◆ はじめに
明石公園の緑を抜け、ゆるやかな坂道を歩きはじめると、白壁の櫓が静かに空へと伸びている。 天守を持たない明石城は、二つの櫓が城の象徴として佇み、訪れる者を穏やかに迎えてくれる。 その姿は、華やかさよりも、むしろ“控えめな美しさ”を大切にしてきた城の気質を物語っているようだ。
石垣の上に立つ櫓の白と、城下に広がる街並み、そして遠くに見える海の気配── 明石城には、天守がないからこそ感じられる、開放的でどこか懐かしい風景がある。 歩みを進めるほどに、櫓が語りかける静かな物語が、ゆっくりと心に染み込んでくる。
本稿では、明石城の櫓と城下の風景をたどりながら、 天守なき名城が育んできた美学と、その静かな魅力を味わってみたい。
明石城跡
明石城【あかしじょう】は、小笠原忠真が元和4年(1618年)に築城した連郭梯郭混合式平山城で、兵庫県明石市に位置する。
小笠原忠真は、信濃松本藩から明石藩に転封され、徳川幕府の命により西国諸藩に対する備えとして明石城を築城した。築城には船上城や伏見城の遺材が使用され、宮本武蔵が町割りを指導したと伝えられている。

小笠原忠真の後、松平氏や大久保氏などが城主を務めた。特に松平忠国とその子・信之は、用水路の整備や新田開発などに尽力した名君として知られている。

明石城は、江戸時代を通じて西国の抑えとして重要な役割を果たした城であるが、明治2年(1869年)の廃藩置県により廃城となっている。1957年には巽櫓と坤櫓が国の重要文化財に指定され、2004年には城跡が国の史跡に指定されている。

現在、明石城跡は兵庫県立明石公園として整備されており、広大な敷地内には芝生広場や池、遊歩道が整備されている。

市民の憩いの場として親しまれているほか、桜の名所としても知られている。阪神淡路大震災で被害を受けたが、修復工事が行われ、現在も多くの観光客が訪れている。
明石城跡には、国の重要文化財に指定されている巽櫓【たつみやぐら】と坤櫓【ひつじさるやぐら】の二つの櫓(三重櫓)が残されている。

これらの櫓は、江戸時代から現存する貴重な建物で、その美しい姿が訪れる私たちを魅了する。

明石城には築城当初から天守が築かれなかったため、天守台のみが残っている。

天守台からは、城内や周辺の美しい景色を一望することができる。

(明石海峡大橋方面を望む)
明石城の正門であった太鼓門跡は、現在もその遺構が残っており、当時の城郭の構造を感じることができる。太鼓門跡からは、城内への出入りを監視していた「追手門」も見られる。

明石城の石垣(高石垣)は、東西に広がる幅380m、高さ約20mの壮大な規模を誇る。特に「江戸切」と呼ばれる技法で積まれた石垣は、その美しさと堅牢さが際立っている。

特に「江戸切」と呼ばれる技法で積まれた石垣は、その美しさと堅牢さが際立っている。

明石城跡は桜の名所としても知られており、春には約1000本のソメイヨシノが咲き誇る。

桜の季節には多くの観光客が訪れ、美しい桜景色を楽しむことができる。

明石城跡は、その歴史と自然の美しさを感じることができる場所であり、多くの観光客が訪れる景勝地になっている。
| 名 称 | 明石城跡 |
| 所在地 | 明石市明石公園1-27 |
| TEL | 078-912-7600 (兵庫県園芸・公園協会) |
| 駐車場 | あり(有料) |
| Link | 明石城の見どころ|明石城 |
喜春城の由来
明石城は、喜春城【きしゅんじょう】とも呼ばれている。この名前は、文化人であった松平忠国が城内十景を選び、その時に「喜春城」と名付けたことに由来する。松平忠国と信之の父子は、用水路の整備や新田開発などに尽力した名君として知られている。

明石城の築城に際して、小笠原忠真は町割り(都市計画)を行っているが、この町割りを指導したのが宮本武蔵であったと伝えられている。宮本武蔵は、有名な剣豪として知られているが、剣術だけでなく、建築や都市計画にも精通していたとは驚きである。
◆ あとがき
櫓の白壁を振り返りながら城内を後にすると、明石城が語っていたものが静かに胸の中で形を成してくる。 それは、天守の有無ではなく、 城がどのように時代を生き、どのように風景と調和してきたのか という、穏やかで深い歴史の余韻である。
二つの櫓は、明石の空と海を背景に、今も変わらず城下を見守り続けている。その佇まいは、華やかさよりも静けさを、威厳よりも調和を大切にしてきた城の美学そのものだ。
歩き終えたとき、心に残るのは、 天守がなくとも、いや、天守がないからこそ際立つ、櫓が紡ぐ名城の物語である。
明石城を歩く時間は、風景の中にそっと息づく歴史と、自分自身の歩みを重ねるひとときでもある。