はじめに
高野山は言わずと知れた弘法大師空海が開山した真言密教の聖地である。壇上伽藍や奥の院をはじめ参拝したい所が多い。
龍神温泉も弘法大師空海が発見したと伝わる温泉地である。今では「日本三美人の湯」の一つとして全国的に名を知られるようになっている。
高野山と龍神温泉を繋ぐ道路が「高野龍神スカイライン」と呼ばれる道路で、かつての有料道路が無料になって国道371号線の一区間にはなっているが観光道路的な役割は今なお健在である。和歌山県と奈良県の県境の尾根を縫うように走る山岳道路は、数百メートルごとに「奈良県に入りました」と「和歌山県に入りました」の音声ナビを何度も繰り返し聞くことになり面白い。
当初は龍神温泉の湯に浸かり、高野龍神スカイラインを往復する予定であったが、帰路を変更して道成寺に参拝することにした。私は道成寺への参拝は二度目ではあるが、一度目がはるか昔のことでもあり、釣り鐘がないこと以外の記憶がほとんど残っていない。そのためか新鮮な感じで参拝することができて良かった。
本稿で、高野山、龍神温泉、そして道成寺の魅力を少しでも伝えることができたならば嬉しい限りである。
<目次> はじめに 高野山 壇上伽藍 奥の院 大門 金剛三昧院 高野龍神スカイライン ごまさんスカイタワー 龍神温泉 泉質と効能 旅館と食事 龍神温泉周辺の観光スポット 皆瀬神社 温泉寺 曼陀羅の滝 天誅倉 小森谷渓谷 八斗蒔峠 野々垣内の吊橋(佐久間橋) 道成寺 かみなが姫伝説 安珍清姫伝説 道成寺の釣り鐘 あとがき |
高野山
高野山【こうやさん】は、和歌山県北部に位置する、和歌山県伊都郡高野町にある地域の名称であって、高野山という地理学上の山岳は存在しない。
標高約1,000m級の峰々に囲まれ、蓮の花のような形をした標高約800mの盆地の高野山は、およそ1200年前に弘法大師・空海が開山した真言密教の聖地である。
高野山全域を「総本山金剛峯寺」とし、特に 壇上伽藍と奥之院は2大聖地として信仰を集めている。
高野山内は「一山境内地」といわれ高野山全域が寺の境内地とされ、境内の中に発展した町であり、元来は高野山全体と金剛峯寺は同義であるとされる。2004年に世界遺産に登録され、2015年には開山1200周年を迎えた。
壇上伽藍
壇上伽藍【だんじょうがらん】は、弘法大師・空海が高野山を開山した際、真っ先に造営に取り組んだ場所で、奥之院とともに高野山の二大聖地の一つである。
壇上伽藍には高野山全体の総本堂である金堂や高野山のシンボルともいえる高さ48.5mの根本大塔など19もの諸堂が建ち並ぶ。
根本大塔の内部の柱や装飾は密教思想に基づく曼荼羅の世界観を具現化したものといわれている。
名 称 | 壇上伽藍 |
所在地 | 和歌山県伊都郡高野町高野山132 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 壇上伽藍 | 和歌山県公式観光サイト |
奥の院
世界遺産・高野山の信仰の中心である奥の院は、弘法大師が入定されている聖地である。
一の橋から御廟まで約2kmの参道には約20万基を超える墓石や祈念碑・慰霊碑が樹齢千年の杉木立の中に立ち並ぶ。
武田信玄や上杉謙信をはじめ有名な戦国武将の墓石が数多くある。織田信長や明智光秀の墓石を見つけることもできる。
紀伊山地に囲まれた広大な敷地内には神秘的な雰囲気が漂い、聖域のパワーを感じる。
高野山は、国内外からの観光客を魅了し続けている聖地であり、心を癒すために何度も訪れてみたい場所である。
名 称 | 奥の院 |
所在地 | 和歌山県伊都郡高野町高野山132 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 奥之院 | 和歌山県公式観光サイト |
高野山への総門、大門
密教(真言宗)の聖地・高野山への総門は大門と呼ばれる。左右には巨大な仁王像(金剛力士像; 吽形像と阿形像)が安置されている。
高野山大門の仁王像(金剛力士像)は、大門のスケール感にマッチして非常に大きい。奈良・東大寺の仁王像に次ぐ大きさを誇るらしい。
