケハヤスサノオノミコト】(鼻を洗うと誕生) |
イザナギは「私は子供を次々と生んだが、最後に生まれた三柱の神は貴い子だ(=三貴子【みはしらのうずのみこ、さんきし】)」と言って非常に喜んだという。
三貴子の神が司るもの
イザナギは、アマテラス(天照大御神)に首飾りを授け「あなたは高天原を統治しなさい」と命じた。尚、首飾りの玉は御倉板挙之神【ミクラタナノカミ】という。
次に、ツキヨミ(月読命)には、「あなたは夜の食国を統治しないさい」と命じた。
最後に、スサノオ(建速須佐之男命)には「あなたは海原を統治しなさい」と命じた。
役目を命じられたアマテラスとツキヨミは、それぞれの領域を治めていた。
しかし、スサノオだけは命じられたようにはせず、顎鬚【あごひげ】が胸に届くほどになっても泣き喚いているばかりであった。激しく泣くので、緑の山が枯れてしまい、河や海の水が干上がってしまうほどであった。そのため邪神がさわぎ始め、その声が夏の蠅のように辺りに満ちて悪霊が沸いた。
そこでイザナギは、スサノオに「なぜ、お前は国を治めずに泣いているのか」と尋ねた。するとスサノオは「亡き母の居る根の国へ行きたいのです」と答えた。イザナギは怒り、「ならば、出て行け」と言い、すぐにスサノオを追放してしまった。
イザナギは、神の仕事をすベて終え、あの世に赴こうとしていた。それで幽宮【かくれみや】を淡路の地に造り、静かに永く隠れた。別の伝承では、イザナギは仕事を終えても、徳が大きかった。そこで天上に帰り、日の少宮【ひのわかみや】に留まり、住むことになったらしい。
誓約【うけい】
スサノオは、姉のアマテラスに理由を説明してから根の国へ行くことにしようと考え、高天原に登って行った。すると山や川が震えた。その音を聞いたアマテラスは驚き、「弟が登ってくる理由は、善良な心からではない。この高天原を奪おうと思ってのことだ」と言い、戦闘態勢を整えて、高天原にやって来たスサノオと対峙した。そして「何をしに来たのか」と問い詰めた。
スサノオは「私に邪心はありません。父の怒りにより追放されたので、母の居る根の国へ向かうことになった事情を話に来たのであって、謀反の心など毛頭ありません」と答えた。
アマテラスが「ならば、あなたの心が清く正しいことはどうやって証明するのですか?」と尋ねたので、スサノオは「誓約【うけい】をして子供を生みましょう」と答えた。
天安河【あまのやすかわ】を挟んで二柱は誓約をした。アマテラスがまずスサノオが持っていた十拳剣を受け取って、三つに折り、天真名井【あめのまない】の水ですすいでから噛み砕き、吹き捨てた。その息吹から生まれた神々は次の三柱の女神である。
● 多紀理毘売命【タキリヒメノミコト】 ● 市寸嶋比売命【イチキシマヒメノミコト】 ● 多岐都比売命【タキツヒメノミコト】 |
今度は、スサノオがアマテラスの左右の角髪【みずら】や御鬘沢山の勾玉を貫き通した玉緒を受け取った。さらには左右の手首に巻いている玉緒を受け取った。そしてそれらの玉緒の玉が揺れて音が立つほど、天真名井の水ですすいでから、噛み砕き、吐き出した。その息の霧から生まれた神は次の五柱の男神である。
● 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命【マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト】(左角髪の玉緒から) ● 天之菩卑能命【アメノホヒノミコト】(右角髪の玉緒から) ● 天津日子根命【アマツヒコネノミコト】(御鬘の玉緒から) ● 活津日子根命【イクツヒコネノミコト】(左手首の玉緒) ● 熊野久須毘命【クマノクスビノミコト】(右手首の玉緒) |
アマテラスは、「後から生まれた五柱の男神は私の持ち物(玉緒)から生まれたので私の子供です。 先に産まれた三柱の女神はあなたの持ち物(十拳の剣)から生まれたのであなたの子供です」とスサノオに言って、生まれた神々を別けた。
スサノオは、「私の心は清らかで明るいものである。だから、生まれた子はか弱く優しい女の子だった。 それは言わば、私が誓約に勝ったということだ」とアマテラスに言った。
そして、勝利に乗じてアマテラスが営む田んぼの畦を壊し、田に水を引く溝を埋めてしまった。さらには新嘗祭【にいなめさい】(=収穫祭;新穀を神にお供えする祭事)を行っている神殿の部屋にこっそりとウンコをした。
アマテラスは、スサノオの悪行を咎めもせず、「あのウンコのように見えるのは酔っぱらって吐いたゲロです。そして田んぼの畦を壊したり溝を埋めたのは、土地を新しく広げるためでしょう」と庇ったため、スサノオの悪行はさらに激しくなっていった。
天の岩戸
アマテラスは、神聖な機織り小屋で神にささげる服を織らせていた。ある日、スサノオはその小屋の屋根をぶち破って、剥いだ馬の皮を放り込んだ。それに驚いた機織りをしていた女神が驚き、陰部を機織りの部品で突いて死んでしまった。
そのようなスサノオの悪行を知ったアマテラスは恐ろしくなって、天の岩屋(=天の岩戸)の中に籠ってしまった。そうすると、高天原は暗くなり、葦原中国(地上)も暗闇となり、朝が来ない永遠の夜となってしまった。そしてこの幾万もの邪神の声が夏の蝿のように満ちて響き、幾万もの災いが溢れかえった。
そこで、八百万の神が天安河に集って、高御産巣日神(造化三神の一柱)の子である思金神【オモイカネノカミ】に対応策を考えさせた。
思金神の策は祭りを開くというものであった。まずは、長鳴鳥【ながなきどり】を集めて鳴かせた。
次に天安河の上流の天の堅石と、天の金山の鉄を材料に、鍛冶屋の天津麻羅【アマツマラ】と伊斯許理度売命【イシコリドメノミコト】(鏡の神)に鏡を作らせた。また玉祖命【タマノオヤノミコト】(宝石の神)に勾玉を連ねた玉緒を作らせた。
次に天児屋命【アメノコヤネノミコト】と布刀玉命【フトダマノミコト】を呼び、天の香具山の鹿の骨を抜き取って、同じく天の香具山の桜の木で占いをさせた。
そして、天の香具山のサカキの木を一本抜いてきて、上段に玉緒を、中段に八咫鏡【ヤタノカガミ】を、下段には白丹寸手(=白い布)と青丹寸手(=青の布)を垂らした。
その飾ったサカキを布刀玉命【フトダマノミコト】が持ち、天児屋命【アメノコヤネノミコト】が祝詞を唱えた。天手力男神【アメノタヂカラオノカミ】は、岩戸のそばに隠れて立った。
天宇受売命【アメノウズメノミコト】が日陰蔓【ひかげかずら】をたすきがけにし、マサキカズラを髪に飾り、手には笹の葉を束ねて持ち、桶を伏せてその上に立って踏みならした。
天宇受売命は、神がかりして、胸ははだけ、陰部まであらわにした。それを観た八百万の神がどっと笑った。アマテラスは、それが気になり、天の岩戸を少しだけ開き、「私が隠れて、天は自然と暗黒になり、葦原中国も皆、闇となったのに、どうして天宇受売命は踊り、八百万の神は笑っているのか」と内側から覗きながら尋ねた。すると天宇受売命は「あなたよりも優れた神がいらっしゃったので、嬉しくって踊っているのです」と答えた。
そのように答えている間に、天児屋命【アメノコヤネノミコト】と布刀玉命【フトダマノミコト】がその鏡をアマテラスに指し出して見せると、不思議がって、岩戸から覗きこんだ。そのとき隠れていた天手力男神がアマテラスの手を引っぱって出した。そしてすぐに布刀玉命が注連縄【しめなわ】をアマテラスの後方に掛けて「これより中には入ることはできません」と言った。
アマテラスが出てきたので高天原も葦原中国(地上)にも自然と太陽の光が戻った。
八百万の神は、話し合って、スサノオに沢山の品物を罰として納めさせ、髭を切り、手足の爪を抜いて、天上界から追放した。
五穀の誕生
地上に追放されたスサノオは食べ物を大気津比売神【オオゲツヒメノカミ】という神に求めた。 すると大気津比売神は鼻や口やお尻から食べ物を出し、調理してスサノオに差し出した。
ところが、それを見たスサノオは食物を穢している思い、怒って、大気津比売神を殺してしまった。
殺された大気津比売神の身体からは下記の蚕と穀物が生まれた。
- 蚕(頭から産まれた)
- 稲(目から産まれた)
- 粟(耳から産まれた)
- 小豆(鼻から産まれた)
- 麦(陰部から産まれた)
- 大豆(尻から産まれた)
カミムスビ(神産巣日神=造化三神の一柱)はこれらの穀物を受け取り、五穀の種とした。
日本書紀には下記のような別の「五穀の誕生」の物語が記載されている。
イザナギの命令により、アマテラスとツキヨミは共に高天原(=天上界)を統治していた。
あるとき、アマテラスは、天上に出てツキヨミに「葦原中国【あしはらのなかつくに】に保食神【ウケモチノカミ】がおられるそうだ。ツキヨミ、お前が行って見てきなさい」と指示した。
ツキヨミは、その指示を受けて葦原中津国に降り立ち、保食神のもとを訪ねた。保食神が首を回し陸に向くと、ロから米の飯が出てきた。海に向くと、ロから大小の魚が出てきた。山に向くと、ロから毛皮の動物たちが出てきた。それら沢山の物を全部揃えて、机にのせてツキヨミをおもてなしをした。
ところが、ツキヨミは憤然として「けがらわしいことだ。いやしいことだ。ロから吐き出したものを、わざわざ私に食べさせようとするのか」と言い、そして剣を抜いて、保食神を斬り殺した。
ツキヨミは、復命してその様子を詳しく報告した。これをアマテラスは非常に怒り「お前は悪い神だ。もうお前に会いたくない」
と言い、昼と夜に分れて、ツキヨミと交代で住むようになった。
アマテラスは、天熊人【アマノクマヒト】(神に供える米を作る人)を遣わして保食神の死を確認させた。保食神は本当に死んでいたが、その保食神の頭には牛馬が生まれ、額の上に粟が生まれた。また、眉の上に蚕が生まれ、眼の中に稗【ひえ】が生じ、腹の中に稲が生じ、陰部には麦と大豆・小豆が生じていた。
天熊人は、それらをすべて持ち帰り奉った。するとアマテラスは喜び「これらの物は人民が生きて行くのに必要な食物だ」と言っって、粟・稗・麦・豆を畑の種とし、稲を水田の種とした。そして天の邑君【むらきみ】(村長)を定めた。その稲種を天狭田【あまのさなだ】と長田【ながた】に植えたが、実りの秋には垂穂は、八握りもあるほどに育ち、大そう気持ちがよかった。
