はじめに
葛木坐火雷神社【かつらきにいますほのいかづちじんじゃ】は、奈良県葛城市に位置する、歴史の古い神社である。創建の年代は不詳であるが、古代からこの地の守り神として信仰されてきたという歴史がある。通称、笛吹神社【ふえふきじんじゃ】とかつての神社名で呼ばれている。
主祭神として火雷大神【ほのいかづちのおおかみ】と天香山命【あめのかぐやまのみこと】(別名:高倉下【たかくらじ】)が祀られている。
火雷大神は、雷神、水の神、雨乞いの神、稲作の守護神として信仰されている。日本神話では、黄泉の国において伊邪那美命【いざなみのみこと】の体から生じた八柱の雷神のうちの一柱とされている。
伊邪那岐命【いざなぎのみこと】が伊邪那美命の変わり果てた姿に恐れをなして黄泉の国から逃げる際に、伊邪那美命の体から生じた雷神たちが追手として現れたことが神話に描かれている。
火雷大神は、雷の脅威と恩恵を併せ持つ神として、古代から現代に至るまで多くの人々に信仰されている。
一方、天香山命は、倉庫の神、農業神、開発神として信仰されている。天照大御神の曾孫にあたる神様らしい。天香山命は、神武天皇の東征の際に天から授かった韴霊剣【ふつのみたまのつるぎ】を献上し、神武天皇を救ったことで知られる。この剣の霊力で神武天皇とその軍勢を昏睡状態から覚醒させ、敵を撃破したと記紀には記されている。
韴霊剣は、現在、石上神宮の御神体になっている布都御魂剣【ふつみたまのつるぎ】の別名である。つまり、これらの剣は同一の剣である。
天香山命は、産業や農業の発展に関わる神として、多くの人々に信仰されている。
イザナミに会いに黄泉の国へ
イザナギは、イザナミに会いたくて、黄泉の国へと追って行くことにした。黄泉の国の入り口の塞がれた戸で出迎えたイザナミに対して、イザナギは「愛しい我が妻よ、二人でつくった国はまだ出来ていないから一緒に帰ろう」と話しかけた。
するとイザナミは「もっと早く来てくれれば、よかったのに悔しいことです。もう黄泉の国の釜で煮た食べ物を食べてしまったので、現世には戻れません。でも、せっかく会いに来てくれたのだから黄泉の国の王に相談してみます。その間、決して覗かないで下さいね」と言って、御殿の中に入って行った。
ところがいつまで待ってもイザナミが帰ってこないので、イザナギは耐えられなくなった。角髪【みずら】(髪をまとめて耳あたりでまとめた束のこと)に挿していた櫛の太い歯を一本折り取って、明かりを灯して、宮殿の内部を見ることにした。
するとイザナミの身体には蛆【うじ】がたかり、8体の雷神が覆い被さっていた。そのようなイザナミの変わり果てた姿を見て、イザナギは怖くなり逃げ帰ろうとした。
するとイザナミが「私に恥をかかせましたね」と言って、すぐに予母都志許売【ヨモツシコメ】(黄泉の国の醜女【しこめ】=死者の国の強い女)を呼んでイザナギを追わせた。
イザナギは髪につけていた黒いカズラを取って投げるとみるみる成長して山ブドウが実った。この山ブドウの実を醜女が食べている間にイザナギは逃げ延びた。しかし、更に醜女が追ってきたので、今度は右の角髪【みずら】に挿していた櫛の歯を折って投げるとタケノコが生えてきた。今度はそれを醜女が食べている間にイザナギは逃げ延びた。
イザナミは、次にその身に沸いた雷神たちに1500人の軍勢を従わせてイザナギを追わせた。イザナギは後ろ手に長剣を振りつつ逃げたが、彼らはなおも追ってきた。そこで黄泉比良坂【よもつひらさか】にさしかかったときに、桃の実3個を投げると、雷神の軍勢は退散した。イザナギは、その桃に「お前は私を助けてくれたように、人民が苦しいときには助けてくれ」と言い、意富加牟豆美命【オオカムズミノミコト】という名前を授けた。(著者註:この逸話が「桃太郎伝説」へと繋がっていく。)
最後にイザナミ自身が追ってきた。そこでイザナギは千引きの岩を黄泉比良坂で引っ張って、塞いでしまおうとした。
その千引きの岩を間にして、イザナミとイザナギは話し合った。イザナミは「愛しい私のイザナギよ。こんなことをするのならば、あなたの国の人民を毎日1000人ずつ締め殺してしまいましょう」と言った。それでイザナギは「愛しき私のイザナミよ。あなたがそうするならば、一日に1500の産屋を立てましょう」と言い返した。
それ以来、毎日1000人が死に、1500人が生まれるようになったという。そしてイザナミは黄泉津大神【ヨモツオオカミ】と呼ばれるようになった。