名 称 | 大門 |
所在地 | 和歌山県伊都郡高野町高野山132 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | わかやま観光 大門 | 和歌山県公式観光サイト |
金剛三昧院
金剛三昧院は、2022年度のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場する尼将軍と呼ばれた北条政子が夫の源頼朝と息子の実朝の菩提を弔うために建立した寺院である。
御本尊の愛染明王【あいぜんみょうおう】は、恋愛成就の仏として様々な縁を結んでくれるといわれている。
金剛三昧院の多宝塔は、北条政子が源頼朝の逝去に伴い創建した禅定院の規模を拡大し、金剛三昧院と改めたときに造営することになったものである。
建立は貞応2年(1223年)と伝えられ、高野山で現存する建造物の中では最も古いものである。多宝塔の内部には須弥壇が設けられ、その前には秘仏・五智如来像【ごちにょらいぞう】(仏師運慶作・重要文化財)が安置されている。この多宝塔の高さは約15 m、屋根の一辺は約9 mである。
金剛三昧院は、多宝塔(国宝)をはじめ経蔵(重要文化財)や四所明神社など数々の歴史的文化財を擁しており、高野山が世界遺産として登録される際、根幹となる寺院として重要な役割を果たした。
名 称 | 金剛三昧院 |
所在地 | 和歌山県高野町高野山425 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 世界遺産高野山 金剛三昧院【公式サイト】 |
高野龍神スカイライン
高野龍神スカイラインは、高野山から和歌山県第2位の高峰・護摩壇山(標高1,372 m)を経て龍神温泉に至る、和歌山県と奈良県の県境の1000m級の尾根に沿って延びる延長約43kmの山岳道路である。
かつては有料道路であったが、国道371号の一部区間となった現在も「高野龍神スカイライン」の愛称で親しまれている。
全線にわたって眺望が良いわけではないが、紀伊半島西側の山岳地帯を走る道路の所々から紀州の山々を眺望できる景観は優れている。
適度なアップダウンと幾重にもカーブが折り重なることから、ドライブ・ツーリングの名所になっており、特に紅葉のシーズンには観光客であふれ、車が数珠つなぎとなる場合があるという。
ごまさんスカイタワー
高野龍神スカイラインの中間付近にある道の駅・田辺市龍神ごまさんスカイタワーには、護摩木をイメージした高さ33mもあるごまさんスカイタワーがある。
ここは紀伊山地の山々を一望できる休憩スポットとして知られ、人気の場所である。勿論、護摩壇山(標高1372m)も見える。
名 称 | 道の駅・田辺市龍神ごまさんスカイタワー |
所在地 | 和歌山県田辺市龍神村龍神1020-6 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 田辺市龍神ごまさんスカイタワー |
龍神温泉
龍神温泉【りゅうじんおんせん】は、日高川の渓流沿いに位置し、木々の香りと川のせせらぎが響く自然豊かな温泉地である。
およそ千三百余年前の開湯以来、熊野信仰の昔から名湯として知られている。龍神温泉の名は、弘法大師・空海が難陀龍王【なんだりゅうおう】のお告げで湯を開いたことから名付けられたと伝わる。
江戸時代には紀州藩の藩湯(歴代の紀州徳川藩主の別荘地)として栄えた名湯で、「日本三美人の湯」としても知られる。
名 称 | 龍神温泉 |
所在地 | 和歌山県田辺市龍神村龍神 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 龍神温泉郷|龍神村の観光情報/社団法人龍神観光協会 龍神温泉郷-龍神・小又川 | 日本温泉協会 |
龍神温泉の泉質と効能
泉質は、炭酸水素塩泉である。いわゆる「美肌の湯」として知られている泉質である。