またアマテラスはロの中に、蚕の繭【まゆ】をふくんで糸を抽くことが出来た。これにより養蚤【ようさん】が出来るようになったとされる。
出雲神話
ヤマタノオロチ退治
天上界を追放されたスサノオは出雲の肥河【ひのかわ】の上流の鳥髪【とりかみ】という地にやってきた。すると河に箸が流れてきたので、スサノオは「人が住んでる」と思って、探していくと、おじいさん、おばあさんと少女の三人が泣いていた。
「お前らは誰だ?」とスサノオが問うと、その老人は「わたしらは国津神の大山津見神【オオヤマヅミノカミ】の子で、私は足名椎【アシナヅチ】といいます。妻の名は手名椎【テナヅチ】(テナヅチ)で、娘の名はクシナダヒメ(櫛名田比売)といいます」と答えた。
スサノオが「どうして泣いているか」と尋ねると、足名椎は「私たちの娘は本来は8人いました。ところが高志からきたヤマタノオロチ(八俣遠呂智)に毎年一人ずつ食べられてしまいました。今がそのヤマタノオロチが来るときです。 それで泣いているのです。」と答えた。
スサノオが「ヤマタノオロチはどのような形なのか」と尋ねると、足名椎は「その目は赤加賀智【あかかがち】(=ホオズキ)のように赤く、体が一つで、頭が八つ、尾が八つです。その身体からは日陰葛やヒノキや杉が生えていて、八つの谷と八つの峰に及んでいます。その腹をみると一面に血が滲んでいます」と答えた。
スサノオが足名椎に「お前の娘を私にくれないか」と言った。すると足名椎は「恐れ多いことに、あなたの御名も知りません」と答えた。スサノオは「私は天照大御神の弟で、高天原より降り立ったばかりだ」と言った。足名椎と手名椎は「それならば、恐れ多いことで、娘を差し上げましょう」と言った。
スサノオは、すぐに娘のクシナダヒメを爪型の櫛に変え、自分の御美豆良【みみずら】(=結った髪)に刺した。スサノオは、足名椎と手名椎に「あなた方は八塩折【やしおり】の酒を醸造しなさい。 次に垣根を作って、そのなかに8つの門を作りなさい。そして門に桟敷を作り、酒の桶を置いて、濃い八塩折の酒を満たして、待ちなさい」と言った。
命じられたとおりに準備していると、ヤマタノオロチがやってきた。大蛇はすぐに8つの頭を酒桶毎に突っ込み、酒を飲み干して、その場で酔って、伏して眠ってしまった。
スサノオが身に着けていた十拳剣を抜いて、その大蛇を切り刻んだ。すると肥河が血で染まり、流れていった。
尾を切っているとき、剣の刃が欠けた。怪しいと思い、剣の先で尾を刺し裂いて見ると、素晴らしい太刀がみつかった。それでこの太刀を取り出し、不思議なものと思い、アマテラスに報告し、献上した。これが草薙太刀【くさなぎのたち】と呼ばれ、後に「三種の神器」の一つとされる太刀である。
この剣の本来の名は天叢雲剣【あめのむらくものつるぎ】という。ヤマタノオロチの上には常に雲があったので、このように名づけたが、後に日本武尊【ヤマトタケルノミコト】が持つに至って、剣の名を草薙太刀又は草薙剣に改めたと伝わる。
新たなる門出
スサノオは、クシナダヒメと一緒に暮らすため、宮殿を造るべき土地を出雲国で探した。そして須賀【すが】の地に辿り着き、「私はこの土地に来て、私の心は清々しいなぁ」と言い、須賀の地に宮殿を造った。今でもこの地は「須賀」と呼ばれている。
スサノオが須賀に宮殿を造った際、この地から雲が立ち登った。そのときにスサノオが詠んだのが「最古の和歌」と称されるのが次の和歌である。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
盛んに湧き起こる雲が、八重の垣をめぐらしてくれる 新妻を籠もらせるために、八重垣をめぐらすことよ あのすばらしい八重垣よ |
大国主命の誕生
天之冬衣神【アメノフユキヌ】が刺国若比売【サシクニワカヒメ】(刺国大神【サシクニオオカミ】の娘)を娶って生まれた子が大国主命【オオクニヌシノミコト】である。スサノオとクシナダヒメの子孫であり、スサノオから数えて7代目である。
大国主命には多くの名があるが、特に次の5つの別名が有名である。これら6つの名前を使い分けると話が複雑になるので、話を簡単にするために、ここではオオクニヌシと統一して表記する。
- 大穴牟遅神【オオナムチノカミ】
- 葦原色許男神【アシハラシコオノカミ】
- 大国主神【オオクニヌシノカミ】
- 八千矛神【ヤチホコノカミ】
- 宇都志国玉神【ウツシクニタマノカミ】
因幡の白兎
オオクニヌシ(=大穴牟遅神、後の大国主神)には八十神【ヤソガミ】(=沢山という意味)の兄弟神たちがいた。その八十神の兄弟神たちはそれぞれ因幡国のヤガミヒメ(八上比売)に求婚しようと思っていた。そこで因幡に行くときに、オオクニヌシに袋を負わせて従者のように連れて行った。
気多【けた】の地に来たときに、裸(=皮を剥がれた)のウサギが倒れているのをみかけた。兄弟神たちがそのウサギに「傷を治すには、海水を浴びて、風に当たりながら高い山の頂上で寝ていなさい」と言った。
皮を剥がれたウサギは兄弟神たちが言ったとおりに、海水を浴びて、風に当たりながら山の上で寝た。ところが、浴びた海水が乾くと、ウサギの皮膚が風に吹かれてひび割れを起こした。ウサギはその痛みで苦しみ、泣いていた。
兄弟神たちよりもかなり遅れてやってきたオオクニヌシが、そのウサギを見て「どうして、お前は泣いているんだ?」尋ねた。
ウサギは「私は沖ノ島にいました。それでココに渡ろうと思いましたが渡る方法がありませんでした。そこで海の和邇【わに】を騙して『わたしとあなたと、どっちの同族が多いか数えたい。そこで、あなたはその同族の和邇を集めて、この島(沖ノ島)から気多【けた】)の前まで並んでください。そうしたら、その上を飛んで走りながら数えましょう。それで私の同族のウサギとどちらが多いかを知ることできます』と言いました。そう言うと、騙された和邇が一列になって伏せたので、私はその上を踏んで数えながら渡りました。今、地に降りようと言うときに私は言ったのです。『お前はわたしに騙されたのだよ』と。そう言い終わるや否や列を成していた一番端っこの和邇が、私を捉えて、衣服を身包み剥いで仕舞ったのです。それで泣いていると、八十神の兄弟神たちが来て『海水を浴びて、風に当たって伏せていろ!』と教えてくれました。それで、その教えのとおりにしていると、全身傷だらけになりました」と答えた。
大穴牟遅神はそのウサギに「今すぐに水門【みなと】(=河口)に行き、水でお前の身体を洗って、すぐにその水門に生えている蒲黄(=ガマの花粉)を取って、敷いて寝転がれば、お前の身体は元の肌に必ず治るだろう」と教えた。
教えどおりにすると、ウサギの身体は元通りになった。このウサギは「兎神」と呼ばれる。この兎神は、オオクニヌシに「八十神の兄弟神たちは絶対にヤガミヒメを得られないでしょう。ヤガミヒメはあなたを必ず選ぶでしょう」と言った。
兎神の予言どおり、ヤガミヒメは八十神の兄弟神たちからの求婚に対して「私はあなた方の言うことは聞きません。オオクニヌシと結婚します。」と答えた。そして本当にオオクニヌシと結婚した。
八十神からの迫害
ヤガミヒメと結婚できなかった八十神の兄弟神たちは怒って、オオクニヌシを殺そうと思い、相談した。そして伯耆国の手間の山の麓にやって来てオオクニヌシに「赤い猪【いのしし】がこの山に居る。我々(兄弟神)が追って下へと降りたらお前は待ち伏せして捕らえろ。もし待ち伏せして捕まえないなら必ずお前を殺す」と言った。
兄弟神たちは猪に似た大きな石に火をつけて、オオクニヌシに向けて転がし落とした。オオクニヌシは落ちてきた焼けた石に巻き込まれて死んでしまった。
オオクニヌシが死んだことを知った母神のサシクニワカヒメ(刺国若比売)は泣き悲しんで、高天原に上り、カミムスビ(神産巣日之命=造化三神の一柱)に救いを請うた。それで、カミムスビは、キサ貝比売【キサガイヒメ】と蛤貝比売【ウムギヒメ】を派遣してオオクニヌシの治療と蘇生にあたらせた。
蘇生したオオクニヌシを見た兄弟神たちは、再び騙して山に連れ込み、大木を切り倒して楔【くさび】を打って開いたところに、オオクニヌシを入れた。入った途端に兄弟神が楔を引き抜き、木に挟まってオオクニヌシは死んでしまった。
今回も母神のサシクニワカヒメが泣いてオオクニヌシを探し求めた。そして、見つけるとすぐにその大木を折って、オオクニヌシを助け出して蘇生させた。
生き返ったオオクニヌシに母神のサシクニワカヒメが「お前はここに居たら八十神の兄弟神たちに滅ぼされてしまう」と言った。そしてサシクニワカヒメは紀伊国の大屋毘古神【オオヤビコノカミ】のもとにオオクニヌシを遣わした。
ところが、兄弟神たちがオオクニヌシを探して、大屋毘古神のもとまで追って来た。そして弓に矢を添えて構え、オオクニヌシを引き渡せと要求した。
そこで大屋毘古神はオオクニヌシに「須佐之男命の居る根の堅州国に行きなさい。きっとその神がよい考えを授けてくれるだろうから」と言って逃がしてくれた。
根の国への訪問
大屋毘古神に言われたままにオオクニヌシはスサノオ(須佐之男命)の元へとやってきた。するとスサノオの娘のスセリビメ(須勢理毘売)が出てきて、オオクニヌシの姿を見て、互いに一目ぼれして、そのまま結婚してしまった。
スセリビメが御殿に帰って父のスサノオに「素敵な神がいらっしゃいました」と言うので、スサノオは御殿を出て一目見て、「あれは葦原色許男【アシハラシコオ】というぞ!」と言い、そしてすぐにオオクニヌシを御殿に呼び入れて、蛇の部屋に寝かせた。
スセリビメがオオクニヌシに蛇の比礼【ひれ】を授けて「蛇が食いつこうとしたら、この比礼を三回挙げて打ち払ってください」と教えた。その教えのとおりにすると、蛇は静かになった。それで平穏無事に寝ることができ、オオクニヌシは蛇の部屋を出ることができた。
次の日、オオクニヌシは呉公(ムカデ)と蜂の部屋に入れられた。しかし、今度もスセリビメが呉公(ムカデ)と蜂を祓う比礼をオオクニヌシに授けて、同様に教えたので、何事もなく部屋から出ることができた。
