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日本神話に登場する有名な神々ゆかりの神社を巡る旅

はじめに

日本の神社仏閣の多くはパワースポットになっていることを知ったが、その神社仏閣で、特に神社の御祭神について知識が私には欠乏していることに気付いて愕然した。

そこで、今後も日本の神社に参拝するのであれば少しは御祭神についての知識を得ておくべきだと考え、日本神話に登場する神々について調べてみることにした。

日本の神々についての記述と言えば、古事記と日本書紀である。古事記と日本書紀の特徴を理解した上で、神話時代の物語を楽しもうと思う。日本神話は読むと実に興味深い示唆に富んでいる。

本記事では、日本神話に登場する神々とその神々を祀っている神社について紹介している。旅行計画に神社の参拝が含まれている場合には是非、参考にして頂ければ嬉しい。

目次
はじめに
日本最古の史書「記紀」
古事記の特徴
日本書紀の特徴
天地開闢(別天津神)
天祖神社【大分県由布市】
高天彦神社【奈良県御所市】
大元神社【愛媛県八幡浜市】
オノコロ島の誕生(イザナギとイナナミ)
自凝神社【兵庫県南あわじ市沼島】
自凝島神社【兵庫県南あわじ市】
国産み(イザナギとイナナミ)
神産み(イザナギとイナナミ)
伊弉諾神宮【兵庫県・淡路島】
熊野本宮大社【和歌山県田辺市】
上色見熊野座神社【熊本県高森町】
天岩戸神話(アマテラス)
天岩戸神社【宮崎県高千穂町】
伊勢神宮【三重県伊勢市】
日御碕神社【島根県出雲市】
ヤマタノオロチ退治(スサノオ)
須我神社【島根県雲南市】
八重垣神社【島根県松江市】
須佐神社【島根県出雲市】
素鵞社(出雲大社)【島根県出雲市】
八坂神社【京都府京都市】
因幡の白兎(大国主神と兎神)
白兎神社【鳥取県鳥取市】
根の国への訪問(大国主神とスサノオ)
出雲大社【島根県出雲市】
国つくり(大国主神と小名毘古那神)
玉作湯神社【島根県松江市】
大神神社【奈良県桜井市】
国譲り(大国主神と事代主神)
美保神社【島根県松江市】
天孫降臨(ニニギ)
高千穂神社【宮崎県高千穂町】
海幸彦と山幸彦
青島神社【宮崎県宮崎市】
潮嶽神社【宮崎県日南市】
鵜戸神宮【宮崎県日南市】
あとがき

日本最古の史書「記紀

天武天皇(大海人皇子、第40代天皇、在位673~686年、飛鳥時代)は、古来の伝統的な文芸・伝承を掘り起こすことにも力を入れたという。681年には親王・臣下に命じて「帝紀及上古諸事」編纂の詔勅を出し、これが後に完成した「日本書記」編纂事業の開始と言われる。また、稗田阿礼(ひえだのあれ)らに命じて帝皇日継と先代旧辞の詠み習わせをさせ、後にこれが筆録され「古事記」となる。

古事記は712年、日本書紀は720年に成立した。いずれの完成も天武天皇の没後になったが、これらが現存する日本最古史書とされ、両書を総称して「記紀」と呼ぶ。記紀の内容は、天皇家による支配正当化する点で共通している。


古事記の特徴

古事記は、天皇家が統治する根拠正統性を示すために、どちらかというと国内向けに書かれたものとされている。そのため、内容的には神話時代の物語が豊富で、漢字の音訓を使い分けて和文で表現しようとしている。文学的な色彩も濃厚で、国譲り天孫降臨などの神話の世界に注力するという特徴を有しているとされる。

物語の記載は、短く、首尾一貫しており、天武天皇の意志がかなり反映されている可能性が高いと指摘されている。時代が進み、朝廷の権力基盤が確立されると神話満載の古事記の役割はなくなり、余り重要なものとみなされなくようだ。

評価が復活したのは江戸中期の有名な国学者、本居宣長が「古事記伝」を著してからだという。


日本書紀の特徴

一方、日本書紀は、日本の正史として年代を追って書く編年体で書かれており、中国や朝鮮の歴史書の内容も参照しているという。物語は、一貫性を犠牲にして多数の説を併記しているところから、日本書紀が合議制・分担制で編纂された可能性が高い。

日本書紀は長大な漢文で、編纂当時の外国人、すなわち大陸の中国人に向けての書物であったようだ。それを裏付けるかのように、遣唐使が日本書紀を中国に持参したという話も残されているという。


天地開闢

悠久の昔、は交じり合い混沌としていたが、やがてが分かれるときが訪れ(天地開闢)、世がはじまる。天は神々が住む、高天原【たかまがはら】という天上世界となった。

高天原【たかまがはら】に順に登場してきたのは、万物の祖とされる造化三神と呼ばれる次の三柱の神であった。

  • 天之御中主神【アメノミナカヌシノカミ】
  • 高御産巣日神【タカミムスビノカミ】
  • 神産巣日神【カミムスビノカミ】

天地開闢の後の国土はまだまだ若く、固まらず、水に浮いている油のような状態であった。クラゲのようにフワフワと漂っているような状態であった時代に葦【あし】の芽が成長するように産まれたのが次の二柱である。

  • 宇摩志阿斯訶備比古遲神【ウマシアシカビヒコヂノカミ】
  • 天之常立神【アメノトコタチノカミ】

先述の造化三神にこの二柱を加えた五柱の神々は、「別天津神」と呼ばれる特別な五柱の神々である。但し、姿形はないという。

● 天之御中主神【アメノミナカヌシノカミ】
● 高御産巣日神【タカミムスビノカミ】
● 神産巣日神【カミムスビノカミ】
● 宇摩志阿斯訶備比古遲神【ウマシアシカビヒコヂノカミ】
● 天之常立神【アメノトコタチノカミ】
別天津神」と呼ばれる5柱の神々

尚、天津神【あまつかみ】は、高天原出身の神を指し、後述の国津神【くにつかみ】と区別されることがある。


天祖神社

天祖神社【てんそじんじゃ】は、金鱗湖の湖畔に鎮座している。池の中に建つ鳥居と大きな杉の木(御神木)が目印になっている。この神社は、ヤマトタケルの父、景行天皇の時代に創建されたと伝えられているから、非常に歴史が古い。

天祖神社・手水舎【てみずや】
(撮影:私の妻)
天祖神社・鳥居(撮影:私の妻)

天祖神社の御祭神は下記の4柱である。

  • 天之御中主神【あめのみなかぬしのかみ】(天祖神
  • 素盞鳴男命【たけはやすさのおのみこと】
  • 軻遇突智命【ひのかぐつちのみこと】
  • 事代主命【ことしろぬしのみこと】

大昔から伝わる伝説によれば、この地にあった大きな湖から水が流れ出て盆地となった際、湖底に棲んでいた一匹の龍が住処を失い神通力を無くして困り果てていた。この地に辿り着いた龍は、天祖神に湖全部とは言わないが安住の地を少しばかり与えてほしいと懇願したらしい。天祖神は、そんな龍の願いを聞き入れて「岳本の池」を残した。

龍は、その池で神通力を取り戻し昇天したという。その残された池が現在の金鱗湖であるとの伝承が残されている。

名 称天祖神社
御祭神天之御中主神【あめのみなかぬしのかみ】(天祖神
素盞鳴男命【たけはやすさのおのみこと】
軻遇突智命【ひのかぐつちのみこと】
事代主命【ことしろぬしのみこと】
所在地大分県由布市湯布院町川上
Link天祖神社・金鱗湖 | 龍神伝説アーカイブス

