◆ はじめに
犬山城【いぬやまじょう】は、織田信長の叔父・織田信康が天文6年(1537年)に築いた複合式望楼型の平山城で、愛知県犬山市に位置する。戦国時代、信康が木之下城から城郭を移して築城したと伝わり、木曽川沿いの小高い丘に建つその姿から「後堅固の城」として知られている。
築城後は、織田信長の乳兄弟で家臣の池田恒興が入城し、のちに豊臣秀吉も城主となった。江戸時代に入ると、元和3年(1617年)に尾張徳川家の重臣・成瀬正成が拝領し、現在見られる天守の姿が整えられた。以後、成瀬家が幕末まで城主を務めている。
明治4年(1871年)の廃藩置県により犬山城は愛知県の所有となり、天守を除く多くの建物が取り壊された。さらに明治24年(1891年)の濃尾地震で天守が半壊したが、成瀬家と犬山町民の尽力により修復された。
犬山城は昭和27年(1952年)に国宝に指定され、2004年までは日本で唯一の個人所有の城として知られていた。現在は「財団法人犬山城白帝文庫」が管理している。
歴史的価値と木曽川を望む美しい景観を併せ持つ犬山城は、今も多くの人々が訪れる景勝地として親しまれている。
犬山城
犬山城の天守は、現存する天守の中でも最も古いとされている。1537年に建てられた天守は、築城当時の木材を多く使用しており、歴史の重みを感じることができる。

犬山城【いぬやまじょう】は、別名「白帝城」とも呼ばれる平山城である。天文6年(1537年)に織田信康(織田信長の叔父)が木ノ下城を木曽川南岸の「犬山」の地に移して築城したのがはじまりとされる。

現代まで唯一残った天守(国宝指定)は、「現存12天守」の中では日本最古のものとされる。城跡は「犬山城跡」として国の史跡に指定されている。

天守構造は、「望楼型・三重四階地下二階・複合式天守」となっており、天守の高さは地上から約24mである。

(天守構造は三重四階地下二階)
天守は一般公開されており、登ることができる。天守内部の急な階段を上って行くと最上階に到着する。

最上階には歴代の城主の肖像が掲示されている。

平成16年(2004年)まで天守が個人所有(成瀬氏)であったとは驚きである。

天守最上階からは、木曽川や濃尾平野を一望でき、その美しい景色は訪れる私たちを感動させ、魅了する。最上階からの景色は「殿様」になった気分で味わえる。但し、観光客が多いので長居はできない。

天候が良ければもっと遠方を望むことができたであろう。あいにくの雨模様であまり遠くを見通すことはできなかった。

犬山城は戦国時代に築城された城であり、日本史に係わる戦さの舞台にも登場する。

天正12年(1584年)の「小牧・長久手の戦い」の際には、豊臣秀吉が大軍を率いてこの城に入った後、楽田城へ移り、小牧山に陣取る徳川家康と対峙したと伝わる。また、「関ヶ原の戦い」では西軍の重要拠点となったとされる。

犬山城は桜の名所としても有名で、春には城内や木曽川河畔の遊歩道が桜で彩られるという。4月の第1土曜日と日曜日には「犬山祭」が開催され、桜と提灯が美しい光景を作り出すという。
| 名 称 | 犬山城 |
| 所在地 | 犬山市犬山北古券65-2 |
| 駐車場 | あり(有料) |
| Link | 国宝犬山城 |
◆ あとがき
犬山城の天守は「現存12天守」の一つであり、以前から訪れてみたいと思っていた城である。今回の旅で念願が叶い、その喜びと、想像していた姿とのわずかな違いから生まれる複雑な思いが胸に残った。
天守の東側には「大杉様」と呼ばれる御神木が立つ。1959年の伊勢湾台風の際には、強風や落雷から天守を守ったと伝えられ、以来、城の守り神として大切に祀られている。
犬山城は「白帝城」とも呼ばれる。これは、中国・長江流域の白帝城にちなむ名で、江戸時代の学者・荻生徂徠が犬山城の美しい佇まいを見て、李白の詩「早発白帝城」を思い起こしたことに由来すると伝えられている。
また、犬山周辺には興味深い伝説も残る。その一つが桃太郎伝説である。犬山城の鬼門(北東)には古くから城を守護する寺社が点在し、なかでも桃太郎神社は特に知られている。犬山城から木曽川上流へ約3.3kmの地にあり、桃太郎のおばあさんが洗濯をしたとされる「洗濯岩」など、伝説ゆかりの場所が今も残されている。
こうして歩いた犬山の地は、戦国の記憶と人々の語り継いだ物語が静かに息づき、次の旅へと向かう心にそっと温かな余韻を残してくれた。