スサノオは、鏑矢【かぶらや】を原っぱに撃ち、その矢を取って来いとオオクニヌシに命じた。そして、オオクニヌシが矢を求めて、原っぱに入るとスサノオは火を放って、焼いてしまった。
オオクニヌシが逃げようにも逃げられないと困っていると、ネズミがオオクニヌシの元にやってきて「中はホラホラ、外はスブスブ」と言った。ネズミの意図を理解し、オオクニヌシはその場を踏みしめた。すると、地面下が空洞になっていて、踏みしめた地面が割れて落下してしまった。そのまま穴に隠れている間に野火は焼きつくして消えてしまった。そして、ネズミが、スサノオが放った鏑矢【かぶらや】を咥えて出て来て、オオクニヌシに渡した。
スセリビメはオオクニヌシが死んだと思って喪具(=葬式用具)を持って、泣きながらやって来た。スサノオもオオクニヌシがすでに死んだと思って、焼いた野原に出てみると、オオクニヌシが鏑矢をスサノオに差し出した。
スサノオはオオクニヌシを家に引き入れて、八田間の大広間に招き入れて、自分の頭の虱【しらみ】を取らせた。オオクニヌシがスサノオの頭を見ると虱ではなく呉公(ムカデ)がいっぱい居た。
スセリビメは、牟久【むく】の木の実と赤土をオオクニヌシに授けた。オオクニヌシはその木の実を食い破り、赤土を口に含んで吐き出すと、スサノオは呉公(ムカデ)を噛み砕いて吐き出しているのだと思って、「健気な奴だ」と思って、寝てしまった。
オオクニヌシは、眠ったスサノオの髪を握って、部屋の柱ごとに結び付けた。そして、五百引の石(500人でやっと動かせるほどの大きな岩)をその部屋の入り口に置いて塞いだ。そしてスサノオが眠っている間に、スセリビメを背負って、スサノオの生大刀【いくたち】と生弓矢【いくゆみや】、それにスセリビメの天詔琴【あめののりごと】を持って逃げようとした。そのとき、天詔琴が木に触れて大地が揺れるような大きな音がした。
天詔琴が大きな音をたてたので、その音を聞いて、寝ていたスサノオは目を覚ました。驚いて立ち上がったので、建物を引き倒してしまったが、柱に結ばれた髪をほどいているうちにオオクニヌシたちは遠くへと逃げてしまった。
スサノオは、黄泉比良坂【よもつひらさか】まで追って来て、遥か遠くに居るオオクニヌシを呼んで「お前が持ってる生大刀と生弓矢を使ってお前の兄弟神たちを坂の下に追いやり、河の瀬に追いやって、お前自身が大国主神【オオクニヌシノカミ】となり、そして宇都志国玉神【ウツシクニタマノカミ】となれ。私の娘のスセリビメを正妻にして宇迦の山のふもとに太い柱を立てて、高い宮殿を造り、そこに住め。この野郎め!」と叱咤激励した。
オオクニヌシは、スサノオに教わったとおりに、生大刀と生弓矢で八十神の兄弟神たちを退け、坂の下に追いやり、河の瀬に追いやって、国を作った。兄弟神たちが皆、オオクニヌシに国を譲ってしまった理由というのがこのような経緯があったからである
妻問い
「因幡の白兎」のくだりで登場したヤガミヒメは、オオクニヌシの最初の妻である。それで、オオクニヌシはヤガミヒメをつれて帰って来た。
しかし、正妻となったスセリビメは嫉妬深く、ヤガミヒメはスセリビメを恐れて、生まれたばかりの二人の子供を木の股に挟んで、因幡に帰ってしまった。だから、その子供は木俣神【キマタノカミ】(別名、御井神【ミイノカミ】)と呼ばれる。
八千矛神【ヤチホコノカミ】と呼ばれるようになったオオクニヌシは越国の沼河比売【ヌナカワヒメ】と結婚しようと思った。オオクニヌシは、八大島(=日本)では好ましい妻を娶ることができなかったので、ついに遠い遠い越国に沼河比売という賢くて美しい女性が居ると聞いて、結婚しようと出発した。そして、何度も求婚に通ったのである。その願いは叶い、オオクニヌシは沼河比売と結婚することができた。
ところが、オオクニヌシの正妻のスセリビメはとても嫉妬深い女神であった。そのためオオクニヌシは当惑してしまい、出雲から大和へ行こうと旅支度をした。出発するときに、片方の手を馬の鞍にかけて、片方の足を鐙【あぶみ】に入れ、スセリビメに別れを告げたところ、スセリビメは大きな盃【さかずき】を持って、オオクニヌシの傍に寄り、次のように歌った。
八千矛神よ! 私の大国主よ! あなたは男ですから、 島の岬、港ごとに妻が居るんでしょうね。 わたしは女ですから、 あなた以外に男は居ません。 あなた以外に夫は居ません。 綾織の帳のフワフワと垂れている下で カラムシの寝具の柔らかな下で タクの寝具のザワザワと鳴る下で 泡雪のような白い胸を、 白い楮の綱のような腕を、 愛撫し絡み合い、 わたしの手を枕にして、 足を伸ばしてお休みください。 さぁ、お酒を飲んでください。 |
二人は、この後にすぐに、盃を交わし、夫婦の契りを交わして
互いに腕を首に掛けて、仲睦まじく鎮座しているという。
大国主命の国造り
オオクニヌシが出雲の御大の御前(=美保岬)にいたとき、波頭の上から立つ上に、蘿茶【ががいも】の実の船(=天の羅摩船)に乗って、蛾【ひむし】の皮を丸剝ぎ【まるはぎ】に剝【む】いで作った衣服を着て、近づいて来る神があった。
オオクニヌシは、その神に名前を尋ねたが答えなかった。そこでオオクニヌシは従っている諸々の神にその神の名を尋ねたが誰も知らなかった。蝦蟇【がま】に尋ねると、「これは久延毘古【クエビコ】が知っているでしょう」と答えた。すぐさま久延毘古(=山田の案山子=天下の全てを知っている神)を呼んで尋ねてみると「これはカミムスビ(神産巣日神=造化三神の一柱)の御子のスクナビコナ(小名毘古那神)です」と答えた。
オオクニヌシが、カミムスビにスクナビコナのことを報告すると、「これは本当に私の子だ。スクナビコナは、葦原色許男命(=大国主神)と兄弟となってその国を作り固めなさい」と言った。
それからオオクニヌシとスクナビコナの二柱の神は協力して、この国を作った。しかし、スクナビコナは遠い常世国【とこよのくに】へと渡って行った。
日本書紀には次のようなくだりが記載されている。
オオクニヌシが国を平定したときに、出雲国の五十狭々【いささ】の小浜【おばま】(=稲佐の浜)に行き、食事をしようとしたとき、海上ににわかに人の声がしたので、驚いて探してみたが、さっぱり見えない。
しばらくして一人の小人【こびと】が、ヤマカガミの皮で舟をつくり、ミソサザイの羽を衣にして、湖水にゆられてやってきた。
オオクニヌシはこの小人を拾って掌にのせ、もてあそんでいると、跳ねてその頰をつついた。
そこでその姿形を怪しんで遣いを出して天津神に尋ねた。するとタカミムスヒ(高皇産霊尊=造化三神の一柱)がその話を聞いて「私が生んだ子は皆で千五百程もある。それら子の中の一人にいたずらで私の教えに従わない子がいた。指の間から漏れ落ちたのは、きっと彼だろう。可愛がって育ててくれ」と言ったという。これがスクナビコナである。
オオクニヌシとスクナビコナは協働して天下を造った。また現世の人民と家畜のために、病気治療の方法を定めた。鳥獣や昆虫の災いを除くための方法も定めた。このため百姓【おおみたから】は今日に至るまで、その恵みを受けているという。
オオクニヌシがスクナビコナに「我らが造った国は善く出来たと言えるだろうか」と問うた。するとスクナビコナは「よく出来た所もあるが、不出来の所もある」と答えた。
その後、スクナビコナが出雲の熊野の岬に行って、ついに常世【とこよ】(長生不老の国)に去った。一説に、粟島【あわしま】に行き、 粟茎【あわがら】によじ登り、それに弾かれて常世郷【とこよのくに】に行ったともいう。
三諸山の大三輪神
オオクニヌシは、心配して「私は一人でどうやってこの国を作ったらいいのだろう。どこかの神が私に協力してこの国を作ってくれないだろうか」と言った。そのとき、海上を照らして近寄って来る神がいた。その神は「私を丁寧に祀れば、私はあなたと共に、国を作ろう。もし祀らなければ巧くいかないだろう」と言った。
オオクニヌシが「ならば、あなたの魂を治め祀るにはどうしたらよいですか?」と尋ねると「私の魂を大和を取り囲んでいる山々の東の山に斎き祀れ」と答えた。この神は御諸山【みもろやま】の上に鎮座している神である。
日本書紀には次のような記述がみられる。
スクナビコナが去ってしまった後は、オオクニヌシが一人でよく国中を巡り、国の中でまだ出来上がっていなかった所を造った。そして、ついに出雲の国で揚言【ことあげ】(=言葉に出して言い立てる、古来日本では好まれない行為)をした。
「葦原中国【あしはらのなかつくに】は、元は荒れていて広い所だった。岩や草木に至るまで、すべて強かった。しかし、私がそれらを砕き伏せ、今は従わない者はない」と言った。
さらに「今、この国を治める者はただ私一人である。私と共に天下を治めることができる者が他にいるだろうか」と言った。
そのとき、不思議な光が海を照らして、忽然【こつぜん】として浮かんでくるものがあった。「もし私がいなかったら、お前はどうしてこの国を平げることができたろうか。私がいたからこそ、お前は大きな国を造る手柄を立てることができたのだ」という声が聞こえた。
オオクニヌシはその声の主に「お前は何者か」と尋ねた。すると、声の主は「私はお前に幸いをもたらす、不思議な魂【みたま】(=幸魂【さきみたま】・奇魂【くしみたま】)だ」と答えた。
オオクニヌシは「そうですか。分りました。あなたは私の幸魂奇魂です。今、どこに住みたいと思われますか」と尋ねた。すると声の主は「私は日本国の三諸山【みもろやま】に住みたいと思う」と答えたという。
そこで宮を三諸山に造って、住まわせた。これが大三輪神【オオミワノカミ】である。
国譲り
アマテラスは「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国【とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに】(=葦原の長く幾千年も水田に稲穂のなる国=日本)は、私の子である正勝吾勝勝速日天忍穂耳命【マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト】が統治すべきだ」と言い、降臨するよう命じた。