黄泉の坂をふさいだ岩は、道反之大神【チガエシノオオカミ】(別名、黄泉戸大神【ヨミドノオオカミ】)と名づけられた。
以上が、古事記に記されている黄泉の国での出来事である。
一方、日本書紀によると、この黄泉の国でのくだりは下記のように記されている。
別の伝承(第九)では、イザナギが妻のイザナミに会いたいと思って、殯斂【もがり】のところへ向かった。このときイザナミはまだ生きていた頃の姿で出迎え、二人は一緒に話をした。
イザナミは「我が夫よ。どうか私をご覧にならないで下さい」と言った。そう言うとたちまち見えなくなった。そこが暗かったので、イザナギは一片の火を灯して覗き見をした。よく見ると、イザナミの死体は膨れ上がっていた。そして死体の上には八体の雷が覆い被さっていた。
イザナギは驚いて逃げ帰った。このとき、雷たちが皆立ち上って追ってきた。そこでイザナギは、道の傍に大きな桃の木を見つけ、その木の下に隠れた。そして、その桃の実を採って雷に投げつけると、雷たちは皆逃げていった。このことが桃によって鬼を防ぐ由来となっている。(著者註:この逸話が「桃太郎伝説」へと繋がっていく。)
このときイザナギは、杖を投げて「ここからこちらへ雷は来ることができない」と言った。これを岐神【フナトノカミ】(来名戸の祖神【クナトノサエノカミ】)という。
葛木坐火雷神社(笛吹神社)
葛木坐火雷神社【かつらきにいますほのいかづちじんじゃ】は、奈良県葛城市笛吹にある神社で、通称で笛吹神社と呼ばれる。
主祭神は、火雷大神【ほのいかづちのおおかみ】と天香山命【あめのかぐやまのみこと】である。葛木坐火雷神社の元々の祭神は火雷大神で、天香山命は笛吹神社の祭神である。
創建の年代は不詳であるが、社伝では神代とも神武天皇の御代とも伝えられている。そうするとかなり歴史の古い神社と言える。
また、社伝では平安時代に社勢が衰え、当地にあった笛吹神社の末社になったと伝えられている。
笛吹神社は、当地を拠点とした笛吹連によって作られた神社とみられ、祭神の天香山命は笛吹連の祖神であるとされる。本殿の背後には古墳があり、笛吹連の祖・櫂子【かじし】の父である建多析命【たけたおりのみこと】の墓であると伝えられている。
明治7年(1874年)、笛吹神社の末社であった火雷社を笛吹神社に合祀し、社名を現在の「葛木坐火雷神社」に改めたという。
境内には日露戦争で政府から与えられたロシア製大砲が残されている。
名 称 | 葛木坐火雷神社(笛吹神社) |
所在地 | 奈良県葛城市笛吹448 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 葛木坐火雷神社(笛吹神社)公式ウェブサイト |
あとがき
伊邪那美命の体から生じた八柱の雷神は、それぞれ異なる雷の現象を象徴しているとされる。
- 大雷神【おおいかづちのかみ】: 強烈な雷の威力
- 火雷神(ほのいかづちのかみ】: 落雷が起こす炎
- 黒雷神【くろいかづちのかみ】: 天地を暗くする力
- 裂雷神【さくいかづちのかみ】: 雷が物を引き裂く姿
- 若雷神【わかいかづちのかみ】: 雷雨の後の清々しい様
- 土雷神【つちいかづちのかみ】: 雷が土に戻る姿
- 鳴雷神【なるいかづちのかみ】: 鳴り響く雷鳴
- 伏雷神【ふすいかづちのかみ】: 雲に伏して雷光を走らせる姿
これらの雷神は、雷の異なる側面を象徴しているが、特に、火雷大神は雷の神としての象徴的な役割を持ち、他の雷神と比べて特に重要視されているようだ。その理由は、雷の炎や火災を防ぐための信仰が強かったためと考えられている。
雷の神としての火雷大神を祀っている神社として下記のような神社が知られている。
- 葛木坐火雷神社(笛吹神社) (奈良県葛城市)
- 角宮神社(京都府長岡京市)
- 火雷神社(群馬県佐波郡玉村町)
これらの神社では、雷の神としての火雷大神を祀り、落雷除けや農業守護などのご利益を求める多くの参拝者が訪れているという。
火雷大神が8柱の雷の中で唯一、神社で祀られている理由は、「雷の神」としての象徴的な役割を担っていたということが理解できた。確かに、雷光や雷鳴も決して好きではないが、雷で一番怖いのは「落雷」ですよね。
火雷大神は、雷の猛威と共に雨をもたらす神として、古代から農耕民族であった日本人にとって非常に重要な存在であったことを再認識できたことは喜ばしい。
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