高天彦神社

高天彦神社【たかまひこじんじゃ】は金剛山系の白雲岳の麓に鎮座する古社である。葛城山・金剛山系は、古代より「神宿る山」としての信仰を集めてきたという。

高天彦神社には主祭神として高皇産霊神【たかみむすひのかみ】が祀られている。高天彦神社には、高皇産霊神のほかに市杵島姫命【イチキシマヒメ】(宗像三女神の一柱)と菅原道真が祀られているが、この二柱の神さまが合祀されたのはかなり後世のことであるという。

高天【たかま】の広大な大地は、日本神話の天孫降臨の舞台となったところではないかと言い伝えられている。一般的には、天孫降臨の舞台は「高千穂の峰」 (宮崎県)とされているが、金剛山(奈良県/大阪府)にもその伝説が残されているという。

金剛山腹の台地の一帯は、天照大御神が統治した天上界 「高天原」【たかまがはら】の伝承地となっている場所であるという。高天原とは、日本神話において天照大御神をはじめとする天津神【あまつかみ】が住むとされた場所である。高天彦神社は、神代からの永い信仰の歴史と由緒を持つ地に鎮座する神社である。

ヤマト王権誕生の地とされる奈良盆地を眼下に見下ろす場所に高天彦神社が鎮座していることからも、この地が天津神が住む高天原であったと考えても不思議なことではないように思われる。

大神神社【おおみわじんじゃ】(桜井市)と同じように高天彦神社の御神体は山(白雲岳)であり、本殿は建造されていない。

神社の境内には神聖な「磐座」【いわくら】が鎮座している。この磐座は御神体山である白雲岳の中腹にあった磐座を神社創建の際に移されたものであるという。太古の昔には、山にあったこの磐座の周辺(聖林)で祭祀が執り行われていたと伝わっている。

主祭神の高皇産霊神は、大和朝廷が成立する以前の時代にこの山麓一帯を中心に居住し、葛城王朝を築いたとされる有力豪族・葛城氏の祖神であったと伝わっている。高天彦神社が葛城氏ゆかりの神社とされる所以である。

名 称高天彦神社
御祭神高御産巣日神【タカミムスビノカミ】
所在地奈良県御所市北窪158
駐車場あり(無料)
Link高天彦神社 | 御所市

大元神社

大元神社は、「別天津神」と呼ばれる特別な五柱の神々(天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、天常立神、国常立神)を祀る神社である。

大元神社(御祭神は、天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、天常立神、国常立神
名 称大元神社
御祭神天之御中主神【アメノミナカヌシノカミ】
高御産巣日神【タカミムスビノカミ】
神産巣日神【カミムスビノカミ】
天常立神【アメノトコタチノカミ】
国常立神【クニノトコタチノカミ】
所在地愛媛県八幡浜市若山6番耕地186
駐車場あり(無料)
Link大元神社 « 愛媛県神社庁

オノゴロ島の誕生

神世七代の神々の時代が続き、神世七代最後の神としてイザナギイナナミの二神が登場し、「国産み」の神話が始まる。

イザナギは、その古事記で「伊邪那岐神」、日本書紀では「伊弉諾神」と表記される神である。一方、イナナミは、古事記で「伊邪那美神」、日本書紀では「伊弉冉神」と表記される神である。

天津神たちが話し合って、イザナギイザナミに「この漂ってる国を固めて完成させなさい」と命じ、天の沼矛【あめのぬぼこ】を渡した。

イザナギイザナミは、天の浮橋【あまのうきはし】に立って、天の沼矛を海に突き刺してかき回した。そしてコロコロと鳴らして引き上げると、矛の先から塩がしたたり落ちて、積もっていった。それが島となって誕生したのがオノコロ島である。

イザナギイザナミは、オノコロ島に降り立ち、天御柱【あめのみはしら】を立てて、広い神殿を作った。


自凝神社

自凝神社【おのころじんじゃ】は、淡路島の沼島に位置し、イザナギとイザナミの二神の「国生み」ゆかりの神社である。

沼島は、島全体がイザナギとイザナミによる「国生み」の際、「天の沼矛」【あめのぬぼこ】の先から滴り落ちたしずくが凝り固まってできたという「オノコロ島」だとされる場所の一つであるとされる。

自凝神社の創建については不明であるが、小さな祠であった自凝神社を大正11年(1922年)頃に沼島出身の岩田なつ氏が浄財を集め、現在の社殿を完成させたと伝わっている。

自凝神社はイザナギとイザナミの二神を祀る神社で、神社が鎮座する山全体を沼島の人々は「おのころ山」と呼んで山を御神体とみなして山裾の海岸「水の浦」から礼拝していたという。

社殿に向かって続く石段は、まるで天に届くかのようにまっすぐに伸びている。この石段はかなりの急勾配であり、夏の暑い日に登るのは体力的に結構疲れる。

この石段を登り切った先に拝殿があり、その奥に本殿が鎮座している。拝殿横の坂道を少し登った所にはイザナギとイザナミの二神の石像が建立されている。

名 称自凝神社
御祭神伊邪那岐神
伊邪那美神
所在地兵庫県南あわじ市沼島73
Link沼島 おのころ神社(自凝神社) 「あわじウェブドットコム」

自凝島神社 

自凝島神社【おのころじまじんじゃ】は、古代の御原入江の中にあってイザナギイザナミの「国産み」の聖地と伝えられる丘にあり、古くから「おのころ島」と呼ばれ、親しまれ、崇敬されてきたという。

記紀に記載された日本神話によれば、神代の昔、国土創世の時、二神は天の浮橋に立ち、天の沼矛を持って海原をかき回すと、その矛より滴る潮がおのずと凝り固まって島となった。この島が自凝島【おのころじま】であるとされる。

神社の鎮座する場所が「国産み」でつくり上げた最初の国土、淤能碁呂【おのころじま】であるといわれる。

イザナギとイザナミの二神はこの島に降り立ち、八尋殿【やひろでん】を建て、先ず淡路島を造り、次々と大八洲【おおやしま】(日本列島)を拓いていったとされる。

自凝島神社の境内には、せきれい石(鶺鴒石)と呼ばれる石があり、つがいのセキレイが止まり、二神に「交【とつぎ】の道」を教えたとされている。

自凝島神社には、イザナギとイザナミの二神と菊理媛命【キクリヒメノミコト】が合祀されている。菊理媛命は、泉平坂【よもつひらさか】で相争う二神を仲直りさせたとして、縁結びの神とされている。

勿論、イザナギとイザナミも夫婦和合、 安産祈願の神として知られ、多くの神様を生んだことから子授かりのご利益があるとされる。

名 称自凝島神社【おのころじまじんじゃ】
御祭神伊邪那岐神
伊邪那美神
菊理媛命
所在地兵庫県南あわじ市榎列下幡多415
駐車場あり(無料)
Linkおのころ島神社(自凝島神社)

国産み

イザナギは、イザナミとともに日本の国土を生み出した神で、国土から自然といった世界を創り出したことから殖産振興の神として知られる。さらに歴史上はじめての禊をしたことから、厄除の神様としても知られる。

イザナミは、イザナギの妻で、多くの神々を生んだことから、子宝や安産祈願の神として信仰されている。イザナミは、「黄泉津大神(よもつおおかみ)」の別名を持ち、黄泉国(冥界)の女王という側面も持ち合わせている。