正勝吾勝勝速日天忍穂耳命は、母のアマテラスに命じられて、天の浮橋から地上に降りる途中で「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(=地上)がひどく騒がしい」と言い、高天原に引返してアマテラスに相談した。
タカミムスビ(高御産巣日神=造化三神の一柱)とアマテラスは、天安河【あめのやすはら】の河原に八百万【やおよろず】の神々(=たくさんの神々)を集めた。そして思金神【オモイカネノカミ】に方策を考えさせつつ、アマテラスは問うた。
「この葦原中国は私の子が統治する国であると言い与えた国だ。しかし、この国は乱暴な国津神が沢山いるのです。これらの神々を静かにさせるには、どの神を派遣したらよいか?」
思金神と八百万の神々は話し合い「天菩比神【アメノホヒノカミ】を派遣するべきだ!」と答えた。
ところが、天菩比神は派遣されて地上に降りたが、オオクニヌシに媚びへつらい、三年経っても高天原に経緯を報告すらしなかった。
タカミムスビとアマテラスは、諸々の神に「葦原中国に派遣した天菩比神が全然報告してこない。次はどの神を派遣したらうまくいくだろうか?」と問うた。
すると思金神が「天津国玉神【アマツクニタマノカミ】の子、アメノワカヒコ(天若日子)を派遣させるべきです」と答えた。
そこでアメノワカヒコに天之麻迦古弓(あまのまかこゆみ)と天之波波矢【あまのははや】を渡して派遣した。
アメノワカヒコは地上に降りて、すぐにオオクニヌシの娘、下照比売【シタテルヒメ】を娶った。そして、その国を自分のものにしようと企んで、8年経っても高天原に途中経過を報告しなかった。
アマテラスとタカミムスビは、諸々の神に「アメノワカヒコが長い間、途中経過を報告してこない。どの神を派遣して、アメノワカヒコが出雲にとどまって帰ってこない理由を聞けばよいか?」と問うた。
大勢の神と思金神は「雉【きじ】のナキメ(鳴き女)を派遣しましょう」と答えた。
これを受けて、アマテラスは詔【みことのり】を出して「お前は地上に行き、アメノワカヒコに状況を問いなさい。『お前を葦原中国に派遣したのは、その国の荒ぶる神々を言趣け【ことむけ】(=言葉で説得すること)して、和合(=合流すること)するためだ。どうして8年経っても経過報告をしないのか?』と問い質すのです」と言った。
鳴き女【ナキメ】は天から降り、地上に到着すると、アメノワカヒコの門の前の湯津楓の木の上に止まり、こと細かく天津神たちの言葉を伝えた。天佐具売【アメノサグメ】は鳴き女の言葉を聞いて、アメノワカヒコに「この鳥の鳴き声はとても不吉です。だから弓で射殺してしまいましょう」と進言すると、すぐにアメノワカヒコは天津神から貰った天之波士弓【あまのはじゆみ】と天之加久矢【あまのかくや】で雉【きじ】(=鳴き女【ナキメ】)を殺してしまった。
アメノワカヒコが射ったその矢は雉の胸を撃ち抜き、通り抜けて、天へと飛んでいき、そのままの天安河の河原に坐すアマテラスとタカミムスビのところまで飛んで行った。タカミムスビがその矢を取って見てみると、矢の羽に血がついていた。
タカミムスビは「この矢は、アメノワカヒコに与えた矢だ」と言った。そしてすぐに諸々の神に見せて「もしアメノワカヒコが使命に背かず、悪い神を射った矢がここに来たというならば、アメノワカヒコには当たらない。しかし、もしアメノワカヒコが邪【よこしま】な心を持っているならば、アメノワカヒコに矢が当たって死ぬ」と言って、その矢を取って、矢が飛んできた穴から突き返した。するとその矢は、アメノワカヒコが寝ている床に飛んでいき、胸に当たった。アメノワカヒコは死んでしまった。
アメノワカヒコの妻の下照比売(=大国主神の娘)の泣く声が、風に乗って響き、高天原まで届いた。高天原のアメノワカヒコの父親、天津国玉神【アマツクニタマノカミ】とその妻がその泣き声を聞き、地上に降りていって嘆き悲しんだ。
葬式のときに阿遅志貴高日子根神【アジスキタカヒコネノカミ】(=大国主神の子で下照比売の兄)がやって来た。すると高天原から来た天津国玉神(=アメノワカヒコの父)とその妻が泣いて「私の子は死んでいなかった!」「私の君は死んでいなかった!」と言った。アメノワカヒコの両親が阿遅志貴高日子根神の手足にすがって嘆き悲しんだのは、アメノワカヒコと阿遅志貴高日子根神の容姿がとても似ていて、二人を見間違ったためである。
阿遅志貴高日子根神は、「私は愛しい友だからこそ弔いに来た。どうして私を、穢れた死者と比定するのか!」と言って、とても怒り、身につけていた十拳剣を抜いて、喪屋を切り壊し、足で蹴っ飛ばしてしまった。阿遅志貴高日子根神が飛び去ったとき、妹の下照比売がその名を明かそうと、次のように歌った。
天上の機織女【はたおりめ】が首に掛けている首飾りの玉、穴が開いた玉のように、谷に渡る 阿遅志貴高日子根神 |
アマテラスは「どの神を派遣したらいいでしょうか」と問うた。
すると思金神と諸々の神が「天安河の上流の天岩戸に居る、天尾羽張神【アメノオハバリノカミ】を派遣するべきです。もしこの神でなければ、その子供のタケミカズチ(建御雷神)を派遣するべきでしょう。しかし天尾羽張神は、天安河の水を塞き止めて逆流させ、道をふさいでいるので、他の神は進めません。なので、天迦久神【アメノカクノカミ】を派遣して頼みましょう」と答えた。
天迦久神を派遣して、天尾羽張神に聞いてみると「恐れ多いことです。お仕えしましょう。しかし、この道には、私の子のタケミカズチを派遣するべきです」と答えた。そこでアメノトリフネ(天鳥船神)を同行させ、タケミカズチを地上に派遣した。
アメノトリフネとタケミカズチの二柱は、出雲の伊那佐の浜【いなさのはま】(=稲佐の浜)に降り立った。そして十拳剣【とつかのつるぎ】を抜き、浜に逆に立て、その剣の刃の上にあぐらをかいて、タケミカズチはオオクニヌシに「私は天照大御神と高御産巣日神の命により、使いで来た。お前が神領としている葦原中国は、我らの御子(=天照大御神の子)が統治する国だ。お前はどう考えているのか?」と問うた。
オオクニヌシは「私には返答できません。私の子供のコトシロヌシ(事代主神)が返答するでしょう。コトシロヌシは鳥を狩ったり、魚釣りに、御大の前(=美保の岬の前)に出掛けていて、まだ帰ってきません」と答えた。
タケミカズチは、アメノトリフネを派遣して、コトシロヌシを探して呼び寄せ、国譲りを迫った。すると父の大神(=大国主神)に代わり「かしこまりました。この国(葦原中国)は天津神の御子に譲りましょう」と答えた。
コトシロヌシはすぐに船を踏んで傾け、天の逆手(アマノサカテ)を打って、船を青柴垣に変えて、そこに篭【こ】もった。
タケミカズチがオオクニヌシに「今、お前の息子のコトシロヌシが、このように言った。他に意見を言う子供がいるか?」と問うた。
するとオオクニヌシは「私の子にタケミナカタ(建御名方神)が居ます。これ以外には意見を言う子供はいません」と言った。
タケミナカタが千引の石(=大きな岩)を持って来て「誰が私の国に来て、ひそひそと話をするのか!それならば力比べをしよう!まず私が先に掴んでみよう!」と言った。
タケミナカタがタケミカズチの手を取ると、タケミカズチの手がツララになり、剣刃となってしまった。タケミナカタは恐れをなして引き下がるしかなかった。
今度は、タケミカズチがタケミナカタの手を取ると、若い葦を掴むように、握りつぶして放り投げた。タケミナカタはすぐに逃げ去った。
タケミカズチはタケミナカタを追いかけた。科野国(=信濃国)の州羽(=諏訪)の海に追い詰めて、殺そうとしたとき、タケミナカタが「恐れいりました。私を殺さないでください。この諏訪の土地からは出て行きません。私の父、大国主神の命令には背きません。八重事代主神の言葉にも背きません。この葦原中国は天津神の御子に命ずるままに献上いたしましょう」と言った。
タケミナカタを従わせたタケミカズチが、出雲に帰ってきて、オオクニヌシに「あなたの子達である、コトシロヌシとタケミナカタは、天津神の御子の命令に従うと言った。お前はどう考えている?」と問うた。
オオクニヌシは「私の子達が言ったとおりに、私は背きません。この葦原中国は命ずるままに献上しましょう。ただし、私の住居として、天津神の御子が継ぐ神殿のように、底津石根(=地底)に太い柱を立て、空に高々とそびえる神殿を建ててくれるならば、私は遠い幽界に下がりましょう。私の子の百八十神(=大勢の神)は、八重事代主神に背くことはないでしょう」と答えた。
オオクニヌシがそう言ったので、出雲の多芸志の浜【たぎしのはま】に天の御舎(=神殿)を建てた。そしてタケミカズチは高天原に上って、葦原中国を平定した経緯を報告した。
葦原中津国平定
古事記とは少し異なる「国譲り」の話が日本書紀には書かれている。「国譲り」は征服された出雲側の発想であるが、征服者側のヤマト王権側の見方は勝者の見方であるのは致し方ないだろう。
アマテラスの子である、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊【マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト】は、タカミムスビの娘の栲幡千千姫【タクハタチチヒメ】を娶とり、生まれた子が天津彦彦火瓊瓊杵尊【アマツヒコヒコホノニニギ】(ニニギ)である。
皇祖であるタカミムスビは、特にニニギを可愛がり大事に育てた。そして、孫であるニニギを立てて、葦原中国の君主としたいと思った。
しかし葦原中国には、蛍火のように輝く神や、蠅のように騒がしくて良くない神がいたという。また、草木も皆よく物をいうらしい。
そこでタカミムスビは、多くの神々を集めて「私は葦原中国の良くない者を平定しようと思うが、それには誰を遣わしたらよいだろう。諸々の神たちよ、遠慮せず何でも言ってくれ」と問うた。
皆は「天穂日命【アマノホヒノミコト】は大変優れた神です。試してみてはどうでしょう」と答えた。そこで、皆の言葉に従って、天穂日命を派遣してみた。
