◆ はじめに
上賀茂神社【かみがもじんじゃ】の正式名称は賀茂別雷神社【かもわけいかづちじんじゃ】、下鴨神社【しもがもじんじゃ】は賀茂御祖神社【かもみおやじんじゃ】という。
両社は京都最古の歴史を有する神社であり、古代にこの地を支配した賀茂氏の氏神を祀ることから、総称して「賀茂社(賀茂神社)」と呼ばれてきた。両社の祭礼である賀茂祭(葵祭)は、千年以上の歴史を持つ京都三大祭の一つとして広く知られている。なお、賀茂社の総社は奈良県御所市の高鴨神社であると伝えられる。
賀茂社の両社は、奈良時代にはすでに強大な勢力を誇り、平安遷都後は皇城の鎮護社として京都の都市形成に深く関わった。宮中の重要祭祀である四方拝において、天皇が遥拝する社の一つとして両社が含まれていることからも、その重んじられ方がうかがえる。
近代においても、両社は伊勢神宮に次ぐ官幣大社の筆頭とされ、明治16年(1883年)には勅祭社に定められた。戦後は神社本庁の別表神社となり、現在もその格式を保ち続けている。
また、上賀茂神社・下鴨神社はともにユネスコ世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産として登録されており、歴史と自然が調和する京都を象徴する社として多くの参拝者を迎えている。
静かな杜に身を置けば、千年を超えて受け継がれてきた賀茂の神々の気配が、そっと心に寄り添ってくるように思える。
上加茂神社
上賀茂神社(正式名称:賀茂別雷神社【かもわけいかづちじんじゃ】)は、京都市北区に鎮座し、主祭神として賀茂別雷大神【かもわけいかづちのおおかみ】をお祀りしている。

賀茂別雷大神は、雷神・治水神としての性格を持つ神で、『古事記』『日本書紀』には登場せず、『山城国風土記』逸文にその神名が見える。古代から賀茂氏の氏神として篤く信仰されてきた。
創建については諸説あるが、社伝では神武天皇の御代、神山【こうやま】(賀茂山)の麓にある御阿礼所に賀茂別雷大神が降臨したと伝えられている。
また、上賀茂神社にはよく知られた受胎神話が残る。玉依姫命【たまよりひめのみこと】が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢(朱塗りの矢)を床に置いたところ、神の子を身籠り、やがて男の子が生まれたという。その子こそが賀茂別雷大神であるとされる。 この丹塗矢の正体については、乙訓神社の火雷神とする説や、大山咋神とする説など、いくつかの伝承が残されている。
賀茂県主の一族がこの神を奉斎したと伝えられ、天武天皇6年(677年)には現在の地に社殿が建立されたとされる。

広大な境内には、国宝に指定された本殿と権殿をはじめ、重要文化財の社殿が数多く残る。また、葵祭や賀茂曲水宴などの由緒ある祭事が今も受け継がれ、特に桜の季節や葵祭の頃には多くの参拝者で賑わう。
境内には「睦の木【むつのき】」と呼ばれる御神木がある。樹齢約300年以上と推定されるスダジイの巨樹で、二本の幹が連理となって寄り添う姿は、古社の静けさの中に深い神秘を湛えている。
清らかな杜に吹く風に身をゆだねるたび、賀茂別雷大神の気配がいまも静かにこの地を守り続けていることを深く感じさせられる。
| 名 称 | 上加茂神社 |
| 所在地 | 京都市北区上賀茂本山339 |
| Link | 賀茂別雷神社(上賀茂神社) |
下鴨神社
下鴨神社(正式名称:賀茂御祖神社【かもみおやじんじゃ】)は、京都市北区で賀茂川と高野川が合流する地点に鎮座し、東殿に玉依姫命【たまよりひめのみこと】、西殿に賀茂建角身命【かもたけつぬみのみこと】を主祭神として祀っている。

玉依姫命は、上賀茂神社の主祭神・賀茂別雷大神の母とされる女神であり、宝満宮竈門神社でも主祭神として祀られている。一方で、日本神話においては海神【わだつみ】の娘であり、豊玉姫命の妹として描かれ、鵜草葺不合命【うがやふきあえずのみこと】との間に四人の子をもうけ、その一人が初代天皇・神武天皇である。 この系譜には賀茂別雷大神の名は見えず、賀茂氏の伝承とは異なる系統が併存している。
賀茂建角身命は、玉依姫命の父とされる神であり、賀茂氏の祖神として古くから崇敬されてきた。八咫烏に化身して神武天皇の東征を導いたという伝説を持ち、ここで神武天皇の母・玉依姫命との物語が再び結びつく。熊野本宮大社に伝わる八咫烏の伝承とも深く関わる神である。
玉依姫命の父が海神であるという神話と、賀茂建角身命であるという社伝は一見矛盾するが、これは地域ごとの信仰や時代の変遷によって複数の伝承が重なった結果と考えられる。神代の物語に明確な答えを求めるよりも、それぞれの伝承が育まれた背景に思いを馳せる方が、この神社の魅力に近づけるだろう。
下鴨神社の社伝では、神武天皇の御代に御蔭山に祭神が降臨したと伝えられ、崇神天皇7年には瑞垣を修造した記録が残ることから、この頃の創建とする説もある。平安時代以降は国家鎮護の神社として皇室・朝廷から篤い崇敬を受けてきた。

賀茂川と高野川の合流点からまっすぐに伸びる参道の先に社殿が配される直線的な構造は、古社ならではの清浄さを感じさせる。 境内には国宝の本殿二棟をはじめ、多くの文化財が残る。かつては21年ごとに全建物を新造する式年遷宮が行われていたが、本殿が国宝に指定された後は修復を中心とした形に改められている。
境内には、古代の植生を今に伝える糺の森【ただすのもり】が広がり、御手洗川やみたらし池が清らかな水を湛える。御手洗社の水は葵祭の斎王代が身を清める聖水とされ、飲用も可能である。
また、境内には「連理の賢木【れんりのさかき】」と呼ばれる御神木がある。樹齢200〜600年と推定されるカシの木で、二本の幹が途中で一つに結ばれる姿から縁結びの象徴とされ、多くの参拝者が訪れている。
糺の森を渡る風に耳を澄ませば、賀茂の神々をめぐる物語が、いまも変わらずこの地に息づき続けていることを静かに教えてくれる。
| 名 称 | 下鴨神社 |
| 所在地 | 京都市左京区下鴨泉川町59 |
| Link | 下鴨神社 |
◆ あとがき
本稿を書こうと思ったのは、初代天皇とされる神武天皇の母として知られる玉依姫命にまつわる、上賀茂神社の伝説に心を惹かれたからである。
玉依姫命は、賀茂別雷大神(上賀茂神社の主祭神)の母とされる女神であり、下鴨神社の主祭神として、また宝満宮竈門神社でも主祭神として祀られている。 一方で、日本神話では海神【わだつみ】の娘、豊玉姫命の妹として描かれ、鵜草葺不合命との間に四人の子をもうけ、その一人が神武天皇である。
これに対し、賀茂社の社伝では玉依姫命は賀茂建角身命の娘であり、賀茂別雷大神の母とされる。 神話と社伝の系譜は必ずしも一致せず、いくつかの矛盾を含んでいるが、それこそが古代の伝承が育まれてきた豊かさの証なのだろう。
女神たちにまつわる物語は、時代や地域を超えて多様な姿を見せる。その重なり合いこそが、神話を読み継ぐ楽しさであり、尽きることのない魅力でもある。
伝承の揺らぎに耳を澄ませるほどに、神々の物語は時を超えて私たちの心に静かに語りかけてくる。