イザナギイナナミは、最古の夫婦神で、多くの神々を生み出したことから夫婦和合・縁結びの神としても知られている。

二神による「国産み」の順序は、淡路島からはじまり、四国、隠岐島、九州、壱岐、対馬、佐渡島、本州の順に行われたという。


神産み

「国産み」を終えた イザナギイナナミは、次に多くの神々を産む。しかし、イザナミは「火の神」ヒノカグツチを生んだときに火傷を負って亡くなってしまう。

残されたイザナギは、その後も神を産み、アマテラススサノオといった神々が誕生していく。彼らにはそれぞれ役割や力が与えられた。

アマテラスの登場により、神の世界は統治され、やがて地上にも「国造り」の機運が生じる。


伊弉諾神宮

伊弉諾神宮【いざなぎじんぐう】は、日本最古の神社の一つで、伊邪那岐神(イザナギ)と伊邪那美神(イザナミ)の二神を祀る神社である。

記紀には、「国生み」と「神産み」を果たしたイザナギが、御子神の天照大御神(アマテラス)に高天原の統治を委譲し、淡路島の多賀の地に「幽宮」を構へて余生を過ごしたと記される。

その住居跡に御陵が営まれ、聖地として日本最古の神社が創始されたのが、伊弉諾神宮の起源であるとされる。地元では「いっくさん」と呼ばれ、日之少宮・淡路島神・多賀明神・津名明神として崇められたという。

現在の本殿の位置は、明治時代に後背の御陵地を整地して移築されたもので、それ以前は、禁足の聖地であったという。御陵を中心とする神域の周囲には濛が巡らされたと伝えられ、正面の神池や背後の湿地はこの周濛の遺構とされる。

大半の建造物は、明治9年から同21年に官費で造営されたものであるが、神輿庫及び東西の御門は、旧幕時代の阿波藩主の寄進によるものであるという。

境内の広さは、約15,000坪と広大である。江戸時代の地誌にも「二丁四方の社地を領した」と記されていたという。

「丁」は「町」の略字で、尺貫法の長さを表す単位である。1町=約109.09mとして換算すれば、一辺2町 の正方形の面積は、約47,603平方メートル=約14,400坪となるので、広大な神域を有していたことが分かる。

名 称伊弉諾神宮
御祭神伊邪那岐神
伊邪那美神
所在地兵庫県淡路市多賀
駐車場あり(無料)
Link伊弉諾神宮

熊野本宮大社

熊野本宮大社は、熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の中心、全国に4700社以上ある熊野神社の総本宮である。

御祭神は、熊野三山に共通する熊野十二所権現と呼ばれる十二柱の神々である。 奈良時代より神仏習合を取り入れ、御祭神に仏名を配するようになったとされる。

熊野本宮大社の主祭神は、熊野三山の他二社とは異なる家都美御子大神(けつみみこのおおかみ=素戔嗚尊(スサノオノミコト))であるが、本宮の上四社の第一殿と第二殿にはそれぞれ伊邪那美神(夫須美大神)と 伊邪那岐神(速玉大神)が祀られている。

名 称熊野本宮大社
御祭神家都美御子大神(=素戔嗚尊)
伊邪那美神(夫須美大神)
伊邪那岐神(速玉大神)
熊野十二所権現
所在地和歌山県田辺市本宮町本宮
駐車場あり(無料)
Link熊野本宮大社【公式サイト】

上色見熊野座神社

上色見熊野座神社【かみしきみくまのいますじんじゃ】の御祭神は、伊邪那岐神伊邪那美神の二神である。

阿蘇大明神健磐龍命【たけいわたつのみこと】の荒魂石君大将軍【いわぎみたいしょうぐん】も祀られている。

上色見熊野座神社参道第二鳥居には「熊野宮」の銘がある

創設は相当古く、紀州熊野より移したものと云う。南郷の総鎮守として祀られてきたが、従前の建物は天正年間の兵火により焼失したという。

現在の社殿は、約300年前の享保七年(1723年)に建立されたものであるという。

上色見熊野座神社・社殿の背後の山腹にはパワースポットとして知られる「穿戸岩」【うげといわ】がある。

名 称上色見熊野座神社
御祭神伊邪那岐神
伊邪那美神

阿蘇大明神(健磐龍命)の荒魂
石君大将軍
所在地熊本県阿蘇郡高森町上色見2619
駐車場あり(無料)
Link上色見熊野座神社 |南阿蘇 高森町ポータルサイト

天岩戸神話

神代の昔、天上には高天原という神々が住む世界があった。太陽の神、天照大御神(アマテラス)やその弟の須佐之男命(スサノオ)、その他多くの神々が暮らしていた。

スサノオは、大変な暴れん坊で、田んぼの畦を壊したり馬の皮を逆剥ぎにしたりした。いたずらがあまりにひどいことに怒ったアマテラス天岩戸と呼ばれる洞窟にお隠れになった。

太陽の神がお隠れになると世の中は、真っ暗闇になり、植物が全く育たなくなり、動物が病気になったりと大変なことが次々と起こった。

困った八百万の神々は天安河原に集まり、アマテラス天岩戸から出てきてもらえる方法を相談した。相談の結果、天岩戸の前で色々な事が試されたがどれも成功しなかった。

そこで、天鈿女命【アメノウズメノミコト】が招霊の木の枝を手に持ち舞を始めた。その周りでは他の神々が騒ぎ立てた。

するとアマテラスは何事が起きたのかと不思議に思い、天岩戸の扉を少しだけ開けて外の様子を見ようとした。

神々は、騒いでいる理由をアマテラスに伝えた。「あなた様よりも美しく、立派な女神がおいでになったので今からお連れします。」と言い、鏡でアマテラスの尊顔を写した。

アマテラスは、それが自分の顔だとは気づかずないで、もう少しよく見てみようとさらに扉を開いて体を乗り出した。その瞬間を見逃さずに、思兼神【オモイカネノカミ】がアマテラスの手を引き、手力男命【タチカラヲノミコト】が岩の扉を開け放した。

こうして天岩戸からアマテラスに出て頂くことができたので、世の中が再び明るく平和な時代に戻った。

この件で、スサノオは、大いに反省し、高天原を離れて出雲國(現在の島根県)に行き、その地で八俣大蛇を退治したという英雄譚を残している。


天岩戸神社

天岩戸神社は、日本神話(記紀)の中に書かれている天照大御神がお隠れになった天岩戸と呼ばれる洞窟を御神体として祀っており、天岩戸神話の舞台となった場所である。

天岩戸神社社殿

岩戸川をはさんで西本宮東本宮が鎮座し、両社とも、天照大御神を御祭神として祀っている。御神体である「天岩戸」は、西本宮から拝観することができる(要申込)。天照大神が岩戸隠れした際、天鈿女命が手に持って踊ったとされるのが 招霊(おがたま)のであるが、境内にはおがたまの木がある。

天岩戸神社天安河原と呼ばれる大洞窟

川上には八百万の神々が集まって、相談したとされる大洞窟、天安河原がある。天安河原は、天岩戸神社西本宮から徒歩約10分のところにある。別名「仰慕ヶ窟」【きょうぼがいわや】とも呼ばれる。いつの頃からか祈願する人たちの手によって石が積まれるようになり、神秘的かつ幻想的な雰囲気を漂わせている。

天岩戸神社天安河原大洞窟の内部は外からみるよりずっと広い

名 称天岩戸神社
御神体天岩戸」と呼ばれる洞窟
御祭神天照大御神
所在地宮崎県高千穂町
駐車場あり(無料)
Link天岩戸神社

伊勢神宮

伊勢神宮の内宮と外宮


日御碕神社

日御碕神社は、下の本社日沉宮【ひしずみのみや】」と上の本社神の宮」の上下二社からなる。両本社を総称して「日御碕神社」と呼ぶ。

日御碕神社・御由緒

日本神話で有名な二柱の神様(天照大御神須佐之男命)が祀られ、厄除けや縁結びをご利益とした霊験あらたかな神社として人々の信仰を集めている。

日御碕神社・楼門 朱の楼門が松林と青空を背景に鮮やかに映える

楼門をくぐると正面に下の本社日沉宮【ひしずみのみや】が見える。日沉宮には須佐之男命の姉の天照大御神が祀られている。

日御碕神社・下の本社日沉宮【ひしずみのみや】」拝殿天照大御神が祀られる

この日沉宮は、「伊勢大神宮は日の本の昼の守り、出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建て日の本の夜を守らん」との神勅により祀ったのが始まりと伝わる。つまり、伊勢神宮が日本の昼を守るのに対し、日御碕神社は日本の夜を守るという意味である。