しかし天穂日命は、オオクニヌシにおもねって、三年たっても復命しなかったという。
このため、天穂日命の子である大背飯三熊之大人【オオソビノミミクマノウシ】(別名、武三熊之大人【タケミクマノウシ】を遣わした。しかし、彼もまた父の天穂日命におもねり、なにも報告してこなかったという。
そこでタカミムスビは、さらに諸神を集めて、次に遣わすべき者を尋ねた。すると皆の者は「天国玉神【アマツクニタマノカミ】の子のアメノワカヒコは立派な若者です。試してみてはどうでしょう」と言った。
そこでタカミムスビは、アメノワカヒコに天鹿児弓【あまのかごゆみ】と天羽羽矢【あまのははや】を授けて、葦原中国に遣わされた。しかし、アメノワカヒコも忠実でなかった。
アメノワカヒコは、葦原中国に到着すると、オオクニヌシの娘の下照姫【シタテルヒメ】を妻に娶って、地上に留まり「私も葦原中国を治めようと思う」と言ったまま、ついに復命しなかった。
タカミムスビは、使者たちが長く知らせてこないのを怪しんで、無名雉【ナナシキギシ】を遣わして様子を探った。無名雉は飛び降りて、アメノワカヒコの家の門の前に立つ神聖な桂の木の梢【こずえ】に止まった。そのとき、天探女【アマノサグメ】が無名雉を見つけて、アメノワカヒコに「珍しい鳥が来て、桂の梢に止まっています」と報告した。
アメノワカヒコは、タカミムスビに貰った天鹿児弓と天羽羽矢をとり、無名雉を射殺した。その矢は無名雉の胸を通り抜け、タカミムスビの元まで届いた。タカミムスビはその矢を見て「この矢は昔、私が天稚彦に与えた矢である。血が矢についている。きっと国津神と闘ったのだろう」と言って、矢を取り返して投げ降ろした。
高皇産霊尊が高天原から投げ降ろした矢は地上へ落ち下って、アメノワカヒコの胸に当った。アメノワカヒコは新嘗祭【にいなめさい】の行事の後で、仰臥【ぎょうが】していたところだったため、矢に当たるや、立ちどころに死んでしまった。
アメノワカヒコの妻の下照姫は、嘆き悲しんでその声が天まで届いた。このとき、アメノワカヒコの父の天国玉神は、その泣き声を聞いて、アメノワカヒコが死んだことを悟り、疾風【はやて】を送って屍【しかばね】を天に上げ送らせた。そこで喪屋【もや】を造り、殯【もがり】の式(=葬式)をした。
アメノワカヒコが葦原中国にいたとき、味耜高彦根神【アジスキタカヒコネノカミ】とは仲がよかった。それで味耜高彦根神は、天に上って弔問した。味耜高彦根神の顔と姿が、アメノワカヒコの生前の有様によく似ていたので、アメノワカヒコの親族妻子は皆、「我が君は、まだ死んでいなかった」と衣の端を捉えて喜び泣いた。
これに対して、味耜高彦根神は憤然として怒り、「朋友の道としてお弔いすべきだから、穢れるのも厭わず遠くからお悔みにやってきた。それなのに、私を死人と間違えるとは」と言って腰に差していた大きな刀を抜いて、喪屋を切り倒した。
これが下界に落ちて山となった。現在、美濃国の藍見川の川上にある喪山がそれである。
世の中の人が、生きている人を、死んだ人と間違えるのを忌むのはこれが由来となっている。
その後、タカミムスビは、また諸神を集めて葦原中国に遣わすべき者を選んだ。皆が、「磐裂根裂神【イワサクネサクノカミ】の子で、磐筒男【イワツツノオ】と磐筒女【イワツツノメ】が生んだ、フツヌシ(経津主神)が良いでしょう」と言った。
そのとき、天石屋【あまのいわや】に住む稜威雄走神【イツノオハシリノカミ】の曾孫子のタケミカズチが進み出て「どうしてフツヌシだけが良くて、自分はダメなのだ」と言った。その語気が大変激しかったので、フツヌシに添えて、タケミカズチを共に葦原中国に派遣した。
タケミカズチとフツヌシは、出雲の国の五十田狭【いたき】の小汀【おはま】(=稲佐の浜)に降り立ち、十握剣を抜いて、逆さに大地に突き立てた。そして、剣の先に膝を立てて座り、オオクニヌシに「高皇産霊尊が皇孫を降らせ、この地に君臨しようと思っておられる。そこで、我ら二人を平定に遣わされた。 お前の心はどうか、お譲りするか、否か」と尋ねた。するとオオクニヌシは「私の子どもに相談してから、返事をいたしましょう」と答えた。
このとき、オオクニヌシの子であるコトシロヌシは、出雲の美保の崎【みほのさき】(=美保関)にいて、釣りを楽しんでいた。一説では、鳥を射ちに行っていたともいう。
そこで、熊野の諸手船【もろたぶね】に、使者として稲背脛【いなせはぎ】(諾否を問う係)を乗せて向かわせた。そして、タカミムスビの言葉をコトシロヌシに伝え、その返事を問うた。
そのとき、コトシロヌシは使者に対し「今回の天津神の言葉には、父上は抵抗しない方が良いでしよう。私も仰せに逆う ことは致しません」と言った。そして、波の上に幾重もの青柴垣【あおふがき】をつくり、船の側板を踏んで、 海中に退去してしまった。使者は急ぎ帰って、これを報告した。
オオクニヌシは、我が子の言葉をタケミカズチとフツヌシに告げ「私が頼みとした子はもういません。だから私も身を引きましよう。もし私が抵抗したら、国内の諸神もきっと同じように戦うでしよう。今、私が身を引けば、誰もあえて戦わないでしょう」と言った。
そこで国を平定したときに用いられた広矛を、タケミカズチとフツヌシに献上し、「私はこの矛をもって、事を成し遂げました。天孫がもしこの矛を用いて国に臨まれたら、きっと平安になるでしょう。今から私は幽界【ゆうかい】(死後の世界のこと)に参ります」と言い、言い終ると共に隠れてしまった。
タケミカズチとフツヌシは、諸々の従わない神たちを成敗、あるいは、邪神や草木、石に至るまで皆平げた。
服従しないのは、星の神である香香背男【カカセオ】だけとなった。そこで建葉槌命【タケハツチノミコト】を遣わして屈服させた。
そして、タケミカズチとフツヌシは天に上って復命し、「葦原中国は皆すでに平定しました」と報告した。
別の伝承(第二)では、天津神が派遣したタケミカズチとフツヌシは、出雲の五十田狭の小汀【いたさのおばま】(=稲佐の浜)に降り立ち、オオクニヌシに「お前はこの国を天津神に奉るかどうか」と問うた。
オオクニヌシは「あなた方二神の言われることはどうも怪しい。私が元から居るところへやって来たのではないか。簡単に許すことは出来ぬ」と答えた。フツヌシは天上に帰って始終を報告した。
タカミムスビは二柱の神を再び遣わし、オオクニヌシに勅して、「今、お前の言うことを聞くと、深く理に叶っている。それで詳しく条件を揃えて申しましょう」と言って、下記の交渉条件を並べた。
- 大国主神が行なってきた現世の政治は天孫が引き継ぐ
- 大国主神は幽界の神事を受け持つ
- 大国主神が住むべき宮居【みやい】を今から造る
- その宮居は、千尋もある栲【たえ】の縄でゆわえて、しっかりと結んで造る
- その宮居を造る柱は高く太く、床板は広く厚くする
- 大国主神のために供田を作る
- 大国主神が往来して海で遊べるよう、高い橋や水上に浮いた橋を架け、鳥のように速く馳ける船を造る
- 大国主神のために天安河にかけ外しのできる橋を造る
- 大国主神のために幾重もの革を縫い合わせた白楯を作る
- 大国主神の祭祀は天穂日命【アマノホヒノミコト】が掌る
これらの好条件に対してオオクニヌシは「天津神のおっしゃることは、こんなにも行き届いている。どうして仰せに従わないことがありましょうか。私が治めるこの世のことは、天孫がまさに治められるべきです。私は退いて、幽界の神事を担当しましょう」と答えた。
オオクニヌシは、岐神【ふなとのかみ】(=猿田彦神)をタケミカズチとフツヌシに勧めて、「この神が私に代ってお仕え申し上げるでしょう。私は今ここから退去します」と言い、体に八坂瓊【やさかに】の大きな玉をつけて、永久に姿を消した。
日本書紀の別の伝承では、フツヌシは岐神を先導役として、方々を巡り歩き、葦原中国を平定した。従わない者があると斬り殺した。帰順する者には褒美を与えた。
この時に帰順した首長は、オオクニヌシとコトシロヌシである。
そこで八十万神【やそのかみ】を天高市【あまのたけち】に集めて、この神々を率いて天に上り、その誠の心を披歴された。
時に、タカミムスビがオオクニヌシに「お前がもし国津神を妻とするなら、 私はお前がまだ心を許していないと考える。そこで、これから我が娘の三穂津姫【ミホツヒメ】を、お前の妻として娶らせたい。八十万の神たちを引き連れて、永く皇孫のために守って欲しい」と言って、無事に帰還させたという。
三穂津姫命【ミホツヒメノミコト】はこの伝承どおり、大国主神の妻となったようだ。三穂津姫命は、美保神社(島根県松江市美保関町美保関608)で事代主神と共に祀られている。高天原から稲穂を持って降臨し、人々に食糧として配り広められた神として「五穀豊穣、夫婦和合、安産、子孫繁栄、歌舞音曲(音楽)」の守護神として信仰されている。美保の地名はこの神の名に縁があるという。 |
天孫降臨
アマテラスとタカミムスビは、太子(=世継ぎ)の正勝吾勝勝速日天忍穂耳命【マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノカミ】に「今、葦原中国(日本)を平定したと報告がありました。以前に命じたとおり、地上に降りて統治しなさい」と言った。
ところが、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命は「私が地上に降りようと身支度をしていたら、子供が生まれました。名前は天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命【アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギノミコト】(=ニニギ)です。この子を地上に使わすと良いでしょう」と答えた。
太子の正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命が万幡豊秋津師比売命【ヨロヅハタトヨアキツシヒメノミコト】(タカミムスビの娘)と結ばれて生まれたのがニニギであった。そのため、太子が提案したとおりにニニギが命に従い、地上に降り立つことに決まった。
