◆ はじめに
宍道湖を望む高台に静かに佇む松江城は、 全国にわずか十二しか残らない現存天守のひとつとして、 四百年の時を超えてその姿を保ち続けている。黒い下見板に覆われた天守を見上げると、 戦国時代から江戸時代へと移りゆく時代の空気が、今もなお城の隅々に息づいているように感じられる。
この城を築いたのは、堀尾忠氏と、 その志を受け継いだ父親・堀尾吉春である。 忠氏が構想し、吉春が完成へと導いた松江城には、 父子二代がこの地に託した“堅固でありながら美しい城”という願いが深く刻まれている。 天守だけでなく、曲輪の配置や石垣の積み方にも、 彼らの築城哲学が静かに宿っている。
天守へ続く坂道を歩きながら、 曲輪の形や石垣の角度に目を向けていると、 堀尾親子がこの城に込めた想いが、風の音とともにそっと胸に響いてくる。
本稿では、松江城の現存天守と曲輪をたどりながら、 堀尾忠氏・吉春の記憶がどのようにこの城に息づいているのかを探ってみたい。
松江城
松江城【まつえじょう】は、島根県松江市にある歴史的な城で、別名「千鳥城」とも呼ばれている。
松江城は1607年に堀尾忠氏によって築かれ、1611年に完成した平山城である。堀尾氏の後、京極氏、そして松平氏が城主となっている。
明治7年(1874年)の廃城令により松江城は廃城となり、多くの建物が取り壊されたが、天守は地元の有志によって保存された。そのため幸いなことに現存12天守の一つとして松江城の天守は現在も残されている。
1935年に国宝に指定され、2015年には再び国宝に指定されている。松江城は現在もその美しい姿を保ち、多くの観光客を魅了している。
松江城は、全国に12城しか残っていない現存天守の1つである。
その中でも、慶長16年(1611年)完成の松江城の天守は、高さ約30mの四層五階建て(地下1階)の望楼型天守と呼ばれる木造建築で、その美しい外観と防御設備が特徴である。近世城郭最盛期を代表する天守として国宝に指定されている。

松江城の天守の屋根が、千鳥が羽を広げたような美しい曲線をもつことから、別名「千鳥城」とも呼ばれている。松江城は、山陰地方で唯一の現存天守を持つ城である。2015年に松江城天守の完成年を示す「祈祷札」が再発見されたことにより、松江城天守が国宝に指定されることになったと言われている。

松江城の石垣は、築城時に有名な石積み職人によって築かれたもので、崩れにくい「打ち込み接ぎ」という手法が使われている。石垣には「ハートと亀」の形をした石もあるという。

松江城を囲む堀川では、観光遊覧船に乗って城下町の風情を楽しむことができる。船から見る松江城や周辺の景色も格別であるかも知れない。

堀端には武家屋敷もあり、歴史的な建物を見学できる。
| 名 称 | 松江城 |
| 所在地 | 島根県松江市殿町1-5 |
| TEL | 0852-21-4030 |
| 駐車場 | あり(有料) |
| Link | 国宝 松江城ホームページ |
堀尾忠氏と堀尾吉晴
松江城の築城に深く関わったのは、堀尾吉晴(1542〜1611)と、その次男にあたる堀尾忠氏(1579〜1604)である。 堀尾家は三代にわたって松江藩を治めたが、松江城の建設はこの父子二代の努力によって進められた。
堀尾吉晴は、豊臣秀吉に仕えた武将ではあるが、関ヶ原の戦いでは東軍に属し、その功績により出雲国・隠岐国24万石を与えられ、松江藩の初代藩主となった。吉晴はまず月山富田城に入ったが、山城であるため不便が多く、平野部に新たな城を築く必要を感じていた。
その築城計画を実際に進めたのが、吉晴の次男・堀尾忠氏である。忠氏は1603年に江戸幕府から新城建設の許可を得て、松江の地に新たな城を築くことを決意した。しかし、忠氏は1604年、わずか27歳で急逝してしまい、松江城の完成を見ることはなかった。
忠氏の死後は、祖父の吉晴が後見として藩政を担い、築城事業を引き継いだ。吉晴は忠氏の遺志を継ぎ、工事を進め、1611年に松江城は完成したと伝えられている。
築城の際、吉晴の妻・おわかの方が「石垣を一つ積むごとに餅を一つ与える」という制度を設け、作業に励む人々の士気を高めたという逸話が残っている。この取り組みが工事の進行を大いに助け、松江城が比較的短期間で完成したとも言われている。
堀尾吉晴は、松江城の完成後も城下町の整備に尽力し、現在の松江市の基礎を築いた。 堀尾忠氏と吉晴、そして堀尾家の人々の努力によって、松江城は美しい城郭として完成し、四百年を経た今もその姿を保ち続けている。
松江城の怖い伝説
松江城には、築城にまつわるいくつかの怖い伝説が語り継がれている。 そのひとつが、石垣が何度も崩れ落ちてしまったという話である。 築城を指揮していた堀尾吉晴は、原因を探るため霊験あらたかな宮司を招き、 城地を調べさせた。すると、槍の穂先が突き刺さったままのしゃれこうべが 地中から見つかったという。 これを丁重に供養したところ、それ以降は石垣が安定し、 無事に積み上げることができたと伝えられている。
また、松江城にはもうひとつの悲しい伝説が残されている。 築城の際、どうしても石垣がうまく積み上がらず、 ついには「人柱」を立てることが決まったというものだ。 盆踊りの最中、最も美しく踊りの上手な娘が攫われ、 生きたまま石垣の下に埋められた── そんな痛ましい物語が語り継がれている。このため、松江城下では盆踊りが禁じられたとも言われている。
ただし、これらの話はいずれも史料に基づく事実ではなく、 松江城に伝わる民間伝承・怪談として語られてきたものである。 城づくりにまつわる怪異譚は全国各地に残されており、 松江城の伝説もまた、当時の人々が築城の苦労や不安を物語として語り継いだものだと考えられている。
それでも、こうした伝承に触れると、松江城が築かれた時代の空気や、城に関わった人々の思いが、どこか遠い響きとして胸に残る。
◆ あとがき
天守を後にし、城下へと続く道をゆっくりと下りながら振り返ると、 松江城が静かに空へ向かって立ち上がる姿が目に入る。 その佇まいは、堀尾忠氏が思い描き、吉春が完成させた城の姿を、 四百年の時を超えて今に伝えているように見える。
現存天守の梁や柱、曲輪の曲線、石垣の積み方── そのひとつひとつに、堀尾親子の築城への想いが息づいている。 堅牢でありながら、どこか温かみを感じさせる松江城の風格は、 彼らが城下の未来を見据えて築いた証でもある。
歩き終えたとき、胸に残るのは、 城が語る静かな歴史の重みと、 その奥にある“人の記憶”への深い敬意だ。
松江城を歩く時間は、堀尾親子の足跡に触れながら、自分自身の歩みをそっと見つめ直すひとときでもある。