日御碕神社・下の本社日沉宮【ひしずみのみや】」拝殿(左手前)と本殿(右奥)

当初はこの神勅の通り、近くの「清江の浜」の経島【ふみしま】で天照大御神を祀っていたが、須佐之男命の孫である天葺根命【アメノフキネノミコト】が経島に行った際に天照大御神が降臨し、「我天下の蒼生(国民)を恵まむ、汝速かに我を祀れ」との神勅があり、現在の地で祀ることになったという。

日御碕神社・上の本社神の宮」、須佐之男命が祀られている

楼門をくぐり、右手の小高い場所には上の本社神の宮」があり、須佐之男命が祀られている。

日御碕神社・上の本社神の宮拝殿

須佐之男命が根の国(黄泉国)より「吾が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と柏の葉を投げて占ったところ、柏葉は風に舞いこの神社背後の「隠ヶ丘」に止まったという。そのため天葺根命がこの地に須佐之男命を祀ることにしたと伝わる。

日御碕神社・上の本社神の宮本殿(側面からの撮影)
名 称日御碕神社
所在地島根県出雲市大社町日御碕455
駐車場あり(無料)
Link日御碕神社【出雲観光協会公式ホームページ】

ヤマタノオロチ退治

スサノオは天津神の審判により高天原を追放され、葦原中津国の出雲国に下る。今まで乱暴者のイメージだけしかなかったスサノオが変貌を遂げ、英雄的な神となってヤマタノオロチ退治する。そしてクシナダヒメを娶って新たな展開が始まる。

尚、ヤマタノオロチの体内から素晴らしい太刀がみつかった。その太刀を取り出し、不思議なものと思い、アマテラスに報告し、献上した。これが草薙の太刀【くさなぎのたち】と呼ばれ、後に「三種の神器」の一つとされる太刀である。


須我神社

日本初之宮【にほんはつのみや】とされる須我神社

櫛名田比売命と結婚した須佐之男命は、一緒に住む新居を造営する場所を探して、出雲の須我の地(島根県雲南市大東町須賀)にやってきたとされる。この地に造営したのが須我神社である。

須我神社楼門

須我神社は、古事記・日本書紀に記載されている須賀宮【すがのみや】であり、日本初之宮【にほんはつのみや】とされている。

須我神社拝殿

須佐之男命と櫛名田比売命は、新居(須賀神社)で多くの子をなし、大国主命【オオクニヌシノミコト】(出雲大社の御祭神)もその御子のお一人とされている。

須我神社本殿

暴風雨を司る須佐之男命は、その力強さが転じて「厄もなぎ払う」という意味で、厄除けのご利益がある神とされる。多面性のある神でもあり、英雄的側面から武の神としても崇められる。

須我神社奥宮・夫婦岩

須我神社奥宮として、須佐之男命、櫛名田比売命、清之湯山主三名狭漏彦八島野命(須佐之男命と櫛名田比売命の御子)の三神が祀られている岩座が夫婦岩である。

大きさの異なる2つの大きな岩が寄り添うように並んでおり、その前方に小さな岩が一つ鎮座している。

須我神社奥宮・夫婦岩は杉林の神聖な空気感が漂う中に鎮座している

須佐之男命が須賀の地で新居を造営中、美しい積乱雲の立ち昇るのを見て詠んだのが次の和歌である。これが日本で最古の和歌であるとされており、須賀の地が「和歌発祥の社」と呼ばれる由縁にもなっている。

八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに
八重垣つくる その八重垣を

和歌発祥の社の碑 日本最古の和歌が刻まれている

なお、この和歌の中の「出雲」が出雲の国名の起元であり、「八雲立つ」は「出雲」の枕詞であるという。

須我神社・初の和歌が刻まれた和歌発祥の社の碑が建っている

名 称須我神社
所在地島根県雲南市大東町須賀260
駐車場あり(無料)
Link須我神社 | 日本初の宮 (公式サイト)

八重垣神社

八重垣神社由来記

八岐大蛇【ヤマタノオロチ】を退治した後、須佐之男命櫛名田比売命は、この地(八重垣神社)で結婚したとの伝承があることから、縁結びの神社としての信仰を集めている。

八重垣神社・鳥居隋神門

須佐之男命櫛名田比売命は、出雲大社の御祭神、大国主命の両親であるとされることから(系譜を見ると実際は違うように思うが)、出雲の縁結びの大親神として、夫婦円満や良縁結びにご利益があると言われている。

八重垣神社・拝殿
八重垣神社・拝殿 立派な注連縄【しめなわ】である

八重垣神社の収蔵庫に納められている平安末期の板絵神像は神社の障壁画としては最古のものといわれ、重要文化財に指定されている。

八重垣神社・本殿(側面から撮影)

全3面の内、櫛名田比売命を描いたとされる壁画が最も保存がよく、匂うような肌と髪、鮮やかな紅の唇など数百年を経たとは思えないほどだという。

八重垣神社の前にある夫婦椿(二本の椿の木が途中で一本に繋がっていることから夫婦椿と呼ばれる) 境内には乙女椿子宝椿と称する夫婦椿もある

八重垣神社は櫛名田比売命が、八岐大蛇の難を避けるために避難したといわれる場所であるとの伝承もある。

天鏡神社鏡の池 スマートフォンなどを落とすと拾い上げられないほどに深いという

八重垣神社の裏手の小さな森の中に天鏡神社鏡の池がある。

鏡の池では、和紙に硬貨を乗せて池に浮かべ、それが沈むまでの距離と時間で様々な縁を占う「縁占い」が若い女性に大人気であるという。恋愛成就の最強パワースポットの一つともいわれる。

名 称須我神社
所在地島根県松江市佐草町227
駐車場あり(無料)
Link【公式】八重垣神社

須佐神社

須佐神社【すさじんじゃ】は、『出雲国風土記』にも登場するほどの歴史のある神社であり、島根県中部を南北に流れる神戸川の支流、須佐川のほとりに位置する。

須佐神社・拝殿

全国には須佐之男命ゆかりの神社が数多くあるが、須佐神社は唯一、須佐之男命の御魂を祀る神社である。

御祭神は、須佐之男命と妻である櫛名田比売命と、そしてその両親である足摩槌命【アシナズチノミコト】と手摩槌命【テナヅチノミコト】である。

須佐神社・本殿

須佐神社は、『風土記』や『延喜式』でも確認できるほどの歴史のある神社であり、本殿は1861年(文久元年)建築の大社造り県の文化財にも指定されている。

須佐神社・本殿横に立つ御神木「大杉

この地は日本神話の中で八岐大蛇を退治した英雄・須佐之男命に関わりが深い。

須佐神社・本殿横に立つ御神木「大杉」 長い年月の経過によって根元が露出している

『出雲国風土記』には、須佐之男命がこの地に来て最後の開拓をし、「この国は小さい国だがよい国だ。自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたと記されているという。

須佐神社の七不思議の一つである塩の井【しおのい】須佐之男命がこの潮を汲み、この地を清められたという。この塩の井出雲大社稲佐の浜に続いており、わずかに塩味を感じるという。また、湧出に間渇があるのは潮の干満と関連があるためという。

出雲の国にあっては小さな神社の部類に入るが、境内は神秘的な雰囲気が漂い、日本一のパワースポットとしてメディアで紹介されたこともあり、参拝者の注目を集めている神社である。

