はじめに
和歌山城は、1585年に豊臣秀吉の命により、弟の秀長が紀ノ川河口部の「岡山」(現在の虎伏山【とらふすやま】)に築城したのがはじまりとされている。1600年、関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が和歌山城主となり、城と城下町の整備を進めたというから、和歌山市に位置する歴史的な城である。
1619年に徳川家康の10男、徳川頼宣が和歌山城に入り、紀州徳川家(徳川御三家の一つ)が成立した。頼宣は城の大規模な改修と城下町の拡張を行ったという。その規模は、幕府から謀反の嫌疑をかけられるほどの大規模なものであったとされる。
このように和歌山城は大規模な城郭となったが、1655年と1813年に火災に見舞われている。しかし、その度に再建されてきた。
1846年に天守が落雷により焼失したが、1850年に再建されたという。しかし、残念なことに1945年の和歌山大空襲の際に天守は再び焼失してしまったという。そのため、1958年に鉄筋コンクリートで天守が再建され、現在の姿となっている。
和歌山城は、歴史的な出来事や改修を経て、現在も多くの観光客に親しまれている。天守からの展望もさることながら、城門や城の石垣、庭園などは見どころである。
和歌山城
和歌山城は、標高48.9mの虎伏山の頂上に建つ平山城で、現在では和歌山市のシンボルである。和歌山城公園は、この和歌山城を中心に広がる公園で、城跡を含む広大な敷地を持っており、和歌山市の代表的な観光地となっている。
和歌山城の天守は、姫路城や伊予松山城と並ぶ3大連立式天守の一つである。天守からは和歌山市内を一望でき、特に展望台からの眺めは絶景である。
和歌山城には大手門、岡口門、追廻門の3つの城門が現存しており、歴史的価値が高く、これらの城門も見逃せない観光スポットとなっている。特に、岡口門は江戸時代初期の1621年に建てられたもので、国の重要文化財に指定されている。
追廻門も岡口門と同様に、江戸時代から残る門で、和歌山市の文化財に指定されている。
和歌山城内には様々な石垣も残されている。豊臣秀長が築いた石垣が現在も残っており、歴史的な価値が高い。特に「紀州青石」を使った石垣は独特で、他の城のものとは一味違った趣がある。
大名庭園である西の丸庭園にはイロハモミジの木が多く植栽されている。青葉も美しいが、秋の紅葉の時期には色艶やか紅葉し、一段と美しくなる。
御橋廊下は城内と庭園を結ぶ廊下である。履物を脱いで渡ることもできるので、歴史的な雰囲気を楽しむことができる。見た目以上に急勾配であり、滑りやすいので滑り止めが設けらえている。しかし、それが足に当たって結構痛い。我慢して渡り切ろう!
和歌山城公園内には無料で入場できる小さな動物園がある。エサやり体験もでき、家族連れに人気である。
名 称 | 和歌山城(和歌山城公園) |
所在地 | 和歌山県和歌山市一番丁3 |
TEL | 073-422-8979 |
駐車場 | あり(有料)休日は和歌山市営駐車場がおススメ 駐車場の住所:和歌山県和歌山市七番丁19 |
Link | 史跡和歌山城 (wakayamajo.jp) |
あとがき
和歌山城は、徳川御三家の一つである紀州徳川家の居城として知られている。徳川御三家とは、徳川家康の子孫で将軍家に次ぐ地位を持つ三つの家系を指し、紀州徳川家、尾張徳川家、水戸徳川家の三家がある。
紀州徳川家は、徳川家康の十男である徳川頼宣を家祖としている。徳川頼宣は1619年に和歌山城に入城した後、城を大規模に改築し、現在の壮麗な城郭に仕上げたと伝えられている。
紀州徳川家からは8代将軍徳川吉宗や14代将軍徳川家茂が輩出されている。和歌山城は、紀州徳川家の格式を象徴する城として、江戸時代を通じて重要な役割を果たしてきたと言える。