はじめに
熊野速玉大社【くまのはやたまたいしゃ】は、和歌山県新宮市新宮にある神社で、熊野三山(熊野本宮大社・熊野那智大社・熊野速玉大社)の一角である。
主祭神は、熊野速玉之男神【くまのはやたまのおおかみ】(=イザナギ)であるが、熊野夫須美大神【くまのふすみのおおかみ】(=イザナミ)も祀られている。
熊野速玉大社の歴史は、非常に古く、神代の時代にまで遡る。伝説によれば、熊野速玉大神と熊野夫須美大神が神倉山のゴトビキ岩に降臨し、その場所で祀られることになったことが始まりとされる。景行天皇58年に、現在の場所に遷座し、熊野速玉之男神の名から社名をとったと伝えられている。
平安時代には、熊野三山の一角として、多くの貴族や武士が参詣し、特に鳥羽上皇や後白河法皇らが何度も参拝したという。特に後白河法皇の場合は、驚くべきことに交通の不便な時代にもかかわらず34回も熊野詣を行ったとの記録も残されている。
1883年に打ち上げ花火が原因で社殿が全焼したが、1967年に社殿が再建されたという。そして、2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産に登録されている。
神倉神社は、熊野速玉大社の元宮で、神々が最初に降臨したとされる神聖な場所である。高さ60mの絶壁上にあるゴトビキ岩が有名である。
樹齢1000年と推定される御神木のナギ(梛)は、熊野権現の象徴として信仰されており、旅の安全や縁結びのお守りとして知られている。また、神宝館には、多くの国宝を含む約1200点の古神宝類が収蔵されており、その一部が公開されている。
熊野速玉大社は、長い歴史を持つ神社であり、多くの人々に信仰され続けている。
熊野速玉大社
熊野速玉大社に所蔵されている「熊野権現御垂迹縁起」(1164年)によると、熊野の神々は、神代の頃、まず初めに神倉山のゴトビキ岩に降臨され、その後、景行天皇58年、現在の社地に真新しい宮を造営してお遷りになり、「新宮」と号したことが記されている。
初めは二つの神殿に熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神を祀ることから始まり、平安時代初期に現在のような十二の神殿が完成したと伝わる。
日本書紀には、神武天皇が神倉山に登拝されたことが記されているという。悠久の古より人々から畏れ崇められてきた神倉山には、社殿はなく、自然を畏怖し崇める自然信仰(原始信仰)が中心であったと考えられる。
自然信仰を原点に神社神道へと展開していく熊野信仰は、六世紀に仏教が伝わると早くから神仏習合が進み、「熊野権現信仰」が全国に広まっていく。
「権現」とは、神が仮の姿を仏に変えて衆生を救うために現れるという意味で、過去・現在・未来を救済する霊場として熊野は広く人々に受け入れられていった。
さらに、強者弱者、地位や善悪、信不信を問わず、別け隔てなく救いを垂れる神仏として崇敬され、人々は難行を覚悟で、熊野をめざし、「蟻の熊野詣で」の諺も生まれた。
熊野古道は、滅罪と救いを求めて難行を続ける人々がつけた命の道であり、険しい山路を越えてやっとのことで宝前に辿り着いた人々は、皆涙に咽んだという。
そんな参拝者を熊野の神官達は、たとえ参詣者のわらじが雨で濡れていてもそのまま快く拝殿に迎え入れたという。これを「濡れわら沓の入堂」といい、熊野速玉大社の社訓になっているという。
熊野は生きる力を、もう一度受け取りに来るところとされる。命がけの旅は、私達が生まれた時に持っていたはずの純真なこころと姿を取り戻す試練の旅でもある。
難行苦行の果てにあるものは、人生の再出発を踏み出すための勇気と覚悟の加護である。熊野速玉大社が「甦りの地」といわれる本意は、正にここにあるとされる。
名 称 | 熊野速玉大社 |
所在地 | 和歌山県新宮市新宮一番地 |
参拝時間 | 夜明けから日没まで(通年) 9:00~16:00(神宝館) |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 熊野速玉大社【公式サイト】 |
あとがき
熊野信仰の起源は古代に遡り、自然崇拝から始まっている。熊野の地名は『日本書紀』にも登場し、古くから神聖な場所とされていたようである。
熊野権現信仰は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)を中心とした信仰で、神道と仏教が融合した独特の信仰形態である。つまり、熊野権現信仰は、神道の神々と仏教の仏が一体となった信仰(神仏習合)である。
熊野権現信仰にかかわる神話は、熊野三山に祀られる神々に関するものである。
熊野速玉大社と熊野那智大社の主祭神は、それぞれ熊野速玉大神(=イザナギ)と熊野夫須美大神(=イザナミ)である。イザナギとイザナミ、日本神話において「国産み」と「神産み」を行った二柱の神としてよく知られている。イザナミが「火の神」を産んだ際に亡くなり、イザナギが黄泉の国から彼女を連れ戻そうとする物語も有名である。
一方、熊野本宮大社の主祭神である家津美御子大神(=スサノオ)は、イザナギとイザナミの子供であり、「嵐や海の神」として知られる。スサノオにまつわる神話としては、ヤマタノオロチを退治する物語が特に有名である。
熊野権現信仰は、神道の神々と仏教の仏が一体となった信仰である。熊野三山の主祭神は、それぞれ、家津御子大神(=阿弥陀如来)、熊野速玉大神(=薬師如来)、熊野夫須美大神(=千手観音)とされている。
平安時代以降、熊野は「浄土の地」とみなされ(浄土信仰)、現世と来世の安穏を祈る場所として多くの人々が参詣したという。
また、熊野信仰は修験道とも深く結びついており、山岳信仰の一環として「修行の場」ともなっていたという。
熊野権現信仰は、神道と仏教が融合した独特の信仰形態であり、長い歴史を持つ霊場として多くの人々に信仰されるようになった。
特に、室町時代から江戸時代にかけては、民衆にも広まり「蟻の熊野詣」と呼ばれるほど多くの参詣者が熊野三山に参詣したと伝えられている。
明治維新後、明治新政府による「馬鹿げた神仏分離政策」によって、熊野三山もかなりの被害を被ることになったと推測する。
2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産に登録され、現在も多くの人々が訪れる霊場として信仰を集めているのは嬉しい限りである。
熊野権現信仰は、神道と仏教が融合した独特の信仰形態であり、長い歴史を持つ神聖な霊場として多くの人々に信仰されている。訪れた際には、その長い歴史を感じながら参拝したいと思う。
【関連記事】
【古事記版日本神話】天地創造からヤマタノオロチ退治までの物語 |
【古事記版日本神話】大国主神の誕生から天孫ニニギの降臨までの物語 |
【古事記版日本神話】天孫ニニギとその御子・海幸彦と山幸彦の物語 |
【日本書紀版日本神話】天地創造からヤマタノオロチ退治までの物語 |
【日本書紀版日本神話】大国主神の登場から天孫ニニギ降臨までの物語 |
【日本書紀版日本神話】天孫ニニギとその御子・海幸彦と山幸彦の物語 |