効能は、きりきず、末梢循環障害、冷え性、皮膚乾燥症、筋肉、関節の慢性的痛み、こわばり、軽い喘息・肺気腫、痔の痛み、運動麻痺による筋肉のこわばり、冷え性、末梢循環障害、胃腸機能の低下、軽症高血圧、自律神経不安定症やストレスによる諸症状、耐糖能異常、軽い高コレステロール血症、病後回復期、疲労回復、健康増進などである。
龍神温泉の旅館と食事
龍神温泉の地は山や川の恵みも豊富で、私たちが宿泊した旅館では好みに合わせてジビエ料理も提供してくれた。
名 称 | 龍神温泉 美人亭 |
所在地 | 和歌山県田辺市龍神村龍神96-3 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 【公式】龍神小又川温泉 美人亭 |
龍神温泉周辺の観光スポット
龍神温泉周辺には観光スポットも多いが、独断と偏見で私のおススメ観光スポットを紹介したい。というのはウソで、正直に話せば、私の妻が行きたいと言った所に同行しただけであるが、結果としてすべて良い所であり、私自身も十分に満足している。
名 称 | 道の駅・龍神 |
所在地 | 和歌山県田辺市龍神村龍神170-3 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 龍神 [ Ryuujin ] |
皆瀬神社
皆瀬神社【かいせじんじゃ】は、室町時代の長禄2年(1458年)に龍神正直氏(龍神氏10代目当主)が勧請し、文明年間(1469~1486年)に龍神正氏(龍神氏11代目当主)が社殿を造営したという。主祭神は八幡大明神である。
明治42年(1909年)、神社合祀令により多くの神社が合祀されたため、配祀神として天児屋根命【あめのこやねのみこと】はじめ16柱の神々が祀られている。
大正13年(1924年)の社殿の大改築の際には名大工たちがその技術の限りをつくし、龍神材を用いて春日造りの神殿を建造したという。巨木に囲まれた境内の中に立派な社殿が鎮座する。
皆瀬神社は、龍神の吊橋を渡れば道の駅・龍神から徒歩ですぐの場所にある。吊橋を渡るのが嫌でなければの話である。
勿論、私は吊橋を渡ることはせず、神社横の駐車場まで車で行って参拝させて頂いた。
名 称 | 皆瀬神社 |
所在地 | 田辺市龍神村龍神1346番地 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 和歌山県神社庁-皆瀬神社 かいせじんじゃ- |
温泉寺
温泉寺【おんせんでら】は、龍神温泉の元湯から道を挟んだ場所に建立されており、登り口の階段を上がれば徒歩1分程度のすぐのところにある。
弘仁年間に、弘法大師が難陀龍王の夢のお告げで温泉を見つけ、薬師如来を安置したのが始まりとされる。
後の宝永2年(1705年)に僧・明算によって龍王社薬師堂が再建されて「温泉寺」と名付けられたという。現在の温泉寺は再建されたものらしい。
名 称 | 温泉寺 |
所在地 | 和歌山県田辺市龍神村龍神23 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 龍神温泉付近の見どころ|社団法人龍神観光協会 |
曼陀羅の滝
曼陀羅の滝【まんだらのたき】は、弘法大師・空海が龍神に温泉を開いたときに名付けられたと伝わる滝である。
温泉寺の奥山にあって、温泉寺の近くの登り口から登山道を歩いておよそ20分ぐらいで辿り着ける。
曼陀羅の滝は、小説家・中里介山【なかざとかいざん】(1885~ 1944)の大人気の長編時代小説「大菩薩峠」【だいぼさつとうげ】(全41巻;未完)の第5巻「龍神の巻」で登場したことから有名になったとされる。同時に龍神温泉が全国的に知られるようになったのもこの小説の影響が大きいという。
「大菩薩峠・龍神の巻」には、天誅組と偶然に同行することになった主人公の机竜之助【つくえりゅうのすけ】が、十津川から紀州へ落ち延びる際に追手の爆弾によって失明する危機となった。この窮地に、修験者の助言によって曼荼羅の滝の水で眼を洗って治療しようとする話が描かれているという。
名 称 | 曼陀羅の滝 |
所在地 | 和歌山県田辺市龍神村龍神 |
