はじめに
赤穂【あこう】の名を聞くとすぐに「赤穂浪士四十七士」が大活躍する「忠臣蔵【ちゅうしんぐら】」を連想してしまうのは昭和生まれの私たちの世代だけになってしまった感がある。現代と違って多様性に乏しい昭和世代は、毎年12月14日の前後にテレビで「忠臣蔵」に関連するドラマを観て来たという慣習がある。
「12月14日」というのは、元禄15年12月14日に赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げ、討ち入り後に吉良上野介の首を掲げて永代橋を渡り、泉岳寺へ向った日とされる、言わば一種の「記念日」である。 だから昭和世代は師走になると風物詩のごとく「忠臣蔵」を見て、赤穂浪士47人に思いを寄せたものである。
しかし、時代は「昭和」から「平成」、「令和」へと移るにつれて「忠臣蔵」の名を聞く機会が減ったのは事実である。私自身、赤穂温泉に行ったついでと言えば語弊があるが、赤穂大石神社に参拝してはじめて「忠臣蔵のふるさと」であることを再認識したくらいであるから現代の若者にはあまり縁がないのも当然のような気がする。
だからと言って忘れて良いものではないと思う。本稿では赤穂温泉の魅力と「忠臣蔵のふるさと」赤穂の神社仏閣について見聞したことを書いていきたいと思う。
赤穂温泉
赤穂温泉【あこうおんせん】は、播磨灘に面した海岸沿いの高台の赤穂市御崎【みさき】に位置する温泉地である。
昭和45年(1970年)の開湯当初は「赤穂御崎温泉」と呼ばれていたが、源泉の湧出量の減少問題を解決するために新しい源泉を地下1600mから掘削して、平成12年(2000年)12月から給湯を開始したのを機に名称も「赤穂温泉」に改めたという。
赤穂温泉は、海岸沿いの高台に立地しているので、瀬戸内海を望む景観美とともに、播磨灘に沈みゆく夕陽を湯舟から眺めながらのんびりと入浴できるなど魅力的な温泉地である。
泉質・効能
赤穂温泉の泉質は、含弱放射能-カルシウム・ナトリウム-塩化物強塩低温泉と言われている。いわゆる塩化物泉の一種である。
高張性に優れた食塩などミネラル成分を多く含む中性の温泉で、なめらかな感触のお湯である。皮膚に塩分が付着して汗の蒸発を防ぐため、保温効果が高いとされている。
お湯に含まれる高濃度成分は20倍に希釈しても、温泉としての成分を維持しているという。
適応症も多様で、浴用で24種類、飲用で8種類の計32種類が知られている。主たる適用症は、神経痛・筋肉痛・関節痛などで、飲用では慢性消化器病や慢性便秘などに効能があるとされる。
温泉の三要素「温度・成分・湯量」を兼ね備えた温泉であり、その優れた泉質から別名「よみがえりの湯」とも呼ばれるらしい。その温泉パワーを求め以前よりも多くの人が訪れるようになったという。
温泉宿
銀波荘
海と溶け込むように作られた湯船から見る景色は圧巻で、広大な海の景色を見ながら湯に浸かれる露天風呂が自慢の旅館である。瀬戸内海の大パノラマが目の前に広がれば、溜まったストレスも一気に吹き飛んでしまうというものである。
名 称 | 銀波荘 |
所在地 | 兵庫県赤穂市御崎2-8 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 銀波荘の魅力|海が見える温泉 赤穂温泉|銀波荘 |
近郊の観光スポット
伊和都比売神社
伊和都比売神社【いわとひめじんじゃ】は、古くから「縁結びの神様」として信仰を集めてきた。御祭神は伊和都比売神である。
元々は丘の真下の海にある岩礁の上に祀られていた神社であったが、浅野長矩【あさのながのり】が今の地に移したと伝わる。
浅野長矩は、第3代赤穂藩主で、浅野内匠頭【あさのたくみのかみ】と称されることが多い。江戸城本丸大廊下(通称、松の廊下)において吉良上野介義央【きらこうずのすけよしひさ】に対する刃傷とそれに続く赤穂事件で広く知られるようになった。
名 称 | 伊和都比売神社 |
所在地 | 兵庫県赤穂市御崎字三崎山 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 赤穂市/伊和都比売神社 |
赤穂御崎
赤穂御崎は、瀬戸内海国立公園内に位置し、瀬戸内海の眺望が素晴らしい場所である。
赤穂御崎遊歩道が整備されており、海岸沿いにゆっくりと散策するには最高の場所である。
名 称 | 赤穂御崎公園 |
所在地 | 兵庫県赤穂市御崎 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 赤穂御崎公園|赤穂市を代表する夕日百選の岬 |
赤穂の観光スポット