アマテラスは、三種の神器と呼ばれる八尺勾玉【やさかのまがたま】、鏡、草那芸剣【くさなぎのつるぎ】をニニギに授けた。そして、思金神、怪力の持ち主で天の岩戸を開いた天手力男神【アメノタヂカラオノカミ】と天界の門番で悪霊の侵入を防ぐ天石門別神【アメノイワトワケノカミ】の三柱をつけてくれた。
アマテラスは「この鏡を私の魂としてひたすら拝むように祀りなさい。思金神は祭祀を執り行い、政治を行いなさい」と言った。
ついにニニギが降臨するときがきた。ニニギは天の石位(=高天原で座っていた場所)を離れて、天の八重多那雲(=空の幾重にもたなびく雲)を押し分けて、その激しい神の力で道を掻き分け、天浮橋から浮島に降り立ち、筑紫の日向の高千穂に降臨した(天孫降臨)。
ニニギは「この地は、韓国【からくに】(=朝鮮半島)に対峙していて、笠沙御崎【かささのみさき】にまっすぐに通り、朝日がしっかりと注ぐ国で、夕日が照らす国だ。ここはとても良い土地だ」と言った。そして底津石根(地底深くの石)に太い柱を立て、空に聳えるほどに壮大な宮殿を建てて住んだ。
尚、ニニギの降臨を先導(道案内)したのは、途中の天の八衢【あまのやちまた】(=道がいくつもに分かれている所)まで出迎えに来た国津神の猿田毘古神【サルタヒコノカミ】である。
日本書紀の伝承では、葦原中国の平定(国譲り)の後、タカミムスビは、真床追衾【まとこおうふすま】(玉座を覆う襖)で、ニニギを包んで降臨させた。ニニギは天の磐座【あまのいわくら】を離れ、天の八重雲を押しひらき、勢いよく道を踏み分けて進み、日向の襲【ひむかのそ】の高千穂の峯【たかちほのみね】に降臨した。
ニニギは歩み出し、槵日の二上【くしひのふたかみ】の天の梯子【あまのはしご】から、 浮島の平な所に立った。そして、瘦せた不毛の地を丘続きに歩き、良い国を求めて、吾田国【あたくた】(南九州・阿多地域)の長屋の笠狭崎【かささのみさき】に着いた。
そこには人がいて、自らをコトカツクニカツナガサ(事勝国勝長狭)と名乗った。ニニギが「ここに国はあるか」と問うと、コトカツクニカツナガサは「国はあります。お気に召しましたら、どうぞごゆるりと」と答えた。それでニニギはそこに宮殿を建て、留まることにした。
日本書紀の別の伝承では、タカミムスビが、真床覆衾【まとこおうふすま】をニニギに着せ、天八重雲【あまのやえぐも】を押し分けるようにして地上に降臨させた。ニニギは、日向の槵日【くしひ】の高千穂峯【たかちほのみね】に降臨した。
そして、膂宍【そしし】の胸副国【むなそうくに】(痩せた土地の国)を丘続きに歩いて、浮渚在平地【うきじまりたいら】に立ち、国主であるコトカツクニカツナガサを召喚し「ここに国があるだろうか」と問うと、コトカツクニカツナガサは「ここに国があります。勅【みことのり】のままにどうぞ御自由に」と答えた。
一説によると、コトカツクニカツナガサはイザナギの子で、またの名を塩土老翁【シオツツノオジ】という。山幸彦(後述)が海神の宮に行くのを手伝った翁と同一人物(神)であるかも知れない。
ニニギとサクヤヒメの出会い
「天孫降臨」を果たしたニニギは、笠沙御崎で美しい少女に会った。「あなたは誰の娘ですか」と尋ねると、少女は「私は、オオヤマヅミ(大山津見神)の娘の木花佐久夜毘売【コノハナサクヤヒメ】といいます」と答えた。
ニニギが「あなたに兄弟(=姉妹)はいますか?」と尋ねると、サクヤヒメ(木花佐久夜毘売)は「私には姉の石長比売【イワナガヒメ】がいます」と答えた。
ニニギは「私はあなたと結婚したいと思うが、どうだろうか?」と言うと、サクヤヒメは「私には答えられません。私の父のオオヤマヅミがお答えしましょう」と答えた。
オオヤマヅミの元へ使者を派遣して、その旨を伝えると、オオヤマヅミはとても喜んで、サクヤヒメに姉のイワナガヒメ(石長比売)を添え、百取の机代の物(=沢山の結納品)を差し出した。
姉のイワナガヒメはひどく醜かったので、ニニギはその姿を見て恐れて、送り返してしまった。そして妹のサクヤヒメだけを残して一晩の契りを結んだ。
アマテラスの孫、ニニギは、日向の槵日【くしひ】の高千穂峯【たかちほのみね】に降臨した。そして、ニニギは宮殿を建てて、そこに住むようになった。
ニニギは、あるとき浜辺に出で、一人の美人を見つけ「お前は誰の娘か」と尋ねた。すると美人は「私はオオヤマヅミの娘で、名は木花開耶姫【コノハナサクヤヒメ】といいます」と答えた。続けて「私の姉に磐長姫【イワナガヒメ】がいます」と言った。
ニニギが「私はお前を妻にしたいと思うがどうだろうか」と尋ねると、サクヤヒメは「どうか父のオオヤマヅミにお尋ね下さい」と答えた。それで、ニニギはオオヤマヅミに「私はお前の娘を見た。妻に欲しいと思うが」と言った。オオヤマヅミは、それを聞いて大いに喜び、二人の娘に数多くの物を持参させて献上した。
しかし、ニニギは姉のイワナガヒメの方は醜いと思って娶らずにオオヤマヅミの元へ送り返した。
一方、妹の方は美人であるとして交合した。するとサクヤヒメは一夜で妊娠した。
天皇に寿命ができたワケ
オオヤマヅミは、ニニギが姉のイワナガヒメを送り返してきたので、とても恥に思った。そしてニニギに「私が娘を二人並べて送ったのには理由があります。イワナガヒメが仕えれば天津神の皇子(ニニギ)の命は雪が降り風が吹いても、岩のように永遠に固く動かず変わらないものになるでしょう。サクヤヒメが仕えれば木の花が咲くように繁栄するでしょう――そう誓約をしたのです。しかしこのようにイワナガヒメを送り返し、サクヤヒメだけを留めたことで天津神の皇子(ニニギ)の寿命は木の花のように儚いものとなるでしょう」と告げた。
そのためにニニギと共に、彼の子孫である天皇たちは不老不死でなくなり、人間と同じような寿命ができてたという。
日本書紀には別の伝承が記載されている。言わば「イワナガヒメの呪い」のような話である。
父のオオヤマヅミの元へ送り返えされたイワナガヒメは、大変恥じて「もし天孫が私を退けないでお召しになったら、生まれる御子は命が永く、死なずにいたでしょう。しかし、妹一人だけを召されたので、生まれてくる子はきっと木の花の如く、散り落ちてしまうでしょう」とニニギを呪った。
他の一説では、イワナガヒメは恥じ恨んで、泣き「この世に生きる青人草【あおひとぐさ】(=人民)は、木の花の如く移ろい、衰えてしまうでしょう」と呪ったとされる。これが世の人々の命が脆いことの原因であるという。
ニニギの仕打ち
サクヤヒメはニニギの所に来て「私は天孫の御子を身ごもり、もう産気づいたのでやって来ました。この子は天津神の御子ですから、こっそりと出産するわけには参りません。だから報告に来ました」と言った。
するとニニギは「サクヤヒメよ、一晩の契りで妊娠したというのですか? 私が天津神であるからといって、どうして一晩で妊娠させられようか。 私の子ではないかも知れない。きっと国津神の子供だろう」と言った。
サクヤヒメの意地
サクヤヒメはニニギの言葉に大変恥じて、「私が妊娠した子がもし国津神の子供ならば、無事に生まれないでしょう。もし天津神の皇子ならば、無事に生まれるでしょう」と答えた。そして、すぐに戸無き八尋殿(窓が無い宮殿)を建てて、その中に入り、土で入り口を塗り塞いだ。
サクヤヒメは、いよいよ出産のときになると、宮殿に火をつけて炎が燃え盛る中で出産した。そして無事に生まれてきた子が火照命【ホデリノミコト】、火須勢理命【ホスセリノミコト】、そして火遠理命【ホオリノミコト】の三柱である。
日本書紀による伝承では、サクヤヒメは、ますます恨んで、 無戸室【うつむろ】を作ってその中に籠もり「私の子がもし天津神の子でなかったら、必ず焼け失せるでしょう。もし天津神の子ならば、損なわれることはないでしょう」と誓い、部屋に火をつけて焼いた。
すると、火が燃えはじめて明るくなったときに、踏み出してきた子は「我は天津神の子、名は火明命【ホノアカリノミコト】である。我が父は何処におられるのか」と自ら名乗った。
次に、火の盛んなときに踏み出してきた子は「我は天津神の子、名は火進命【ホノススミノミコト】。我が父と兄弟は何処におられるのか」と自ら名乗りをした。
次に、炎の衰えるときに踏み出してきた子は「我は天津神の子、名は火折尊【ホオリノミコト】。我が父と兄弟たちは何処におられるのか」と名乗りをした。
次に、火熱が引けるときに踏み出してきた子は「我は天津神の子、名は彦火火出見尊【ヒコホホデミノミコト】。我が父と兄弟らは何処におられるのか」と名乗りをした。
最後に、サクヤヒメが燃え杭の中から出てきて、ニニギのところへ行き「私が生んだ子と私自身は、火難にあっても、少しも損われるところがありませんでした。天孫はそれをご覧になりましたか」と言った。
ニニギは「私は最初から彼らが我が子であると知っていた。只、一夜で妊娠したことを疑う者があると思い、衆人にこの子らが私の子であり、天津神は一夜で妊娠させられることを知らせたいと思ったからだ。お前には不思議な優れた力がある。この子らにも、人より優れた力があることを明らかにしたいと思った。だから、あのような嘲りの言葉を述べたのだ」と言った。
サクヤヒメの産んだ子は、ニニギの胤【たね】であることは証明されたが、サクヤヒメはニニギの仕打ちを恨んで、喋ろうともしなかったという。
海幸彦と山幸彦
ニニギとサクヤヒメの息子である火照命【ホデリノミコト】と火遠理命【ホオリノミコト】の兄弟は、それぞれ海佐知毘古【ウミサチヒコ】(=海幸彦)と山佐知毘古【ヤマサチヒコ】(=山幸彦)と呼ばれるようになった。
その理由は、海幸彦は背鰭の広い魚や背鰭の小さな魚を取り、山幸彦は毛の粗い動物や毛の柔らかい動物を取っていたからである。
山幸彦、海幸彦の釣り針を失う
山幸彦は兄の海幸彦に「それぞれの佐知(サチ=道具)を互いに交換してみよう」と何度も頼んだが、兄は承諾しなかった。しかしやっとのことで交換することが出来た。
山幸彦は海左知【ウミサチ】(=海幸=海の道具)を使って魚を釣ったが、一匹の魚も得られなかった。その上、釣り針を海で無くしてしまった。