須佐神社に伝わる七不思議

ご利益は良縁・子孫繁栄・家内安全・諸障退散などとされる。

名 称須佐神社
所在地島根県出雲市佐田町須佐730
駐車場あり(無料)
Link【公式】島根県出雲市にある須佐之男命を祀る須佐神社

素鵞社(出雲大社)

素鵞社【そがのやしろ】御祭神は素戔嗚尊【スサノオノミコト】

素鵞社【そがのやしろ】は、出雲大社・御本殿の北側にある。素鵞社の御祭神は素戔嗚尊【スサノオノミコト】で、八岐大蛇【ヤマタノオロチ】を退治したことでも有名な神で、天照大御神【アマテラスオオミカミ】の弟神である。大国主命親神でもある。

稲佐の浜で採取した砂は素鵞社の左右奥側の三か所にある砂場に奉納し、代わりの砂をそこから拝領するのが参拝の作法となっている。

名 称素鵞社(出雲大社)
所在地島根県出雲市
駐車場あり(無料)
Link出雲大社【公式サイト】

八坂神社

八坂神社【やさかじんじや】は、素戔嗚尊命【スサノオノミコト】を御祭神とする神社で、全国各地に約2,300社もあるという。総本社は、八坂神社(京都市)で、「祇園さん」として古くより京都の人々に親しまれてきた。

平安時代初期に都で流行した疫病による大災厄の発生を政治的に失脚して処刑された人の怨みによる崇りであろうと当時の人々は考えたようだ。

最初はその御霊を祭ったが、怒りを鎮められなかった(すなわち 災厄を回避することができなかった)ので、より強い神仏が求められた。

そこで日本神話で 八岐大蛇 (ヤマタノオロチ=あらゆる災厄)を退治し、クシイナダヒメノミコトを救って、地上に幸いをもたらしたとされる素戔嗚尊命を祭ったのが起源とされている。

災厄を鎮める神様として全国的に知られ、信仰が厚い。日本三大祭の一つとして有名な祇園祭は、疫病が鎮まるようにとの祈りを込めて約1150年前(平安時代)に始まった八坂神社の祭礼であるとされる。

八坂神社の主祭神・素戔嗚尊は、往古牛頭天王【ごずてんのう】とも称し、また薬師如来を本地仏として、人々の疫病消除の祈りを聞き届け、多くの祈りはやがて祇園信仰となった。

八坂神社では今も祭礼を通して氏子の暮らしに息づく祇園信仰を要として、神仏が相和して人々の祈りに応えた時代に照らしながら、人々の心豊かな生活に寄り添っているという。

八坂神社の境内には本殿以外に多くの社が鎮座しており、中でも縁結びの神さまとして知られる大国主命を祀る大国主社には女性の参拝客が絶えず参拝していた。八坂神社はいつも多くの参拝者で混雑しており、人物を入れずに写真を撮ることはできない。

名 称八坂神社
所在地京都府京都市東山区祇園町北側625
駐車場なし
Link八坂神社 (yasaka-jinja.or.jp)

因幡の白兎

因幡の白兎神話から人気の神様、大国主神が登場してくる。「因幡の白兎」は和邇【わに】に皮を剝がされたウサギを助ける話である。

白土海岸から眺める「淤岐ノ島

古事記には大穴牟遅神オオナムチ】(=大国主命)が気多之前で兎を助けたことになっているが、この「気多之前」という地名は美しい白兎海岸の西に突き出ているの名称であるという。

道の駅「神話の里 白うさぎ」の駐車場前に建立された大国主命と因幡の白兎像

この気多之前 の岬から150m沖には、古事記に登場する「淤岐ノ島」もある。想像していたより案外近い距離にある。白兎はきっと全く泳げなかったのだろう。それとも地殻変動で神代よりも近くなったか?

「因幡の白兎」神話他人を騙してはいけないという教訓も含んでいる

オオナムチの教えどおりにすると、ウサギの身体は元通りになった。実はこのウサギは「兎神」と呼ばれる神さまであり、この兎神はオオナムチに「八十神の兄弟神は必ず八上比売を得られないでしょう。八上比売はあなたが選ぶでしょう」と言った。

兎神の予言どおり、八上比売は八十神の兄弟神からの求婚に対して「私はあなた方の言うことは聞きません。オオナムチと結婚します。」と答えた。そして本当にオオナムチと結婚した。


白兎神社

白兎神社【はくとじんじゃ】は、白兔神(兎神)を祀る神社であると共に保食神【うけもちのかみ】を合祀する。創建の由緒は不詳であるが、かつては「兎の宮」・「大兎大明神」・「白兔大明神」とも呼ばれたという。

白兔神(兎神)は、古事記の日本神話に登場する「因幡の白兎」のことで、その神話から、皮膚病に霊験のある「医療の神」として信仰されるほか、大国主神と八上比売との婚姻を取り持ったことから「縁結びの神」として信仰されている。

現在の本殿は明治時代に再建されたものである。鎮座地は身干山【みほしやま】と呼ばれる丘で、「因幡の白兎」が身を乾かした山と伝えられる。境内には白兎が体を洗ったという「御身洗池」がある。御身洗池は旱天や豪雨のときでも水位の増減がないとされ「不増不減の池」とも呼ばれている。

名 称白兎神社
所在地鳥取県鳥取市白兎603番地
駐車場あり(無料)
Link白兎神社 鳥取 | 神話 因幡の白うさぎ

根の国への訪問

大国主神は、因幡の八上比売【ヤガミヒメ】と結婚したことから、二度も八十神の兄弟神に殺される。

蘇生後も、執拗な兄弟神による迫害から逃れるためにスサノオが居る根の国へ訪問する。そこで、スサノオの娘であるスセリビメと出会い結婚する。

根の国ではスサノオの数々の試練を受けるがスセリビメの助けで乗り切る。原っぱでは火責めにもされるがネズミの助けで生還する。

スサノオの隙をついてスセリビメと共にスサノオの元を脱出することに成功した大国主神に対して追い掛けて来たスサノオは叱咤激励をして国造りを指南する。

スサノオ生大刀生弓矢を持って根の国から帰還するオオナムチスセリビメ

大国主神は、スサノオの教えに従い、八十神の兄弟神を服従させた。そしてスセリビメを正妻にして、出雲に大社を築いて国造りに着手するという話である。

出雲大社・拝殿 拝殿の後方に少し屋根が見えているのが本殿

出雲大社

稲佐の浜弁天島:参拝の作法として、まずは稲佐の浜で砂を採取し、その砂を出雲大社に奉納する。そして代わりの砂を出雲大社で拝領してもよい。

出雲大社の参拝方法は、2礼4拍手1礼が決まりである。一般的には2礼2拍手1礼であるが、出雲大社は他とは違うのである。この参拝方法と作法に注意して、出雲大社の各社を参拝した。

出雲大社の壮大な勢溜【せいだまり】の大鳥居

大社【たいしゃ】 という社号は、格式の高い地域信仰の中核をなす大きな神社を指す社号として知られている。かつては単に大社【おおやしろ】といえば出雲大社のことを指していたという。

松の参道:広い参道の両側には松林が広がっている。

奈良時代・平安時代の昔から大社と銘記されてきた神社は、出雲大社唯一であり、大社といえば「いづもおおやしろ」のことを指していたという。主祭神である大国主命の住居が「ミヤシロ」と呼ばれていたのが由縁である。大社の本家・本元は出雲大社であることは神話の時代から歴史的に相違なさそうである。

出雲大社境内の御神像

出雲国(現島根県)が「神の国・神話の国」として知られているのは、神々を祀る古い神社が、現代においても至る処に鎮座しているからであるという。その中心が大国主命をお祀りする出雲大社であるのは誰もが納得することであろう。

銅の鳥居

荘厳な社は、古来、天日隅宮を始め、様々な名称で称えられてきたが、現在は出雲大社いづもおおやしろ】と呼ばれている。尚、出雲大社から分社した他の出雲大社は「いずもたいしゃ」と読むが、ここの出雲大社(島根県)だけは「いずもおおやしろ」と称することだけはしっかりと覚えておこう。

神牛像【しんぎゅうぞう】と神馬像【しんめぞう】:神様の乗り物とされていて、学力向上や子宝にご利益があるとされている。牛は学力向上(鼻のあたりをなでるとよい)、神馬は子宝安産と伝わる。神牛像の頭と鼻をなでなでしてきました!