Link | 龍神温泉付近の見どころ|社団法人龍神観光協会 |
天誅倉
天誅倉【てんちゅうくら】は、天誅組の残党が幽閉された土蔵を復元したものである。元々の天誅倉は昭和39年(1964年)の大雨で倒壊したために復元された。
文久3年(1863年)の8月に、尊皇攘夷と倒幕を掲げて大和国で挙兵した天誅組と呼ばれる勤王の志士たちは紀州藩に鎮圧されてしまった。水郡長雄【にごりながお】をはじめとする河内勢の志士8人は龍神村の小又川まで逃れてきたが、紀州藩に捕らられて3日間にわたって幽閉されていた場所が天誅倉である。
土蔵内には水郡長雄が書いたとされる辞世の歌が残されており、現在もその複製を見学することができる。
皇国の ためにぞつくす まごころは
神や知るらん 知る人ぞしる
名 称 | 天誅倉 |
所在地 | 和歌山県田辺市龍神村小又川27 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 龍神温泉付近の見どころ|社団法人龍神観光協会 |
小森谷渓谷
小森谷渓谷は、日高川源流域にある渓谷で、平維盛に関する伝説が残る場所である。護摩壇山(標高1372m)や和歌山県内の最高峰である龍神岳(標高1382m)が聳える山域に位置し、多くの自然林が残こされている美しい渓谷である。
平安時代末期の源平の屋島での合戦に敗れて高野山を経て龍神の里に落ち延びたとされる平維盛と、彼を慕っていたという村の娘、お万との伝説が残されている「白壺」「赤壺」「お万が淵」などと呼ばれる滝壺がある場所でもある。
残念ながら林道の途中で引き返したので、滝壺を見ることはできなかったので再訪してみたいと思う。
名 称 | 小森谷渓谷 |
所在地 | 和歌山県田辺市龍神村 |
Link | 小森谷渓谷|龍神村を見よう!|社団法人龍神観光協会 |
八斗蒔峠
八斗蒔峠【はっとまきとうげ】は、日高川町の山奥にある知る人ぞ知る紅葉スポットということで行ってみたが、林道が途中で通行止めになっており目的地には行けなかったのが残念である。
平家の落人が隠れ住んだという伝説も残されており、秋には一面に紅葉した山々の絶景が広がっているということなので再訪してみたいと思っている。
名 称 | 八斗蒔峠 |
所在地 | 和歌山県日高郡日高川町上初湯川 |
Link | 八斗蒔の紅葉写真【11/4現在】 | 日高川町観光協会 |
野々垣内の吊橋(佐久間橋)
妻と一緒に旅をすると必ずと言ってよいほどその地に架かる吊橋を見に行くことになる。言わば「お約束」のようなものだ。勿論、高い所が苦手な私はただ妻が吊橋を渡っているのをできるだけ遠くから眺めているだけである。それでも心臓の鼓動が高まるのを感じる。健康に良くないかも知れないと訴えても妻にはスルーされるだけであり、当分はこの状況は続くだろう。
しかし今回の野々垣内の吊橋(佐久間橋)は、さすがの妻にとっても渡るには結構勇気がいったらしい(吊橋で勇気を出す意義を私は全く見い出せないが・・・)。
それでもLINEで連絡をとりあっているという娘からのリクエストに応えて、動画撮影のために2往復もするからその気が知れない。できることなら彼女の頭の中を覗いてみたいものだ。
名 称 | 野々垣内の吊橋(佐久間橋) |
所在地 | 田辺市龍神村野々垣内(道の駅・龍神から約1 km上流地点) |
駐車場 | なし(200mほど上流にある林道入口近くの広場に路上駐車) |
道成寺
天音山道成寺は、文武天皇の勅願で大宝元年(701年)に創建された、和歌山県で最古の寺院である。国宝の千手観音菩薩、日光菩薩、月光菩薩をはじめ、数々の重要文化財が保存されている。
駐車場から土産物店街を抜けて、石段を登って山門である仁王門をくぐると正面に本堂が見えてくる。
本堂にはご本尊の千手観音菩薩像がお祀りされている。この千手観音菩薩像は、1300年超の歴史があり、日本で最も古い観音菩薩像の一つとされている。
道成寺には、寺の創建にまつわる「かみなが姫伝説」と、「娘道成寺」という歌舞伎や能楽の演目の元にもなって広く知られている「安珍清姫伝説」の二つの伝説が残されている。