兄の海幸彦が「山佐知【ヤマサチ】(=山の獲物)を取るには、山の道具を山幸彦が使うべきだし、海佐知【ウミサチ】(=海の獲物)を取るには、海の道具を海幸彦が使わないと上手く得られない。だから交換した道具を、元に戻そう」と言って、釣り針の返還を求めた。
すると弟の山幸彦が「あなたの釣り針で魚釣りをしたのですが、一匹も釣れずに、釣り針を無くしてしまいました」と答えた。
しかし、兄の海幸彦は強く返せと弟の山幸彦を責めた。そこで弟は十拳剣【トツカノツルギ】を砕いて、釣り針を500個作って、兄に弁償したが、受け取ってもらえなかった。そこで、さらに1000本の釣り針を作って、弁償しようとしたが、受け取ってもらえなかった。
上述の古事記では、弟の山幸彦の方にそもそもの原因があり、兄の海幸彦には非がないように思っていたのだが、日本書紀には下記のような別の伝承(第三)も記載されている。
兄の海幸彦は、風が吹き雨が降る度にその幸を失った。弟の山幸彦は風が吹き雨が降っても、その幸が違わなかった。兄が弟に「私は試しに、お前と幸を取り替えてみたいと思う」と相談した。弟は承諾して取り替えた。
兄は弟の弓矢を持って、山に入り獣を狩りし、弟は兄の釣針をもって、海に行き魚を釣った。しかしどちらも幸を得られないで空手で帰ってきた。
兄は弟の弓を返して、自分の釣針を返すよう求めた。弟は釣針を海中に紛失して、探し求める方法がなかった。それで別に新しい釣針を沢山作って兄に与えたが、兄は怒って受け取らず、もとの針を返すよう責めた、という云々がある。
山幸彦、海神の宮殿へ行く
兄の海幸彦に「元の釣り針を返して欲しい」と言われ、弟の山幸彦が海辺で泣いていると、塩椎神【シオツチノカミ】が来て、
「どうして天津神が泣いているのですか?」と尋ねた。
山幸彦は「私は、兄の道具と交換して使い、兄の釣り針を無くしてしまいました。その釣り針を返せというので、沢山の釣り針で弁償したのですが、受け取ってもらえませんでした。兄は『あの元の釣り針を返せ』と言うので、困り果てて泣いているのです」と答えた。
塩椎神は「私があなたの為に良い案を出しましょう」と言い、すぐに竹で隙間無く編んだ小船を作り、その小船に山幸彦を乗せて次のように言った。
「私が今から、この船を押して流します。しばらくそのまま進んで行ってください。良い海流があり、その海流に乗って行けば、
魚の鱗【ウロコ】のように家を並べた宮殿があります。それは海神・綿津見神【ワダツミノカミ】の宮殿です。その神宮の門に着いたら、泉の近くに湯津香木があります。その木の上に座っていれば、海神の娘が取り計らってくれますよ」
山幸彦と豊玉毘売の出会い
山幸彦は塩椎神の教えの通りに海流に乗って行くと、言葉通りの宮殿があった。そこに泉の近くに生えている湯津香木の上に登って座っていた。
すると海神の娘のトヨタマヒメ(豊玉毘売)の侍女が、宝石で飾った器を持って出て来て、泉の水を汲もうとした。そうしたときに泉に光が見えた。見上げると美しい男性が居るのが見えた。侍女はとても不思議に思った。
山幸彦はその侍女を見て「水が欲しい」と頼んだ。侍女はすぐに水を汲み、宝石で飾った器に入れて差出した。
山幸彦は水を飲まずに、掛けていた首飾りを解いて、玉の一つを口に含んで、その器に吐き出した。するとその玉が器にくっついて、侍女には取れなかった。侍女はこの玉がついたままの器をトヨタマヒメに見せた。
トヨタマヒメは器にくっついた玉を見て、侍女に「もしかして、門の外に誰かいるのですか?」と尋ねた。
侍女は「人が来ています。泉の上の香木の上に座っています。とても美しい男性です。海神の宮殿の王よりも素敵です。その人が水を所望したので、水を差し上げたら水を飲まずに、この玉を吐き出したのです。この玉が取れないので、そのまま持ってきたのです」と答えた。
トヨタマヒメは、不思議に思って、宮から出て、山幸彦を見ると、一目惚れしてしまった。そして父親に「私たちの門に美しい男性が居ます」と言った。
海神は宮から出て、その男を見て「これは、天津日高(アマツヒコ)の皇子の虚空津日高(ソラツヒコ)だ」と言って、すぐに宮殿内に招き入れ、美智(=アシカ)の皮を八重に重ねて敷いて、その上にさらに八重に敷いて、その上に山幸彦を座らせた。
そして百取の机代の物(=沢山の台に品物)を載せ、ご馳走でもてなし、娘のトヨタマヒメと結婚させた。それから三年もの間、山幸彦は海の国に住んだ。
海幸彦の釣り針が見つかる
山幸彦はそもそも兄の海幸彦の釣り針を無くしてここに来たということを思い出して、大きなため息をついた。すると妻のトヨタマヒメがそのため息を聞いて、父の海神に「三年一緒に住みましたが、今まで日頃はため息などしていませんでした。なのに今夜大きな溜息をしました。もしかして何か理由があるのでしょうか」と言った。
トヨタマヒメの父親である海神は、山幸彦に「今、娘が言うのを聞くと『三年いても日頃は溜息することもなかったのに、今夜大きな溜息をした』と言っていた。もしかすると理由があるのではないか。そもそも、ここに来た理由は何か」と尋ねた。
山幸彦は海神に無くしてしまった釣り針を返せと兄が責める様子を説明した。すると海神はすべての海の大小様々な魚を呼び集めて、「誰か釣り針を取ったものはいないか?」と問うた。
すると魚達が「近頃、赤海鯽魚(=赤い鯛)の喉に骨が刺さり、ものが食べられないと悩んでいると言っていました。おそらく、赤海鯽魚が取ったのでしょう」と答えた。
その赤海鯽魚の喉を探すと釣り針が見つかった。すぐに取り出し、洗い清めて、山幸彦に差し出した。
三年間も喉に釣り針が刺さったままにされていた赤鯛が気の毒であり、海幸彦の釣り針を失くし、それを探すために海神の元を訪ねたという目的を忘れていた山幸彦を批判的に思っていたが、日本書紀には下記のような記述があった。
山幸彦は、その木の下を歩きさまよった。しばらくすると一人の美人が、戸を押し開いて出てきた。そして立派な椀に水を汲もうとしている。山幸彦がそれを見ていると、美人は驚いて中に入って、その父母に「一人の珍しい客人がおられます。門の前の木の下です」と言う。
そこで海神【わたつみ】は、何枚もの畳を敷いて、導き入れた。
山幸彦が座につくと、海神は訪問の理由を尋ねた。山幸彦は、詳しくその理由を話した。
海神は、大小の魚を集めて問い質した。皆は、「わかりません。ただ赤目【あかめ】(鯛)がこの頃、ロの病があって来ておりません」と答えた。それで、赤目を呼び出してそのロを調べると、やはり、失くなった針を見つけることができた。
山幸彦は海神の娘の豊玉姫【トヨタマヒメ】を娶とり、海宮【わたつみのみや】で三年間も過ごした。
そこは安らかで楽しかったが、山幸彦にはやはり故郷を思う心があった。それで憂い、ひどく嘆いた。
豊玉姫はそれを聞き、父の海神に「天孫はひどく悲しんで度々嘆かれます。きっと郷土を思って悲しまれるのでしょう」と言った。
海幸彦の釣り針が鯛の喉からすぐに見つかってからも三年間を海神の宮で過ごしたのなら結果は同じであるということか・・・・すぐに地上に帰っていたら別の展開になっていたであろうか。
塩盈珠と塩乾珠
海神が山幸彦に「この釣り針を、兄に返すときに、『コノチハ、オボチ・ススチ・マヂチ・ウルチ』と唱えなさい。そして手を後ろにしてください。
その兄が高いところに田を作れば、あなたは低い土地に田を作りなさい。その兄が低い土地に田を作ったら、あなたは高い土地に田を作りなさい。
そうすれば私は水を操れますから、三年後には兄の海幸彦は水不足による凶作になり、貧しくなって苦しむでしょう。
もし水田の不作による困窮を理由にして、あなたを恨んで、攻めて来たら、この塩盈珠【シオミツタマ】を出して使い、溺れさせてください。
それでもしも、助けを望んだら、この塩乾珠【シオフルタマ】を使って助けなさい。そうやって、苦しめ悩ましなさい」と教えた。
このように言うと、塩盈珠と塩乾珠の二つを山幸彦に渡した。
山幸彦、地上に帰る
そして、すぐに和邇魚(=サメ)を集めて「今、天津日高【アマツヒコ】の皇子の虚空津日高【ソラツヒコ】が、上の世界へ帰ろうとしている。誰が、何日で送り届けて、すぐに帰って報告出来るか」と問うた。
するとワニたちが、自分の身長に従って、「何日掛かる」と言っている最中に、一尋和邇【ヒトヒロワニ】が「私は一日で送って帰ってきます」が答えた。海神は、一尋和邇に「ならばお前が、山幸彦を送りなさい。海中を通るときには、恐ろしい思いをさせるなよ」と言った。
すぐにその一尋和邇の首に乗せて送り出した。約束したとおりその一尋和邇は一日で帰ってきた。
その一尋和邇が山幸彦を地上に送り、引き返すときに、山幸彦は身につけていた紐小刀(=紐のついた小刀)を解いて、一尋和邇の首に掛けて、返した。だからその一尋和邇は現在、佐比持神【サヒモチノカミ】という。
海幸彦、山幸彦に屈服する
山幸彦は海神の教えどおり、呪文を唱えながら、釣り針を兄の海幸彦に返した。するとそれから、兄の海幸彦はだんだん貧しくなっていき、心は荒れて山幸彦の元へと攻めて来た。
攻めようとしたときに、塩盈珠を出して溺れさせた。それから助けを求めてきたので、塩乾珠で出して救いだした。このように悩まし苦しめたために、海幸彦は「私はこれより以降、あなたを昼も夜も守る守護人【まもりびと】となって、仕えましょう」と言った。
山幸彦、豊玉毘売命の出産を覗き見する
トヨタマヒメは、自ら参上して「わたしめは身ごもっていまして、ついに今、出産するときを迎えました。思いますに、天津神の皇子は、海原で産むべきではありません。そこで出向いたのです」と言った。
すぐに海辺の渚に鵜【う】の羽を屋根の葺草【ふきくさ】代わりにして、産屋【うぶや】を作った。その産屋の屋根が出来上がる前に、トヨタマヒメは産気づき、耐え切れずに産屋に入った。
トヨタマヒメが出産する前に、山幸彦に対して「全ての異国人は出産するときには本国の姿となって産みます。だから、わたしめは今から、本来の姿となって産みます。お願いだから、わたしめを見ないでください」と言った。