赤穂城跡
赤穂城【あこうじょう】は、江戸時代は赤穂藩の藩主の居城であった。城郭は国の史跡に、本丸庭園と二之丸庭園は名勝に指定されている。
城郭構造は、変形輪郭式海岸平城と呼ばれるもので、平城の一種である。天守は建造されなかったらしい。
名 称 | 赤穂城跡 |
所在地 | 兵庫県赤穂市上仮屋 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 国史跡赤穂城跡(兵庫県赤穂市) 公式Webサイト |
赤穂大石神社
赤穂大石神社は、赤穂神社と大石神社が統合された神社で、赤穂城内に位置する。
旧・赤穂神社の祭神の赤穂藩主浅野家・森家祖霊と旧・大石神社の祭神である大石内蔵助良雄ら赤穂浪士(義士)47名を主祭神として祀っている。
主君の仇討ちという大願を果たした御祭神に因んで「大願成就」の神徳で信仰を集めている。
大石良雄【おおいしよしお】(1659年~1703年)は、赤穂藩の筆頭家老であった人物で、官名から大石内蔵助【おおいしくらのすけ】と称されることが多い。
大石内蔵助は、江戸時代中期に起きた赤穂事件の赤穂浪士四十七士の指導者として知られる。この事件を題材にした人形浄瑠璃・歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』で有名になった。
名 称 | 赤穂大石神社 |
所在地 | 兵庫県赤穂市上仮屋131-7 (旧城内) |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 忠臣蔵のふるさと 赤穂大石神社オフィシャルサイト |
大石良雄宅跡長屋門
名 称 | 大石良雄宅跡長屋門 |
所在地 | 赤穂市上仮屋129 |
Link | 赤穂市/大石良雄宅跡長屋門 |
大避神社
大避神社【おおさけじんじゃ】は、宝珠山麓にある神社で、大避大神(秦河勝)を祀っている。
秦河勝【はたのかわかつ】は飛鳥時代の秦氏の族長的人物として聖徳太子の同志として活躍した人物である。河勝は太子死後の皇極3年(644年)、海路をたどって坂越に移り、千種川流域の開拓を進めた後、大化3年(647年)に80余歳で死去したという。地元の民がその霊を祀ったのが大避神社の創建であるという。
神社正面の海上に浮かぶ生島【いくしま】(国の天然記念物)には秦河勝の墓があって神域となっているため、現在でも人の立ち入りが禁じられている。
大避神社は、瀬戸内海三大船祭りの1つ「坂越の船祭り」(重要無形民俗文化財)でも知られる。
名 称 | 大避神社【おおさけじんじゃ】 |
所在地 | 兵庫県赤穂市坂越1297番地 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 赤穂市/大避神社 |
宝珠山妙見寺
宝珠山妙見寺【ほうじゅさんみょうけんじ】は宝珠山にある真言宗古義派の寺院で、通称は妙見寺観音堂である。御本尊は如意輪観世音菩薩である。
寺伝によれば、8世紀中期に行基によって創建されたという。宝珠山の山腹に16の坊舎と9つの庵を構えた大寺であったが、文明17年(1485年)の僧兵一揆によりその殆どが焼失したという。
当初、観音堂は妙見寺の奥の院として宝珠山の山頂付近にあったが、享保7年(1722年)に中腹の現在地(龍泉坊跡地)移設されたという。
妙見寺観音堂は、宝形造、本瓦葺、桁行3間、梁間3間、正面1間は外壁が無く吹き放しの懸造り形式で建てられており、江戸時代中期の寺院建築の遺構として貴重なことから赤穂市指定の有形文化財になっている。
名 称 | 宝珠山妙見寺(妙見寺観音堂) |
所在地 | 兵庫県赤穂市坂越1307-1 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 赤穂市/妙見寺観音堂 |
赤穂八幡宮
赤穂八幡宮は、応永13年(1406年)に赤穂市の西にある銭戸島から移されたと伝わる。
赤穂八幡宮には大石内蔵助ゆかりの布袋額・櫨の木・石灯篭と赤穂義士関係の書状などが数多く残されているという。
赤穂八幡宮の獅子舞は、県の無形民俗文化財に指定されている。
名 称 | 赤穂八幡宮 |
所在地 | 兵庫県赤穂市尾崎203番地 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 赤穂八幡宮 – 兵庫県赤穂市鎮座の八幡宮 |
あとがき
赤穂についてはほとんど何も知らなかったことを改めて思い知らされた。赤穂には興味深いことがまだまだあると思うので、次回に行く場合には事前に十分に下調べをしてから出かけることにしたい。