出雲大社の御祭神は、勿論、大国主命である(出雲大社のHPでは大国主大神【オオクニヌシノオオカミ】と表記されているが、ここでは大国主命で統一する)。 大国主命は、広く「だいこくさま」としても慕われ、全国各地でお祀りされている。

拝殿:御本殿の手前に位置する社殿で、参拝者が拝礼するための社殿である

大国主命は、今日では広く「えんむすびの神」として人々に慕われているが、この「」は「男女の縁」だけではなく、生きとし生けるものが共に豊かに栄えていくための貴い「結びつき」であるという。そして、日本の悠久なる歴史の中で、代々の祖先の歩みを常に見守られ、目に見えない「ご縁」を結んでくれているのが大国主命だと信じられてきた。

御本殿正面・八足門

大国主命が「国づくり」によって築いた国は豊葦原の瑞穂国と呼ばれ、あらゆるものが豊かに、力強く在る国であったという。

御本殿北西側

記紀による伝承では、大国主命は「国づくり」で自ら築いた国を大和朝廷の皇祖である天照大御神に還した(国譲り)したことになっている。

天照大御神は、国を譲り受けた代わりに高天原の諸神に命じて宇迦山の麓に壮大なる宮殿を造営させ、その宮殿を天日隅宮【あめのひすみのみや】と称して大国主命の住居として与えたことになっている。この神話が出雲大社の起源とされる。

素鵞社【そがのやしろ】:御本殿北側にある素鵞社の御祭神は素戔嗚尊【スサノオノミコト】で、八岐大蛇【ヤマタノオロチ】を退治したことでも有名で、天照大御神【アマテラスオオミカミ】の弟神であり、大国主命の親神でもある。稲佐の浜で採取した砂は素鵞社の左右奥側の三か所にある砂場に奉納し、代わりの砂をそこから拝領する。

大国主命には異なる神名が多くある。その一つに所造天下大神【あめのしたつくらししおおかみ】があるが、それは神代に日本人の遠い祖先たちと、喜びや悲しみを共にしながら、国土を開拓された事に由来しており、これが「国づくり」の大業と呼ばれているものである。

十九社:ここの御祭神は八百萬神【やおよろずのかみ】で、旧暦十月に全国の神々がこの出雲大社に集まるとされるが、十九社は神々の宿舎に充てられると伝わる。

大国主命は「国づくり」の作業のなかで、農耕・漁業・殖産から医薬の道まで、私たちが生きていくために必要な様々な知恵を授けられ、多くの救いを与えたことになっている。この慈愛ある御心への感謝の顕れが、それぞれの神名の由来になっていると伝えられている。

神楽殿【かぐらでん】巨大な注連縄【しめなわ】で有名な社殿で、出雲大社のシンボル的存在である。注連縄のサイズは長さ約13 m、重さ5.2トンというからその巨大さに驚く。

名 称出雲大社
所在地島根県出雲市大社町杵築東195
駐車場あり(無料)
Link出雲大社 (izumooyashiro.or.jp)

国つくり

大国主神は、神産巣日神【カミムスビノカミ】の子の小名毘古那神【スクナビコナノカミ】と共に国造りを進めた。小名毘古那神が去った後に現れた神(御諸山【みもろやま】の上に鎮座する神)の協力を得て、大国主神の葦原中津国の国造りは完了し、大国主神は国津神の盟主となった。

出雲大社・大国主神の神像

玉作湯神社

玉作湯神社【たまつくりゆじんじゃ】は、玉造温泉守り神として崇められている神社である。

玉作湯神社・一の鳥居

玉作湯神社には、櫛明玉命【クシアカルダマノミコト】、大名持命【オオナモチノミコト】(=大国主命)、少彦名命【スクナヒコナノミコト】の三柱の神さまが祀られている。

玉作湯神社・の鳥居

櫛明玉命は、八坂瓊勾玉【やさかにのまがたま】など宝玉御制作の神で出雲玉作部【いずもたまつくりべ】の祖神として祀られている。玉造は、古代から勾玉【まがたま】や各種玉類の一大生産地であったからである。

玉作湯神社への石段

一方、少彦名命大名持命(=大国主命)は、それぞれ玉造温泉の発見および温泉療法など温泉守護の神として祀られている。

玉作湯神社・拝殿

少彦名命は、大名持命(=大国主命)の「国造り」に協力した神として記紀に記されており、二柱の神がもっと多くの神社で合祀されているはずである。

玉作湯神社・本殿(側面から撮影)

「玉作神」と「湯神」を司る神々を祀る神社ということで、神社名が「玉作湯神社」になっていることを知り、興味を抱いた。

玉作湯神社・本殿(後方から撮影)

境内にある真玉【まだま】(=願い石)は、触れて祈ると願いが叶うとされ、パワースポットとして多くの参拝があるという。

御神水真玉【まだま】(=願い石

神社前の玉湯川に架かる赤い欄干の宮橋も記念撮影ポイントとして人気がある。

宮橋、通称「恋叶い橋」玉作湯神社鳥居が見える
玉造は古代から勾玉や各種玉類の一大生産地であると共に、神の湯美肌の湯といわれる温泉地として知られる。玉作湯神社は、この地の守り神が鎮座する神社である。
玉作湯神社の鳥居をバックに写真を撮ると良縁に恵まれるという。
名 称玉作湯神社
所在地島根県松江市玉湯町玉造508
Link玉作湯神社 | しまね観光ナビ|島根県公式観光情報サイト

大神神社

大神神社【おおみわじんじゃ】は、三輪山【みわさん】の山麓に位置する、日本最古の神社で、三輪山を御神体とする。大和国の一宮【いちのみや】である。

一宮とは地域の中で最も社格の高い神社を指す。三輪山信仰は縄文時代または弥生時代にまで遡るかも知れないと言われている。

主祭神は大物主大神【おおものぬしのおおかみ】である。また、大神神社には大己貴神【おおむなちのかみ】(=大国主神)と少彦名神【すくなひこなのかみ】も祀られている。

大国主神少彦名神は古事記や日本書紀にも登場する神で、二神が協働して出雲で「国造り」をしたとされる。途中で少彦名神が去ってしまい意気消沈している大国主神の前に現れたのが大物主大神であったことが記紀に記載されている。

大物主大神は、国造りを成就させるために三輪山にられることを望んだと記されている。

この伝承は大物主大神が大国主神の別の御魂として顕現され、三輪山にまられたものだと理解されているようだ。

名 称大神神社
所在地奈良県桜井市三輪1422
駐車場あり(無料)
Link【公式】三輪明神 大神神社 (おおみわじんじゃ)

国譲り

葦原中津国の国土が整うと国譲りの神話に移る。天照大御神は、葦原中津国の統治権を天孫に委譲することを要求し、大国主神と子の事代主神はそれを受諾する。子の建御名方神は、承諾せず、抵抗するが建御雷神に敗れて、最後には受諾する。


美保神社

美保神社の参拝方法は2礼2拍手1礼。出雲大社とは違う一般的な参拝方法である。

美保神社の鳥居

美保神社(島根県松江市)は、事代主命(えびす神)を祀る神社の総本社である。天平5年(733年)編纂の『出雲国風土記』及び延長5年(927年)成立の『延喜式』に社名が記されており、遅くともその時期には美保神社が鎮座していたと推測できる。