山幸彦はその言葉を不思議に思い、トヨタマヒメの出産を覗いてみるとトヨタマヒメは八尋和邇【ヤヒロワニ】に化けて、這い回って、身をくねらせれいた。
山幸彦は驚き、恐れて、逃げ出した。トヨタマヒメは山幸彦に覗かれたと知って、とても恥ずかしいと思い、その生まればかりの皇子を置いて「わたしめはいつまでも、この海の道を通って行き来しようと思っていたのですが、私の本来の姿を見られてしまいました。恥ずかしいことです」と言って、海の道を塞いで海神の国へ帰っていった。
山幸彦と豊玉毘売命の子孫
そういう経緯で生まれた皇子を名づけて、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命【アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト】(=アマツヒコ)という。
トヨタマヒメは山幸彦が覗き見をしたのを恨む気持ちがあったが、恋しい思いに耐え切れず、皇子を養育するという理由で、妹のタマヨリヒメ(玉依毘売)を地上に送った。
そしてトヨタマヒメは「赤い玉を通した紐も光るほど美しいですが、白い玉のようなあなたの姿が気高いのです」と歌った。
山幸彦がそれに答えて「鴨【かも】が鳴く島で、わたしが添い寝した愛しい妻のことを、私は忘れない。永遠に」と歌った。山幸彦は、高千穂の山の西にある高千穂宮【たかちほのみや】で580年間過ごした。
息子のアマツヒコは、自分の叔母(母の妹)にあたるタマヨリヒメを娶った。そして、生まれてきた皇子は誕生順に次の4柱である。
- 五瀬命【イツセノミコト】
- 稲氷命【イナヒノミコト】
- 御毛沼命【ミケヌノミコト】
- 若御毛沼命【ワカミケヌノミコト】(別名、豊御毛沼命【トヨミケヌノミコト】、またの名を神倭伊波礼毘古命【カムヤマトイワレビコノミコト】=後の神武天皇)
稲氷命は母の国である海原に行き、御毛沼命は海を越えて常世の国へ渡った。
あとがき
天地開闢から神武天皇の誕生までの、いわゆる神代と呼ばれる時代の話を古事記と日本書紀(口語訳)で読んでみた。内容は妙に具体的な描写があったり、論理的に無茶な展開があったりして興味がつかない。
古事記ではその名前でしか登場しなかった月読尊【ツキヨミノミコト】が、保食神を殺して五穀の誕生に関与する下りがあるのも新鮮であった。古事記ではスサノオがその保食神を殺していたからである。そして、太陽と月が決して一緒に天空に現れない理由も記載されていて愉快である。
スサノオと言えばヤマタノオロチ退治で有名であるが、古事記に伝わる話以外に多くの伝承が記載されていて愉快である。ただスサノオはやんちゃな神であったのはどの伝承でも一貫している。
大国主神がスサノオとクシナダヒメの子供であるとの記述もある。古事記では「根の国への訪問」という話が出てくるが、そうすると父親に会いに行ったことになり、スサノオの娘のスセリビメを娶るが、異母兄妹での結婚となる。
また、スサノオから数えて6代目、あるいは7代目の子孫にあたるという記載もあって、スサノオの娘のスセリビメとの結婚は時空を超えた神の世界とは言え、途中から話についていけなくなる場面もあるが深く考えないことにする。
いずれにせよスサノオの子孫である大国主神が築いた国、蘆原中津国をアマテラスがやがて自分の孫に引き継がせようとする話に繋がっていくわけである。
おそらく古の人々の想いや当時の為政者の何等かの意図が隠されていたりするのだろう。神代(実際は古事記が起草された奈良時代)と現代とでは全く違うものであったことをまずは理解しないといけない。現代社会に生きる日本人の倫理感からは想像できないくらいである。どちらかが正しいと言っているわけではない。価値観は時代によって変わると言いたいだけである。
日本神話には多くの神が登場してくる。ギリシャ神話にも同じことが言えるが、キリスト教やイスラム教のような一神教が世界的に普及するまではもっと多様性を重視した世界感が広がっていた時代があったということだろう。日本神話をどのように読んでもよいと思うが、価値観の多様性を考える際、私はその原点に立ち帰るきっかけにしたいと思っている。
日本神話で最も有名な神様、大国主神が「縁結びの神様」と呼ばれる理由がよく理解できた。今風に言えば、イケメンでモテモテの神様だったようで、多くの女神と結婚している。母神にも愛され、愛を知る優しい神であったようでウサギやネズミにも助けてもらっている。スサノオとは全く違ったタイプの神で剛腕でもなければ、強力なリーダーシップがあるようには感じられないが、大国主神は葦原中津国を作り(国造り)、国津神の盟主となった。大国主神には隠された魅力があったというか、古来日本の政治でモノをいった調整能力の持ち主であったのかも知れない。
大国主神を助けて国造りをした少彦名命【スクナヒコナノミコト】は、実は「一寸法師」のような小人【こびと】姿の神であったとの記載もあって愉快である。
大国主神が苦労して国土が整った葦原中津国を国譲りと称して横取りしようとする天照大御神はじめ天津神の話のやりとりが愉快である。天照大御神の権威(神威)を失墜させてしまう程のポンコツぶりには笑ってしまうが、何かのプロジェクトを成功させるには人選(神選?)が如何に重要であるかを教えてくれる。
古事記では「国譲り」と表記されていたものが、日本書紀では「葦原中国の平定」という記載になっていることからも日本書紀はヤマト王権による史書の色彩がより強いと言える。「葦原中国の平定」に至る話は非常に多岐にわたる伝承を記載していて、古事記とは対照的で興味深い。
天照大御神から葦原中津国の統治権を天孫に委譲することを要求され、大国主神と子の事代主神が抵抗せずに受諾するくだりが拍子抜けするくらいあっけない。それは両者間に圧倒的な武力差があったためであろうか? 無駄な戦闘で血を流さないための決断であったのかも知れない。
日本書紀では、大国主神が造った国の征服を考えた首謀者(?)が天照大御神ではなく、ニニギの祖父である高皇産霊尊【タカミムスヒノミコト】であるということも古事記とは異なるであり、愉快だ。
国譲りの代償として大国主神への優遇処置も提示されていたりして、国造りに多大な貢献をした大国主神への配慮も示されており、ヤマト王権が出雲政権に対してアメとムチで接していたことも窺えて面白い。
葦原中津国の統治権を得ると高天原の神々は天孫のニニギを日向の高千穂に降臨させるが(天孫降臨)、高千穂であった理由が興味深い。その理由を知りたいが、残念ながら古事記にも日本書紀にも明記されていない。天照大御神の子孫の天皇によって樹立するヤマト王権ができた場所が奈良を中心とする畿内であるとするならば、高千穂(宮崎県)は畿内からはかなり遠い。奈良県御所市には葛飾古道が残るが、その一帯には「高天原」の伝説が残る場所も残されている。古代ミステリーであり、非常に興味深い。
古事記や日本書紀に登場する神は皆、ほほえましい神様である。どこか憎めない本音を躊躇せずに表現してしまう。例えば、天孫・ニニギもその一人で、美人のサクヤヒメには一目ぼれして求婚するが、その姉が不美人と知るや親元に追い返してしまう。そのため自らの寿命だけでなく、子孫の天皇にまで寿命ができてしまい、不老不死の神ではなくなってしまったという。
ニニギとサクヤヒメの息子たちが海幸彦と山幸彦と呼ばれるようになる。それまでの神様のイメージから漁師や猟師のイメージに変わってしまうところが愉快であり、より親しみを感じる。
山幸彦の子供を身ごもった豊玉毘売命が出産するシーンもその姿が八尋和邇であったり、竜であったりと諸説あるらしい。誰も本当に見たことがない話だから想像がすごい。
せめて昔の漁師に人魚に間違えられたと言われる愛らしいジュゴンであったなら奇絶するほどには驚きはしなかったはずだし、山幸彦と豊玉毘売命の二人が永遠の別れをすることもなかったかも知れない。
しかし二人が分かれて住むことになった本当の理由は、そうではなく、豊玉毘売命の頼みを聞かずに覗き見をしたことが原因であるからである。それはイザナギとイザナミの時代からの男の性【さが】なのだから許してほしいと思う。
イザナギとイザナミの神代より、女に見るなと言われて見ない男はいない。「鶴の恩返し」の童話しかりである。豊玉毘売命は山幸彦に自分の出産の様子を見ないよう、理由も説明して頼んでいる。でも山幸彦は男だから見てしまうのである。豊玉毘売命が八尋和邇【ヤヒロワニ】に化けて出産している様はさすがに見てはいけない姿であっただろう。
女性は男性の性【さが】をよく理解して、見てほしい時には「見るな」と言えばよい。素直に見ないで待っている男性は男ではない。周りが素直な男性ばかりのつまらない時代にはなってほしくないと願う。
日本書紀には古事記にない諸説が淡々と記載されており、登場する神様を多面的に知ることができて楽しい。
日本書紀では神話に関する数多くの伝承を編纂している。いずれの伝承も記述が完全に一致しているものはなく、まるで伝言ゲームのように微妙に表現が異なり、なかには趣旨が異なるものすら存在する。残念ながらどの伝承が正しいかどうかを判断することはできない。真偽を確かめるために検証する方法がないからである。
一つの確立した物語を期待する読者にとってはフラストレーションが溜まるかも知れないが、そもそも口伝で伝承されてきた神話の世界を一つにまとめることなどできはしない。
もし統一した話でまとめられていたのなら、それは編集者の作為的な見解を私達は知らず知らずに信じてしまう危険と隣り合わせにあると言ってよい。そういう意味でも日本神話は公平であると言えるかも知れない。
神代のことはよく分からないのは当然のことである。奈良時代に伝わる伝承(伝説)を編纂しただけであり(なかには意図的な創作も含まれていたかも知れないが)、古の人々の間で伝承されてきた歴史と共に天照大神を最高神とする神々への畏敬と崇拝の気持ちが当然含まれていたはずである。
そんな日本神話の伝説が残る史跡が日本には残されている。今までまるで無関心でいたが、日本神話を少しでも学んだ今なら、以前とは違ってもっと関心をもって訪れることができると思う。