はじめに
日御碕神社【ひのみさきじんじゃ】は、島根県出雲市の日御碕に鎮座する神社で、通称「みさきさん」として親しまれている。
日御碕神社は、出雲大社の「祖神【おやがみ】さま」として崇敬を集め、上下二社から成り立っている。上の宮「神の宮」には素盞嗚尊【スサノオノミコト】が祀られており、下の宮「日沈宮」【ひしずみのみや】には天照大御神【アマテラスオオミカミ】が祀られている。
素盞嗚尊が、「吾が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と柏の葉を投げて占ったところ、この神社背後の「隠ヶ丘」に止まったという伝説が残されている。その後、天葺根命【アメノフキネノミコト】がこの地に素盞嗚尊を奉斎したとされ、上の宮「神の宮」で素盞嗚尊が祀られることになったという。
一方、下の宮は、「日沈宮」と呼ばれ、天照大御神が日御碕神社に祀られる以前に鎮座されていた経島【ふみしま】から遷座したと伝えられている。天葺根命が経島に行った際に天照大御神が降臨し、「我天下の蒼生(国民)を恵まむ、汝速かに我を祀れ」との神勅があったという。
日沈宮は、「伊勢大神宮は日の本の昼の守り、出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建て日の本の夜を守らん」という神勅に従い、夜を司る神社として創建されたという。それ以来、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守る」と伝えられている。
日御碕神社
日御碕神社は、下の宮「日沉宮【ひしずみのみや】」と上の宮「神の宮」の上下二社からなる。この二つの宮を総称して「日御碕神社」と呼ぶ。
日本神話で有名な二柱の神様(天照大御神と須佐之男命)が祀られ、厄除けや縁結びをご利益とした霊験あらたかな神社として人々の信仰を集めている。
楼門をくぐると正面に下の宮の日沉宮【ひしずみのみや】が見える。日沉宮には須佐之男命の姉の天照大御神が祀られている。
この日沉宮は、「伊勢大神宮は日の本の昼の守り、出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建て日の本の夜を守らん」との神勅により祀ったのが始まりと伝わる。つまり、伊勢神宮が日本の昼を守るのに対し、日御碕神社は日本の夜を守るという意味である。
当初はこの神勅の通り、近くの「清江の浜」の経島【ふみしま】で天照大御神を祀っていたが、須佐之男命の孫である天葺根命【アメノフキネノミコト】が経島に行った際に天照大御神が降臨し、「我天下の蒼生(国民)を恵まむ、汝速かに我を祀れ」との神勅があり、現在の地で祀ることになったという。
楼門をくぐり、右手の小高い場所には上の宮「神の宮」があり、須佐之男命が祀られている。
須佐之男命が根の国(黄泉国)より「吾が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と柏の葉を投げて占ったところ、柏葉は風に舞いこの神社背後の「隠ヶ丘」に止まったという。そのため天葺根命がこの地に須佐之男命を祀ることにしたと伝わる。
名 称 | 日御碕神社 |
所在地 | 島根県出雲市大社町日御碕455 |
駐車場 | あり(無料) |
Link | 日御碕神社【出雲観光協会公式ホームページ】 |
あとがき
日御碕神社の近くには経島【ふみしま】という無人島があり、ウミネコの繁殖地としても有名である(国の天然記念物)。経島は、柱状節理の石英角斑岩でできており、「経巻」を積み重ねたような形状からその名が付けられたらしい。
かつて経島には天照大御神を祀る「日沈宮」が鎮座していたが、天暦2年(948年)に現在の日御碕神社へ遷座されたと伝わっている。経島は今でも日御碕神社の神域として重要な場所であり、現在、経島には境外社として経島神社がある。
この経島は、日御碕神社の神域として神職以外の一般の立入りは禁止されている。年に一度だけ、8月7日の例祭の時だけ神職が島に上陸することができる。
経島は、一般観光客が直接上陸することはできないが、日御碕灯台や日御碕神社からその姿を眺めることができる。
【関連記事】
【古事記版日本神話】天地創造からヤマタノオロチ退治までの物語 |
【古事記版日本神話】大国主神の誕生から天孫ニニギの降臨までの物語 |
【古事記版日本神話】天孫ニニギとその御子・海幸彦と山幸彦の物語 |
【日本書紀版日本神話】天地創造からヤマタノオロチ退治までの物語 |
【日本書紀版日本神話】大国主神の登場から天孫ニニギ降臨までの物語 |
【日本書紀版日本神話】天孫ニニギとその御子・海幸彦と山幸彦の物語 |