手水舎

境内からは4世紀頃の勾玉の破片や雨乞いなどの宗教儀式で捧げたと考えられる6世紀後半頃の土馬が出土しており、古墳時代以前にも何らかの祭祀がこの地で行われていたと考えられている。

神門【しんもん】大きな注連縄【しめなわ】がかかっている

美保神社の御祭神は、事代主命【コトシロヌシノミコト】と三穂津姫命【ミホツヒメノミコト】である。

美保神社・拝殿(右手前から撮影)

事代主命は、大国主命の第一の御子神であり、鯛を手にする福徳円満の神、えびす様として知られる。「海上安全、大漁満足、商売繁昌、歌舞音曲(音楽)、学業」の守護神として篤く信仰されている。また、出雲神話・国譲りの段において御父神・大国主命より大変重要な判断を委ねられた尊い神様であると伝わる。

美保神社・本殿(背後からの撮影)

一方、三穂津姫命は、高天原の高皇産霊命【たかみむすひのみこと】 (天地開闢の時に高天原に現れた偉大な神)の御姫神で、大国主神の御后神である。三穂津姫命は、高天原から稲穂を持って降臨され、人々に食糧として配り広められた神様で「五穀豊穣、夫婦和合、安産、子孫繁栄、歌舞音曲(音楽)」の守護神として篤く信仰されている。また、美保という地名は三穂津姫命の御名に縁があると伝えられている。

宮御前社【みやみさきしゃ】:宮御前社【みやみさきしゃ】、宮荒神社【みやこうじんしゃ】、船霊社【ふなたましゃ】、稲荷社【いなりしゃ】の4社(土・龜【かめ】・船・食事の神様)が合祀されている。

美保関は、古より海上交通の関所で北前船をはじめ諸国の船が往来し、港として栄えた場所であったという。「関の明神さんは鳴り物好き、凪と荒れとの知らせある」と、船人の口コミで広く伝えられたらしい。船人の美保神社に対する信仰心は非常に篤く、海上安全や諸願成就などの祈願の為、さまざまな地域から夥しい数の楽器が奉納され、この内846点が国の重要有形民俗文化財に指定されている。

美保神社・拝殿、巫女の祈り

奉納鳴物のなかには、日本最古のオルゴールやアコーディオン、鳥取城で登城の時を告げていた直径157cmにもなる大鼕、島原の乱で戦陣に出されたと伝わる陣太鼓、初代荻江露友が所有していた三味線など名器や珍品も数多く含まれているという。

美保神社・拝殿(左手前から撮影)

鳴物奉納の信仰は、現代においても続いており、1992年(平成4年)には明治の初頭以来途絶えていた「歌舞音曲奉納」を100年ぶりに復活させている。一流の演奏家が神前に向かって(聴衆に背を向けて)演奏し、聴衆は一切の拍手をしないという独特の音楽祭が開催されたらしい。

社務所の前にあった「気になる木」

名 称美保神社
所在地島根県松江市美保関町美保関608
駐車場あり(無料)
Link美保神社 | えびす様の総本宮

天孫降臨

葦原中津国の統治権を得ると高天原の神々は天孫ニニギを日向の高千穂に降臨させる(天孫降臨)。

高千穂峰(標高1,574m)は、その秀麗な山容から霊峰の印象を人々に与える。天孫降臨の神話が生まれて当然の山々の姿は、わが国最初の国立公園として指定されている(1934年)。

記紀にも、葦原中国【あしはらのなかつくに】を平定した後に、瓊瓊杵尊【ニニギノミコト】が三種の神器を授けられ、神々を率いて降臨したと書かれている。

瓊瓊杵尊は、天照大御神【アマテラスオオミカミ】のに当たる神であることから「天孫」と呼ばれる。

高千穂峡・「眞名井の滝」に優しく降り注ぐ光芒

瓊瓊杵尊が降臨したとされる場所が、 古事記には「筑紫の日向の高千穂のくじふるたけ」と記されている。

一方、 日本書紀には「日向の襲の高千穂」、「日向のくじひの高千穂」、 「日向の襲の高千穂くじひ二上峰」、あるいは「日向の襲の高千穂そほりの山峰」と記されている。

いずれにせよ天孫降臨高千穂の何処かであると考えて間違いはなさそうだ。

天照大御神は、太陽神・農耕神・機織神など多様な神格を持つ最も偉大な神である。

瓊瓊杵尊は、「アマツヒコホノニニギノミコト」といい、「アマツヒコ」は天津神の子の意味であるが、「ホノニニギ 」は「稲穂が豊かに実ったこと」を意味しているという。

天孫降臨に際し、天照大御神が「高天原にある斎庭(ゆにわ)の穂(稲穂)を与えよ」と述べたことが日本書紀に出てくる。

瓊瓊杵尊が降臨の際、稲作をこの地上にもたらし、産業における農業の神としての性格も強い。そして豊かに実った稲を高く積んだところ(=高千穂)に、農業の神(=豊穣の神)が降臨したことの意味は、稲作が展開する弥生時代を意識して記紀が編纂されたからであろう。

高天原での須佐之男命(スサノオノミコト)の乱暴な行動に、田の畔を踏み壊したり、田に水を引く溝を埋めたりする記述があるが、これも稲作と関係しているのだろう。


高千穂神社

高千穂神社御祭神は、高千穂皇神(たかちほすめがみ)と十社大明神であり、特に農産業・厄祓・縁結びの神として広く信仰を集めている。

高千穂皇神は、次の6柱の神の総称である。

  • 瓊瓊杵尊【ににぎのみこと】
  • 木花開耶姫命【このはなさくやひめ】
  • 彦火火出見尊【ひこほほでみのみこと】
  • 豊玉姫命【とよたまひめのみこと】
  • 鵜鵝草葦不合尊【うがやふきあえずのみこと】
  • 玉依姫命【たまよりひめのみこと】

いずれの神も日本神話(古事記・日本書記)に登場する神々であり、この機会に是非、名前を覚えたいと思う。

一方、十社大明神は、下記の10柱の神の総称とされる。

  • 三毛入野命【みけぬのみこと】
  • 鵜目姫命【うのめひめのみこと】
  • 御子太郎命【みこたろうのみこと】
  • 二郎命【じろうのみこと】
  • 三郎命【さぶろうのみこと】
  • 畝見命【うねみのみこと】
  • 照野命【てるののみこと】
  • 大戸命【おおとのみこと】
  • 霊社命 【れいしゃのみこと】
  • 浅良部命【あさらべのみこと】
高千穂神社・本殿

高千穂神社は、約1900年前の垂仁天皇時代に創建された、高千穂郷八十八社の総社である。

神社本殿と所蔵品の鉄造狛犬一対は国の重要文化財に指定されている。

鎮石(しずめいし)は、垂仁天皇の命により伊勢神宮高千穂神社に設置された石であり、願いを込めて祈ることで、世の中の乱れや人の悩みが鎮められるといわれている。

また、鎌倉幕府をひらいた源頼朝は、畠山重忠を代参として天下泰平の祈願をし、皇室発祥の聖地に対する尊皇のまことを表した。畠山重忠の手植えとされる樹齢約800年の「秩父杉」や、二本の杉の幹が一つになった「夫婦杉」が境内で生長している。

名 称高千穂神社
所在地宮崎県高千穂町
駐車場あり(無料)
Link高千穂神社( 高千穂町観光協会

海幸彦と山幸彦

天孫・ニニギが笠沙御崎で美しいサクヤヒメ木花佐久夜毘売)に出会い、結婚して三人の子供が生まれる。火照命は、海幸彦であり、後に隼人阿多君の祖神となる。一方、火遠理命は、山幸彦であり、後の天津日高日子穂穂出見命【あまつひだかひこほほでみのみこと】であり、神武天皇の祖父にあたる。