かみなが姫伝説
「かみなが姫伝説」とは藤原宮子という女性にまつわる伝説であり、概ね次のような話である。
宮子は村長の娘として生まれるが髪の毛が全く生えなかったらしい。あるとき九海士の入り海に光るものが現れて不漁が続いた。海底に探りに行くと、小さい観音様が光り輝いていたという。
娘の母親が命がけで海底からその観音様を引き揚げ、毎日拝んでいると、不思議なことに娘にも髪が生え始め、村人から「髪長姫」【かみながひめ】と呼ばれる美少女に成長したという。
その美貌が都人の眼にとまり、やがて宮子は藤原不比等の養女として宮中で仕えるようになる。そしてその美貌と才能を見込まれ、持統天皇によって文武天皇の妃に選ばれた。
藤原宮子は、黒髪を授けてくれた観音様と両親の話を文武天皇にしたところ、文武天皇は宮子の願いをかなえるために道成寺を創建したという。
安珍清姫伝説
一方、「安珍清姫伝説」とは概ね次のような話である。
延長6年(929年)に奥州から熊野詣に来た修行僧・安珍は参拝の途中、一夜の宿を求めた。安珍は、宿の主人・真砂庄司の娘である清姫に一目惚れされてしまった。清姫の情熱を断りきれずに安珍は、熊野詣からの帰りに再び立ち寄ると嘘の約束して清姫と別れることにした。
清姫は約束の日になっても現れない安珍を追いかけて行ったが、人違いと言われて清姫はさらに激怒する。怖くなった安珍は、清姫から逃れようと日高川を船で渡り、船頭に頼んで清姫を渡そうとしなかった。
裏切られたと知るや清姫は大蛇に変身して川を渡り、安珍を追いかける。道成寺に逃げ込んだ安珍は、僧にかくまわれて寺の釣り鐘の中に身を隠す。
しかし大蛇に変身した清姫は釣り鐘にその身を巻き付け、やがて火炎を発して鐘の中に逃げた安珍を焼き殺してしまった。安珍が焼死したのを知るや清姫も入水自殺したという。
その夜、住持は二人が蛇道に転生した夢を見た。法華経供養を営むと、二人が天人の姿で現れて熊野権現と観音菩薩の化身だった事を明かしたとされる。
悲恋の物語というか、女性の情念は怖いという話でもあるが、この伝説から私たちは何を学ぶべきか?
道成寺の釣り鐘
お寺には釣り鐘があるのが普通であるが、道成寺には釣り鐘がない。その理由は、道成寺の初代の鐘は平安時代に安珍と清姫の事件で焼かれたからだと言われている。
そして、二代目の鐘は、天正13年(1585年)の織田信長と羽柴秀吉による雑賀攻めの時に持ち去られ、その二年後に京都の妙満寺に奉納されましたという。
それ以来、道成寺には釣鐘はない。三代目を造らない理由は、二代目が今も妙満寺に残されていて、三代目を造ると二代目を大事にしていないことになるからだという。
名 称 | 道成寺 |
所在地 | 和歌山県日高郡日高川町鐘巻1738 |
駐車場 | あり(有料) |
Link | 道成寺 – インフォメーション (dojoji.com) |
あとがき
高野山は海外の人にも有名な観光地にもなっている真言密教の聖地である。一方、龍神温泉は「日本三美人の湯」の一つとして有名である。その両観光地を繋ぐ道路が「高野龍神スカイライン」である。
この高野龍神スカイラインは紅葉の名所としても知られているが、私たちが訪れたのは11月中旬を少し過ぎていたためにすでに落葉していたのはとても残念であった。そのため混雑もなくスムーズに龍神温泉に着けたとも言えるかも知れない。ポジティブに考えることにする。
小森谷渓谷や八斗蒔峠に行って散策を楽しもう考えていたが林道が通行止めで、そのプランも次回に持ち越しとなってしまった。しかし、その分、道成寺に参拝することもできて良かったと考えることにする。
旅は計画どおりには行かないこともある。プランどおり行かないことは、むしろ旅としては楽しい思い出になるものである。妻と一緒だと「ミステリーツアー」の様相を呈することが多いが、それも今では私の楽しみの一つになりつつある。
会社員生活をリタイアして時間的余裕が生じたためであるか、長年の習性から来るものかは分からないが、そんな計画通りに行かない旅にこそ魅力と楽しみを感じているのは確かな事実である。