熟練した漁師であった兄の海幸彦と狩人の弟の山幸彦は、弟が兄の「釣り針」を海で失くしたことが原因で何年にもわたって仲違いすることになる。途方に暮れる山幸彦は、塩椎神の助けを借りて海神の宮殿を訪問する。

そこで海神の娘・豊玉毘売と出会い、結婚する。そして、誕生した息子も海神の娘・玉依毘売命と結婚し、山幸彦にとっては孫にあたる子(後の神武天皇=伝説の初代天皇)が誕生したところで古事記・上巻が終了している。


青島神社

青島神社【あおしまじんじゃ】は、宮崎市にある青島全島を境内地とする神社で、社殿は青島のほぼ中央に鎮座している。

青島神社は、海幸彦と山幸彦の神話に登場する山幸彦、つまり天津日高彦火火出見命【あまつひだかひこほほでみのみこと】を祀っている。

また、山幸彦の妃神である豊玉姫命【とよたまひめのみこと】と、山幸彦を海神宮【わたつみのみや】へ行かせた塩筒大神【しおづつのおおかみ】を合祀している。

元来は海洋に対する信仰によって創祀されたと考えられ、古くから青島自体が霊域として崇められていたという。社伝によれば、山幸彦が海神宮から帰還した際に青島に上陸して宮を建てたとされ、青島神社はその宮跡に創建されたと伝わる。

現在では、青島神社は縁結び、安産、航海安全に御利益がある神社して信仰を集めているという。

名 称青島神社
所在地宮崎県宮崎市青島2丁目13番1号
Link青島神社 (aoshima-jinja.jp)

潮嶽神社

潮嶽神社【うしおだけじんじゃ】は、海幸彦を祀っている日本で唯一の神社として知られる。潮嶽神社の創建については不明であるが、宮崎県南部の人々には長い間影響力を持ち、信仰されてきたという。

海幸彦と山幸彦の神話の後日談として、最終的には山幸彦が海幸彦を小舟で海に追いやったという。海幸彦は、何日も漂流した末に隔絶の地で岸辺に衝突し、その地で余生を過ごしたらしい。

地元の伝承では、その場所が現在の潮嶽神社が鎮座する場所であるという。

名 称潮嶽神社
所在地宮崎県日南市北郷町北河内8901-1
Link潮嶽神社[公式] (ushiodakejinja.jp)

鵜戸神宮

鵜戸神宮【うどじんぐう】の本殿は、 日向灘に面した海食崖中腹の海食洞(波の侵食により海食崖に形成された洞窟)内に鎮座している。海食洞の大きさは東西38m、南北29m、高さ8.5mであるというから比較的大きい洞窟と言える。

その洞窟内の本殿に参拝するには崖に沿って作られた石段を降りる必要があり、神社としては珍しい「下り宮」となっている。

本殿には主祭神の日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊【ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと】の他に下記の神々が祀られている。

  • 大日孁貴【おおひるめのむち】
  • 天忍穂耳尊【あめのおしほみみのみこと】
  • 彦火瓊々杵尊【ひこほのににぎのみこと】
  • 彦火々出見尊【ひこほほでみのみこと】
  • 神日本磐余彦尊【かむやまといわれひこのみこと】

日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊は、山幸彦の子、つまりは神武天皇の父にあたる神である。

大日孁貴は、天照大御神の別名で、アマテラスのことである。そして、天忍穂耳尊はアマテラスの子で、ニニギの父にあたる神である。彦火瓊々杵尊は、ニニギで、天孫と呼ばれることがある。彦火々出見尊は、ニニギの子で、山幸彦と呼ばれた神である。最後に、神日本磐余彦尊は、山幸彦の孫にあたり、後に初代天皇となって「神武天皇」と呼ばれる神である。

このように鵜戸神宮には山幸彦のファミリーと言うか、神武天皇に繋がる神々(天照大御神以下の皇祖神)が祀られている。

社伝によれば、本殿が鎮座する岩窟は、豊玉姫【とよたまひめ】が主祭神の日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊を産むために建てた産屋があった場所とされる。この洞窟が主祭神が誕生した地であるとされることから、縁結び・夫婦和合・子授け・安産などの信仰を集めているという。

本殿裏にある乳房に似た2つの突起は「お乳岩」と呼ばれ、豊玉姫が綿津見国へ去る時、御子の育児のために左の乳房をくっつけたものと伝えられている。主祭神はそこから滴り落ちるお乳水で作った飴「おちちあめ」を母乳代わりにしたという。現在も安産や育児を願う人々から信仰されているという。

亀石は本殿前にある霊石で、豊玉姫が海神宮【わたつみのみや】から来訪する際に乗った亀が石と化したものと伝わる。石頂に枡形の穴が開くことから「枡形岩」とも呼ばれ、その穴に男性は左手、女性は右手で願いを込めた「運玉」を投げ入れることで願いがかなうといわれている。

境内地を含む周辺の海岸には海食洞や波食棚が多数あり、名勝に指定されている。

名 称鵜戸神宮【うどじんぐう】
所在地宮崎県日南市大字宮浦3232
Link鵜戸神宮(公式)

あとがき

天の神々は、地上に降り立ち、「国作り」を通じて、地上に様々な産業を起こした。その末裔が皇祖として、地上を治めるようになっていく。そして、「国譲り」を経て、大和国が創建され、天皇を中心とした統一国家が誕生していくことになる。

大和国の成立によって、神々の信仰も体系化されていく。大和政権の権力基盤が強固になっていく過程と天皇家の正当性が描かれているのが日本最古の史記と言われる古事記と日本書紀である。

記紀の内容については今まで知ったかぶりしていたが、ほとんど何も知らなかったに等しい。全く恥ずかしい限りだ。今後は神社仏閣を参拝しようとするからには少しは事前に勉強しておこうと思った次第である。

日本神話の最終章に相当する海幸彦と山幸彦の物語に登場する神々ゆかりの神社には青島神社潮嶽神社鵜戸神宮が知られている。いずれの神社も宮崎県に鎮座している。実のところこれらの神社にはまだ参拝できずにいるが、遠くない将来に是非、参拝してみたいと思っている。


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【参考資料】
天祖神社・金鱗湖 | 龍神伝説アーカイブス
高天彦神社 | 御所市
大元神社 « 愛媛県神社庁
沼島 おのころ神社(自凝神社) 「あわじウェブドットコム」
おのころ島神社(自凝島神社)【公式サイト】
伊弉諾神宮【公式サイト】
熊野本宮大社【公式サイト】
上色見熊野座神社 |南阿蘇 高森町ポータルサイト
天岩戸神社【公式サイト】
日御碕神社【出雲観光協会公式ホームページ】
須我神社 | 日本初の宮【公式サイト】
【公式】八重垣神社【公式サイト】
島根県出雲市にある須佐之男命を祀る須佐神社 【公式サイト】
八坂神社 (yasaka-jinja.or.jp)【公式サイト】
白兎神社 鳥取 | 神話 因幡の白うさぎ
出雲大社 (izumooyashiro.or.jp)【公式サイト】
美保神社 | えびす様の総本宮【公式サイト】
高千穂神社(高千穂町観光協会
青島神社 (aoshima-jinja.jp) 【公式サイト】
潮嶽神社[公式] (ushiodakejinja.jp)【公式サイト】
鵜戸神宮(公式)【公式サイト】
ウィキペディア(Wikipedia)
古事記と日本書紀のちがい|なら記紀・万葉【公式サイト】
地図と写真でよくわかる! 古事記(山本明著、西東社)
本居宣長『古事記伝』を読む(神野志隆光著、講談社/文芸)
古事記ゆかり地マップ (pref.nara.jp)